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「あなたが財布を盗んだ」と言われて姉は泣き出した…認知症を発症した母と家族が直面した限界バトルの日々

プレジデントオンライン / 2022年10月7日 9時15分

認知症の母に、家族は振り回された… - 写真=iStock.com/kasto80

認知症の介護は家族にとって大きな負担となる。医師で医療ジャーナリストの森田豊さんは「認知症の介護では、『介護のキーパーソン』の負担が重くなりがちだ。周囲の人間はキーパーソンをできる限りサポートできる体制を作ってほしい」という――。

※本稿は、森田豊『医者の僕が認知症の母と過ごす23年間のこと』(自由国民社)の一部を再編集したものです。

■認知症の母に連日呼び出された姉

母の異変は、仲良し家族だった森田家を激しく揺さぶった。

僕も父も母の振る舞いに手を焼き、振り回され続けた。

だが、誰よりも振り回されたのは、父でも僕でもなく姉だった。

姉は日ごとにエスカレートする母のわがままを受け止め、何くれとなく世話を焼き、身を粉にして献身的に尽くし続けた。

例えば、母は不調を覚えると真っ先に姉に訴え、自分のもとに来るように言いつけた。

口腔外科や歯科だけでなく、「目が痛い」「膝が痛い」と言っては病院の予約を取り、その都度姉に付き添うよう連絡を入れた。

また、

「昼食や薬を用意してほしい」「風呂やトイレを掃除してほしい」

「クリーニング屋に行って来てほしい」「シーツや布団カバーを取り替えてほしい」

などと言っては、毎日のように姉を呼び出した。

「シーツは3日前に取り替えたばかりじゃない。毎日取り替える必要はないでしょ」

と言っても、きれい好きな母は「毎日替えたい」と言って聞き入れない。

結果、姉は毎日のように母のもとに通わされる羽目になった。

■食べたことを忘れ、時には粗相(そそう)も

食事についても、姉は苦労させられていた。

姉もまた「食べた」「食べてない」で母ともめた。昼食を食べた直後に「お昼ごはんを食べる」と言い出し、「今食べたばかりでしょ」と止めても、「食べていない」の一点張りで、残り物やら何やらを口に運んでしまうのだ。

その挙句、母は下痢をすることもあった。

時には粗相したり、トイレを汚してしまうようなこともあった。

時にはトイレを汚してしまうことも…
写真=iStock.com/sasirin pamai
時にはトイレを汚してしまうことも… - 写真=iStock.com/sasirin pamai

体によくないからと必死に止めても、母はおかまいなしに食べてしまう。

これには姉もほとほと参っていた。

その上、母は姉が帰るとすぐに連絡を入れるようになった。

母の世話を済ませ、自宅に戻ったばかりの姉に電話し、大した用事でもないのに「今すぐ伝えたいことがあるから来て」と呼び出すのである。

■嫁の前では見栄を張ってしまう

このことを知った僕は、さすがに姉に申し訳ないと思い、

「姉さんをたびたび呼び出すのはやめてほしい」

と母に頼んだ。

通院も掃除もクリーニングも、同居する妻の千賀子に頼めばいい。

姉は嫁いだ人間で、本来母の世話をするのは僕らの役目だ。

だから、用事があるなら僕らに言ってくれてかまわない。

「何もかもお姉さん任せで心苦しい」と千賀子も恐縮している。

妻の顔も立ててやってほしいと、僕は母に説得を試みた。

だが、母は姉に頼るのをやめようとしなかった。説得した時は

「わかった」
「豊の言う通りだね」
「千賀子さんにお願いするようにする」

と言うのだが、翌日になるとまたすぐ姉を呼び出してしまう。

恐らく、これは物忘れのせいだけでなく、妻に対するプライドもあったのだろう。

妻とは仲良くやってはいたものの、母の中では「お嫁さんの前では常にしっかりした自分を見せていたい」という見栄があったように思う。

そのせいで、結果的に姉にしわ寄せがいくことになってしまったのである。

■姉を「盗っ人呼ばわり」した母

もっとも、当初はあまり深刻には考えていなかった。

何しろ母と姉は昔から仲良しだ。しょっちゅうつるんで出かけていたし、こういうことになる前も、姉はよくうちに遊びに来て、母の話し相手をしてくれていた。

何のかんの言っても2人は仲がいい、けんかしつつもうまくやっているのだろうと、楽観的に考えていた。

ところがある時、見過ごせない出来事が起きた。

母が姉に「財布がなくなった」と電話をかけてよこし、「あなたが盗んだ」と姉を盗っ人呼ばわりしたのだ。

姉はもちろん否定した。

「私は盗ってない!」
「絶対どこかにあるから、ちゃんと探してよ!」

と母に言い返した。

だが、母は

「あなたしかいない!」
「あなたが盗ったのよ!」

と容赦なく姉をなじった。

■姉は深く傷つき、泣いていた

翌日、姉は母の所に駆けつけた。そしてすぐさま母の買い物袋の中にある財布を見つけ出し、「ここにあるじゃないの」と母に財布を差し出した。

でも、母は何食わぬ顔で「あら、そう」と言うだけで、謝りもしなければ言い返しもしない。

財布がないと騒いだことも、姉を盗っ人呼ばわりしたことも、すべて忘れてしまっているのだ。

姉からこの一件を聞かされた僕は、必死に姉を慰めた。そして謝罪した。

「姉さんは本当によくやってくれてる。感謝もしてる。それなのに、こんな目に遭(あ)わせて本当に申し訳ない。不愉快でたまらないなら、遠慮なく言ってくれよ。あとは僕と千賀子で何とかするから」

姉は泣いていた。深く傷ついていた。

姉は泣いていた…
写真=iStock.com/kieferpix
姉は泣いていた… - 写真=iStock.com/kieferpix

それは盗っ人呼ばわりされたからだけではなく、理想的な良妻賢母だった母が壊れていくことに対する悲しみでもあった。

■姉が精神安定剤を飲むように

姉は度重なる母からの呼び出しや暴言のせいで、精神的にかなり参っていた。

睡眠導入剤や精神安定剤を飲んだりもしていた。

姉は睡眠導入剤や精神安定剤を飲んだりもしていた…
写真=iStock.com/diego_cervo
姉は睡眠導入剤や精神安定剤を飲んだりもしていた… - 写真=iStock.com/diego_cervo

しかしそのことは、当時一切僕には言わなかった。

自宅に戻ると家族の前で泣き崩れ、子どもたちに愚痴って心配をかけ、

「そんなにつらいなら、もうおばあちゃんの所に行くのはやめなよ。このままだと、ママがおかしくなっちゃうよ」

と言われていたという。

しかし、それでも姉は母のもとに通った。

ひどいことを言われてもなお、通い続けた。

それは一体なぜなのか。その胸の内を姉はこう語っていた。

「ひどいこと言われてもね、翌日呼び出されるとやっぱり心配になって、お母さんのとこに行っちゃうのよ。

『お母さんを頼む』ってお父さんからも言われたし、何よりあの時は豊も千賀子さんも忙しかったでしょ。私はもう子どもの手は離れてるし、手が空いているわけだから、暇な私がやればいいかなと思ったの。

それにね、お母さん、いつもひどいことを言うわけじゃないのよ。一緒にテレビを見て笑ったり、楽しく思い出話なんかができたりする日もあるの。

ひどいこと言われて、『お母さんなんか知らない!』『もう来てやるもんか!』って思う日もあったけど、昔のように明るく朗らかなお母さんでいる時もあったから、何を言われても頑張れたんじゃないかと思うのよね」

■「ひどいこと」は病気が言わせているだけ

姉は優しい。本当に優しい。

弟の僕が言うのも何だが、姉は昔からとても優しく、面倒見もよかった。

年が10以上も離れていたせいか、姉は僕を無条件にかわいがり、僕も姉を心から慕っていた。

結局、僕はそんな姉の優しさに甘えていたのだ。

昔から変わらない、甘えん坊の末っ子長男のまま、面倒くさいことはすべて姉に押しつけて、必要以上の負担を強いてしまったのだ。

「でも、それはしょうがないよ。豊は生まれた時から我が家の大事な跡取り息子で、お母さんなんかずっと『豊が一番!』だったんだから。年がいってから生まれた子だったから、余計にかわいくてしょうがなかったんだろうね。

だってお母さん、私とけんかした時『もう何もしてあげないから!』って怒鳴ったら、『ああ、やってくれなくて結構。豊にやってもらうから』って言ったのよ。あれは本当にがっかりしちゃったなあ」

「えっ! あれだけ姉さんにいろいろやってもらいながら、母さんそんなこと言ってたの!?」
「そうよ。おまけにね、『豊は優しいのよ。私の言うことを何でも聞いてくれるの。千賀子さんだって、私には優しいんだから』って言うの。あんまりだと思わない?」

僕は絶句した。いくら何でもその言い草はひどい。

そんなことを言われたら、腹も立つし傷つきもする。

僕は、姉への配慮が足りなかったことを心底詫びつつ、2人の絆が切れてしまうのではないかと深く憂えた。

「姉さん、つらい思いをさせて本当にごめん。でも、これだけはわかってほしい。ひどいことを言うのは母さんの本心じゃない。病気がそう言わせてただけで、母さんは本当は姉さんが大好きで、頼りきっているんだよ」

■「介護のキーパーソン」をケアすべき

「うん、わかってる。わかってるんだけど、ひどいこと言われるとやっぱり怒っちゃう。なかなか聞き流せないのよね。

あのお母さんが、家族思いだったお母さんが、わがままで自分勝手な人になっていくことも、私としてはすごくつらかったしね。

森田豊『医者の僕が認知症の母と過ごす23年間のこと』(自由国民社)
森田豊『医者の僕が認知症の母と過ごす23年間のこと』(自由国民社)

でも、本当はこういうことを、もっと早く豊に話せばよかったんだと思う。忙しい豊にいちいち相談するのは悪い、私が我慢すればいいんだと思って何も言わずに済ませようとしたけど、ささいなことでもざっくばらんに相談して、出来事や気持ちを伝え合うべきだったのよね」

そうだ、まったく姉の言う通りだ。僕らはもっと母のことについて、情報共有をし合うべきだった。

姉のような、直接世話に当たるキーパーソンを中心に、家族みんなが情報を共有する。

「言えなかった」「知らなかった」をできるだけなくし、困り事があればみんなで話し合って解決する。

介護ケアでは、介護される人が最もものを言いやすいキーパーソンに負担がいく。

最前線に立つ姉のような立場の人が、最もつらい思いをすることになる。

そのことを踏まえて、周りの人間はキーパーソンに負荷がかからないよう、できる限りサポートしていくという体制を作るべきだったのだ。

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森田 豊(もりた・ゆたか)
医師、医療ジャーナリスト
1963年東京都台東区生まれ。秋田大学医学部、東京大学大学院医学系研究科を修了、米国ハーバード大学専任講師等を歴任。現役医師として医業に従事し、テレビ朝日系『ドクターX~外科医・大門未知子~』の医療監修を行うなど、種々のメディアや講演等で幅広く活躍中。

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(医師、医療ジャーナリスト 森田 豊)

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