男だって男でいるのがつらい…「ガラスの地下室」に閉じ込められた弱者男性の切実な叫び
プレジデントオンライン / 2022年10月13日 19時15分
※本稿は、杉田俊介『男がつらい!』(ワニブックスPLUS新書)の一部を再編集したものです。
■「男らしさ」に支払う多大な努力とコスト
まず、最初に言えるのは、一般的な多数派の男性たちの中にも、被抑圧、脆弱(ぜいじゃく)性、周縁性などがある、ということである。
近年の男性学では、次のような考え方がなされる(ここでは、多賀太『男らしさの社会学 揺らぐ男のライフコース』世界思想社、2006年、などを参照した)。まず、女性に対して男性は社会構造的に様々な優位にある、という認識がデフォルトとなる(A)。ただし、そこにはいくつかの水準がある(B)。
(B・2)「男らしさのコスト」……制度的特権を確保するために、男性たちは、抑圧的な「男らしさ」の規範に従うという多大な努力とコストを支払わねばならない。
(B・3)「男性内の差異と不平等」……男性の中にも様々な立場の人がいて、より少ないコストで多くの利益を得る男性もいれば、多くのコストを支払いながらほとんど利益を得られない男性もいる。
■十把ひとからげの批判に対する違和感
これらの水準を区別しつつ、男性たちもまた様々なアイデンティティの危機や揺らぎ、葛藤を経験していることを論じていくのである。これが近年の男性学の標準的な考え方だ。つまり、(A)の水準「だけ」を見て、男性集団一般を批判し、(B)の水準の区別や違いをまったく見ようとしないこと、そうした十把ひとからげの批判に対し違和感を覚えざるをえない男性たちがいる、というわけである。
こうした状況の中で、ネットの世界を中心に、あらためて「男性弱者」たちの存在が注目されるようになった。
そこでは、こんな書かれ方がされる。男性たちは加害者・差別者・抑圧者である、と批判され、反省と行動を求められる。しかし、男性たちの中にもまた様々な「弱者」がいる。にもかかわらず、その存在に十分な注目が集まっておらず、支援や手当もなされていない……。
■「弱者男性」とは誰のことか
それでは、「弱者男性」とは、具体的にどのような男性のことなのか。
たとえば、実業家・ライターのトイアンナは、こう述べている。
(トイアンナ「日本の被差別階級『弱者男性』の知られざる衝撃実態……男同士でケアすればいいのか」)
また、ライターの鎌田和歌はこう述べる。
(鎌田和歌「女性の雇用制限が少子化対策になる? 炎上ツイートから見る『弱者男性論』」)
■「キモくて金のないおっさん(KKO)」
ここで言われる弱者性にはいくつかの基準があり、それらが複雑に絡まり合っているようだ。たとえば、
・仕事の収入のこと、あるいは労働の非正規雇用のこと
・「キモい」と言われるような容姿の美醜の問題
・「コミュ障」と自嘲されるコミュニケーション能力の問題
・それ自体が多様なグラデーションをふくむ発達障害やメンタルの病などの問題
・現実に恋人や結婚相手などのパートナーがいるかどうか、という点
……などである。
引用の中にもある「キモくて金のないおっさん(KKO)」という有名な自嘲、あるいは「からかい」の表現に象徴されるように、上記のいくつかの要素が組み合わさって成り立つ連立方程式的な「弱者性」もあるだろう。というか、むしろそのような複雑な絡まり合いの中で醸成されていく「弱者性」のほうが現実的には多いのかもしれない。
■政治的対立のいずれにも入ってこない存在
ただし、それらの基準がはっきりと区別されておらず、論者ごとに「弱者」の定義が異なるため、議論や論争をしても中々うまく話がかみ合わない。喧嘩ばかりになって、憎悪や誤解がインフレしていく。「弱者男性」についてはそうしたケースがまだまだ多い。マジョリティでもなく、マイノリティでもなく……。
ここでいわれる「弱者男性」とは、必ずしも、社会的な差別の犠牲者のことではないだろう。あるいは、社会的に保護(包摂)されず、一般市民の標準的な生活から排除されてしまった人々とも限らない。
片方には、従来の国民国家が前提としてきたマジョリティとしての「国民」や「市民」が存在する。
他方には、「国民」や「市民」から排除され周縁化されたマイノリティ的な人々が存在する。マイノリティの人々は、各々の属性に基づき、個別的あるいは集団的なアイデンティティ政治(社会的不平等の解消と各々の差異の承認を求める政治)を行う。
一方、ここでいう弱者男性とは、これらの「国民・市民(マジョリティ)VS被差別者・被排除者(マイノリティ)」という政治的対立のいずれにも入ってこないような存在のことであると考えられる。
■「弱者競争」をしているわけではない
弱者男性たちは、社会的に差別されたり排除されたりしている、あるいは政治的な承認を得られない――というよりも、それらの二元論的な議論の枠組みそのものから取り残され、取りこぼされ、置き去りにされているのだ。
それゆえ、彼らはアイデンティティの承認をめぐる政治の対象にもならないし、福祉国家による経済的な再分配や社会的包摂の対象にもなりにくい。
注意しよう。これは、いわゆる「弱者競争」(弱者オリンピック)の話ではない。あるいは、「社会的弱者の声」にすらならない究極の弱者とは誰か、という「サバルタン」の理論の話でもない。誰が真の犠牲者であるのか、もっとも悲惨な被害者は誰なのか……そうした「弱者競争」によってかえって見えなくなる領域がある。
もう少し繊細で複雑な語り方によってしか見えてこない、個人の実存(差異)と社会的な制度・構造の狭間のグレーゾーンがある、ということだ。
男性たちの「弱さ」の問題はそうした曖昧で境界的な領域、すなわち「残余」「残りのもの」の領域に存在するのではないか。
■「男」たちの絶望を想像し、理解してほしい
本書の第1章の冒頭で、次のように記した。
どうか、よくある「多数派の男性は誰もがすべて等しく強者である」「男たちは男性特権を享受しているのであり、不幸であるはずがない」等々という乱暴で粗雑な言葉によって物事を塗りつぶさないでほしい。
誰々よりはマシ、誰々に比べれば優遇されている、といった優越や比較によって男性問題を語らないでほしい。たしかに構造的な非対称はある。しかし、その上で、比較や競争の対象ではなく、たんに不幸なものは不幸であり、つらいものはつらいのだ。そうした単純な生活意識が「弱者男性」問題の根幹にあるだろう。
■「男」から抜け出すことは許されていない
そうした苦悶の叫びは絶対的に肯定されるべきものである、とぼくは考える――ただし、「異性にわかってほしい」という性的な承認論や、「国家や民族によって自分の存在を支えてほしい」というナショナルアイデンティティによってそれを解決するべきだとも思わない。
なぜならここには、比較対象としての弱さではなく、絶対基準としての弱さがあるからだ。
誰かとの比較や優越によって強い/弱い、幸福/不幸を判断されるのではなく、生存そのものとして、惨めで、尊厳を剝奪された、どうしようもない人生がある。絶対基準の〈弱さ〉がある。
せめて、その事実を想像してほしい。それを否定されたら、あとはもう――。
本当は「男性」という属性すら副次的なことで、あくまでも個々人ごとの問題なのかもしれない。しかし、「男」として生まれてしまった以上、男性という属性から解き放たれ、抜け出すこともまた許されていないのである。
では、弱者男性とは、これまで無視されてきた新たなマイノリティのカテゴリーである、ということなのか。
■線引きをすること自体が残酷な暴力になる
やはり、それも少し違うだろう。
しばしば指摘されるように、「弱者男性」と言っても、発達障害や精神疾患の傾向のある人、「軽度」の知的ハンディのある人、虐待やイジメの被害者など、そこには様々な問題が交差的に絡み合っているはずだ。
境界的な人々、グレーゾーンの人々もたくさんいるだろう。
そうしたグラデーションに対して、「ちゃんとした理由があるからあなたはマイノリティ男性、それ以外は男性特権に居直った無自覚な男性たち」とはっきり線引きしようとすることは、やはり問題の先送りにしかならない。
たとえば障害者介護の経験からぼくは以下のことを学んだ。それは、個人的な生活や実存のレベルで考えるかぎり、比較や優越はもとより、そもそも安易に他者を線引きするべきではない、線引きしてはいけない、ということである。
曖昧で境界的な領域にはっきりと線を引くこと自体が一つの残酷な暴力であり、支配になりうるからだ。線を引いて、支配する。それは差別の定義そのものである。
■「ガラスの地下室」からの叫び
本当にもうダメだと思って、惨めで、むなしく、悲しく、生まれてこなければよかったとしか感じられなくなったとき、ワラをもつかむ思いで手を伸ばすと、恋愛によって異性から救ってほしいとか、有名人になって一発逆転しなきゃとか、排外主義者やインセルやアンチ・フェミニズムの闘士に闇落ちするとか――それらの貧しい選択肢しかない、ということ。そうした選択肢しか残されていない、と感じられてしまうこと……。
たとえばトイアンナは、先に引用した記事で、ある男性がブログで書きつけた「ガラスの地下室」という言葉を紹介している(もともとはワレン・ファレルが『男性権力の神話』という1993年の書籍で当時のアメリカの状況を反映して用いた言葉)。
女性がある程度以上の社会的地位へ上がれないこと(にもかかわらずその障壁が存在しないとされていること)を「ガラスの天井」と呼ぶが、これに対し、男性たちは、いったん弱者男性になると、ガラスを踏み破って「地下室」に転落して、誰にも気づかれないままになってしまう。それが「ガラスの地下室」である。
ぼくたちは今、そうした「弱者男性」たちの「地下室」の暗黒に、何かの光を差し込ませるための言葉(思想)を必要とし、そのための多様な実践を必要としているのではないか。
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批評家
1975年生まれ。自らのフリーター経験をもとに『フリーターにとって「自由」とは何か』(人文書院)を刊行するなど、ロスジェネ論壇に関わった。ほかの著書に、『非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か』(集英社新書)、『宮崎駿論』(NHKブックス)、『男がつらい!』(ワニブックスPLUS新書)など。『対抗言論』編集委員、「すばるクリティーク賞」選考委員も務める。
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(批評家 杉田 俊介)
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