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「金がないなら娘のピアノを売ればいい」メガバンク銀行員がバブル崩壊後にやっていた"借金取り立て"の手法

プレジデントオンライン / 2022年9月28日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Atstock Productions

バブル崩壊後、銀行は融資したお金をどのように回収したのか。メガバンク現役行員の目黒冬弥さんは「泣いている妻の目の前で顧客を恫喝し、金目のモノを現金化させ、返済にあてさせた。強引な取り立てが繰り返されていた」という。実録ルポ『メガバンク銀行員ぐだぐだ日記』(三五館シンシャ)からお届けする――。

■まったく歓迎されてなかった人事異動

さいたま新都心支店への異動。久しぶりの都会に心が躍った(さいたまだけど)。週末は妻と娘を連れて都会を案内しよう(さいたまだけど)。さいたま新都心支店は、外まわりを担う取引先課だけで6課、総勢60名以上になるマンモス店だった。

1~6課の役割を説明しよう。

取引先1課:上場企業、大企業、その地域で重要な取引先、看板会社を担当。
取引先2課:1課に準じる規模の中堅企業を担当。
取引先3課:新規開拓を担当。
取引先4課:個人取引を担当。
取引先5課:融資・外為・ローン事務を担当。
取引先6課:債権回収管理(融資したが途中で業績が思わしくなくなった会社の管理)

や、上記にカテゴライズされない取引先全般を担当する、いわゆるなんでも屋。私は3課に配属された。

取引のないお客を新規開拓する部署だった。宮崎中央支店での実績が買われたのだと気負っていた。宮崎中央支店では5名の外まわり担当で東京都より広い面積をカバーしていたのに、ここでの外まわり担当は10名もいる。青田支店長の言っていた「大きな支店」という言葉を実感した。

赴任当日、配属されたブースに行き、あいさつをする。

「宮崎中央支店からまいりました目黒と申します。よろしくお願いします」

誰もこちらを見ず、一心不乱に目の前のパソコンに向かいキーボードを叩き続けている。誰も彼もまったく関心を示さない。私は歓迎されていなかった。さいたま新都心支店に人員の不足はなく、青田支店長が無理に人事部に交渉した結果、ここにねじ込まれたのだった。

■ロッカー室で残業し、徹夜の場合は給湯室で頭を洗っていた

赴任から3週間が経過しても、私は担当先をもらえなかった。副支店長が見るに見かねて課長に注意してくれた。

「目黒君は宮崎中央支店で実績を上げている。仕事をさせる環境にするのが課長の仕事だろう」

真鍋課長は34歳。順当に出世していた。以前はビジネスマッチングをつなぐ部署におり、法人営業のスペシャリストとしてここにやってきていた。すでに2度の離婚歴があり、3人目の妻がいた。相手はいずれもF銀行の行員だった。課長は副支店長からの指摘が面白くなかったのだろう。自分のチームのメンバー10名を集めて、こう言った。

「おまえら1人3社、こいつに担当先をくれてやれ」

営業3課は、新規開拓以外の業務も扱う。各営業マンの担当先のうち、開拓の見込みがなかったり、開拓できたものの扱いづらかったりする3社ずつが選ばれ合計30社が私にあてがわれた。担当先はさいたま市に点在し、移動は極めて非効率だった。仕事は過酷だった。

報告書や稟議(りんぎ)書の作成に途方もない時間と労力がかかる。労使協定により、夜9時30分を超えての残業はできないため、私は支店が入居するテナントビルのロッカーの一室で残業した。できるだけ終電に間に合うようにしていたが、それでも徹夜が続くこともあった。コンビニでシャンプーや下着を買い、寒い冬の日も、給湯室で洗髪して体を拭いていた。

夜パソコンを使って仕事をする人
写真=iStock.com/dusanpetkovic
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/dusanpetkovic

■嫌われてナンボのミッションをこなす同期

「ふざけんなよコイツ!」。同期の夏久君の声がする。彼は取引先6課。企業に貸した融資の回収から帰ってきたのだ。

夏久君は六大学の体育会出身で、まずF銀行創業者が最初に建てた支店に配属された。人事部の期待ぶりがうかがえるエリートコースだ。しかし、そこでつまずいたのか、それとも学歴が見劣りしたのか、けっしてエリートコースとはいえないこのさいたま新都心支店の、それも債権管理担当として赴任してきた。

花形ともいえる1~3課に対し、5~6課は日陰の部署。6課への着任はエリートコースを走ってきた夏久君にとっては思わぬ蹉跌(さてつ)だったのかもしれない。

バブル期、銀行は狂ったように融資を拡大した。バブルがはじけ、回収不能となる不良債権が雪だるま式に増えた。銀行の業績、財務状況はみるみる傷んでいった。そんな中、夏久君の所属する取引先6課は取引を止め、撤退していく守りの担当といえた。

彼らの立場では、お客の役に立とうとか喜んでもらおうとか、そんな発想は生まれない。嫌われてナンボ。嫌がられてこそ別れられる。離婚前の夫婦のようなものだ。債権回収をミッションとされた夏久君はひたすら嫌われ役として成長した。

■顧客を恫喝してでもきっちりと債権回収する

「ふざけんなよコイツ!」。彼の口癖だ。返済が滞っているお客の資料を見ながらつぶやく。返済できない客を心の底から憎んでいるように見えた。

「こいつの会社、ウチから2億借りて滞納してんのに、豪邸に住み続けてるんだぜ。ふざけんなよコイツ」

10人規模のデザイン会社で、経営状態が悪化し、メインバンクであるF銀行への返済が行き詰まっていた。夏久君は「豪邸」というが、JRの駅から徒歩で15分の3階建ての家、分不相応とも思えない。この会社の社長には小学生と中学生の子どもが一人ずついた。

「夏久君、子どもの教育費だってかかる時期だろう。たとえば返済額を下げて、まず会社の業績を立て直す手伝いをしてやれないのかな」

「こいつが蒔いた種だよ。身の丈も知らねーくせに借金するのが悪いんだよ」

夏久君の回収はゲーム感覚だ。返済予定日でなくても、貸した融資が焦げ付きそうな兆候があると、金利をいきなり上げるなど嫌がらせをして回収に走る。

泣いている奥さんの目の前で主人を恫喝(どうかつ)し、金目のモノを見つけ、現金化させ、返済させたこともあるし、娘さんのピアノを売って返済しろと電話で怒鳴ったこともあるという。彼は自慢気に話してくれた。

指を突き出して怒鳴る人
写真=iStock.com/kuppa_rock
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kuppa_rock

■日陰者から一転して花形に

夏久君は「嫌われ役に徹する自分」に酔っているようにさえ見えた。夏久君にも妻と子どもがいた。見栄っ張りな彼は、同期の誰よりも早く家を買い、子どもを一流幼稚園に通わせていた。

融資先の業績が芳しくなくなると、銀行は融資取引の状況を確認して、担保を処分する。不動産を担保としていたら、それを売却したらいくら換金できるか、融資を回収できるかを判断する。

「回収不能」と判断された場合は、貸倒引当金という勘定処理をして、その期に損失として計上する。バブル後の数年間、この金額が法外となり、銀行の経営状況はひっ迫した。

とはいえ、銀行は社会インフラを担う企業だから、むやみに潰せない。そこで救済のため、政府主導で公的資金が注入された。このような状況下、回収不能とされた計上から1円でも回収できた分はそのまま銀行の利益になった。

夏久君たちの回収課は、そうした時代状況を背景に活躍し、銀行に巨額の利益をもたらしていた。日陰者だった回収係は一転して花形になっていた。弱みにつけ込み、ひたすら返済を強要する押しの強さが評価された時代だった。

例のデザイン会社について、夏久君は県内の別の企業に強引に事業を譲渡させ、M&Aのコンサルティング手数料を取ったうえにM銀行の貸出残高もすべて回収していた。

■栄華を極めていた回収係に突然訪れた「冬の時代」

7月1日。年に一度の昇給昇格発表の日がやってきた。前日までに内示を受けるため、その声がかかっていないならば昇格はない。昨日まで呼ばれなかった私に昇格がないことはわかっていた。

昼休み、食堂の隅にある自動販売機の前で夏久君と鉢合わせした。

「目黒、昇格は?」
「俺はなかったわ。夏久君は?」
「課長代理。当然だろ。俺がこの銀行にいくら利益をもたらしてやってると思ってるんだよ。2年も足踏みさせられたことのほうが納得いかないね」

目黒冬弥『メガバンク銀行員ぐだぐだ日記』(三五館シンシャ)
目黒冬弥『メガバンク銀行員ぐだぐだ日記』(三五館シンシャ)

2000年代に入り、都市銀行が三大メガバンクに収斂(しゅうれん)された。F銀行はM銀行になった。公的資金注入で不良債権処理にメドがついてくるとITバブルがやってきた。

社長はTシャツにジーンズ姿。会社の業務内容を聞いてもよくわからないが、利益だけはめちゃくちゃ出ている。銀行は、10年前に融資をしてほしいと言われたら即座に断っていた会社にどんどん融資せよという方針に急転した。

3つのメガバンクは競うようにアクセルを踏み込み、業績は急回復していく。栄華を極めていた回収係にとっては、突然冬の時代がやってきた。夏久君が評価された時代に急に幕が下ろされたのだ。

しかし、夏久君も少々調子に乗りすぎていた。2人の経営者が自殺に追い込まれた不幸を、あたかも自分の勲章のように話していた。家族の思い出や苦労が詰まった家を、無理矢理競売にかけてきた。

■法人営業に異動し、ノイローゼになってそのまま休職

ITバブルの真っ只中、夏久君は都内の下町支店に異動となった。

このころ、すでに大口の不良債権の処理は片付いており、彼の担当は取引先課の法人営業だった。口座開設すら受付したことがない彼は、まったく使い物にならなかったようだ。心の通ったつきあいが重要なエリアで数字を上げられなかった。

彼は連日、私に電話をかけてきては、ごく基本的な事務処理の手順を質問してきた。私もできる限り答えた。成績が上がらず、支店長からパワハラ同然の仕打ちを受けていると打ち明けた。それから数カ月ほど経つと、夏久君からの電話が途絶えた。後輩から漏れ聞いたところ、ノイローゼになり休職したらしい。

さらに数カ月して、人づてに夏久君が復職したあと、M銀行系列のリース会社に出向したと聞いた。それ以来、彼は二度とM銀行に戻ってくることはなかった。彼は時代の変化に翻弄(ほんろう)された。銀行は社会、経済情勢に左右される業種だが、ひとりの行員の人生までも変えてしまう。もちろん私もその中のひとりなのだ。

年が明け、支店長は私を呼び出した。「異動だ。愛知県の豊橋駅前支店に行ってくれ。新天地では頑張れよ」

突然の通達だった。私はここさいたま新都心支店でなんの成果も上げられなかった。チャンスをくれた宮崎中央支店の青田支店長にただただ申し訳なかった。入行10年がすぎ、私はいまだヒラ行員のままだった。

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目黒 冬弥(めぐろ・とうや)
現役メガバンク行員
バブルの終わりごろ大手都市銀行に入行。地方都市や首都圏の支店で法人営業に携わる。紆余曲折を経て、窓口事務の管理者としてメガバンクM銀行に勤務する現役行員である。

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(現役メガバンク行員 目黒 冬弥)

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