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だから頭が良くても悪くても生きづらい…日本社会がうまくいかない根本原因は「平等バカ」にある

プレジデントオンライン / 2022年10月21日 15時15分

何が何でも平等というシステムが生きづらさの原因 ※写真はイメージです - 写真=iStock.com/StockPlanets

日本の社会はなぜ生きづらいのか。生物学者の池田清彦さんは「アリと同じように、人間も本来不平等で理不尽な生き物だ。それを型にはまった一流に育てようとする『平等バカ』の教育こそ、日本が生きづらい社会になる原因ではないか」という――。

※本稿は、池田清彦『平等バカ』(扶桑社)の一部を再編集したものです。

■「働かない働きアリ」の理不尽さ

日本で行列をつくって歩いているアリの中に「アミメアリ」という種がいる。

実はこのアリは多くのアリの種の中でも非常に珍しい特徴を持っている。

まずアミメアリにはオスが滅多にいない。アミメアリは交尾を必要としない単性生殖なので、卵を産むのにオスは必要ないのである。

では、まれに生まれてくるオスは何をするのかといえば、何もしない。働きもせず、交尾もしない。ただその辺をうろうろして、そのうちに寿命をまっとうして死んでしまう。

果たしてなんのために存在するのかは、今のところまだ解明されていない。

メスしかいないアミメアリには、実は女王アリもいないので、滅多にいないオスのアリ以外はすべて働きアリである。

ところがその働きアリの中に「働かない働きアリ」という個体が存在する。

メスなので卵は産むが、「働かない働きアリ」は子どもの世話も、エサを運ぶこともしないので、結局ほかの「働く働きアリ」がせっせと面倒を見ることになる。

もともとアミメアリの働きアリには、自分の子、他人の子を区別することなく、みんなで育てるという生態があるからだ。

しかも、単性生殖であるがゆえに、「働かない」という特徴も遺伝する。

つまり、「働かない働きアリ」の子どももまた「働かない働きアリ」へと立派に成長する。

働く働きアリがどんなにせっせと育てようとも、「働く働きアリ」にはならないのだ。

さらにやっかいなのは、「働かない働きアリ」は働かないぶんエネルギーが余っているので、ほかの働きアリよりもたくさん卵を産むということだ。

そのせいで気がつけば巣の中が「働かない働きアリ」でいっぱいになり、「働く働きアリ」は働きづめになって、やがて過労死してしまう。

「働かない働きアリ」は仕方なく、別の働きアリの巣を探して、運がよければ今度はそちらに寄生する。

それでも種が絶滅しないのは不思議だが、「働く働きアリ」だけで巣を新設する頻度(ひんど)が、「働かない働きアリ」に乗っ取られる頻度より多いのだろう。

これを理不尽と言わずしてなんと言えばいいのだろう。人間も確かに不平等ではあるけれど、少なくともアミメアリに比べればまだだいぶマシなのではないだろうか。

アリの理不尽さに比べれば人間はマシ
写真=iStock.com/allgord
アリの理不尽さに比べれば人間はマシ ※写真はイメージです - 写真=iStock.com/allgord

■「平等な授業」が落ちこぼれをつくる

アミメアリほどではないにしても、人間が生まれつき不平等なのは避けようのないことで、こればっかりは仕方がない。

ただし問題は、世の中の仕組みの中には、あたかも人がもともと平等であるかのようなフリをして成立しているものが山ほどあり、そのせいでさらなる不平等がもたらされていることだ。

日本の場合、公立の小学校や中学校では、明らかに支援を要すると判断されない限り、同じ学校であれば、基本的には全員が同じ授業を受けている。

しかし、はっきり言って人の頭脳は平等ではない。

また、持って生まれた能力がどう顕現(けんげん)するかには幼児期における教育環境や経験の違いが大きく関与するので、小学校に上がるころにはその差が歴然となっている可能性もある。

受け手のほうに差があるのに同じものを与えれば、ますます差が大きくなってしまうのは当然である。

教師がどれほど精魂込めて教えたところで、一律の授業で平等の成果はありえないのだ。

■「普通がいちばん」の日本は生きづらい

平均的な能力の子の場合は、授業の速度ややり方がちょうどよく能力に見合う可能性が高いので困ることはないだろうが、そのレベルに達していない子はそうはいかない。

教師の話はちんぷんかんぷんで、ますます落ちこぼれてしまうのは目に見えている。

だからといって落ちこぼれそうな子のほうにレベルを合わせてしまえば、平均的なレベルの子どもたちが時間を持て余すことになるので、それはそれで具合が悪いということになる。

日本の公教育は平均的な者にもっとも手厚く、平均的な者がいちばん得をするようにできているのだ。

本当だったら習熟度別にクラスを編成するほうが合理的だし、結果的には公平なのだけれど、そうやって序列をつけるようなことをすると、いじめとか別の問題が生じてくる。

普通がいちばんという感性が子どもにまで浸透している日本では、平均的とされるレベルから少しでも下だという烙印(らくいん)を押されると、一気に生きづらくなってしまうのだ。

教師やらの力を借りようとする。その結果、下のクラスにカテゴライズされるのは、塾や家庭教師に頼る金銭的余裕がない家の子たちばかりということになりかねない。

そうなると子どもたちは早々に学校という名の「格差社会」を生きることになってしまうから、やはりこれもいい方法とは言い難い。

■IQの6~7割は遺伝

そもそも学力面で格差が生じてしまう理由は、教えるレベルうんぬんの問題以前に、なんでもかんでも一律に教えようとするせいだと思う。

得意なことだけでなく、不得意なことまで勉強しなければならないとなると、余力が相当ある子でなければついていけない。

IQの6~7割は遺伝で決まる
写真=iStock.com/JGalione
IQの6~7割は遺伝で決まる ※写真はイメージです - 写真=iStock.com/JGalione

全員に平等に教えるのは、法律とか税制とかカラダのこととか、生きていくのに最低限必要な基本的なことだけにして、あとはそれぞれ自分の好きなことを学ばせるほうがずっといいと思う。

人間というのはもって生まれた自分のキャパシティを超えて活動することはできないし、キャパシティの一つであるIQ(知能指数)は、遺伝的に6~7割が決まっているとされる。

■「型にはまった一流」を目指してはならない

ただし、そのようなキャパシティをどこまで具現化できるかはあくまでも本人次第なのである。

たとえ生来のキャパシティ自体は小さくても、その大半を具現化させることができれば、大きなキャパシティを生かしきれてない人より、相対的に高い能力が発揮できるというわけだ。

例えば超難関校として知られる東京の筑波大学附属駒場中・高等学校(筑駒)は卒業生の半分以上が東大に入る。

しかし、この学校に入ることが万人にとってのベストでは決してない。

必死に勉強してなんとか合格できたとしても、周りは秀才だらけなのだから、もともと勉強の才能がない場合はどんどん置いていかれて、かえって不幸になることもあると私は思う。

成長するにつれどうやら自分は机上の秀才ではないなと感じるようなら、例えば研究者を目指すとしても机に向かう勉強のほうはほどほどにして、実験したり、フィールドで調査をする感性を伸ばすほうが絶対にいい。

机上の勉強よりフィールド調査で才能を発揮することも
写真=iStock.com/Wildroze
机上の勉強よりフィールド調査で才能を発揮することも ※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Wildroze

受験に役立つ才能は、あらかじめ決まっている正解になるべく早く到達する能力だが、実験やフィールド調査で発揮される才能は試行錯誤しながら正解を探す能力なので、まったく質が違うのだ。

本当に大事なのは、型にはまった一流を目指すことではなく、自分が得意なことを見つけて、そこをうまく伸ばしていくことだと思う。

そうやって、自分自身の能力を最大限に生かすことができれば、生まれながらの不平等にだってうまく折り合いをつけられるだろう。

何よりそれが人生を楽しく前向きに生きるコツなのである。

■小学1年生のガウスが見つけた「天才の計算方法」

平均的なレベルの子に合わせた教育システムは当然ながら、生まれながらにして平均より高い能力のある子まで被害者にする可能性がある。

「歴史上最高の数学者」と呼ばれるカール・フリードリヒ・ガウスは、小学1年生のとき、教師が子どもたちに自習させるつもりで出した「1から100までの数を全部足しなさい」という問題を一瞬で解いてしまったという。

普通の小学1年生なら、1+2+3+4+5……と順に足していくだろうが、ガウスが選んだのは1+100=101、2+99=101、3+98=101……というふうに、1から100までの数を外側から順に足すというやり方だった。

これを50回繰り返すのだから、101×50=5050という答えはすぐに導き出せる。

これを小学1年生にして思いつくのだから、まさに天才である。

■天才を被害者にする「平等バカ」の日本

ガウスほどではなくても、人並み外れた才能を持った子というのは一定数いる。そういう子にとっては小学校レベルの勉強などたやすいだろうから、本来であれば、もっと難しい問題に挑むチャンスをたくさん与えるべきなのである。

例えばアメリカでは、州によって違いはあるものの、基本的には能力に応じた学年に子どもを配置する方針が取られている。次の学年に進級するレベルに達していないと判断されれば留年する可能性もあるが、逆に優秀だと認められれば小学校を早々に卒業したり、飛び級で大学に入学することもできる。

「ギフテッド」と呼ばれる突出した才能に恵まれた子を国を挙げて支援する環境が整えられているのだ。

池田清彦『平等バカ』(扶桑社新書)
池田清彦『平等バカ』(扶桑社新書)

しかし、年齢に応じた“平等”な教育を貫く日本では、飛び級が認められるのは、千葉大学などごく一部の大学と大学院だけで、少なくとも義務教育過程では一切認められていない。

だから授業がどれほど物足りなくても、学校にいる時間はただ我慢するよりほかはない。

これは大いなる時間の無駄遣いだし、場合によってはそのせいで類いまれなるキャパシティを生かしきれない危険性だってある。

能力を無視した「平等バカ」なシステムのおかげで、せっかく稀有な才能があっても宝の持ち腐れになりかねないのだ。

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池田 清彦(いけだ・きよひこ)
生物学者、評論家
1947年、東京都生まれ。東京教育大学理学部生物学科卒。東京都立大学大学院理学研究科博士課程単位取得満期退学。専門は、理論生物学と構造主義生物学。早稲田大学名誉教授、山梨大学名誉教授。フジテレビ系「ホンマでっか!?TV」への出演など、メディアでも活躍。『進化論の最前線』(集英社インターナショナル)、『本当のことを言ってはいけない』(角川新書)、『自粛バカ』(宝島社)など著書多数。

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(生物学者、評論家 池田 清彦)

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