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「こんなに急に悪化するとは思わなかった」これから親を看取る人は知っておきたい"老衰死の経過"

プレジデントオンライン / 2022年10月6日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/LPETTET

家族の看取りに際して後悔しないためにどんな準備ができるだろうか。内科医の名取宏さんは「老衰による死は、ご家族にとって突然に思えることが多い。だから心の準備をするために、どのような経過をたどるのか知っておいてほしい」という――。

■高齢化でかえって忘れられがちな老衰死

親世代のお看取りは、他人事ではありません。私個人にとっても、です。義父は老衰ではなく病気でしたが、自宅で看取りました。本人の希望で点滴もせず、経口摂取できなくなって数日で亡くなりました。義父本人も義理の息子(私)も医師で、どういう経過をたどるかわかっていたためスムーズにいきましたが、そうではない場合は家族が慌ててしまうことが多いでしょう。

ご存じの通り、今、日本はますますの超高齢化社会になっています。2020年(令和2年)の平均寿命は、女性が87.71歳、男性は81.56歳。2019年(令和元年)の平均寿命を女性は0.26年、男性は0.15年も上回っていて、今後ますます寿命が延びることが予想されています。高齢者である65歳以上の割合は、すでに28.9%です(※1)

少子化なのは問題ですが、平均寿命と同時に健康寿命も延びていますから良いことですね。元気な高齢者が多いので、永遠に生きられるような気がするほどです。しかし実際はそうではなく、平均寿命はあくまで平均。そして誰もが老衰からは逃れられず、いつかは亡くなる時がくるのです。ですから「そんなの知らなかった」なんてことがないよう、これから親世代を見送る人たちに、老衰死の経過を知っておいてほしいと思います。

【図表1】平均寿命の推移と将来推計
出所=内閣府「令和4年版高齢社会白書」

※1 内閣府「令和4年版高齢社会白書」

■高齢者の体調は「低空飛行中の飛行機」

私が勤務している病院はいわゆる慢性期病院で、入院患者さんのほとんどが高齢者です。90歳台は珍しくなく、100歳を超える患者さんもいらっしゃいます。高齢ですから、治療のかいなく亡くなることもよくあります。死亡診断書に記載する直接死因は「誤嚥(ごえん)性肺炎」や「心不全」などの病名がつくこともありますが、その背景には老衰があります。

何らかの病気ならば、適切に治療しても治らないことがあるものの、もちろん治ることもあります。一方で、老衰はどんな名医も治せません。医師にできることは、苦痛を和らげて、穏やかな最期を迎えていただくお手伝いをすることくらいです。ご家族の反応はさまざまで、医療従事者からみれば平均的な経過でも「こんなに急に悪くなるとは思わなかった」と言われることがよくあります。ごくまれに「病院に入院した以上は、必ず回復すると思っていた」とおっしゃるご家族も……。

そんな時に私がご家族への説明でよく使うたとえは「いつ墜落するかわからない低空飛行中の飛行機」です。何もなければ低空ながらずっと飛んでいられるように見えますが、食欲低下などの何らかの問題があれば急に墜落する恐れがあります。それが老衰というものなのです。

■病気やケガは最後の一押しに過ぎない

ご自宅や施設で暮らしていた高齢者が入院するきっかけは、食欲低下、発熱、転倒などですが、これが低空を飛んでいる飛行機の高度が急激に下がったことに相当します。熱中症や脱水なら点滴、肺炎なら抗菌薬の投与といった治療は十分にします。

それで高度が回復するならいいのですが、回復しなければ亡くなります。亡くなった最期だけを見ると急に悪くなったように見えますが、何年もかけてゆっくりと飛行機の高度は下がってきたのです。病気は、最後の一押しに過ぎません。

肺炎などの病気が治って、当面は命の危険がなくなっても、十分には回復しないこともあります。たとえば、誤嚥性肺炎の治療後に口から物を食べられなくなるケースです。物を飲み込む機能は複雑で、筋肉や神経の機能が衰えると、食道に送られるはずの食べ物が誤って気管や肺に送られ、肺炎を起こします。これが誤嚥性肺炎です。

肺炎自体は抗菌薬で治っても、体力が低下して衰えた「飲み込む機能」はなかなか元に戻りません。リハビリで回復するケースもないわけではありませんが、老衰が背景にある場合はまず回復しません。

食堂のフレッシュなランチ
写真=iStock.com/BaderElbert
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/BaderElbert

■食事をとれなくなったらどうするか

食事の経口摂取ができなくても「経鼻経管栄養」や「胃瘻(いろう)栄養」などといった栄養を補給する方法はあります。「経鼻経管栄養」は鼻から細いチューブを胃に通して栄養剤を入れる方法で、生命維持に必要なカロリーが補給できます。ただ、鼻にずっとチューブが入ったままなので不快感や苦痛を伴いますし、定期的にチューブの入れ替えが必要です。一方の「胃瘻栄養」は、胃に穴をあけてチューブを通して栄養剤を入れる方法で、長期的にはこちらのほうが負担は小さいといえます。神経難病などで飲み込む機能が衰えた患者さんにとっての胃瘻栄養は、命をつなぎ、生活の質を上げる重要な治療法です。

ですが、老衰で亡くなる恐れのある患者さんの胃瘻栄養は議論になるところです。日本では、自分で意思決定ができなくなった認知症の高齢者に対して胃瘻栄養が行われてきました。一方、海外の多くの国ではあまり行われていません。たとえばアメリカ老人医学会は、重度の認知症患者に対して胃瘻栄養は推奨せず、代わりに注意深く食事介助を行うとしています(※2)

このことは欧米で寝たきり老人が少ない一因として挙げられます。「日本では胃瘻を造って強制的に栄養を取らせ高齢者を不自然に延命させる。欧米では口から食べられなくなったら自然で平穏な死を迎える」といった主張もあるほどです。

※2 Don’t recommend percutaneous feeding tubes in patients with advanced dementia; instead offer oral assisted feeding.

■胃瘻栄養を行わなければ点滴を行う

とはいえ、胃瘻栄養を悪と見なすのも一方的すぎます。「胃瘻を造って長生きしたい」と考える患者さんの価値観も尊重されるべきです。ただし、患者さんの価値観や死生観を確認しないまま、漫然と胃瘻栄養を開始するのはよくありません。

最近は、日本でも胃瘻栄養を行うことは減りました。胃瘻を造る手術には、ご本人やご家族の同意が必要です。本来、治療方針はご本人が決めるべきですが、その意思確認が不可能な場合は、胃瘻栄養の利点や欠点や代替案について説明した上でご家族に選択していただきます。胃瘻栄養を行わない場合、末梢(まっしょう)点滴をすることがほとんどですが、十分なカロリーは入りませんから、患者さんは数週間から数カ月で亡くなります。

カロリーだけを考えればブドウ糖濃度の高い点滴を多めに入れたほうがいいのですが、濃い点滴は静脈炎を起こしやすく、水分を多く入れると体がむくみます。点滴は血液と同じ濃さ(等浸透圧)のものを選び、徐々に量を減らします。等浸透圧の輸液を少量行うのなら静脈注射ではなく皮下注射も可能です。血管が細い患者さんに静脈注射を試みると、何度も血管を刺されることになりやすいですが、皮下注射ならそんなことはなくなります。

ベッドで点滴につながれた老人の手を握る近親者
写真=iStock.com/Goodboy Picture Company
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Goodboy Picture Company

■人工呼吸や胸骨圧迫を行うかどうか

呼吸や心臓が止まったときの対応も、ご家族に選んでいただくことがあります。もともと元気な若い患者さんが心肺停止した場合の対応は迷いません。意思を確認するまでもなく、速やかに人工呼吸や胸骨圧迫(心臓マッサージ)を開始します。

ですが、老衰死が予測される患者さんに対しては心肺蘇生をせず、そのまま看取ることも多いのです。当院で老衰死が予想される入院患者さんに対しては、原則として前もってご家族と話し合い、心臓や呼吸が止まっても心肺蘇生を行わない方針を定めておきます。

私が医師になったばかりの頃は、こうした心肺蘇生を試みない方針は、それほど多くありませんでした。命を助けることは医療の目的の一つです。今にも死にそうな患者さんに対して何もしないことは、医師にとって抵抗感があります。ご家族も「できる限りのことはやってください」とおっしゃいました。すると患者さんは胸骨圧迫をされ、チューブを喉に入れられ、人工呼吸器につながれることになります。

■死を迎えるお手伝いも医療の役割

高齢者に対して本気で胸骨圧迫を行えば、間違いなく肋骨は折れます。命を救うためなら肋骨が折れようともためらわずにやるべきなのですが、老衰死するような患者さんが心肺停止に陥った場合、心肺蘇生をしても治ることはありません。

もしかしたら一時的に呼吸や脈拍が戻ることはあるかもしれません。ですが、また同じことが起こるでしょう。多くは意識がないので苦痛を感じないはずですが、もしも意識があるなら、肋骨が折れたり、喉にチューブを入れられたりすれば苦痛を伴います。では、誰のために心肺蘇生をしたり、人工呼吸器につないだりするのでしょうか。以前は、本人のためではなく、医療者の自己満足やご家族の納得のためにやっていた側面が確かにありました。

人はみな、必ず死にます。死を「医療の敗北」と考えると、医療は必ず負けるのです。死を避けようとするだけではなく、死を迎えるお手伝いをすることも医療の大切な役割のはずです。いざというときに心肺蘇生を行わない方針であれば、入院や施設入所をせず、ご自宅でお看取りをするという選択肢もあります。

■訪問看護・診療を受けて自宅で看取る

自宅にいても、訪問看護や訪問診療によって抗菌薬や酸素の投与、鎮痛・鎮静といった医療は受けられます。義父を含めて私の親族の幾人かは、信頼できる在宅医と巡り会えたということもあって、在宅で看取りました。特に新型コロナウイルス感染症の流行によって病院や施設での面会が制限されている現在では、住み慣れた自宅で家族に最期を見届けてもらえるのは大きな利点です。

シニア男性とホームヘルパー
写真=iStock.com/byryo
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/byryo

一方、入院と違って在宅のお看取りでは可能な医療行為は限られます。病態が急に悪化しても医師がかけつけるまでには時間がかかりますし、夜中に息を引き取った場合、医師が訪問して死亡を確認するのはたいてい翌日の朝になります。

在宅でお看取りする方針であったはずなのに、心肺停止時にご家族が救急車を呼んでしまった事例もときどき聞きます。この場合、心肺蘇生を行わない方針だとしても、その事実が確認できるまで救急隊員は心肺蘇生を行うことになります。

■どのようなお看取りが最善なのか

どのようなお看取りが良いのかという絶対の正解はありません。ケース・バイ・ケースで判断するしかないのです。患者さん本人が心肺蘇生を希望されるなら、その選択肢を尊重して十分な心肺蘇生を行います。十分な説明をされた上で、ご本人やご家族が少しでも納得のいく最期を迎えられるようにするしかありません。

高齢者ご本人が理解できるうちに十分な説明をし、胃瘻を造るかどうか、延命治療を行うかどうかを確認しておくのが理想的です。でも、もしもそれができなければ、ご家族が「ご本人だったらどうしたかったのか」をよく考えた上で選択されれば、それが最善だろうと私は思います。

最後に、死亡確認も医師の仕事です。聴診器で心音と呼吸音の停止を、ペンライトで対光反射の消失を確認し、死亡時刻を述べます。そのあとに「お疲れさまでした」と述べることが多くなりました。長く生きてこられた患者さまに対しての言葉でもありますし、長く看病されてきたご家族に対する言葉でもあります。何歳であってもご臨終はご家族にとってつらい瞬間です。悲しみや後悔を少しでも減らせるよう心がけています。

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名取 宏(なとり・ひろむ)
内科医
医学部を卒業後、大学病院勤務、大学院などを経て、現在は福岡県の市中病院に勤務。診療のかたわら、インターネット上で医療・健康情報の見極め方を発信している。ハンドルネームは、NATROM(なとろむ)。著書に『新装版「ニセ医学」に騙されないために』『最善の健康法』(ともに内外出版社)、共著書に『今日から使える薬局栄養指導Q&A』(金芳堂)がある。

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(内科医 名取 宏)

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