「プーチンの嘘」はすぐバレるのに…ロシアが「ウクライナ政府はネオナチ」とツイートし続けるワケ
プレジデントオンライン / 2022年9月29日 10時15分
■侵攻の口実をSNSで作り出すロシアの手口
ベリングキャットは、2014年のクリミア危機から続くロシアと西側諸国の情報戦において、大きな役割を果たしてきた。ここでは、2022年のウクライナ侵攻をめぐる彼らの成果の一つとして、ロシアによる「偽旗作戦」の検証を挙げておきたい。
偽旗作戦とは、侵攻の口実を作るために敵が攻撃したと見せかける秘密作戦を指す。
ロシア軍の侵攻開始からさかのぼること1週間前。ウクライナ東部ドネツク州の一部を実効支配する親露派武装勢力は、ウクライナの工作員が2月18日に下水処理施設の爆破を試みたと主張する動画をロシア発の通信アプリ「テレグラム」で発表した。
武装勢力は攻撃を未然に防ぎ、工作員が着ていた防弾ベストに取り付けられたカメラから動画を回収したと説明していた。ロシア国営タス通信もこれを引用する形で報じた。薄暗い森の中での銃撃戦とおぼしき状況に始まる1分半の動画は、カメラを取り付けたとみられる人物が倒れ込み、ヘルメット姿の兵士が近づいてくる場面で終わる。
一見すると、親露派勢力の発表に沿う内容と受け止められそうなものだが、オシントの手法を使いこなす専門家やアマチュアが集まるSNSのコミュニティーでは、公開直後から信ぴょう性に疑義が集まった。
ベリングキャットがメタデータと呼ばれる動画の付帯情報を調べたところ、動画は10日前に作成されたものだと判明した。さらに同じ動画の編集過程で、10年以上前にユーチューブに投稿されたフィンランドの軍事演習の爆発音が重ねられていたこともわかった。
ベリングキャットは、この事例を含めてロシア側が発信した「偽旗作戦」の疑いがある事例をリスト化し、分析の根拠と共に公開した。
■戦車や大砲よりも重視される情報戦
ヒギンズさんは、ベリングキャットなど非国家主体によるオシント分析の発信が侵攻の抑止につながったかは「定かではない」としながらも、次のように強調する。
「今回の戦争にまつわる西側メディアのナラティブに大きな影響を与えたのは間違いありません。侵攻に至るまでの間にロシアと親ロシア勢力が制作した捏造映像をタイムリーに暴露したことでロシアの描くナラティブを潰すことができました」
彼が繰り返すナラティブ(narrative)とは日本語でなじみのない言葉だが、「語り」や「言説」などの意味がある。ここでの文脈においては、人々の感情や認識に訴えかけるような拡散しやすい情報と捉えると理解しやすいだろう。その内容は事実に基づいているとは限らず、時として「作り出される」ものである。
英国を拠点に、中東やウクライナの紛争取材を続けるジャーナリスト、デイヴィッド・パトリカラコス氏は、著書『140字の戦争 SNSが戦場を変えた』(早川書房)の中で、現代の戦争には「戦車や大砲を使って戦う物理的な戦争」と「おもにソーシャルメディアを使って戦う情報戦」の二つがあると指摘。その上で、「重要なのは、強力な兵器を有する者よりも、言葉やナラティブによる戦争を制する者が誰かなのだ」と書いた。
ヒギンズさんは言う。「現地からもたらされた多くの画像や動画が検証され、オンラインのネットワークを通して世界中に拡散しています。ロシアがこの戦争にからむナラティブをコントロールすることは不可能です」
■ロシア有利が覆った事情
ロシアは2014年にウクライナ南部クリミア半島を一方的に編入した際、侵攻を正当化する手段として偽情報工作を使った。欧米の政府機関は情報の真偽を精査するのに時間がかかり、結果としてロシアのペースで事態が進んだ経緯がある。
インテリジェンス研究が専門の小谷賢・日本大教授は、「今回はロシアが偽情報を流してもあっという間にネット上で検証されています。民間のオシント能力のレベルが格段に向上したことにより、欧米の政府機関は偽情報の精査に多くの時間を割く必要がなくなっている」とみる。
小谷さんが象徴的な例として挙げるのは、ロシア軍によるウクライナ侵攻直前の出来事だ。ロシア国防省は2月15日、ウクライナ国境周辺に配備した部隊の一部を撤収させていると発表したが、SNS上のオシント・コミュニティーではマクサーなど商用の衛星画像の分析からこれを偽情報であるとする指摘が相次ぎ、米政府高官も「軍の増強は続いている」と即座に撤収を否定した。
「このような重要局面で、民間と国の機関が足並みをそろえたのは画期的でした。SNSの普及は戦争の姿をも変え、これまでは偽情報を流す側が有利になるような例が続いてきました。しかし、今回のウクライナ危機ではそれがひっくり返った。間違った情報は正しい情報に駆逐されることを証明したのです」
■日本でロシアのプロパガンダを拡散するのは誰か
ナラティブによる戦争は言語の壁を越える。日本でもロシアの侵攻を正当化するような偽情報が広まった。
「ウクライナには米国主導の生物兵器研究所がある」――。ロシアがウクライナに侵攻する数年前からソーシャルメディアで繰り返し流れ、「ばかげている」「陰謀論」と欧米諸国が明確に否定してきた誤情報だ。
だが、侵攻前後の1週間で、ツイッターのユーザーが同趣旨の投稿を目にしたのは日本語圏だけでも900万回にも上ったという。侵攻を正当化するロシアの主張に沿った情報に共鳴し、拡散しているのは一体誰なのか。
ロシアの侵攻が始まった2月下旬、仙台市のインターネットセキュリティー会社Sola.com(ソラコム)の情報分析担当者が目を留めたのは、前述の「ウクライナには米国主導の生物兵器研究所がある」とのSNSの投稿だった。
分析すると、フォロワー数が1万人を超える影響力が大きい20近いアカウントが拡散のハブとなっていたことが判明した。
ソラコムは2021年から真偽不明の情報や陰謀論を拡散している日本語のアカウントに着目し、ツイッターなどの投稿内容や拡散経路などの分析を続けてきた。
従来分析の対象としてきたアカウントは、主に米国の極右系陰謀論「Qアノン」に共鳴した内容や新型コロナウイルスのワクチンをめぐる誤情報を発信していたが、ウクライナ侵攻の直前からロシア政府の主張に沿った投稿を拡散する傾向がみられ始めたという。
■「親ロシア」と重なる「反ワクチン」の主張
計算社会科学の手法でSNSを分析する東京大大学院の鳥海不二夫教授は2022年1月1日から3月5日、「ウクライナ」「ロシア」「プーチン」などの語句が使われたツイート約30万件を抽出し、傾向を分析した。
「ウクライナ政府はネオナチ」というロシア政府の主張に沿った投稿は228件あり、約1万900のアカウントが計3万回以上リツイート(転載)していた。これらのアカウントの過去の投稿を調べたところ、87.8%が新型コロナウイルスワクチンに否定的な内容を、46.9%が「Qアノン」に関連する主張を拡散していたという。
なぜ、ウクライナ侵攻をめぐる親ロシア的な主張と反ワクチンを拡散する層が重なるのか。
社会心理学が専門の橋元良明・東京女子大教授は「どちらも社会の関心が高く、それについて話せば承認欲求や自己満足を得やすいという共通点がある。真相がはっきりしていない部分が多く、陰謀論が入り込みやすい点も似ている。そうした意味で二つの話題は親和性が高い」と指摘する。
SNS時代の情報戦においては、誤情報の拡散や「いいね」ボタンを押すことが「兵器」となりかねない実態を当事国以外のユーザーも自覚するべきだろう。
■在日ロシア大使館は「世界で最も影響力ある公式アカウント」
在日ロシア大使館のアカウントも、ウクライナ侵攻を正当化する情報が広がる起点の一つとなっていた。ウクライナ政権を「ナチス」になぞらえ、「日本は100年も経たぬ間に二度もナチス政権を支持」などと日本政府を批判する投稿もあった。
日本語のほかロシア語、英語を使い分けて発信を続ける在日ロシア大使館は実は、世界に100近くあるとみられるロシア政府の公式アカウントのうち「最も影響力ある」アカウントの一つだ。
米国のシンクタンク「ジャーマン・マーシャル財団」(GMF)が提供する分析ツールで調べると、2022年5月18日までの30日間に在日ロシア大使館のアカウントが投稿したツイートは732件。8万件以上のリツイート、22万件近い「いいね」を集めた。
拡散力ではロシア外務省をも上回り、日本語圏の外でも一定の役割を果たしているとの見方もある。
「ロシア政府のツイッターアカウントは、誤情報を拡散するために連携している」。SNS分析が専門のティモシー・グラハム・豪クイーンズランド工科大上級講師はそう指摘する。
グラハムさんは、ロシア政府機関のうち、在日大使館を含む主要な75のアカウントについて、ウクライナ侵攻翌日から1週間の投稿を分析した。
その結果、これらのアカウントはほぼ同じタイミングで同じ内容の投稿をリツイートする傾向が確認されたという。75アカウントのフォロワーの合計は730万人を超える。
■アルゴリズムを操作し、ボットで主張を拡散
ツイッターのアルゴリズム(計算手順)は、ある投稿が短期間に多くの注目を集めたと判断すれば、その投稿を他のユーザーに勧めたり、トレンドリストに表示したりする。
ロシア政府アカウントのリツイートの連携は、このような特性を利用した「アルゴリズムの操作」を意図したものだとグラハムさんは指摘する。
従来、多言語でロシアのプロパガンダ発信を担ってきたのは「RT(旧ロシア・トゥデイ)」や「スプートニク」といった政府系メディアだった。しかし、欧州連合(EU)はウクライナ侵攻に伴う制裁の一環として、EU域内でこれらのメディアのコンテンツを配信することを禁じた。
政治メディア「ポリティコ」欧州版は2022年4月7日の記事で、ウクライナ侵攻を機に政権の主張に沿った「誤ったナラティブを押し通す」ため、ロシア政府アカウントの投稿が質も量も変容したとする複数の欧米当局者の見方を伝えている。
「外交官を情報戦の戦士に変えるロシア」と題したこの記事では、中国の外交官が自国の立場の正当性を主張するため、ツイッターなどで民主主義陣営に好戦的な表現で批判を繰り返す「戦狼外交」との類似性も指摘した。
ロシア政府の公式アカウントの投稿では、「ウクライナ軍による戦争犯罪の証拠」をうたう内容や、ロシア軍が撤退した後の首都キーウ近郊ブチャで多数の市民の遺体が見つかったことについて「うその挑発行為」だとする主張もあった。
グラハムさんの分析によれば、ロシアの侵略を正当化する誤情報を含む投稿は、「ボット」と呼ばれる自動プログラムの使用が疑われるアカウントでも拡散が促進されていたという。
■SNSが誤情報を広める「抜け穴」になっている
ロシア政府アカウントの協調した拡散戦略によって、侵攻を正当化するツイートがユーザーに推奨されるなどの影響はあったのか。ツイッター社は取材に「個々のデータを公開していないためお答えすることができません」と回答した。
ロシア政府はツイッターで積極的にプロパガンダを発信する一方、自国民に対してはツイッターへのアクセスを制限するなど情報統制を強めている。ツイッター社はこうした「深刻な情報の不均衡」への懸念を強め、ユーザーのタイムラインなどでロシア政府アカウントをおすすめとして表示しない方針を2022年4月5日に発表した。この措置によって、ロシア政府のツイートを目にする機会は減少すると説明している。
また、ツイッター社はロシアのウクライナ侵攻以降、「虚偽」や「誤解を招く」5万件以上の投稿について削除や注意喚起のラベル付けの措置をとったという。
だが、グラハムさんは、ロシア政府アカウントが誤情報を広める「抜け穴」状態は続いていると指摘。「侵略を正当化する多くのツイートは、ある意味で暴力をあおっているとも言える。ツイッター社はロシア政府のアカウントが発信するツイートについて、特別なリソースを割いて事実確認し、適切に処理する対応を取るべきだ」と主張する。
■情報流通の自由に「ただ乗り」するロシア
ソーシャルメディアに詳しい桜美林大の平和博教授は、政府アカウントへの対応について「国家を超えた力を持つという懸念もある(SNSの)プラットフォーム企業が、紛争にからんでどこまで介入できるのか、すべきなのかという議論は十分になされていない」と指摘する。
SNS時代の情報戦にあって、言論の自由と、自由さゆえの危険性とのバランスをどう取っていくか――。平さんは語る。
「ロシアはデジタル版『鉄のカーテン』をおろして国内で言論を弾圧する一方、国外に対しては、自由な情報の流通という民主主義国家の価値に“ただ乗り”し、偽情報を使った情報戦で混乱を引き起こしている。一方で、このような強権国家に対処するために行き過ぎた規制をとれば、民主主義社会の価値観を損ねかねない。私たちは『寛容のパラドックス(逆説)』の問題にリアルに直面している」
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毎日新聞編集編成局の部署を横断した記者・デスクによる特別取材チーム。毎日新聞の連載「オシント新時代 荒れる情報の海」は、2022年「PEP(政策起業家プラットフォーム)ジャーナリズム大賞」検証部門賞を受賞した。著書に、連載がもとになった『オシント新時代 ルポ・情報戦争』(毎日新聞出版)がある。
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(毎日新聞取材班 )
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