不本意なギザギザ切り口を「かわいい」と褒められた…工業用マスキングテープが売れ筋文具になったワケ
プレジデントオンライン / 2022年10月16日 11時15分
■これこそ「クレイジーキルト」の典型例
バージニア大学ビジネススクールのサラス・サラスバシー教授は、起業や新規事業において、目的やゴールを随時見直しながらプロジェクトを進めていく行動を「クレイジーキルト」と呼んでいる(サラス・サラスバシー『エフェクチュエーション』碩学舎、2015年、pp.115~117)。
クレイジーキルトとは、布を不規則に縫いつけ、刺繍(ししゅう)を施したりして作り上げていく観賞用のキルトである。ジグソーパズルなどのように、完成型となる図柄があらかじめ定まっているわけではない。こうしたクレイジーキルトの特徴は、起業や新規事業に求められる柔軟さに通じるところがある。
本稿では、岡山県倉敷市に本社を置く粘着テープ等の製造会社、カモ井加工紙による、おしゃれ文具の定番となったマスキングテープ「mt(エムティー)」誕生のプロセスを取り上げ、クレイジーキルトとして進行していくイノベーションのプロセスを振り返る。イノベーションをもたらす「新結合」は、なぜ、どのようにクレイジーキルトとして実現するのだろうか。
■世界的にも珍しい「文具・雑貨用」のマスキングテープ
カモ井加工紙は、マスキングテープの国内トップメーカー。岡山県倉敷市に本社を置き、現在の年商は145億円である。
マスキングテープは本来、工場や建築現場などで塗料やシーリング材を塗る際、塗るべき範囲以外の場所をカバー(マスキング)するために使われる資材だ。片面に粘着剤を塗布した紙製のテープで、刃物を使わずに切ることができ、貼られたものの表面を傷つけずにきれいに剝(は)がすことができる。日本では、薄い和紙を用いたマスキングテープが主流になっている。
マスキングテープの用途は長らく工業用だったが、現在のカモ井加工紙ではその売り上げの15%ほどを、文具・雑貨用が占めるようになっている。文具・雑貨用のマスキングテープは世界的にも珍しい。カモ井加工紙の文具・雑貨用途のマスキングテープ「mt」は、どのようにして誕生したのか。
■それは一通の「工場見学依頼メール」からはじまった
2006年の夏、カモ井加工紙本社の問い合わせ窓口に、東京の3人の女性グループから、工場見学をさせてほしいという依頼のeメールが届く。この時点では、カモ井加工紙はもっぱら工業用にマスキングテープの製造・販売を行っており、文具・雑貨としての用途があるとは夢にも思っていない。
この女性たちは、仕事ではなく趣味として、マスキングテープに夢中になっていた。彼女たちの職業はカフェのオーナーやデザイナーやアーティストであり、マスキングテープをアートの素材やカフェの値札、お菓子のラッピングや封筒の装飾などに活用していた。仕事との接点はあったとはいえ、マスキングテープでビジネスを行おうとしていたわけではなく、彼女たちの工場見学の目的も、自分たちのビジネスを広げることではなかった。
そんな彼女たちは、自分たちのマスキングテープの使い方をまとめた小冊子を作成した。すると、周囲の人々からは好評を博し、気を良くした彼女たちは第2号の作成に取りかかった。そのコンテンツのひとつとして、マスキングテープが生まれてくる工場を見学し、記事にしようと考えたのである。
■前例のない申し出に当初は困惑気味
先の工場見学依頼メールに至るこうした経緯を、カモ井加工紙は当初把握していなかった。問い合わせ窓口からメールを引き継いだ本社の営業担当は、東京の人からの依頼だからと、東京支社の営業担当に対応を委ねた。しかし女性たちは工業用途のユーザーではなく、自社の営業活動の対象ではない。結局、本社総務課の高塚新氏(担当・職位は当時)がこの件を引き取り、営業担当常務の谷口幸生氏と相談しながら対応を進めることになった。
今でこそ、カモ井加工紙はファクトリーツアーなどを積極的に手がけているが、当時は技術の漏洩(ろうえい)防止などのため、工場への部外者の立ち入りは原則として認めていなかった。女性たちに誰が対応するかを巡る迷走は、どの部署が断りの返事を出すかの押し付け合いだったのである。
カモ井加工紙だけではない。女性たちは国内の他のマスキングテープの主要メーカーにも取材依頼のメールを送っていたが、すべて断られていた。
■「この冊子を見て、見る目が変わった」
なかなか返事が来ないことに業を煮やしたのか、女性たちは小冊子の第1号を見本として送りつけてきた。これがひとつの転機となる。
谷口氏は、「この冊子を見て、見る目が変わった」と語る。小冊子にはマスキングテープの用途や、透け感や色の組み合わせの効果などが記されていた。この女性たちがマスキングテープを深く知ろうとしていることがわかり、共感を覚えたという。さらに彼女たちが小冊子で、カモ井加工紙が注目していなかったマスキングテープの特性を取り上げていたことにも興味が湧いた。
例えば、小冊子には、鉛筆、ボールペン、フェルトペンなどによる、各種のマスキングテープへの書き味の評価などが記されていた。カモ井加工紙では、工業用の各種の用途に応じたマスキングテープの開発や改善のため、粘着力や引っ張り強度、伸びなどの各種のテストを行っていた。しかし、そのテストの項目に塗料の乗り具合はあっても、筆記具との相性までは含まれていなかった。
あるいは、工業用のマスキングテープは、現場で手でちぎって使われる。そのためカモ井加工紙では、手で真っすぐに切りやすくすることにこだわっていた。ところが彼女たちは、刃物で切ったように鋭角的にはならない微妙な切り口を、「かわいい」と評価していた。
■100年前の創業時の事業は「ハイトリ紙」だった
こうして、彼女たちの工場見学は実現した。その際に受けた「オリジナルカラーのマスキングテープを作ってほしい」という依頼にすぐに応えることはできなかったが、谷口氏は「面白いかも」と思ったという。「新しい事業の柱を、自分たちの世代でひとつ立てたい」という、以前から抱いていた思いにつながる可能性を感じたからだった。
カモ井加工紙の創業は、1923年である。この創業時の事業は「ハイトリ紙」だった。高度経済成長期までの日本では、町中でもハエ(ハイ)があちこちを飛び交っており、商店や民家では、追っても追い切れないハエを捕獲するために、ハイトリ紙を室内につるしていた。ハイトリ紙とは、ハエを捕るために、粘着剤を塗布した紙のテープである。カモ井加工紙は、ハイトリ紙のTVコマーシャルを全国に流すトップメーカーだった。
カモ井加工紙が、ハイトリ紙の製造と販売にとどまっていれば、企業としての存続は難しかっただろう。時代の変化のなかでカモ井加工紙は、粘着剤や紙テープ作りのノウハウを生かせるマスキングテープに目を付け、転身を図った。事業の新しい柱を立ててきたからこそ、今がある。
この体験が、新しい事業の必要性への理解につながっていた。とはいえ、どのような事業をはじめればよいかが具体的に見えていたわけではない。この待ち望んでいた可能性が、今、目の前にあるのかもしれない。
■工業用とは異なる多品種少量生産への対応を模索
谷口氏を中心とした少人数のチームによる、文具・雑貨用のマスキングテープの開発がスタートした。同じマスキングテープとはいっても、工業用と文具・雑貨用とでは、事業の組み立ては大きく異なる。文具・雑貨用となると、色に加えて柄のバリエーションの多彩さが、ユーザーを引き付ける決め手となる。単に色の数が多ければよいわけではなく、色味や透け感などへのこだわりも欠かせない。
一方で、文具・雑貨用のマスキングテープは生産のロットサイズが小さくなる。同色のテープが工業用のように大量に使用されるわけではなく、多品種少量生産とせざるをえない。
それ以前のカモ井加工紙では、色については製紙メーカーの段階で、着色されたものを使用していた。しかし、文具・雑貨用のマスキングテープの生産に適したロットサイズは、製紙メーカーが引き受けてくれる最小単位をはるかに下回っていた。
谷口氏たちは、まずは製紙メーカーよりも小ロットでの着色に応じてくれる印刷工場を探して、発注する。そしてさらに、それよりも小ロットの印刷が適切だと考えられたことから、新たに設備投資を行い、自社内に印刷機を備えるようになっていく。デザインは外部のデザイナーに発注できても、印刷ができなければ製品にはならない。谷口氏たちは、小ロットの印刷のための投資とノウハウ習得を進めた。
■新しいブランド、新しい販売チャネル
マーケティングの組み立ても変える必要があった。文具・雑貨用のマスキングテープは、多様な色、柄のテープを少量ずつ用意し、店舗ではバラ売りが中心となる。そのためにどうしてもコスト高となり、単位当たりで比較すると工業用の3倍ほどの価格となる。
谷口氏たちは、文具・雑貨用のマスキングテープのために新たに「mt」というブランドをつくり、パッケージングのデザインも変えて、工業用のマスキングテープとの区別を明確にして販売を行うことにした。同じマスキングテープでも工業用とは性格の異なる商品として販売していく必要を感じたからである。
さらに、新たな販売チャネルの開拓も必要だった。谷口氏たちは、生活雑貨関連の展示会への出展などを行い、それまではマスキングテープを扱っていなかった文具店や雑貨店などへの営業に取り組んでいくことになった。
加えて販売促進のために、マスキングテープの活用方法のワークショップなどを全国の都市で開催したり、ファクトリーツアーを行ったりするなど、ファンの育成と交流のためのイベントに力を入れるようになっていく。「mt」の公式ウェブサイトについても、工業用のマスキングテープのサイトとは別に作成することにした。
■今や新たな事業の柱に成長
その後のカモ井加工紙は、工業用マスキングテープの事業を順調に拡大させつつ、新たな事業の柱を獲得していく。3人の女性たちから工場見学依頼のメールが届いた2006年当時と比べると、現在ではカモ井加工紙の売上高は約3倍に拡大し、その15%ほどを「mt」が占めるようになっている。
同じマスキングテープでも、工業用ではなく、文具・雑貨用として販売しようとすれば、生産のロットサイズから、印刷方法、製品バリエーション、価格設定、販売店舗、販売促進などの事業を成り立たせる要素を一新していかなければならない。文具・雑貨用のマスキングテープは、工業用との共通点はあるものの、その事業の組み立ては大きく異なる。
イノベーション――すなわち既存の事業とは異なる新しい価値をもたらす事業の創出には、新しい用途や技術を見いだすだけではなく、その実現のために必要な各種の要素と、その組み立てを見直していく必要がある。事業というものは多くの要素を組み合わせたシステムであり、そのためにイノベーションは、サラスバシーのいうクレイジーキルトのように進行していく。
カモ井加工紙は、マスキングテープの製品としての評価項目、生産や発注のロットサイズ、営業や販売促進の手法などを、固定観念にとらわれずに柔軟に切り替え、新しい仕組みをつくりあげていった。その結果、文具・雑貨用マスキングテープという形で、イノベーション理論の父ヨーゼフ・シュンペーターがいう「新結合」が生まれたのである。
女性たちの小冊子のための工場見学の受け入れからはじまったこの歩みは、美しいクレイジーキルトをカモ井加工紙にもたらした。
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神戸大学大学院経営学研究科教授
1966年、米・フィラデルフィア生まれ。97年神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了。博士(商学)。2012年より神戸大学大学院経営学研究科教授。専門はマーケティング戦略。著書に『明日は、ビジョンで拓かれる』『マーケティング・リフレーミング』(ともに共編著)、『マーケティング・コンセプトを問い直す』などがある。
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(神戸大学大学院経営学研究科教授 栗木 契)
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