1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 政治

北朝鮮は嫌いでも、日本のために金正恩の懐に飛び込む…アントニオ猪木が「闘魂外交」を闘い続けた理由

プレジデントオンライン / 2022年10月15日 14時15分

北朝鮮の平壌で開催された国際プロレス大会が閉幕し、あいさつを終えて気勢を上げるアントニオ猪木参議院議員(手前左、次世代の党)ら。=2014年8月31日 - 写真=時事通信フォト

プロレスラーで元参院議員のアントニオ猪木(本名・猪木寛至)さんが10月1日、亡くなった。元外交官で作家の佐藤優さんは「国益に貢献したいという思いから、政府が信頼関係を構築していない国家に次々に飛び込んでいった。とりわけ北朝鮮については、日本政府は猪木氏の人脈と情報をもっと活用すべきだった」という――。

※本稿は、アントニオ猪木『闘魂外交』(プレジデント社)の解説「アントニオ猪木外交について」に、猪木氏の死去を受けて佐藤優氏が加筆したものです。

■ロシアの政治エリートはアントニオ猪木にあこがれていた

10月1日、元参議院議員でプロレスラーのアントニオ猪木(猪木寛至)氏が心不全で亡くなりました。ここで肩書を元プロレスラーとしなかったのは猪木氏が死ぬ瞬間まで現役だったと私が認識しているからです。

猪木氏には外交官時代にとてもお世話になりました。作家になってからも何度か一緒に食事をしました。

猪木氏はソ連時代末期から頻繁にモスクワを訪れるようになり、大使館ではいつも私がアテンド係でした。猪木氏には、人の魂をつかまえる特殊な才能がありました。

ソ連時代、プロレスは資本主義社会の腐敗した見せ物で、スポーツではないとされていました。

プロレスの興業が行われることはもとより、テレビ放映もありませんでした。ただし、ロシア人は格闘技好きです。

闇で流通している16ミリフィルムでプロレスが紹介されていました。だから、格闘技好きのロシア人は、アントニオ猪木×モハメッド・アリの異種格闘技戦を密かに見ていました。ロシアの政治エリートは、アントニオ猪木にあこがれていました。

■頻繁にモスクワを訪れていた理由

猪木氏は、スポーツ平和党党首兼参議院議員としてモスクワをよく訪れました。

ソ連の国会議員や政府要人と話し合って、ソ連事情について貪欲に知ろうとすると同時に、有望なプロレスラーやプロボクシング選手を見いだすことも猪木氏の目的でした。

当時、ソ連では国営スポーツ・システムが崩壊し始めていたため、柔道、グレコローマンレスリング、アマチュアボクシングから優秀な選手をプロレスやプロボクシングに引き抜くことができました。

猪木氏は、「国家や企業に選手たちは使い捨てにされがちだ。それは日本でもアメリカでもソ連でも一緒だ。俺は苦しい状況に置かれているソ連の格闘技選手たちの生活を保障したいんだ」と言っていました。猪木氏の人間性に共感するソ連共産党の幹部が少なからずいました。

■猪木のコネクションからもたらされた極秘情報

ところで、柔道からプロレスに転向した1人が、1972年のミュンヘンオリンピックで金メダルを取ったジョージア人のショタ・チョチシビリ氏でした。

当時、日本大使館の3等書記官だった私は、外国人が利用できないソ連共産党系の特別ホテルの部屋で猪木氏とチョチシビリの通訳をつとめることになりました。

勢いで一杯飲もうという話になって、1時間足らずで500ml入りのウオトカを3本も空にした。警察官僚でもあるチョチシビリは、当時、ソ連権力の中心であった共産党中央委員会に友人を多数持っていました。

猪木氏と会いたがるソ連の共産党と政府の幹部は多く、ここから私は、ヤナ―エフ・ソ連副大統領、イリイン・ロシア共産党第二書記と知り合うことになりました。

このイリイン第二書記が、1991年8月のソ連共産党守旧派によるクーデター(ヤナ―エフ副大統領は首謀者の1人でした)が進行しているときロシア共産党中央委員会の執務室で「ゴルバチョフは生きている」という重要情報を私に教えてくれました。

■プロレスラーと外交官の知られざる関係

猪木氏は私によく「日本の国のために役立てるならば、何でもやるから、オレを使ってくれ。あんたは、ロシアの地べたを這いつくばって情報を取っているようだから、きっとオレを上手に使うことができる」と言うので、私はこの言葉に甘えることにしました。

当時、エリツィン大統領の側近で、シャミール・タルピシチェフというスポーツ担当大統領顧問兼スポーツ観光国家委員会議長(大臣)がいました。クレムリンでは大統領執務室の隣に彼の部屋があるので、いつでもエリツィンに会える関係でした。大統領府高官と大臣を兼任しているのもタルピシチェフだけでした。各国の大使が面会を申し入れても会ってくれない人でした。

クレムリン
写真=iStock.com/Mordolff
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Mordolff

ところで、ゴルバチョフ時代、エリツィンは失脚したことがあります。そのときは、家族以外のほとんどすべての人がエリツィンから離れていきました。ラトビアの避暑地で休暇をとったときも、誰もエリツィンと話をしません。

そのとき、偶然ですが、テニスのナショナルチームのコーチをつとめていたタルピシチェフも、ラトビアで休暇をとっていました。2人は意気投合してテニスをし、友人関係はモスクワに戻ってからも続きました。最も苦しいときにリスクを負って付き合ってくれたタルピシチェフにエリツィンは恩義を感じ、権力を取った後にポストを新設し、最側近に据えたのです。

私がクレムリンのタルピシチェフ事務所に電話し、「日本の参議院議員で国際的に著名なスポーツマンであるアントニオ猪木氏がタルピシチェフ大統領顧問との会見を希望している」と伝えると、翌日、会見が実現しました。ここで日本大使館とタルピシチェフの御縁ができ、私も自由にクレムリンに出入りできるようになりました。そして、私の人脈は飛躍的に拡大しました。

それ以外にも猪木氏は、クレムリンの要人やロシアの国会議員との会見を通じ、ロシア政治エリートとの対日感情の改善と北方領土交渉の基盤整備のために努力してくれました。

■訪朝を重ねつづけた信念

北朝鮮との関係でも猪木氏は自らが捨て石になって関係改善をしたいと思っていました。猪木氏だって、北朝鮮の全体主義体制は嫌いです。しかし、「お前たちは嫌な奴らだ」と対話の窓を閉ざしてしまうと、拉致問題の解決も、北朝鮮による核開発に歯止めをかけることができません。

「日本政府には立場があって身動きできないならば、オレが金正恩の懐に飛び込んで何とか誠実に対話ができる回路を作りたい」と猪木氏は私に述べていました。

2013年12月5日夜、私は猪木氏と会いました。ちょうど韓国発で張成沢(金正恩第1書記の叔父)の側近2人が処刑され、本人も失脚したとの報道が流れたときです。猪木氏は北朝鮮から帰ってきたばかりでした。

■日本政府はもっと猪木氏を活用すべきだった

私が「張成沢との会談で何か気になることがありましたか」と尋ねると、猪木氏は、少し考えた後、「そういえば、張成沢は『この困難な時期に、わが国を訪問された勇気を讃えたい。あなたの正しさは歴史が証明するでしょう』と言っていた」とつぶやきました。

アントニオ猪木『闘魂外交』(プレジデント社)
アントニオ猪木『闘魂外交』(プレジデント社)

「歴史が証明する」とは、独裁体制下で政争に敗れた者が最後に語る言葉です。張成沢は、猪木氏に「自分は近く失脚するが、私が正しいことは歴史が証明する」との想いを伝えたのだと思います。日本政府は、猪木氏が持つ北朝鮮の人脈と情報をもっと活用すべきだったと思います。

猪木氏は自己顕示欲が稀薄で、国家と国民のために自分しかできない仕事があるという意識を強く持ち、黒衣に徹することができる人でした。日本政府が立場に縛られて信頼関係を構築することが難しい国家を相手の懐に飛び込むことで日本の国益に貢献したいというのが猪木氏の闘魂外交でした。

猪木寛至先生、どうもありがとうございます。天国でゆっくり休んでください。

----------

佐藤 優(さとう・まさる)
作家・元外務省主任分析官
1960年、東京都生まれ。85年同志社大学大学院神学研究科修了。2005年に発表した『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。『自壊する帝国』(新潮社)で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『獄中記』(岩波書店)、『交渉術』(文藝春秋)など著書多数。

----------

(作家・元外務省主任分析官 佐藤 優)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください