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教養のない人ほど「役に立つ教養」を知りたがる…知ったかぶりを量産する「ファスト教養」という残念現象

プレジデントオンライン / 2022年9月27日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Kriangsak Koopattanakij

教養はすぐに役に立つものではない。ところが、即効性のある「ファスト教養」を求める人たちが増えている。ライター・ブロガーのレジーさんは「残念なことに、ビジネスマンにとっての教養は『ビジネスシーンで話を合わせるためのツール』になってしまっている。それは教養ではないし、役に立つこともないだろう」という――。

※本稿は、レジー『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』(集英社新書)の一部を再編集したものです。

■即効性を求められる「ファスト教養」

教養という元来その定義のあいまいな概念が、社会の流れの中で「周りを出し抜いてうまくお金儲けをする」ためのツールとして転用される。そんな状況を「ファスト教養」と名付けた。

ファストという名前のとおり、ファスト教養に求められているのは即効性である。今この瞬間にうまく立ち回りたい。そのために必要なネタが欲しい。なぜなら金儲け、すなわちビジネスにはスピードが大事だから。時間もコストと捉えると、すぐ使えれば使えるほどコスパが良いとも言える。

先年私が慶応義塾長在任中、今日の同大学工学部が始めて藤原工業大学として創立せられ、私は一時その学長を兼任したことがある。時の学部長は工学博士谷村豊太郎氏であったが、識見ある同氏は、よく世間の実業家方面から申し出される、すぐ役に立つ人間を造ってもらいたいという註文に対し、すぐ役に立つ人間はすぐ役に立たなくなる人間だ、と応酬して、同大学において基本的理論をしっかり教え込む方針を確立した。(小泉信三『読書論』)

かつて慶応義塾の塾長を務めた小泉信三は1950年に出版した自著でこんなエピソードを引きつつ、続けて「すぐ役に立つ人間はすぐ役に立たなくなるとは至言である。同様の意味において、すぐ役に立つ本はすぐ役に立たなくなる本であるといえる」と述べている。

70年以上前に示されたこの考え方は、情報が流通してから忘れられるまでのスピードがますます加速している今の時代にこそ重要度を増していると言えるだろう。

■「教養=小手先のスキル」になってしまっている

「すぐ役に立つ」を突き詰めたものは基本的に普遍性を失う。なぜなら、それはすなわち個別事情に最適化したものだからである。自身の好みと合致するようにアルゴリズムで整頓されたSNSのタイムラインを見るのは心地よいが、そこに現れる世界は決して「社会全体」ではない。また、流行りのビジネス用語を解説するような書籍は、数年後にまた異なる概念が盛り上がりを見せ始める頃には無用の長物となる。

もちろん「流行りのビジネス用語を解説するような書籍」に触れることは時としてビジネスパーソンにとって必要である。絶えずトレンドを把握することも仕事においては重要なことであり、「追いつかないといけない新しいトレンドはまたすぐにやってくる」ことを理解しながらも、目の前でまさに盛り上がっているテーマについて勉強しないといけないという局面は多い。

問題なのは、「トレンドに追いつく」というスピード感で摂取しなければならない知識とは本来対極に置かれるべきである教養もまたその波に飲み込まれてしまっていることである。

田端信太郎の『これからの会社員の教科書』によれば、夏目漱石、司馬遼太郎、村上春樹、三島由紀夫を読むこと、およびフリッパーズ・ギターを聴くことは「ある種の一般教養」であり「小手先のスキルよりも大切」とのことである。だが、時の洗礼を受けて今も残る芸術家の作品を「ビジネスシーンで話を合わせるためのツール」に位置づけている時点で、これらの固有名詞は「小手先のスキル」に成り下がっている。

そしてそういった振る舞いを「教養あるビジネスパーソン」像として評価するのがファスト教養全盛の現代の風景である。

■「俺が若者たちの人生を変えてしまったな」と語った池上彰

出口治明『人生を面白くする 本物の教養』が刊行される前年、2014年に話題を呼んだのが池上彰の『おとなの教養 私たちはどこから来て、どこへ行くのか?』である。この『おとなの教養』シリーズは、2019年に第2弾、2021年に第3弾が発売されるなど継続的に支持を集めている。

池上彰さん
池上彰、ジャーナリスト・東京工業大学教授。「第5回伊丹十三賞」贈呈式=2013年4月18日、東京都港区六本木の国際文化会館(写真=時事通信フォト)

ちなみにこの本が出る前、2013年7月の参議院議員選挙において池上が出演したテレビ東京の選挙特番が民放の視聴率トップを獲得した(池上は2010年7月よりテレビ東京の選挙特番でメインキャスターを務めている)。

ソフトな語り口とそこから繰り出される無礼ギリギリのツッコミは今では国政選挙における風物詩となっているが、そんなメディアでの活動と並行して池上は2012年に東京工業大学のリベラルアーツセンターの教授に着任。現在(2022年)も同校のリベラルアーツ研究教育院の特命教授として、理系の学生に対して教養のあり方を教えている。

大学での授業を通じて「ああ、俺が若者たちの人生を変えてしまったな」と感じることもあるという池上だが(「『文理問わず教養教育が重要』池上彰が語る大学論」東洋経済オンライン)、『おとなの教養』シリーズはそういった教育者としてのアクションを外向きに発信しているものと言えるだろう。

■「すぐに役に立つ教養」に警鐘を鳴らしているが…

2014年の『おとなの教養』では前述した小泉信三の話が序章で紹介されている。「すぐ役に立つ」ことへの警鐘を鳴らしたうえで、「だから本当の教養というのは、すぐには役に立たないかもしれないけれど、長い人生を生きていく上で、自分を支える基盤になるものです。その基盤がしっかりしていれば、世の中の動きが速くてもブレることなく、自分の頭で物事を深く考えることができるようになるわけです」と述べている。人生の基盤という話は出口が考える教養論に通じる部分も大きい。

レジー『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』(集英社新書)
レジー『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』(集英社新書)

一方で、「教養はすぐに役に立つものではないが大事」と伝えたいはずなのに結果的には「教養は役に立つツール」というメッセージが伝わってしまう……という状況においても出口と池上は共通している。

もともと池上が名を挙げたのはNHK在籍時代の「週刊こどもニュース」であり、それ以降も「そうだったのか!池上彰の学べるニュース」などメディア上においては「本来はわかりづらいことをわかりやすく伝える」ことに特化したキャリアを歩んでいる。

また、池上が東工大で教養についての教育に関わることになったのも、2011年の東日本大震災および福島の原発事故をめぐる報道における「テレビのニュースを見ても、専門家の解説は、もっぱら専門用語や数値を並べるだけで、原発事故の実態がどんな様子なのかとてもわかりにくい。横に並んだアナウンサーも権威のある学者の意見にうなずくだけで、かみくだいた解説をしない」という状況に危機感を覚えたからだと言う(「今なぜ東工大生に教養が求められるのか 池上彰のリベラルアーツ教育のススメ」東京工業大学リベラルアーツ研究教育院)。

■「教養が役に立つ、というのはあくまで結果論」

背景が複雑な時事ネタに対して相応の「知ったかぶり」をしたいという需要に的確に応えている池上のアウトプットがファスト教養的な文脈で消費されるのはある程度仕方のないことのように思える。くわえて、池上自身、もしくは池上を担ぐメディアサイドも「すぐに役立つ知識を教えてくれる」という期待に応えるような振る舞いをしているのも指摘しておきたい。

『おとなの教養』とほぼ同じタイミングで刊行された『池上彰の教養のススメ 東京工業大学リベラルアーツセンター篇』において、池上は「教養が役に立つ、というのはあくまで結果論」「教養って、ムダなものです」と予防線を張りながらも、スポーツでもビジネスでも海外でルールが決まって日本は不利を被りがちなことや、スティーブ・ジョブズの発想の源泉に直接ビジネスとは関係のないカリグラフィーがあることなどを示す。

そのうえで、そういったシーンで力を発揮するための「フレームワークや、所与の条件や、ルールそのものを疑ってかかる想像力」や「『創造的』な力」を身につけるために教養が役に立つという論を展開している。

■意図せず「教養は役に立つ」というメッセージを発してしまっている

このような話が出てくるのは結局のところ「教養は役に立つ」という言説にフォーカスした方が読者への伝達スピードが上がるからに他ならない。また、では何に役に立つかを要約するとイノベーションと近い概念になるのも「ビジネスシーン、つまりはお金儲けにつながる教養」というファスト教養の大枠に収まっている(「スティーブ・ジョブズ」が「イノベーション」の枕詞であることに異論を挟む向きは少ないだろう)。

池上自身、教養を身につければビジネスシーンで役立つ人材になれるなどという短絡的な考えは当然持っていないはずである。にもかかわらず、いざ書籍という形にまとまった時に、どうしてもそんなメッセージが前景化してしまう。

昨今の社会には、教養を「役に立つかどうかではなく長いスパンで考えた時に人生を豊かにするもの」というのんびりした場所から追い出そうとする磁場が確実に形成されている。

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レジー(れじー)
ライター/ブロガー
1981年生まれ。海城高校、一橋大学商学部卒。一般企業で事業戦略・マーケティング戦略に関わる仕事に従事する傍ら、日本のポップカルチャーに関する論考を各種媒体で発信。著書に『増補版 夏フェス革命 音楽が変わる、社会が変わる』(blueprint)、『日本代表とMr.Children』(ソル・メディア、宇野維正との共著)、『ファスト教養』(集英社新書)がある。

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(ライター/ブロガー レジー)

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