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自治会は崩壊、排水溝は埋没…50区画に5世帯だけの「千葉県の限界分譲地」に私が住み続けている理由

プレジデントオンライン / 2022年10月19日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/bocco

日本の郊外には、かつて住宅地として分譲されたが、ほとんど人が住まなかった「限界分譲地」が大量にある。ブロガーの吉川祐介さんは、そうした地域の実態をリポートしており、自身も千葉県横芝光町の「限界分譲地」に住んでいる。住み心地はどうなのか。吉川さんの著書『限界ニュータウン 荒廃する超郊外の分譲地』(太郎次郎社エディタス)からお届けする――。

■周囲から完全に孤立した「限界分譲地」

住みはじめて強く実感したのは、この分譲地は周辺の地域社会から完全に孤立した状態におかれているということであった。

東京から移住してきて最初に暮らした千葉県八街市内の分譲地も、複数の空き地が目立つさびれた住宅地であったが、少なくともその分譲地は地域社会のなかにひとつの「集落」として組み込まれており、入居と同時に近所の人から自治会への加入の誘いを受けている。

戦後の再開拓地であったために近隣に寺社がなく、農村のような祭事こそなかったが、近隣住民との関係性は地方都市の一般的な住宅街と変わるところはあまりなかったように思う。

かたや現在暮らしている横芝光町の分譲地は、当初は別荘地の名目で分譲されたと思われるもので(じっさいにいまも別荘として使われている建物はある)、しかも区画の大半が更地であり、集落とよべるほどの世帯数もない。

そのためか、転入して暮らしはじめても、古い住民の方から町内会や自治会への誘いを受けることはいっさいなく、現在に至るまで、地域の奉仕活動や行事などの声がかかったことも一度もない。

■住民を悩ませる自治会加入とゴミ出し

一概に別荘地だからといって自治会のたぐいがないとはかぎらず、近年では定住目的の人が多く暮らす別荘地も少なくなく、そのような旧別荘地では自治会が形成されているケースが多い。

たとえば、僕はブログ記事のための調査の過程で、茨城県の旧大洋村(現・鉾田市)において1970年代から80年代にかけて濫造された古い小さな別荘(別荘といってもほとんど小屋に近い造りだが)を取得していたが、この別荘地にも常住者向けの自治会が存在する。

旧大洋村のこの自治会は、いってみればゴミ集積場の設置のためだけに形成されたような自治会で、つまり別荘地というものは、その性質上、周辺の旧来からの集落との交流がなかなか発生しないので、別荘地に定住しても、自治会への加入やゴミ集積場の利用を断られてしまうケースが多々あるからだ。

ゴミ収集はほんらい、そこに住民票をおいて住民税を納付している住民であれば等しく受けられる行政サービスのはずなのだが、なぜかゴミ集積場の管理を、その利用の可否の判断を含めて地域の自治会に一任している自治体が少なくない(この問題は地方移住時のトラブルとしてしばしば取り沙汰される)。

そのため鉾田市の別荘地においては、ほんらいの別荘地の範囲やその開発経緯・年代とは関係なく、ゴミ集積場を必要とする近隣の住民たちが、独立した自治会を運営している。

だが、僕の自宅がある横芝光町の旧別荘地にはそれもない。

■わが家の分譲地の事例

では、ゴミ収集はどうしているのかいうと、横芝光町の清掃事業を管轄する山武郡市衛生環境組合(千葉県は広域行政が発達しており、ごみ・水道・し尿などのインフラ事業や消防などは、自治体単位ではなく広域行政組合が管轄している地域が多い)の方針なのか、ゴミ集積場は公道上に無造作に設置されているところが多く、わが家がある分譲地も、先にも述べたS社名義の残余地が集積場として利用されているため、利用にあたって自治会加入の必要はなかった。

僕はこれまで暮らした土地で、ゴミ出しをめぐって近隣住民とトラブルになった経験はないが、それでも気兼ねなく集積場を利用できるのは気楽なものだ。

掃除当番もないので、自宅のすぐ前にある集積場は、野良猫やカラスにゴミをあさられ食い散らかされてしまったときなどはわが家で掃除している。

野ざらしのゴミ箱の上にカラスが一羽
写真=iStock.com/yorkfoto
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/yorkfoto

率直にいって、いまの時代、自治会に加入できないことを大きなデメリットとして考える人はそれほど多くないのではないか、という気はしなくもない。

限界分譲地にかぎらず、都市部におけるミニ開発の分譲住宅地でも、開発時に周辺地域との折衝がうまくいかず、分譲地ごと自治会に組み込まれていないところもあるし、自治会費の私物化や転入者の排除などトラブルの話も多いので、とくに別荘地での永住を考えるような人は、そもそも加入を望んでいないかもしれない。

■側溝と排水のありがたさ

千葉県においては、自治会への加入率が6割にも満たないような市町村も複数あるので、この加入率では自治会機能が地域社会に果たせる役割は限定的であろう。しかし、近隣住民との対人関係にかぎった話であればそれでよいかもしれないが、分譲地のハード面の維持・整備となると、そうはいかないのである。

もともと財政基盤の弱い小規模自治体では、道路清掃や路肩の草刈りなどの簡易な作業は、たとえ公道であっても「地域美化活動」などの名目で地域住民のマンパワーに依存していることが多い。

また、それ以前の話として、そもそも民間の分譲地における共用部は、地権者の私有地であるケースが多く、当然ながらその維持管理は住民の責任となる。これについては、先にも紹介した、以前住んでいた八街の分譲地と、現在暮らしている横芝光町の分譲地でひじょうに対照的なので、ここでは僕の経験を例にあげたい。

八街の分譲地は、分譲地内の道路こそ公道であったものの、道路の路肩にある排水用の側溝は私有地部分にふくまれており、住民自身の手で側溝の整備・清掃をおこなう必要があった。

周辺は畑作地域なので強風が吹けば砂ぼこりが舞い、加えて分譲地内の空き地からは絶えず砂が側溝に流れ込み、そのまま放置していると砂泥となって堆積し、やがて側溝が詰まって排水不能になってしまう。

■共用部分から荒れ果てる

そこでその分譲地では、地元自治会の枠組みとはべつに、簡易な管理組合(法人化はしていなかった)を設け、分譲地内の世帯を大まかに2グループに分けて、グループごとに月一度の側溝清掃の日を設けていた。

ところが、年月が経過し、管理組合の結成を主導した住民が高齢化すると、側溝掃除の体力面での負担も大きくなってきたので(腰が悪くて参加できなくなっていた住民もいた)、管理組合が徴収・管理していた積立金を利用して、側溝のふたを新たに設置することになった。

投機目的の乱売からスタートした多くの限界分譲地では、「街びらき」にあたるような機会がなく、世帯ごとに転入の時期も、またその動機もバラバラである。

合意形成に困難がともなうはずの分譲地で共用部の自主管理が可能だったのは、比較的戸数の多い分譲地であったこともあるが、まずベースとして、この八街の分譲地が地元自治会に組み込まれていて、ひとつの班として機能しており、住民どうしのネットワークが構築されていたからであろう。

そうでなければ、貸家の多い分譲地において、共同作業のみならず積立金の徴収をともなうような方法は、きわめて困難だったはずだ。じっさい、それができずに共用部が荒れるにまかせた限界分譲地はあまた存在するのである。

■側溝は砂泥が貯まり、雨で冠水することも

一方、現在暮らす横芝光町の分譲地は、そもそも空き地の割合が八街の分譲地と比較して圧倒的に多く、50区画ほどある分譲地内に7戸の家屋が建ち、居住しているのは、わが家をふくめて5世帯しかない。

開発当初からの住民はおらず、少なくとも話を聞くかぎりでは、だれも自治会に加入しているようすはない。

たったの5世帯、しかも分譲から時をへて各戸バラバラの動機で転入してきた世帯のみでは、前述したような自主管理の組合などあるはずもない。ここは別荘地とはいっても、結局は売りっぱなしの投機型分譲地なので、一般の別荘地のような管理会社も存在しない。

その結果、分譲地の側溝は、すでに土砂に埋もれて排水機能が損なわれているところもあり、その補修をおこなうための地権者の合意形成も、もちろん絶望的である。

落ち葉が詰まって排水能力が落ちている側溝
写真=iStock.com/slobo
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/slobo

じっさいのところ、不在地主たちはそのような共用部の劣化などいっさい把握していないので、杓子定規に合意形成などしなくとも、実生活における利害関係者が共用部の整備や補修をしたところでトラブルを招くことはほぼないとは思うのだが、結局、満足な整備はなされないまま、すでに開発から数十年の月日が経過している。

僕の自宅の前は無事であるものの、一部の空き地の前の側溝は地盤沈下によって損壊していて、排水機能がほぼ失われているところがある。これは多くの分譲地で見かける管理不全箇所の典型で、豪雨時における冠水の遠因ともなっている。

■行先のない排水溝

また、これは限界分譲地にかぎらず、古いミニ開発の旧分譲地でしばしば見られるものとも聞くが、一見、側溝が備わっているように見えても、よく観察してみると、側溝があるのはあくまで分譲地内だけで、結局、その排水先がどこにも接続されているようすがなかったり、分譲地の外に垂れ流しになっていたりすることもある。

そして行政も、民間業者が開発した私有地(私道)内のこのような排水設備の現状を正確に把握していないことがある。

現在、下水道設備がない分譲地に建物を新築する場合は、合併処理浄化槽(生活雑排水とし尿を併せて処理する浄化槽)を設置したうえで、側溝があれば側溝に排出し、なければ排水は宅内浸透(敷地内の土壌に浸透させる方法)か、蒸発散装置を設置して対応している。

だが、管理不全の限界分譲地が増加していくと見込まれる今後は、たとえば建築確認申請を受理するさいなどに、側溝の管理状況をもう少し厳格に見きわめていく必要が出てくるかもしれない。

■僕が限界分譲地に暮らすわけ

ここまで、僕がこれまで暮らした限界分譲地や、現在暮らしている分譲地を例にあげながら、その暮らしぶりや問題点を書き連ねてきた。

僕はもともと僻地の分譲地への移住を呼びかけるつもりはなく、あくまで自分の意志で限界分譲地での生活を選んだ人を読者に想定してブログを開設したのだが、それでも僕自身、消去法でしぶしぶこの住環境を選んでいるわけではもちろんない。

さんざんデメリットを書き連ねてきたが、一方で、限界分譲地で暮らすいちばんの魅力は、なによりその住環境を維持するにあたっての裁量の多くが、自分自身に委ねられている点にあることだとも思う。

5世帯しか住んでいないわが分譲地では、どの家の住民も、自宅周辺の私道の路肩の草刈りなどを、各戸の都合にあわせて自己判断でおこなっている。わが家の前にある公園跡の土地は所有者が存在せず、ほかに管理する者もいないので、現在はわが家が独断で雑木や雑草を伐採し、管理している。

僕は自治会や町内会をはじめとしたコミュニティを否定しないし、住民どうしの協働こそが住環境を維持するうえでもっとも重要なことだととらえている。分譲住宅地という土木工作物を個人単位の作業で維持することの困難さは、これまで見てきた限界分譲地の現状から、いやというほど思い知らされている。

■粗末、不便でも充足感があった

その反面、道路や公園跡の整備や維持管理を、自分ができる範囲で、あくまで自己判断で、可能なかぎり工夫して進めていく作業には、すでに完成されて問題なく維持されている「既製品」の住宅地では味わえない満足感が、たしかにある。

それは「開拓」などとよべるほどたいそうなものではないけれど、広大な原野や山林ではなく「住宅地」で、比較的手軽にその充足感を味わえるのは、おそらく限界分譲地しかない。

地域社会から顧みられることもなく、一度は打ち捨てられようとしていた「住宅地」を、みずからの手で再生させていき、自身の拠点として整備を進めていくその達成感は、ほかではあまり味わうことのできないものだと思う。

もちろん、それはけっして楽な作業ではなく、とくに夏季などはあまりの暑さに音を上げてしまうことも多々あるのだが、みずからの手で住環境を維持しているという実感はまちがいなくある。

僕がこれまでブログなどで、限界分譲地を利用するうえでの魅力をあまり語ってこなかったのは、この感覚がきわめて個人的な漠然としたもので言語化しにくかったからであるが、土地整備を進めていくうえで得られるこの充足感こそが、限界分譲地のいちばんの魅力なのだと、いまは考えている。

■両親が持てなかった「自分の根城」

そのような充足感を僕が強く求めるのは、おそらく僕の両親がともに「実家」というものをもたず、戦後から近年まで、住まいのことで苦労しつづけてきた家で育ったからだと思う。

父は中学卒業までを児童養護施設で生活しており、生家がない。また、母方の祖父は南満州鉄道の社員として、戦前から戦中、祖母とともに旧満州国の奉天(現・瀋陽市)で暮らしていたため、日本国内に住まいを持っていなかった。

終戦まぎわに徴兵され、引き揚げ後は長く公営住宅で暮らした祖父母の戦後は、生活の再建で精一杯であり、やがて復興とともに到来した開発ブームからも置き去りにされ、祖父母は結局、最期まで自分の家を持つことができなかった。

吉川祐介『限界ニュータウン 荒廃する超郊外の分譲地』(太郎次郎社エディタス)
吉川祐介『限界ニュータウン 荒廃する超郊外の分譲地』(太郎次郎社エディタス)

そんな祖父母や両親を見て育った僕は、生活の根幹である住まいのことをいいかげんに考えることはできないし、どんなに粗末で、どんなに不便であろうと、やはり自分の根城というものを保有したい思いが人一倍強い。

住まいに関しては、自己裁量の幅が限られて他人まかせの要素が大きい場所だと、かえって安心できないのだ。

そして、限界分譲地での暮らしこそ、まさに己のもつ最大限の力を駆使して、あまたあるデメリットをカバーする暮らし方であり、僕は、非力で不器用でありながらも、そういうところでしか暮らすことができないのかもしれない。

もっとも、現在のわが家はまだ貸家住まいであり、いまだその目標は途上のままであるのだが。

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吉川 祐介(よしかわ・ゆうすけ)
ブロガー
1981年静岡市生まれ。千葉県横芝光町在住。「URBANSPRAWL -限界ニュータウン探訪記-」管理人。「楽待不動産投資新聞」にコラムを連載中。9月に初の著書『限界ニュータウン 荒廃する超郊外分譲地』(太郎次郎社エディタス)を出版予定。

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(ブロガー 吉川 祐介)

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