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日本の自衛官は「日本のために命を捨てる覚悟」を持ちようがない…自衛隊OBが嘆く「違憲問題」の帰結

プレジデントオンライン / 2022年10月3日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Takosan

もし日本が戦争に巻き込まれたらどうなるのか。桜美林大学の加藤朗教授は「国を守るとは、憲法体制を守ること。しかし日本国憲法は自衛隊を否定している。だから日本の自衛官は『日本のために命を捨てる覚悟』を持ちようがない」という。国際地政学研究所の柳澤協二理事長らとの共著『非戦の安全保障論 ウクライナ戦争以後の日本の戦略』(集英社新書)より、一部を紹介する――。

■国を守るというのは、憲法体制を守ること

【加藤朗(桜美林大学教授)】われわれの時代にできるかどうかは自信がありませんけれども、将来的に、後世に残さなければいけないのは、一つは、戦争が回避できるような考え方です。そしてもう一つは、抑止というものを詰めて、詰めて考え、日本の抑止は、国民全員が議論し、行動することだと思います。戦争になったら、最終的には命を投げ出す話ですけれども、それを誰がどこまで実践するのか。

日本人の多くは勘違いしているのではないかと思っています。国防というものを、国民の生命、財産が最優先課題だという見地で捉えている。もちろん、震災、災害のときにそれが重要であることは論をまたないですけれども、本当の意味で国を守るというのは、憲法体制を守ることなのです。憲法は英語ではコンスティテューションと言いますが、それは憲法であり国体という意味です。それを守ることが国防なのです。

国民の生命・財産を守る役割を持っているのは、基本的には警察と消防です。政治家はもちろん、国体を守ることと生命・財産を守ることと、その両方を追求していくでしょう。しかし、そこで最後になったときに、それこそ選択が求められる。国民の生命・財産を犠牲にしてでも国体を守るのかどうかという選択です。

今、ゼレンスキーが行っているのはその究極の選択なのです。これを認めるかどうかの議論が日本でも本当は必要なのです。

哲学者の浅田彰さんがBSフジのプライムニュースに出た回があります。1980年代に『逃走論』(ちくま文庫、1986年)で一世を風靡(ふうび)した哲学者、思想家ですが、彼は、プーチンのために命を捨てるなんてばかばかしい、だからみんな逃げろと言ったのです。

その翌週でしたでしょうか、外務官僚を経て柳澤さんと同じく内閣官房副長官補をやった兼原信克さんが出てきて。浅田彰さんの前回の発言に対して、一言、「卑しい」と言い捨てました。逃げることは卑しいと。

【伊勢﨑賢治(東京外国語大学教授)】「卑しい」ですか。

■「身をもって責務の完遂」を誓う自衛隊員

【加藤】まさに、その二つのこと、命を捨てるのか逃げるのか、そこをわれわれは議論しなければいけないのです。そこを議論するに当たって、私がいつも取り上げるのは、1957年の寺山修司の短歌なのです。

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

我が祖国は、我が身を捨てるほどのものなのかという問いです。終戦から間もない時代にあって寺山は反語的にないといったのでしょう。なぜこの短歌が身に染みたかといえば、自衛隊の宣誓書にあります。私のように防衛研究所の教官も含めすべての自衛隊員は、自衛官と同様、服務の宣誓文に署名するのです。今から40年前です。

そこには、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め」とあります。そのときには、ばかばかしい、こんな国のために身を捨てるものかと思った。

【柳澤協二(国際地政学研究所理事長)】私も防衛庁(当時)に入庁する際にサインしました。

■自分を否定する憲法のために身を捨てる矛盾

【加藤】なんだこれはと思いながらサインしました。でも同時に、その宣誓文の中に書いてあるのは、「日本国憲法及び法令を遵守し」ということなのです。その日本国憲法は自衛隊を否定しているのに、その日本国憲法を守るということを、自衛官は宣誓しなければならないのです。

これは自衛隊員が抱える矛盾です。自分の命をかけて、自分を否定する憲法体制を守れと言われているのですから。こんな組織なんてどこにもないですよ。

【柳澤】そこはだから、憲法が自衛隊を否定しているかというと、私ら防衛関係者のいちおう広い前提としては、専守防衛の自衛隊は認められていると。

【加藤】それはそうです。でも、普通に読めば、原理原則からしたら、自衛隊は否定されています。この話をしてくれたのは、防衛研究所にいたときのある自衛官でした。普通、憲法のようなものは、義務教育を終えた人間が理解できる範囲のものであるべきであって、憲法学者がこねくり回してようやく理解できるようなものであってはならない、と。なぜなら憲法は国民同士の契約書であり聖典だからです。

私はこういう組織を、「ろうそく的自己否定の論理」と言っています。ろうそくは自らを燃やして人々を明るくともすのです。こうした矛盾した、自己犠牲の組織、自衛隊があるということ、これをみんなで考えないといけない。本当に強く、強くそう思っているのです。そして、もう一度言います。「身捨つるほどの祖国はありや」。

■自衛官に国を守るバックボーンを与える方法

【林吉永(元空将補)】自衛官であったということ、幹部候補生学校長であった経験から、ただ今のお話について割り込ませていただきます。加藤さんのお話を私なりに表現しますと、自衛官が命がけで仕事をする、命がけで自分のミッションを果たす精神的バックボーンを使命感という言い方をしています。そして、使命感をどのように身につけるかということについては、核心を突く指導に悩みがあると思っています。

自衛隊では服務の指針として「自衛官の心がまえ(使命の自覚/個人の充実/責任の遂行/規律の厳守/団結の強化。1961年6月28日制定)」を示しています。「愛国心」や「武士道」は大東亜戦争の後遺症として敬遠されています。

私は、奈良にある幹部候補生学校の校長を拝命していたとき、朝3時半ごろ、候補生を叩き起こして、お水取りで有名な二月堂まで私語を禁じ黙して約7km走って上がり、二月堂のろうそくの明かりのもとで僧侶が行っている勤行を背に夜明けを見せるのです。奈良盆地の上に漂う霧が晴れていくのを見せて、おまえらが守るのはこの故郷だよって言う。やったのは、それだけです。その一つの情景に対する思い入れがあればいいと私は考えるんですよ。

今、加藤さんがおっしゃったように、自衛官は使命感のバックボーンを持ってない。持っていてもそれが本物であるかどうか誰も言い切れません。国を守るバックボーンを誰も与え切れないのです。そういうジレンマがまだまだあるのですけれども、現場の指揮官はなんとか知恵を働かせてやっている。その点から見ても、ウクライナの事態は非常にいい手本になると思います。

■自衛隊員だけでは有事に対応し切れない

【伊勢﨑】その「卑しい」の発言主ですが、“無法国家”日本にとって、「戦え」と上官から部下や動員された国民に発せられる“命令”とは、上官責任が問われない「卑しい」ものであることを、元上官であるその方は思い知るべきですね。

僕だって、銃を取って戦う決意をするときはあるでしょう。そういう状況としては、まず自衛隊が力尽きて壊滅していること。そして、僕が家族と住んでいる周辺に敵の歩兵が散見され始めること。そんなときでしょうか。

【林】伊勢﨑さん、総動員はもう決まりですよ。東日本大震災のとき、24時間不眠不休で働くようにするために、7万人の自衛隊員を2つに分けたのですよ。半数で3万5000人。200名以上の死者が出た市町村は20を超えるわけですから、その隊員が、そこを捜索していった。

3万5000人を20で割ったら何人になりますか。200名以上の死者が出ている市町村に均等割りすると、1750名の自衛隊員の災害派遣です。1000名以上の死者を出した5市町村も1750名の災害派遣です。それでは足りないんです。

市内が冠水したためボートで救出活動を行う自衛隊員。(宮城県石巻市)
市内が冠水したためボートで救出活動を行う自衛隊員。(宮城県石巻市)(写真=CC 表示-継承 3.0/Wikimedia Commons)

【伊勢﨑】そうですね。

【林】よろしくお願いします、その節は。

■政府の強制では「死んでも命は賭けない」

【伊勢﨑】だけれども、もう一つ言っておかなければいけないのは、そのときに僕が銃を取るのは、政府に言われるからではない。そこが重要です。

【柳澤】強制するのが正しいのかどうかということですね。

【伊勢﨑】国民に強制する前に敵と政治交渉しろ、と。それができない政府なら、逆にそっちに銃を向けるかもしれません。クーデターですね。僕は、そういうオルグは得意なので。とにかく、日本政府や日本の政治家が言い募る国家主権などには、“死んでも”命は賭けません、僕は。

【林】そういう意味では、ウクライナをめぐっては、いいことしか伝わってないかもしれないです。けれどもというか、だからこそというか、刺激的ですね。

【伊勢﨑】当事国でもないのに、単なるバカ騒ぎ。ウクライナの悲劇を嫌中、従米、そして九条護憲などのポジショントークに利用するだけの熱狂。ただそれだけ。

■一人ひとりの自覚がないと国防は成り立たない

【柳澤】だから、加藤さんの言われた「身捨つるほどの祖国はありや」というのは、そこが一番本質的、根源的なところなのですね。戦前であれば、「万世一系の天皇、これを統治す」という神国日本の臣民として、それは当たり前だと教育勅語で叩き込まれてきたわけです。身を捨つるべきものはそこにあるという教育を受けてきたわけです。

しかし今どうするかといったら、それは本当に、一人ひとりが自分の胸に手を当て考えなさいということだと思うのです。本当に死んでも守りたいような社会なのかということです。

加藤朗、柳澤協二、伊勢﨑賢治、林吉永『非戦の安全保障論 ウクライナ戦争以後の日本の戦略』(集英社新書)
加藤朗、柳澤協二、伊勢﨑賢治、林吉永『非戦の安全保障論 ウクライナ戦争以後の日本の戦略』(集英社新書)

今、伊勢﨑さんがおっしゃったように、自分の家の近くに敵が来て、家族が危ないとなったら銃を取るというのは、多くの人が多分そうなのだと思います――そのときに銃があればの話ですけれども。

しかし一方で、今の若い人たちには、自分がアイデンティティーを感じる基礎になるような人間関係が必ずしもないし、そのときに何を守るかという問いへの答えがあるのだろうか。気の利いた子は自分の身を守るというかもしれないが、この際死んでもいいと思う若者もいるかもしれない。自分の存在がきちんと位置づけられるような社会が見えなくなっているのではないかという心配があります。

だから、まずは、自分の身の回りの社会を、自分の頭で考えてちゃんとつくろうよということです。それを自分の生きざまとしていく。そこから始めないと、日本という国の国防は成り立たないのではないかという気がしてしようがありません。

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加藤 朗(かとう・あきら)
桜美林大学リベラルアーツ学群教授
1951年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。防衛研究所に入所し、その間、ハーバード大学国際問題研究所などで客員研究員を歴任。現在、桜美林大学国際学研究所所長も務める。

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柳澤 協二(やなぎさわ・きょうじ)
国際地政学研究所理事長、自衛隊を活かす会代表
1946年生まれ。東京大学法学部卒。防衛庁に入庁し、運用局長、防衛研究所長などを経て、2004年から2009年まで内閣官房副長官補(安全保障・危機管理担当)を務める。

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伊勢﨑 賢治(いせざき・けんじ)
東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授
1957年生まれ。早稲田大学理工学部卒。国連職員や日本政府代表として、シエラレオネやアフガニスタンで武装解除を指揮。

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林 吉永(はやし・よしなが)
国際地政学研究所理事・事務局長、元空将補
1942年生まれ。防衛大卒。航空自衛隊北部航空警戒管制団司令、第7航空団司令、幹部候補生学校長などを歴任。退官後、2007年まで防衛研究所戦史部長を務める。

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(桜美林大学リベラルアーツ学群教授 加藤 朗、国際地政学研究所理事長、自衛隊を活かす会代表 柳澤 協二、東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授 伊勢﨑 賢治、国際地政学研究所理事・事務局長、元空将補 林 吉永)

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