結果として「小室圭殿下」の誕生を阻止した…安倍元首相が皇位継承問題を深く理解していたといえるワケ
プレジデントオンライン / 2022年9月27日 14時15分
※本稿は、八幡和郎『安倍さんはなぜリベラルに憎まれたのか』(ワニブックス)の一部を再編集したものです。
■尊王攘夷を掲げた長州人と皇室との距離感
明治維新を「尊皇攘夷」を旗印に成し遂げた長州の政治的伝統を引き継ぐ、政治家・安倍晋三にとって、日本国家の背骨ともいうべき皇室制度を揺るぎないものにすることは、最大の関心事であり続けました。
しばしば誤解されますが、長州の政治的伝統において、尊皇とは君主独裁を理想としているのではありません。むしろ、近代国家における独立と統一の要として、適切な君主を育て、盛り立てることこそ、目指すべきものです。
たとえば、明治憲法を起草した伊藤博文は、明治天皇の信頼も抜群で、伊藤の暗殺以降、明治天皇はすっかり気落ちし、健康を害されることになったほどです。
伊藤は明治天皇の言うがままだったのではなく、天皇親裁主義と戦い、立憲君主として教育し、最終的な調停者として活用もしました。
■かつては政治家が皇族の教育に関与した
一方、天皇もしばしば伊藤のために助け船を出しましたが、あくまでも熟慮のうえのことでした。また、明治天皇は伊藤にできるだけ政権に留まるよう希望しましたが、伊藤がそれを常に受けていたわけではありません。
伊藤は立憲君主制が円滑に動くように、宮中改革を要求しましたし、また、皇太子(大正天皇)の教育にも介入し、有栖川宮威仁親王を東宮補導とするよう取り計らうなどしました。君主制においては、政府が宮中の体制整備や若い皇族の教育に関心をはらうべきであって、戦後の政治家がそれを怠っているのと、大正天皇や昭和天皇の教育に政治家が熱心に取り組んだのと好対照です。
また、山縣有朋は、晩年の明治天皇が会議のときに居眠りをされたら、杖で大きな音を立てて注意しましたし、皇太子時代の昭和天皇が威厳を保つように無口であるように教育されているのに驚愕して、「石地蔵の如し」と怒り、貞明皇后や家庭教師から引き離して、ヨーロッパ歴訪の旅に出すことを実現しました。
■女系継承を推進する小泉首相のブレーキ係
安倍さんも、理想とするところは、そうしたものだったのでしょうが、戦後は藩屏(はんぺい)といわれる華族もいなくなり、昭和の終わりごろから、側近のご意見番もいなくなりました。いわば、中小企業のオーナー一家と従業員でしかない宮内庁の職員といったようなことになってしまったので、歴代首相と陛下の密度の濃い会話はできていないのです。隔靴掻痒のところがあったように見えました。
安倍さんが皇室との関係で注目されたのは、小泉内閣の官房長官のときで、女帝・女系継承を推進する小泉首相にブレーキを掛ける役割だったときです。
万世一系とされる皇位継承ですが、江戸時代の後半には、何度も薄氷を踏む思いがありました。近世皇室の再建に尽力した豊臣秀吉のころの後陽成天皇やその子の後水尾天皇は子だくさんでしたのでしばらくは順調でしたが、1779年に亡くなられた後桃園天皇ののちは血縁が近い皇族が不在で、親等の離れた光格天皇が即位されました。
そののちも、成人した親王が一人ずつでしたので、有栖川宮、あるいは伏見宮系統に皇位を継がせることが想定されていました。
■皇位継承候補者がいなくなる想定外の事態
明治天皇の男子でも成長したのが大正天皇ただ一人でしたので、有栖川宮家が控えの立場にあったのです。
しかし、大正天皇の御妃選びのとき、政治家たちは跡継ぎが得られやすいことを重視し、その結果、大正天皇と貞明皇后は4人の親王に恵まれ、とりあえずの危機は去りました。それを踏まえて、戦後、伏見宮家系統の11宮家も皇籍離脱しました。
そして、1980年代までは、皇位継承候補者がいないという状況は想定されていませんでした。当時の皇太子殿下(現上皇陛下)に2人の、三笠宮殿下に3人の未婚の親王がおられたからです。
ところが、三笠宮家の親王のうち桂宮さまは健康を害され、寛仁親王は2人、高円宮殿下は3人のお子様がいずれも女子でした。また、秋篠宮殿下も2人の女子のみ、皇太子殿下も2001年に愛子さまが誕生されたのち、雅子さまが体調を崩され、親王誕生が望み薄になってしまいました。
それを受けて、小泉純一郎首相(当時)は私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」(吉川弘之座長)を設けたのですが、メンバーに利害関係者に近い人も多く、進め方も愛子さまへの継承はじめにありきであったので公正さに疑念がありました。
■皇室制度が乱暴に変更されるところだった
報告書では、女帝女系を認めるだけでなく、男女に限らず第一子優先という、祭祀は長男が相続するという一般社会の習慣とも齟齬を来す大胆な提案をする一方、旧皇族の復帰については可能性の検討すらしませんでした。
一般的に、君主の継承原則を変更する場合、正統性を確保するためには、最低限の変更にとどめ、公正慎重であるべきなのですが、乱暴な進め方でしたので、反発の声が湧き上がりました。
それでも小泉首相は強気に皇室典範改正へ進もうとしましたが、2005年に秋篠宮妃殿下の懐妊が明らかになり、2006年9月に悠仁さまが誕生されたので、報告は前提条件を失って意味がなくなりました。
このとき、小泉首相を最終的に翻意させたのは、「すでに生を享けられ皇位継承権を持つ方を外すのはいかがなものか」という安倍さんの一言だったといわれます。
■女性宮家論の野田内閣から安倍内閣へ
その後、悠仁さまの成長に従って、悠仁さまを押しのけて愛子さまという声は、少なくとも政治家のあいだでは少なくなりましたが、悠仁さまにお子様ができなかった場合のために、女性宮家を創設して、その夫や子どもを皇族にするという女性宮家論を民主党の野田内閣が推進していました。
ここで政権交代が起こり、第二次安倍内閣が発足。この案が実現していたら、今ごろ、眞子さまと結婚した小室圭氏も「殿下」となり、将来は、天皇にはならなくても、可能性としては摂政宮殿下になることもあり得たわけで、それが阻止できて本当によかったと思います。
ところが、安倍政権の時代には、皇位継承問題に取り組む前に、平成の陛下が生前に退位したいとおっしゃる問題が起きました。
2015年8月8日、陛下は「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」をビデオメッセージとして発せられ、退位の希望を強くにじませられました。
■難しい局面を乗り越え、生前退位を実現
これを受けて政府や国会は具体策を検討することになり、さまざまな議論ののちに、今回限りの「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が2017年6月に制定され、2019年4月30日に退位されることになりました(「譲位」という人もいるが、正式には法律で退位という言葉が使われています)。
そして退位後、陛下は上皇、皇后陛下は上皇后と呼ばれ、陛下を尊称とすることになりました。
本来は、かなりの時間をかけ、また、将来のさまざまなケースへの影響も考慮しながら制度論として処理すべき問題でしたが、陛下ご自身が理想とされる君主像を、体力の衰えのなかで保てないのは心苦しいと感じられているということ、また、「おことば」を玉音放送としてとらえ、その通りに従うべきという象徴天皇制と相容れない国民の素朴な感情が湧き出たという難しい局面でした。
それを、安倍内閣は非常に慎重に、陛下のご希望と、象徴天皇制の建前を傷つけないように調整し、円滑なご退位を実現したわけです。
■退位をきっかけに深まった上皇陛下との絆
私は、最後に安倍さんにインタビューしたとき、「陛下と総理のコミュニケーションは実際、どうなっているのですか」と聞きました。「内奏のときや、お会いしたときにお話しはするのだが、突っ込んだ話はなかなか難しかった。ただ、ご退位の話が出てからは、具体的に問題を説明したり、ご希望を聞いたりしないといけないので、かなり詳しいお話ができる機会が増えた」といったことを話されました。
また、「事務的には宮内庁長官と内閣官房副長官が窓口ですか」という質問には、「その通りだ」ということで、さらに、「それ以外に、陛下の意を呈した方がお言葉を伝えに来るといったような非公式のルートもあるのですか」と聞いたら、「それはない」とのことでした。
また、総理在任中に「皇太子殿下(当時)としっかり話をされることはないのですか」と聞いたことがありますが、「ほとんどない」ということでしたので、「皇太子殿下を教育するのは、古今東西、宰相の大事な仕事のはずですから、工夫して機会を持たれるべきです」ということを進言したことがあります。
■天皇、皇后両陛下とも信頼関係を築いた
京に都があるときは、摂政・関白、戦前でも総理はそれを実践していたのですから、それは日本の伝統でもあり、当然です。その後、どうなったか知りませんが、ご退位の少し前には、安倍さんが殿下と複数回お会いになったことが「首相の動静」などで報じられていたので、よかったと思いました。
週刊誌報道などによると、雅子皇后は、安倍さんにたいへんな信頼を寄せられ、安倍さんを国葬で送られることを望まれていたといいます。
それが本当かどうかは知りませんが、雅子さまのこれまでのご苦労について安倍さんは、たいへん同情され、非常に温かい言葉で励まされていたといいます。それを皇后陛下もお喜びになったのではないでしょうか。
皇室の方には、へつらいを言う人は多いし、逆に無難な言葉でお茶を濁す人も多い。そんななかで、人間味のある言葉をかける人は少ないのですが、安倍さん独特のやさしさは、皇后陛下にとってとても貴重なものだったのではないかと想像します。
■皇位継承問題をめぐる安倍元首相の特異性
また、安倍さんがNetflixで放映されている英国王室の内幕ドラマ「ザ・クラウン」をたいへん興味深く見ておられると人から聞きました。
ご本人に「本当か」と確認したら、「見てますよ。ボリス・ジョンソン首相に、“あれは事実なのか?”と聞いたら、しばらく間を置いてにやっと笑って“ノーコメント”と言ったから、だいたい本当らしいが、どうなんだろう」ということでした。
「だいたい大下英治さんの政界ものと同じくらいには真実と思っていいと思いますよ」と言ったら、大笑いになりました。
皇室関係のことについては、皇位継承などほかにもいろいろ申し上げたし、それに対する反応もありましたが、これまでほとんど書いたことはありません。本人が亡くなったので、許されると思う範囲で記しましたが、これ以上はしばらくの年数は書きにくいテーマであるのでこのくらいにしておきます。
ただ、感心したのは、「どちらにせよ、皇位継承問題などについては、これまでの原則をある程度、変更しなくてはならないのだから、その人が国民にとって納得できるような人かどうかも大事だ」ということで、固有名詞を出していろいろ申し上げたのですが、非常に正確に情報を把握しているのに感心しました。皇位継承問題について論じる人のなかには、具体的な固有名詞を考えると難がある提案をされる方が多い中で、立派なものでした。
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徳島文理大学教授
1951年、滋賀県生まれ。東京大学法学部卒業。通商産業省(現経済産業省)入省。フランスの国立行政学院(ENA)留学。北西アジア課長(南北朝鮮担当)、大臣官房情報管理課長、国土庁長官官房参事官などを歴任後、現在、徳島文理大学教授、国士舘大学大学院客員教授を務め、作家、評論家としてテレビなどでも活躍中。著著に『皇位継承と万世一系に謎はない』『世界と日本がわかる最強の世界史』『日本と世界がわかる最強の日本史』『韓国と日本がわかる最強の韓国史』『中国と日本がわかる最強の中国史』(いずれも扶桑社新書)ほか。
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(徳島文理大学教授 八幡 和郎)
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