なぜこの苦しみに気づけないのか…「背の順の整列は差別」に猛反論する人が完全に見落としている事実
プレジデントオンライン / 2022年10月9日 11時15分
■「背の順」整列の何が悪いのか、と叫ぶ人の深層心理
「学校で背の順に並ばせるのは差別だ」
筆者が上梓した『不親切教師のススメ』(さくら社)から一部抜粋してプレジデントオンラインで紹介した記事(※)に関して、大きな反響があった。
※「なぜ誰もおかしいと気づかないのか…学校で『背の低い順に並ぶのは差別』と主張する現役教員の納得の理由」
SNSのコメント欄には、さまざまな声が寄せられた。
「日本の学校文化には意味不明な謎ルールや習慣がある」「確かに大人社会でも同じように背の順で並ぶことになれば変な感じに思うはず」といった賛同意見がある一方、「おかしいと思ったことはない」「背の順のほうが前は見やすいし、後ろの人も教師の指示を見やすい。背の順はむしろ合理的な配慮だ」といった反対意見もあった。
今回は、こうした反対意見に対して筆者の考えをより丁寧に説明していきたい。その前に「背の順は差別」と考える理由を改めて、整理しよう。
そもそも背丈というのは、本人にはどうにもしようがない固有の身体的特徴である。本来、そこに優劣はなく、比較するものではない。にもかかわらず、わざわざ誰の目に見てもわかるようにきっちり序列をつける。これは「差別」である。
「そういうことを気にしないように導くのが教育だ」という意見も聞くが、そもそもそういうことを教育の上でしなければいい話である。比較して並べる慣習が、競争意識をあおって強く意識するようになるのではないか。
ただ、筆者の意見に対する反論が出ることは想定内だった。多くの人は別に「背の順」に苦しんでもいないし、普通のことだと受け入れているからである。
だが、最初にどうしても述べなければならないことがある。それは「背の順で苦しんでいる人が存在する」というただ一点の紛れもない事実である。反対意見の人はそれを無視するか、ひどく軽視している。
■「平均から外れている人」マイノリティーを無視・軽視
彼らは全体から見ればマイノリティーである。学級の中で最も背丈の低い子どもは、1人しかいない。かつての男女別の2列であっても、学級で2人である。あとは、「2番目、3番目で、いつ自分が一番前になるか」と戦々恐々としている子供も加わるかもしれない。
逆に、背が高いがゆえに後ろで苦痛を感じている人もいる。「平均から外れている人」というのは、いつだってマイノリティーの側である。
実際、筆者が聞き取りした際、以下のような小学生の声があった。
「いつも一番前なのも嫌だし、時々、悪口を言われることがあるのもつらい」(男子)
「背が高いことを気にしているのに、並ばされて一番後ろだと余計に目立つから嫌」(女子)
こうしたマイノリティーの意見は気にしすぎであり、我慢すべきなのだろうか。「私は背が低い(高い)ことなんて気にしたことがない」「背の順でよかった」という無邪気な肯定派の人に、自らの気持ちを我慢して合わせるべきなのだろうか。
筆者はそんなはずはないと考える。すべての人の気持ちが、尊重されるべきである。それは、性的マイノリティーと言われてきた人々の人権が認められてきたことをみても明らかである。
少なくとも、日本の特殊な慣習であることを直視する必要がある。ダメな点がわかっていても無理に理屈をつけてなかなか変えようとしないのは、単なる無思考・怠慢である。
![松尾英明『不親切教師のススメ』(さくら社)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/c/e/1200wm/img_ce7d5fbd641628d479bcacf06063e5b5150382.jpg)
苦しんでいる人がいるとわかったから、変えよう。筆者の主張はただそれだけである。もちろん周囲には筆者と同じ意見を持つ教員や保護者も多い。彼らも日本における「背の順」意識の植え付けは人間形成上よくないと考えている
それでも、批判する人にも理屈はあるだろう。その典型が「そういうこと(背の順が差別)を言うから差別になるんだ」というお叱りの言葉である。つまり「寝た子を起こすな、現状のままでいいではないか」ということである。
この反論に対し、次のように考えることはできないだろうか。
■自分の行いは正しいと思い込むようにできている
人類には、奴隷制度という負の歴史がある。この制度下では、人が人として扱われなかった。最低限の人権すら無視された状態である。しかし、当時、虐げられていた人たちは自分が置かれた状況を当然のこと、普通のこととして受け入れていたケースも多いという。
虐げていた側はもちろん、虐げられていた側も受け入れる以外に生き延びる道がない以上、その考えを拒むとすると、精神的苦痛を伴う。そのため、矛盾が生じないよう「自分がやってきたことが正しい」と思い込もうとする。
これは、心理学でいう「認知的不協和」の解消である。「認知的不協和」はアメリカの心理学者のレオン・フェスティンガーの提唱した理論で、自己弁護のための無意識の心理である。
この理論を簡単に説明すると、人は自分の行動と心とのギャップや矛盾を解消するために、無理矢理にでも自分自身に納得のいく理由をつけるということである。
つまり、人間は基本的に、今までやってきたことが正しいと思い込むようにできている。あるいは、正しくないという指摘を受けると、それに対する反論をするようにできている。
こうした奴隷制度における差別は、人種差別とも関連する。
生まれながらの髪の色や肌の色は、本人が選んだものではない。それによって人権が制限されることなど、現代のわれわれの感覚では到底受け入れることはできない。しかし、当時はそれが当たり前のこととして、人々に受け入れられたのである。
![黒人奴隷の輸送のイラスト](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/c/b/1200wm/img_cbc6f93a5ac41eccbbdb33448e717ad4486856.jpg)
当たり前になることで、差別されていること自体がわからなくなる。先にも挙げたが、善男善女も差別されている方も、それに気付かない状態になる。その当たり前の状態に対して「おかしい」と反対の声を上げる人たちがいたからこそ、変わってきたという歴史がある。
■教育機関で人の身体的特徴を「序列」していいのか
子供たちは、幼い頃から、学校で「常識」を身に付ける。学校の常識を身に付け、大人になり社会を形成し、子供を産み育てる。学校教育は、そのループの根本を握っている重要な存在である。
学校で、幼い頃から意味もわからず、やたらと背の順に並ばされるという「不合理」に慣らされる。
背の順はその一例に過ぎないが、子供たちは数々の「不合理」(厳しすぎる校則など)に慣らされていく。すると、次第に「なぜこれをするのか?」「これはおかしいのではないか?」と考えなくなる。これは、少なくとも人を育てる教育機関たる学校がしていいことではない。
学校が変だと感じている、あるいは嫌いだったという人は大人の中にも一定数いる。そうした感覚は、おそらく正しい。しかし、自身の過去への否定は無意識的に拒絶を生むため、受け入れがたい。だから、そこについては、考えないようにしたいのである。「寝た子を起こすな」とは、そういうことである。
しかし、筆者は起こす。雪山の遭難時ではないが「寝たら危ないぞ!」と揺り動かして頬を叩いてでも起こすつもりである。
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公立小学校教員
「自治的学級づくり」を中心テーマに千葉大附属小等を経て研究し、現職。単行本や雑誌の執筆の他、全国で教員や保護者に向けたセミナーや研修会講師、講話等を行っている。学級づくり修養会「HOPE」主宰。『プレジデントオンライン』『みんなの教育技術』『こどもまなびラボ』等でも執筆。メルマガ「二十代で身に付けたい!教育観と仕事術」は「2014まぐまぐ大賞」教育部門大賞受賞。2021年まで部門連続受賞。ブログ「教師の寺子屋」主催。
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(公立小学校教員 松尾 英明)
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