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タダ同然の魚から利益を生む…月給3万円の24歳シングルマザー社長が日本の漁業に起こした"奇跡"

プレジデントオンライン / 2022年10月5日 12時15分

ドラマ「ファーストペンギン!」(日本テレビ系列)サイトより - 写真提供=日本テレビ

山口県に本社を置く「GHIBLI」は、「船団丸」ブランドで漁獲した魚を消費者に直接届ける自家出荷ビジネスを展開し、急成長。苦境にあえぐ漁業界で大きな注目を浴びている。日本でこれまで誰もできなかったことを実現したのが、24歳で事業の代表に就任した坪内知佳さんだ。シングルマザーで、「家なし、金なし、職なし」から大逆転。その歩みが日本テレビ系列でドラマ化され、10月5日より放送される。原作書籍『ファーストペンギン』で明かされた、偶然の出会いと情熱が生んだ「奇跡の物語」とは──。(第1回/全2回)

*本稿は、坪内知佳『ファーストペンギン』(講談社)の一部を再編集したものです。

■24歳シングルマザーの「まさか」の挑戦

私は、山口県に本社を置く、魚と農産品の販売を主なビジネスにする株式会社「GHIBLI(ギブリ)」を経営し、後述する「船団丸(せんだんまる)」という事業を展開している。

しかし、もともとは漁業とまったく無縁の存在だった。

名古屋外国語大学を中退し、山口県出身の男性と結婚、出産したものの、結婚生活はあっけなく破綻(はたん)した。24歳でシングルマザーになった私は、様々な偶然が重なり、萩大島の漁師たちと関わり、気が付けば彼らと一緒に日本の漁業の常識を打ち破ることになった。

そんな私を「ファーストペンギン」に喩(たと)えてくれる人もいる。

「ファーストペンギン」とは、集団で行動するペンギンの群れのなかから、最初に飛び出す一羽のこと。これが転じて、リスクを恐れず初めてのことに挑戦するベンチャー精神の持ち主を「ファーストペンギン」と呼ぶようになったらしい。

■漁業と小さな島のために奮闘

もっとも、私自身は「ファーストペンギン」に喩えられることを光栄に感じつつも、戸惑ってもいる。

振り返れば、どこにでもいる一人のシングルマザーが、大勢の人たちに助けられながら日本の漁業と小さな島のために奮闘してきただけなのだ。

萩大島船団丸の漁師たちと坪内知佳さん。船団丸事業は全国に拡大中
写真=畑谷友幸
萩大島船団丸の漁師たちと坪内知佳さん。船団丸事業は全国に拡大中 - 写真=畑谷友幸

まだまだやりたいことも、やらなければいけないことも山積みだ。周囲の皆さんから「よく、ここまでやり遂げましたね」とお褒めの言葉をいただくこともあるが、正直なところ、「そんなふうに認めていただけるほど、立派なことはできていない」と思う気持ちがある。

まだまだ道半ばなのだ。

■漁師から消費者個人へ直接届ける

日本では、多くの魚や農産物は漁協や農協などの出荷団体に集まり、仲買人(仲卸業者)と呼ばれる中間業者を経由して、全国の小売店の店先に並び、消費者に届くシステムになっていた。

しかし、GHIBLIでは獲れた魚や野菜を漁獲、収獲から半日以内に生産者自身の手で箱詰めや加工処理をし、「船団丸」ブランドとして直接、全国の消費者に届けている。

2012年に「萩大島(はぎおおしま)船団丸」として事業をスタートした当初は、飲食店との取引がメインだった。2014年にGHIBLIとして法人化させてからは個人顧客との取引の拡大に努めてきた。

おかげでコロナ禍による飲食店の休業の影響を最小限に食い止めることができた。むしろ、多くの市場が業務を停止したことで、小売店に並ぶ魚の量が減ったぶん、ECサイトを通じた個人からの注文は増えた。

山口県の萩からスタートしたこの「船団丸」ビジネスは、今では全国12カ所の漁港に広がり、「SENDANMARU」のブランド名で展開している。同じような理念で農産物版「まるごと船団丸」もスタートさせることができた。

コロナが来ることなど、もちろん予想していなかったが、結果的に、目指していた場所に向かう速度が速まることになった。

それもこれも、あの偶然の出会いが始まりだった。

■3.01平方キロメートルの土地に613人、271世帯が生活

「ここいらの海は魚が獲れんくなっとる。漁業がいつまで続けられるかわからん。魚を獲るだけやなくて、なにかやりたいと思っている。なにかしたいのやが、どうしたらいいかわからんのよ」

後に「萩大島船団丸」事業を一緒に立ち上げることになる、「松原(まつばら)水産」という船団の漁労長・長岡秀洋と知り合ってしばらくして、相談を持ち掛けられた。2010年1月のことだった。

長岡たちが暮らす萩大島は、3.01平方キロメートルの土地に613人、271世帯が生活している。住民の大半は、何代にもわたって漁業で生活を営んできた。

萩を含む山口県の周辺海域では、30年ほど前に比べ漁獲量が大幅に減っていた。1980年代後半までは1年間に24万トンも獲れていた魚が、3万トン程度にまで落ち込んでいる。漁獲量が減れば、そこで働く人の数も減る。まさに壊滅寸前と言っていい。

獲れる量が減っても需要があれば、需要と供給の関係で価格が上昇するからなんとかなる。ところが消費者の魚離れが進み、価格も下落が続いている。その一方で、燃料などの価格は高騰が止まらない。仕事にかかる時間と労力は昔と変わらないのに、儲けだけがどんどん減っていく。

■「魚を獲るだけじゃ、食っていけなくなる」

「このまま漁で魚を獲るだけじゃ、食っていけなくなるのは目に見えとる。あんた、モノを考えるのが得意と言うとったろ。わしらがどうすればいいか、考えてくれんか」

長岡は、以前、これから企画やコンサルタントの仕事がしたいと言った私の言葉を覚えていたらしい。知り合ったばかりで、なんの実績もない私に相談するくらいだから藁(わら)にもすがる思いだったのか。

仕事をいただけるのは願ったり叶ったりである。問題は、私に漁業についての知識がまったくないことだ。

漁師たちの生活はもちろん、島の漁業の未来もかかっている。安易に引き受けてしまっていいものか。なにしろ相手は荒っぽい漁師たちだ。満足な結果を出せないとなにを言われるかわからない。常識的には断るのが正解だろう。

だが、そのときの私には不思議と断るという選択肢が思い浮かばなかった。

「わかりました。なにができるかわかりませんが、考えてみます」

■地元の漁業を学ぶことからスタート

なにができるか皆目見当もつかないが、私も何か途方もないことが始まるのではないか、そんな予感にウキウキした気持ちに包まれていた。

坪内知佳『ファーストペンギン シングルマザーと漁師たちが挑んだ船団丸の奇跡』(講談社)
坪内知佳『ファーストペンギン シングルマザーと漁師たちが挑んだ船団丸の奇跡』(講談社)

とはいえ、漁業どころか、魚そのものについての知識も皆無に等しい状態で新規事業の提案などできるはずがない。

そこでさっそく、実際に萩大島に渡って、長岡たち島の漁師が、どんな漁をしているのかを見たり、教えてもらったりすることから取り掛かることにした。

すると、いろいろなことがわかってきた。

萩大島の漁法は巻き網漁が中心である。巻き網漁は、6〜7隻の船が船団を組んで行う漁法。長さ600メートル、深さ250メートルほどの巨大な網で、魚の群れを囲い込む。網の下には鉄のロープが付いており、これを巾着のように絞ることで、魚を包み込んで獲る。

■「流通に乗らない魚」を売ったらどうか…

出航する様子や港に戻ってからの彼らの作業を見学したところ、素朴な疑問が湧いてきた。

漁で獲ってきたアジやサバは漁船から水揚げされると、漁協が運営する市場に運び込まれる。漁協が競(せ)り、仲買人が競り落とすことで価格が決定。それを仲買人が「卸(おろ)し」に引き渡し、そこから小売店で販売され、私たち消費者に届く。

これが基本的な流れなのだが、メインの商品以外で網にかかった魚は、先のルートとは別の扱いになっていた。1つの箱に無造作に詰められ、仲買人が威勢良く競り落としていくこともなく、見る限り相当に安価で取り引きされている。

翌日の競りまで市場に置かれたままだったり、最悪の場合、捨てられたりする魚もありそうだ。そうした様子を見ていて、「これを自分たちで売れば、いいのではないか」、そんな思いつきが浮かんだ。

これが後に私たちが手掛けるビジネスが生まれたきっかけだった。

■三方良しのビジネス

タダ同然、または捨てられる魚がおカネに変われば、単純に漁師の収入増になる。なにしろ魚自体は新鮮そのものだ。ただ、買い手がつかないことで、まったく手間を掛けられることなく市場に投げ込まれる。

漁師たちは自分たちが食べるために、その一部を別に保管して持ち帰り、自宅で「漁師メシ」として食べていた。その料理は魚にも非常に丁寧に手入れがされていて、抜群に美味しい。

この魚を自分たちで直接消費者に売ることができれば、今のような安い値段ではなく、もっと市場価格に近い値段で売れるだろう。これは、

①地元の水揚げ高にさほど影響を及ぼすことなく浜での売れ残りやフードロスを減らし
②漁業者の収入が増え
③消費者も鮮度のいい安全な魚を食べられる

そんな「三方良し」のビジネスモデルになるのではないか。

■「俺たちは潰される」

さっそく、このアイデアを元に事業計画案を作成し、長岡たちに見せた。彼らから返ってきた反応は、私には予想外のものだった。

「そんなことができるはずがない」
「そんなことをしたら、わしらは潰される」

せっかく考えたのに、頭ごなしに否定しなくてもいいではないか。当時の私には、なぜそれが「できるはずがない」のかも、それをしたら「潰される」のかも、まるで理解できていなかった。

これは後で知ったのだが、長岡たちも自分たちで獲った魚の一部を直接、消費者に売れないかと検討したことがあったらしい。すでに直接販売に実績があった県外の実態を視察し、漁協にも直販について提案したという。しかし、萩の浜ではその案が採用されることはなかった。

■ピンチはチャンス

地元の漁協関係者からすれば、自分たちが蔑(ないがし)ろにされるようで面白くないのだろう。

その気持ちはわからなくもない。だが、漁獲高が顕著に減少し、魚価が低迷するなかで、自分たちも生き残っていかなければならない。法律に違反しているわけでもないのに、ちょっと業界のルールに反したからといって「潰される」なんてことがあるはずがない。

そう思ったものの、彼らがそれだけ怖がるのだから、なにかしら理由があるのだろう。自分たちで獲った魚を自分たちで売るという、漁業の素人である私からすればごく当たり前のことに、想像以上に大きなハードルが立ちはだかっていることだけは確かなようだ。

一方で、こうも思った。長岡たちも同じ方向で考えていたということは、獲れた魚の一部を自家出荷するというアイデアそのものは間違っていない。だとすれば、彼らが無理だと諦めてしまっているハードルをいかにくぐり抜けるか。問題はその一点とも言えるのではないか。

やるべきことは明確になった。戦前からずっと変わらず営まれてきた水産業の歴史だが、きっとどこかに抜け道や埋めるべき溝があるはずだと思った。

■「6次産業化」の先に見えた可能性

長岡たちと本格的に直接販売について相談するようになってしばらくしたころ、ある知らせが飛び込んできた。農林水産省が「6次産業化・地産地消法」に基づく認定事業者申請を受けつけているという情報だ。

6次産業化とは、農林漁業者(いわゆる1次産業)が農・水産物などのもともと持っている価値をさらに高めるため、生産だけでなく、自ら生産物の食品加工(2次産業)から流通・販売(3次産業)までを手掛けることで、農林水産業を活性化させ、農村漁村の経済を豊かにしていこうという取り組みだ。

萩大島船団丸船団長の長岡秀洋さんと。彼との出会いが坪内さんの人生を変えた
写真=畑谷友幸
萩大島船団丸船団長の長岡秀洋さんと。彼との出会いが坪内さんの人生を変えた - 写真=畑谷友幸

ちなみに「6次産業」という言葉の「6」は、「1次産業の1」「2次産業の2」「3次産業の3」を足し算しても、掛け算しても「6」になるというところからできた造語だ。

「あんた、わしらと一緒に説明を聞いてもらえんやろうか」

中国四国農政局山口地域センターから小野均さん、尾形直樹さんという2人の担当者が萩に来てくれ、認定事業者申請要綱が書かれた資料をもとに説明してくれるという。それはパワーポイントのスライドを用いた具体的かつ丁寧なものだった。

その説明を聞いた後にあらためて考えてみると、萩大島の漁師と私がイメージしていた「自分たちで獲って(生産)」「自分たちで箱詰めして(加工)」「直接、消費者に送る(流通・販売)」というビジネスモデルは6次産業化の考えと一致する。

認定事業者になると国の補助金も利用できるが、それよりも、この認定を取得して国のお墨付きを得られれば、それが錦の御旗になり事業がスムーズに運ぶのではないか。

■「月給3万円の社長」

説明会が終わり、萩市内で夕食をとりながら長岡たちと決起会をした。

事業主体の名称は「萩大島船団丸」。これはすんなり決まった。萩大島という地名と、船の名前といえば最後は「丸」だろうというくらいの気持ちでつけた名前だが、意外にいいものができたと思う。

次は認定事業者申請にあたって必要になる「代表者」だが、当然、言い出しっぺの長岡がなると思い、提案する。長岡も「そうやな」と当初は言っていたが、しばらく考えた後でこう言い出した。

「やっぱりダメじゃ。わしは役人らがなにを説明しおるか、まったくわからん。役所とのやりとりも苦手じゃ。あんたが計画書を書くなら、あんたが代表のほうがいいやろう」

確かに計画書は私が書くが、それは漁師たちの代わりに書いているにすぎない。そもそも部外者の私が代表者でいいものか。

「それもそうやが、役所とのやりとりはわしらには無理じゃ。助けると思って引き受けてくれ」

この後、数週間にわたって紆余(うよ)曲折ありながら、最終的には長岡に押し切られるかたちで、というより、長岡が投げ出すかたちで、私は萩大島船団丸の社長になることになった。当時、長岡たちとの仕事は月給3万円。2010年10月、月給3万円社長が率いる任意会社「萩大島船団丸」誕生の瞬間だった。

■1年のうち4分の3は仕事ができない漁師の現実

なんとしてでも認定を取らなければいけない。そこから萩大島の漁の現状について改めて調査に取りかかった。巻き網漁は萩で多く獲れるアジやサバには最適な漁法だが、いくつかの問題があることもわかった。

そのうちの1つは、1年のうち3カ月の禁漁期間があることだ。逆に言えば、漁ができるのは3月15日から12月15日までの270日間しかない。しかも、この決まりはおよそ80年前にできたものだった。気候変動により海水の温度が上昇しているため、魚の生息状態がまるで違っているのに、制度だけはそのままになっている。

さらに悪天候で波が高い日や、風が強い日も漁には出られない。特に巻き網漁では、複数の漁船が近距離で作業をする。日本海の荒波に煽られて、船と船が接触でもすれば大事故になりかねない。その結果、実質的に稼働できるのは年間80日にも満たないという。

長年の経験で天候を見極め、事故のリスクがあると判断すれば、その日の漁を中止する。それ自体は理解できるが、1年のうち4分の3は仕事ができないというのはどう考えても普通ではない。萩大島の漁師には、漁が休みになるとパチンコ店で日がな過ごしている者も多かった。これでは収入も当然、不安定になる。

これは私たちの新規事業においても、大きな問題になりそうだった。漁に出られなければ当然、自家出荷はできない。それでなくとも禁漁期間の3カ月間は、まったく商品を届けられないことになる。これではお客さまの信頼は得られない。漁ができなくても、魚を調達するルートを確保する必要があるわけだ。

■立ちはだかったローカルルール

職業として漁をするためには漁協や漁連(漁業協同組合連合会)から許可を得る決まりになっている。これは全国どこでも共通だが、それと併せて県ごとの規制やルールがあり、萩大島のある山口県には他にはない独特のローカルルールがあった。

それは、一隻の漁船につき一漁期に一つの漁法しかできないというルールである。

本州の西の端にある山口県は広いエリアが海に接している。しかも、流れの激しい日本海と、穏やかな瀬戸内海という2つの異なる性格の海に接しているため、好漁場にも恵まれている。それゆえに古くから漁業が盛んで漁の許可を取っている漁船も多い。

漁師間の争いを少しでも減らすことを目的に定められたのが、一漁船一漁法という特殊なルールだった。

「なんで延縄(はえなわ)漁に出んの? 天気が悪くて巻き網漁ができないなら、一本釣りに出ればええやん」

不思議に思って長岡に尋ねてみたが、「そういう決まりなんじゃ」の一言で終わりだった。

■「ルールだから」を疑え

漁獲高が圧倒的に今より多かったころなら、こうした互助会的ルールにもメリットはあったかもしれないが、今や漁業者は減る一方で存続の危機に瀕しているのだ。

巻き網漁が禁漁の季節でも、他の漁ができれば、それだけ漁に出られる人が増えるではないか。それなのに昔のルールが「ルールだから」という理由だけで存続している。知れば知るほど不可解な話ばかりだ。

ルールの存在よりも私にとって腹立たしかったのが、肝心の漁師たちが矛盾を感じていないことだった。時代に合わないなら変えるように働きかければいいじゃないか。なぜ、初めから「そういう決まり」の一言ですませてしまうのか。

実は、この一漁船一漁法については、われわれが県内の漁協を束ねる山口県漁業協同組合に直談判し続けたことで、後にルールが撤廃になった。撤廃といっても、正式にお触れが出たということではない。漁協がなにも言わなくなっただけなのだが、そうなるまでに3年以上の時間がかかった。

■「タダの魚で収益を生む」誰もできなかった事業化プラン

さて、萩大島の漁師の現状を調べ、そこにある矛盾と、一方で大きな可能性を知った私は、1年をかけてようやく6次産業化事業の認定事業者になるための事業計画書を完成させた。

萩大島船団丸には島の漁業の未来がかかっている
写真=畑谷友幸
萩大島船団丸には島の漁業の未来がかかっている - 写真=畑谷友幸

萩の漁業の特長を生かしつつ、現状の問題点をクリアできる最適解だと思った。その「萩大島船団丸」の6次産業化事業プランはこうだ。

1.萩大島で獲れた魚のうち、主力商品のアジとサバは従来と同じように漁協の管理する市場に出荷する。

2.それ以外のイサキやスズキなどの混獲魚(こんかくぎょ)を、「粋粋(いきいき)ボックス」という商品名で箱詰めして、注文した消費者に直接販売する。

3.粋粋ボックスで販売する混獲魚は、船の上で新鮮なうちに消費者の希望に応じて処理をする。

4.「船団丸ブランド」で販売する魚は市場に水揚げする魚とは区別し、徹底した品質管理や手当てを施す。

5.粋粋ボックスに詰めて直接販売する一部のアジやサバについても、市場に卸すものとは分けて温度などを管理することで商品価値を高め、ブランド力を付ける。

これが実現すれば、アジやサバについては今までと同じ収益を上げながら、これまでは市場に水揚げしても1箱1000円程度しか値段がつかなかったような混獲魚を、消費者の希望どおり処理することで、倍以上の価格で売ることができるはずだ。

つまり箱単位で投げ売りしていた混獲魚を1匹ずつ丁寧に扱うことで、少量でも大きな収益を得ることが可能になる、というわけだ。

■萩大島船団丸、出航す

書き上げた事業計画書を長岡たちも喜んでくれた。

「わしらだけでは到底こんな立派なものは作れんかった」
「あんたに頼んで正解やった。本当によかった」

彼らの言葉に自信を得た私はさっそく、計画書を農林水産省に提出した。2011年3月のことだ。

その後、細かい書類の作り直しや、何度かの審査を経て、1年2カ月後にわれわれ萩大島船団丸の6次産業化事業計画は無事に国の認定事業者に選ばれたのである。しかも、山口地域農政局から申請した多くの事業者のなかで、水産分野の認定事業者第1号として。2012年5月26日のことだった。

こうして、偶然の出会いから、私たちは日本の漁業の常識を根底から覆す挑戦へと漕ぎ出したのだった。

(後編に続く)

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坪内 知佳(つぼうち・ちか)
GHIBLI代表
1986年、福井県生まれ。GHIBLI代表として「船団丸」ブランドを展開する。名古屋外国語大学を中退後、山口県萩市に移住。翻訳事務所を立ち上げ、同時に企業を対象にしたコンサルティング業務を開始。2010年に任意会社「萩大島船団丸」代表に就任。農林水産省から6次産業化の認定を受け、漁獲した魚を直接消費者に届ける自家出荷をスタート。漁業関係者の注目を集める。2014年に「萩大島船団丸」を株式会社化しGHIBLIを立ち上げ。翌年から事業の全国展開を開始し、各地に「船団丸」ブランドが拡大している。

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(GHIBLI代表 坪内 知佳)

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