「物理の天才」でもトレーラー運転手になるしかない…日本の研究者が"食えない職業"になった根本原因
プレジデントオンライン / 2022年10月6日 10時15分
■天才大学生はなぜ研究者を諦めたのか
9月15日にプレジデントオンラインが公開した「全国初の『17歳の大学生』になったが…早熟だった『物理の天才』が、いまトレーラー運転手として働くワケ」は、多数のアクセスと共感を呼んだ。千葉大学に飛び入学した1期生・佐藤和俊さんの半生を追った記事で、読売新聞の連載企画を『人生はそれでも続く』(新潮新書)というタイトルで書籍化し、その中から佐藤さんのエピソードが配信された。
飛び入学は、千葉大が「日本の受験制度に風穴をあけたい」と1998年から始めた。高校3年を経ずに大学入試を受けられる制度で、研究者としての将来を嘱望された佐藤さんは、大学院に進学後、研究機関に就職した。
だが、手取りは15万円。生活は苦しい。その後、母校・千葉大の非常勤講師となり、予備校講師もかけもちする。1年ごとに契約を更新する千葉大からは、30歳を超えてから契約を打ち切られた。
そこで、佐藤さんは研究者の仕事に見切りをつける。運送会社に転職し、大型トレーラーの運転手になった。今も物理が好きで、知人の子供の家庭教師をしているという。
不安定な仕事、落ち着いて研究できない環境。佐藤さんだけでなく、科学研究の現場のあちらこちらで耳にする問題だ。
■国の政策で研究力が落ちている皮肉な事実
「自然科学(理系)分野の学生の割合を現在の35%から、5割程度を目指す」――政府の「教育未来創造会議」(議長・岸田首相)が5月にまとめた第一次提言は、こんな目標を掲げた。現在7%しかいない理工系女性を男子学生と同等の28%程度に高めていくことも打ち出した。
この方針を受けて、文部科学省は来年度予算に、理工系学部拡充のための基金創設などで100億円を要求した。
理工系に力を入れること自体は間違っていない。デジタル化、脱炭素化など、経済や社会は、理工系の知識を必要とする時代へと移っている。
女性を増やすことも同じだ。理工系といえば男性、という先入観が、女性の進路選択を狭めてきた。そのため、女性の視点や意見が、製品開発やモノづくりになかなか反映されずにいた。いつまでもそれでいいはずがない。4月には女子大初の工学部が奈良女子大に誕生。2024年にはお茶の水女子大も工学部を発足させる予定で、理工系拡充は続きそうだ。
政府がこうした動きを進めるのは、理工系の研究成果をもとに、産業や経済を活性化させようとしているためだ。だが、狙い通りにいくかどうか、危うさと不安も伴う。
ここ4半世紀にわたって政府は、この政策を掲げて科学技術を推進したが、逆に研究力の低下を招いた、という苦い体験があるためだ。
■「稼げる大学になれ」とさかんに言われてきたが…
経済が停滞すると、経済界、政界、行政から必ず、あることが叫ばれる。「大学改革」だ。
例えば、
<米国の大学は、1980年代から研究成果を特許にしたり、産業界と連携したり、研究成果をもとにベンチャー起業したりするなど、さかんに経済活動をしている。日本も見習うべきだ>
一言でいえば稼げる大学へ早く転換せよ、ということだ。日本では1990年代後半からこうした政策がさかんに進められた。
特に国立大学への風当たりは強かった。かつて大蔵省(現・財務省)による銀行の横並び経営「護送船団」方式が問題になったが、国立大も同じことが指摘された。
文部省(現・文部科学省)が、「箸の上げ下ろし」まで事細かに指示する一方、大学に安定的に予算を配っている。その結果、経営力のない銀行が生き延びていたのと同様、個性や実力のない大学も生き延びている、と。
■結果、論文ランキングは世界4位→10位に
そこで政府は、国立大学に配っていた基盤的な経費を削減する一方、すぐに役立つ研究や産業に直結する研究を重視し、政策に沿ったところへ手厚く予算を分配するなどの改革に乗り出した。
それまでの終身雇用制が研究者のやる気を阻害するとして、若手研究者には期間を限って雇用する任期制度も導入した。「さまざまな大学や研究所で武者修行をすることで、能力が向上する」という説明だった。
だが、日本の研究力は段々下がる。この8月に文科省の科学技術・学術政策研究所が公表した指標では、日本は約20年前までは、影響力が大きい論文数で世界4位だったが、今や10位に落ちた。長年1位だった米国を追い抜いて中国が1位になったことも、日本にショックを与えた。
■現場の現実にそぐわない数値目標を優先させている
なぜ国が力を入れても成果が出ないのか。政治、行政、産業界が、研究現場の現実を踏まえて方策を検討するのではなく、「こうあるべき」という考えと、そのための枠組みや制度、数値目標などを優先させることがあるだろう。
不慣れな目標を提示された研究者が、ピントはずれの「大学商法」を進め、自らの力を弱めた面もある。そして、政治も行政も産業界も、進めてきたことの検証や統括をしないまま、次の方策へと突き進んでいく。
国立大学を所管する文科省の元幹部は「経済が上向かないと、『やはり大学は役に立たない』と言われる」。効果が出るまで、次々と新たな方策を生み出さざるをえない事情を話す。
一方、「武士の商法」ならぬ「大学商法」は、すぐにはうまくいかない。例えば「稼げる大学」の指標のひとつの特許を見てみよう。
■「特許を出すようさかんに言われたのに…」
大学研究者の成果は論文や学会発表で評価されていた。だが、2000年代に入ると、特許も重視される。経産省は2001年に「特許取得件数を10年間で15倍にする」数値目標を掲げ、文科省も大学の出願ランキングを公表した。
当初は、特許を取得するだけで研究者は評価された。出願や維持にお金がかかることは、あまり念頭に置かれていなかった。だが特許は利用されないと、お金を生み出さない。
ある地方国立大の研究者は戸惑った体験を持つ。「大学から特許を出すようにとさかんに言われていたのに、今度はできるだけ出すなと言われた」
文科省の調査によると、特許収入では、東大、京大、大阪大、九州大、東北大など、旧帝大系が圧倒的な強さを見せる。それでも、大学が保有する特許が使われたのは、東大と京大が36%で、それ以外は10%台にとどまる。企業の49%に比べると差が大きい。
産学連携による共同研究で、企業側がひいてしまうケースもある。ある企業幹部は、「大学はわれわれよりも短期視点で考え、すぐにお金のことを口にする」と言う。世事に疎(うと)く、企業との付き合いが苦手な研究者もいる。研究者個人との契約で生じた面もあり、最近では組織対組織で契約を結ぶところが増えている。
![試験管を使用する研究者](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/b/a/1200wm/img_bac7c5857dd14cd93987a046c6ccc341106531.jpg)
■「大学を下請けのように見ている」日本企業の体質
こうした改革の結果、じっくりと腰を落ち着けた研究がしにくくなったことや、ノーベル賞受賞者がこれまでのようには出なくなる懸念などが、研究者から何度も指摘されている。だが、政府は顧みない。
科学技術政策を検討する政府の有識者会議のメンバーの1人はこう言い切る。「ノーベル賞受賞者を増やすことや、スター研究者を育てることに興味はない。経済や安全保障に役立つ研究を促進するのがわれわれの目的だ」
研究がうまくいったとしても、新たな難関が待ち受ける。それは日本企業の体質だ。
旧帝大系国立大学のある研究者は嘆く。彼の研究成果が新聞やネットで報じられると、すぐに電話やメールで接触してくるのは米国、韓国などの企業。日本企業は1カ月後ぐらいだという。
「担当者だけで判断できず、社内の根回しや会議に時間を費やしているのだろう」と彼は言う。スピード感の欠如が、日本の知的成果の海外流出を招きかねない状況だという。
そして「日本企業は大学を下請けのように見ている」と指摘する。米国企業などは、「あなたのこの成果を使って、どういうことができるか教えてほしい」と、研究者のプライドをくすぐりながら、話を持ち掛けてくる。一方、日本企業は「こういう製品を作りたいので役立つものを出してほしい」と、上から目線の発言が目立つという。
■「17歳の大学生」は名研究者になったかもしれない
政府が産学連携を推奨していることもあり、東大などには、企業から大型研究費が提供されている。ただ、企業は日本の大学よりも、米大学との共同研究を好み、多額の資金も提供する。彼はこう指摘する。「研究そのものより、人間関係構築や、米有名大学と共同研究しているという宣伝効果に利点を見出している」
理工系の知識や技術だけでは、経済発展につながらないことを、日本はこれまでも体験してきた。デジタル敗戦を重ねた日本企業だが、ネット検索エンジン開発では、進んでいた。だが、経営者が「他人のコンピューターを勝手に検索していいのか」として許可をしなかった。技術はあってもビジネスで負ける。
東大工学部卒業後、大手メーカーに勤務する技術者は指摘する。「石橋をたたいて渡るのではなく、たたいて壊してしまうのが日本企業だ」。こうした体質も変革する必要がある。
政府の「教育未来創造会議」は理工系拡充とともに、理系文系の枠にとどまらず横断的に学ぶ「総合知」を研究や企業活動に生かすことを挙げた。それが本筋のはずだが、理工系学部の新設などの拡充策で突っ走るところに、この4半世紀のやり方と似たものを感じてしまう。
冒頭で取り上げた、全国初の17歳の大学生・佐藤さんも、研究現場がもっと若手を育てる仕組みを手厚くしていれば、また違う結果になったかもしれない。研究の現場の声を聞き、制度を描くことが必要だ。そうでないと再びこの4半世紀を繰り返すことになりかねない。
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ジャーナリスト
東京大学文学部心理学科卒業後、読売新聞入社。婦人部(現・生活部)、政治部、経済部、科学部、解説部の各部記者、解説部次長、編集委員を務めた。約35年にわたり、宇宙開発、科学技術、ICTなどを取材・執筆している。1990年代末のパソコンブームを受けて読売新聞が発刊したパソコン雑誌「YOMIURI PC」の初代編集長も務めた。
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(ジャーナリスト 知野 恵子)
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