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「説明する」という言葉を6時間かけて説明せよ…フランスのエリート教育機関の「難解すぎる問題」の解き方

プレジデントオンライン / 2022年10月3日 11時15分

パリ高等師範学校 - 写真=AFP/時事通信フォト

フランスは大学よりも格上の「グランゼコール」という教育機関でエリートを養成している。パリ第8大学客員研究員の山﨑晶子さんは「入学試験はきわめて難解で、日本の大学受験とはまったく異なる。それはエリート養成の考え方そのものが、日本とは違うからだ」という――。

■「平等」「原因」などのひと言問題が出題されるグランゼコール

「平等(2008年)」「模倣(2010年)」「原因(2013年)」「説明する(2015年)」「責任(2018年)」「科学と客観性(2020年)」。これらは、「グランゼコール」と呼ばれるフランスの高等教育機関「高等師範学校」(エコール・ノルマル・シュペリウール)の哲学の筆記試験の問題である。ちなみに問題文の上に「計算機使用不可」と注意書きがあるが、まさか計算機を使う人はいないであろう。

こんなほぼひと言だけの出題に対し、一体どう回答すればいいというのか。

実際、2015年に出題された「説明する」という1動詞のみの試験問題に対して、面食らった一部の受験生たちはSNSで「今までの自分たちの努力はどこへ?」などと騒いでいたようだ。しかし、この学校に合格するような優秀な受験生たちにとって、これは手も足も出ない問題ではない。

受験生たちは6時間という試験時間の中で、このひと言のみのシンプルすぎる問題について論じていく。上記のように面を食らってしまう受験生もいるものの、合格するような優秀な受験生たちは、これらの問題を前にしてしばし逡巡(しゅんじゅん)することがあっても、適切に論じることができるのだ。

■日本のような暗記型の受験対策は通用しない

この「説明する」というシンプルな出題は、回答の自由度がかなり高いように思われるが、もちろん何について論じてもいいというわけではない。グランゼコール受験準備校(後に詳述する)における1年間で、哲学の学習指導要領で提示された「科学」というテーマについてさまざまなことを学んだうえで、答案上で、関連した文献を正確かつ具体的に示したり、具体的事例を示したりしながらそれらを詳細に分析できたような答案が高く評価されたようである。

高等師範学校はいわゆる「大学」ではないので、単純に日仏比較はできないながらも、学習内容の暗記、マークシートによる選択式回答などで対応できることが多い日本の大学受験問題と比較すると、これらの試験問題は、問われている内容も形式もかなり異質であるように思われるだろう。

では、フランスの受験生たちがこうした問題に対応できる理由、すなわち高等師範学校をはじめとする難関エリート校への受験対策はいかに行われているのだろうか。その前に、ここで日本ではほぼ知られていないフランスの高等教育の仕組みについて説明する必要があるだろう。

■フランスのエリートは大学には行かない

フランスでは、バカロレア(中等教育修了資格試験)取得後に進む高等教育機関として、大きくわけて大学とグランゼコールの2つが存在する(他にも高等教育機関はあるが、ここでは省略する)。上述した高等師範学校はグランゼコールの1つである。

大学は分かるが、グランゼコールとはいかなる教育機関なのか。フランス独自の高等教育機関であるグランゼコールについては、フランスの教育制度に興味があったり、フランスに在住経験、留学経験があったりしない限り、日本では知る人はほとんどいないと思われる。

筆者はフランスのエリート形成について研究しているのだが、自分の研究について友人に説明しようとすると、「フランスのエリートはソルボンヌ大学に行くんでしょ?」とよく聞かれる。なぜか日本ではソルボンヌ大学=東大のような、入ることが難しい大学というイメージがあるようだが、それは間違っている。ソルボンヌは確かに名門大学だが、難関大学ではない。

そもそも、フランスでは大学に入ること自体は、学部や所在地などによって多少の差こそあれ、それほど難しいことではないのだ。だいたいにおいて、フランスでは大学ごとの独自の入学試験というものは存在しない。だが一方で、フランスには難関校や受験戦争がないのかというとそうではない。フランスの成績優秀者が目指す一部の名門グランゼコールに入るのはかなり難しく、その競争は厳しいのだ。

パリ・ソルボンヌ大学
写真=iStock.com/MagSop
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/MagSop

■土木学校から始まったグランゼコール

グランゼコールは、高等教育機関であるが、研究機関というより高度職業に結び付く専門教育機関であり、現在フランス国内に200校以上ある。その全てが難関校と呼べるレベルではなく、名門と呼ばれる難関校は上位15校程度であるが、これらは少数精鋭のエリート養成校と言えるだろう。

グランゼコールは18世紀に創設された国立土木学校が始まりであり、その後、国力を増強するために理工系を中心にいくつもの学校が設立されていった。上述した高等師範学校や、理工系のエコール・ポリテクニーク、行政系のINSP(旧ENA)、商業系のHECなどが特に難関校として知られる。いずれも入学定員は少なく、少数精鋭の教育が行われる。そして、卒業後、官民問わず上級職に就き、活躍することを期待され、大学出身者に比べ、就職においてかなり優遇されることが多い。

では、グランゼコールに入るためにはどうすればよいのか。実は、ほとんどのグランゼコールはリセ(日本の高等学校相当の中等教育機関)を修了したのち、そのまま進学することはできない。グランゼコールを目指す者はまずグランゼコール受験準備級(いくつか通称があるが、本稿では以下プレパと呼ぶ)に進学し、そこで2年から3年の受験準備期間を経てグランゼコール入試に臨むことになる。

プレパへの入学の可否は、2018年から始まったParcoursup(パルクールシュップ)という高等教育機関への登録プラットフォーム上に提出する志望動機書とリセにおける成績や内申などの書類審査によって決まる。つまり、プレパごとの試験があるわけではないため、あるプレパに入るためにガツガツと受験勉強をする必要もなく、日本のように個人的に学習塾などに通う必要もない。

■プレパの実態はフランス国内でもあまり知られていない

「受験準備級」という名前から、プレパについて、日本の大学受験予備校や学習塾のようなものをイメージされる方が多いかもしれないが、それは違う。プレパには一部私立校もあるが、公立校がほとんどで、公立校の場合はフランスの他の教育機関と同様に授業料はかからない。また、国の管轄にあり、学習指導要領などが定められた上で教育が行われている。プレパの教員になるのも難関であり、能力が高い選ばれた教員たちが未来のエリートたちの教育に当たっている。

実は、プレパはフランス国内ですら、あまり知られておらず、特に地方の市町村出身者には、その存在も実態もよく知られていない。なぜなら、プレパはある程度の規模の都市にある名門リセに附設されていることがほとんどだからである。そしてバカロレア取得者の1割程度しかプレパには進学しないため、プレパを経験した人が少ないからである。

■「モグラ」と呼ばれるプレパの学生たち

ではプレパの実態とはどのようなものなのか。うわさレベルで、「プレパは怖い」「プレパにいくとあまりのキツさに精神を病む」というようなものがあり、そのせいか、筆者が行ってきたグランゼコール卒業生たちへのインタビュー調査では「プレパに行く覚悟が持てなかった」「プレパに行くのが怖かった」「プレパはきついからやめておいたらと(周囲の人に)言われた」という話がよく聞かれた。

また、プレパの学生は目指す名門グランゼコールに向けて、学内の競争に晒されながら、太陽を見ることもないくらい、朝から晩まで勉強漬けの生活を送るため、「モグラ」と呼ばれてしまうほどである。

フランス国立図書館
写真=iStock.com/jeangill
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/jeangill

実際、筆者の調査の中でプレパの思い出を語ってもらうと、ポジティブな思い出を語る人と、ネガティブな思い出を語る人と半々である。ポジティブな思い出を語る人は、勉強が楽しくて仕方ないというタイプであり、良い教師や同級生に恵まれて切磋琢磨(せっさたくま)しながら一緒に勉強を頑張れたという理由が大きいようである。

ネガティブな思い出を語る人は、とにかく競争が辛かった、勉強のスピードが早すぎてついていくのが大変だった、というのがその理由だったようだ。いずれにしても、プレパではかなりの勉強量をこなす必要があることには違いない。また、私立には全寮制のプレパもあり、昼休みなどでも部屋に戻ってすぐに勉強できるというメリットを語った卒業生もいた。

■朝から晩まで、そして週末まで勉強する生活

プレパでは本当に朝から晩まで、そして週末も勉強という生活を送ることになる。土曜日も朝から模擬試験を受けたり、放課後にはグランゼコールの2次試験で課される口頭試問対策のために「コル」と呼ばれる少人数制の試験対策の訓練を受けたりする。これは毎日のようにほとんどの科目で行う訓練である。筆者があるプレパでコルの見学をした時には、20時過ぎまでこの訓練が行われていた。

山﨑晶子『現代フランスのエリート形成 言語資本と階層移動』(青弓社)
山﨑晶子『現代フランスのエリート形成 言語資本と階層移動』(青弓社)

そしてこうした競争に常に晒されている中で、プレパ1年目から2年目に上がれずに大学への編入を促される学生もいる。つまり、もうあなたにはグランゼコールは無理ですというプレパ教員からの宣告のようなものである。

また理系のプレパでは2年目のクラスがレベル別になっており、エトワール(星)が専攻名につくクラスに行けるか行けないかによって、その後進めるグランゼコールのレベルが変わってしまうこともある。例えば数学・物理専攻エトワールというクラスに入れると、理系最高峰グランゼコールの1つであるエコール・ポリテクニックへの合格にグッと近づくが、星がつかないクラスに入ると、授業の進度がゆっくりとなり、それ以下の難易度のグランゼコールにしか行けないというように学生たちは導かれてしまう。

こうしてグランゼコールを目指す学生たちは、まずプレパに入って競争、競争で勉強ずくめの生活になり、そこで学習指導要領に沿って各々の志望グランゼコールに向けたさまざまな訓練を受けて力をつけていき、目指すグランゼコールが課す試験問題へ挑んでいくことになる。冒頭で挙げたのはその試験問題の1例である。

赤い本を持った学生
写真=iStock.com/Bulat Silvia
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Bulat Silvia

■1年限りの留年は認められているが…

プレパで十分な試験対策を行い、苛烈な競争に心も折れずに努力し続けられれば、一見手ごわく見えるグランゼコールの入学試験問題に対峙(たいじ)しても恐れることはない。

日本の大学受験生のように、何かをひたすら暗記して勉強し、その知識を試験で問われるのではなく、試験問題で何が問われているかを正しく理解した上で、自分がこれまでに身につけた知識・教養を使用しながら求められた形式に基づいて適切に答案にアウトプットしながら論じているか否かというのが合否の鍵となる。そのための訓練を行う場がプレパなのである。

そしてプレパのなかでも、一部の難関グランゼコールへの進学実績が高いプレパで上位の成績をおさめていない限り、グランゼコール入試の突破は難しい。そのため、1年まではプレパにおける留年が認められており、目指すグランゼコール合格を目指すことが可能になっている。

しかし、それは1年限りであり、そこで入試に失敗したらやはりグランゼコールへの道はほぼ閉ざされたこととなる。つまり、日本の大学受験のように2浪、3浪と何年かけてでも志望校へ、ということは不可能なのである。

■予備校漬けにする日本の受験対策との決定的な違い

多少端折った説明となったが、入学自体はそれほど難しくない大学に対し、グランゼコールに入るための訓練と、それを経た上での選抜は非常に厳しいということがお分かりいただけたかと思う。

グランゼコール入学試験では、学校や専攻により試験科目や内容は異なるとはいえ、冒頭で述べたような試験問題が課されることがあり、その対策はプレパでの日々の厳しい訓練のもとで行われる。つまり、フランスでグランゼコールを目指すためには日本のように家庭負担による塾や予備校で受験対策することはない。また、丸暗記の知識などは試験では求められず、プレパに至るまでの学校教育や家庭教育で積み重ねてきた知識や教養も動員しながら試験に臨むこととなる。

また、グランゼコールを目指す学生が高学歴または教員など教育関係職である親のもとに生まれ育ち、幼い頃から多くの教養的知識や高学歴になるために有利な情報に囲まれて育っていれば、そうした知識や親のアドバイス等が入試に有利に働くことはあるだろう。だが、それを各グランゼコールが求める能力に合わせた試験問題に落とし込むことができるような訓練をするプレパという場を、国が高等教育機関として設置しているというところに大きな特徴があると言える。

■国内ではエリート主義批判が高まっている

以上述べてきた通り、フランスにはエリート選抜試験があり、エリート養成校が存在している。一方、ジレ・ジョーヌ(黄色いベスト)運動の勃発に表れているように、フランスにおけるエリート主義への批判が近年ますます高まっている。

ジャン゠フランソワ・ブラウンスタン、ベルナール・ファン著・木村高子、広野和美、岩澤雅利訳『グランゼコールの教科書』(プレジデント社)
ジャン゠フランソワ・ブラウンスタン、ベルナール・ファン著・木村高子、広野和美、岩澤雅利訳『グランゼコールの教科書』(プレジデント社)

プレパはエリート主義的な学校であり、プレパの教師は優遇されすぎているとして、プレパをなくそうという動きがあったことがある。また、マクロン政権下において、エリート主義の象徴と目されてきたマクロン自身の母校であるENAが廃校になり、INSPという新しい学校が設立された。その目的は、ENAの卒業生のほとんどが卒業後に就くことができる上級公務員への道を、多様な出自をもつ学生たちに広げていこうというものである。

こうしたエリート選抜制度を変更していこうとする動きや、難関グランゼコールの門戸を社会の幅広い階層に開放していこうとする試みなどがすでに始まっているが、今後もその動きはしばらく続くことであろう。その結果、フランスのエリート主義や選抜制度がどのように変化していくのか、もしくは変化しないのかについて、引き続き着目していきたい。

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山﨑 晶子(やまざき・あきこ)
パリ第8大学客員研究員
一橋大学大学院社会学研究科博士課程、ストラスブール大学Ecole Doctorale 519(人文社会科学博士課程)修了。博士(社会学)/Docteure(Sociologie)。日本学術振興会国際競争力強化研究員(CPD)。国内受入研究機関:法政大学、国外受入研究機関:パリ第8大学。専攻は社会学、社会階層論、質的調査法。著書に『現代フランスのエリート形成 言語資本と階層移動』(青弓社)、分担執筆に『フランスの高等教育改革と進路選択 学歴社会の「勝敗」はどのように生まれるか』(明石書店)、論文に「言語資本の獲得と読書習慣 フランス人エリートの語りから」(『年報社会学論集』第32号)、「グランゼコール受験準備学級におけるフランス語教育 教師たちの語りから」(『フランス教育学会紀要』第31号)などがある。

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(パリ第8大学客員研究員 山﨑 晶子)

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