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「ミートボール、小さくなった?」ステルス値上げを疑う消費者の声を石井食品がよろこんだワケ

プレジデントオンライン / 2022年10月24日 10時15分

石井食品が製造・販売する「イシイのおべんとクン ミートボール」 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

弁当のおかずの定番、ミートボールを製造・販売する石井食品が快進撃を見せている。コロナ禍で休校やオンライン授業が増えても、ミートボールの売り上げは右肩上がりだという。発売から48年間売れ続けている理由はどこにあるのか。ノンフィクション作家の野地秩嘉さんが聞いた――。

■「ずっとサイズを変えておりません」

「イシイのおべんとクン ミートボール」で知られるのが石井食品だ。本社は千葉県船橋市にある。同社の売り上げは2021年3月期で91億9234万円。従業員は358人、東証のスタンダード市場に上場している。売り上げのうち、「ミートボール」が占める割合は過半を超えて7割。全国の子どもたち、学生から、大人まで、あらゆる層のお弁当に入っている鶏肉のミートボールが同社従業員の生活を支えている。

ある時、おべんとクンを久しぶりに買ったと思われる客がツイッターで「おべんとクン、だいぶ小さくなっているよね?」という投稿をしたことがあった。石井食品のアカウントを担当している顧客体験デザイン部の広報・池田明子はほほ笑みながら、次のように返事を送った。

「じ、実は……イシイのミートボールはずっとサイズを変えておりません よくこのようなお声を頂くのですが、みなさんが大人になった証拠なのかな、と思って笑顔でツイートを拝見しております笑 みなさんの子どもの頃の記憶に結びついているのは嬉しいです……!」

名解答だ。懐かしくなって、おべんとクンを食べる大人にとっては小さく感じられるのは当たり前のことだ。

こうして、おべんとクンは子どもだけのものではなく、懐かしくなって食べたいと思う大人も手に取る食品になっているのである。

■休校になっても売れ続けている意外な理由

それもあっておべんとクンの売り上げは近年、右肩上がりだ。コロナ禍で在宅勤務、オンライン授業が増え、働く人たちや学生、子どもたちのなかには自宅で昼食を食べる機会が増えたと思われる。それでも、なお、おべんとクンの需要は伸びている。

同社執行役員で営業の統括マネージャーをしている伊藤幸一郎は次のように教えてくれた。

第1営業グループ統括マネージャーの伊藤幸一郎氏
撮影=プレジデントオンライン編集部
第1営業グループ統括マネージャーの伊藤幸一郎氏 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

「現在、ほとんどの小学校、中学校は給食です。保育園は給食、幼稚園もまた過半数は給食になっています。そして、子どもの数が減っているから、おべんとクンの売れ行きは鈍ったのではないかと思う方が多いかもしれません。

しかし、実は別のお弁当需要が生まれているのです。全国で中学受験をする子どもが増えて、塾へ通う小学生が多くなりました。親が塾で食べる夕食のお弁当を持たせるようになったんです」

「また、塾だけでなく小学校低学年の子どもが行く学童クラブは、夏休みになると毎日お弁当を持っていかないといけないんです。そういったお弁当の新しいマーケットが出てきています。

実は、夏休みなんてかつてはもっとも売れなかった月なのに、今は急に伸びたりします。一方、運動会シーズンは稼ぎ時だったんですけれど、コロナ禍で運動会は午前中に終わるようになりました。お弁当を持っていかないから、運動会のシーズンは売れなくなりました」

おべんとクンの場合は消費者の生活状況が変わると売り上げが変化する。ヒットの要因は味、アイデアだけでなく、消費者の生活をつねにウオッチする努力が欠かせない。

■40代、50代がお酒のつまみに

伊藤は「もうひとつ現れたマーケットがあります」と続けた。

「近頃、顕著なのがコロナ禍の買いだめ需要もあるのですが、おべんとクンの1袋のものより、2袋や3袋が束に巻いてある『束もの』が売れています。モニタリングしてみると、最初の動機としてはお弁当用に買うのですが、残りはつまみで食べたり、朝ごはんのおかずに使ったりしているようです。

そして、40代、50代の方たちが子どもの頃に食べたおべんとクンを懐かしがって、お酒のおつまみとして夜に食べている。ミートボールを小さく感じてしまう世代ですね。

温めなくても食べられるんです。例えば僕みたいに遅く帰ってきて、袋をぱっと開けて皿に出してようじでつまみながらビールを飲む。冷めていてもおいしいのがうちのおべんとクンです」

「おべんとクン」はもうすぐ発売50周年を迎える
撮影=プレジデントオンライン編集部
「おべんとクン」はもうすぐ発売50周年を迎える - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■真空パック技術を開発して一気に拡大

おべんとクンが生まれる前の1970年、同社は日本初の調理済み「チキンハンバーグ」を発売し、ヒットさせている。このヒットがなければおべんとクンは生まれていなかった。

同社の顧問でハンバーグの開発に詳しい石澤聖寛(まさひろ)は言った。

「チキンハンバーグを出す(1970年)まで、うちの会社の主力商品は煮豆でした。最初は量り売りでしたけれど、すぐに真空パックの煮豆を売り出したのです。煮豆を真空包装にして販路が拡大したので、その作り方を鶏肉でできないかと思って、最初は鶏のクリーム煮、から揚げを作ったのですが、当時、ブロイラーが高かったので、ふつうの鶏肉を使ったところ、親鶏ですから肉が固い。そこでミンチにしてハンバーグにしたのです」

開発・製造技術プロジェクト顧問の石澤聖寛氏
撮影=プレジデントオンライン編集部
開発・製造技術プロジェクト顧問の石澤聖寛氏 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

石井食品は戦後、つくだ煮の製造からスタートした。それは本社が船橋にあり、つくだ煮にする小魚の調達に地の利があったからだ。その後、煮豆に重心を移す。その際、豆をおいしく炊くだけに力を入れたのではなく、食品包装の技術を高めることを志向した。

ハンバーグ、ミートボールというヒット商品は真空パックという技術がなければ生まれないものだった。

■「おいしい+時短」で爆発的ヒット

石澤は「おっしゃる通りです」とうなずいた。

「真空包装にして、チキンハンバーグと一緒にソースも入れました。うちのハンバーグが出る前にも調理済みのハンバーグはありましたが、それはソースのない単体のハンバーグでした。買った人はハンバーグをフライパンで加熱して、ケチャップやソースをかけて食べたのです。うちのチキンハンバーグは買ってきたら湯煎して温めて、皿に載せたらそのまま食べられます。それで売れたんです」

石澤氏ら
撮影=プレジデントオンライン編集部

チキンハンバーグは爆発的に売れた。1個50円。当時、精肉店でコロッケ1個を買うと30円だったから、鶏肉100%のソース付きハンバーグとしてはお値打ちの価格だったのである。

現在、チキンハンバーグは99円。売り出した時よりもさらにリーズナブルで、1日に2万食から3万食の製造をしている。だが、もっとも売れていた1970年代には1日に65万食も作っていたことがあった。

チキンハンバーグがヒットしたのは、なんといってもソースが付いていたことだ。他社のハンバーグのような手間がかからないから消費者に受けたのである。

このように食のヒット商品について開発者に直接、聞いてみると、「おいしいから」「素材がいいから」といった単純な理由だけで売れたわけではないとわかる。

■アメリカで食べたミートボールに感動

チキンハンバーグは売れていたが、開発者たちは満足していなかった。

チキンハンバーグを横展開して、牛ひき肉、豚ひき肉、鶏肉のミンチを使った商品を次々と開発していったのである。

石澤は言った。

「横展開でいろいろやったなかで、肉団子もあるよねと、肉団子も入ってきました」

これがミートボールの誕生につながるきっかけだ。

ただし、もうひとつ、ミートボールが生まれるきっかけがある。それは当時の社長がアメリカへ行き、ミートボールを食べて、その味に感心して、買う予定のなかったミートボール造りの食品機械を買ってしまったのである。ただし、アメリカの食品機械では大きなサイズのミートボールしか作れなかったため、結局は使えなかった。あらためて機械を開発したという。

1974年、真空パック技術を利用して「イシイの中華風ミートボール」が発売された。鶏肉のミンチを丸くして、油で揚げた後、味付けをする。発売当初の商品は「中華風」の甘酢味であり、おべんとクンのようなトマト味ではなかった。パッケージも緑色を基調としたもので、食品のイメージではなかった。ちなみにチキンハンバーグのパッケージはオレンジ色だ。

■当時は「食卓の主役にならない」と売れず…

また、当時、ミートボールといえばスパゲティの具材で、牛肉を使った高価なそれだった。そして、ハンバーグだったら皿に載せれば夕食の一品になるけれど、甘酢ソースがついたミートボールを皿に載せても、夕食の一品としては成立しがたい。見た目、1個の大きさから、ミートボールはサイドメニューという印象が強い。調理の手間はいらないおかずだが、なかなか家庭の食卓には上らなかったため、売り上げは伸び悩んだのである。

発売から時間がたっても、なかなかヒットには至らなかった。だが、石井食品の営業パーソンはリサーチを繰り返した。すると、売れ行きに波があることがわかったのである。

営業統括マネージャーの伊藤は言った。

「春の4月と秋の9月になるとぐんと売れ行きが伸びたのです。考えてみたら、その時期は小学校、中学校では遠足や運動会などの行事がある。子どもたちがお弁当を持っていく時期です。それで、ミートボールをお弁当に入れているんだとわかりました」

伊藤氏
撮影=プレジデントオンライン編集部

それなら弁当のおかずとして新たに消費者にアピールすればいい。

■しつこい追跡調査を続けてロングセラーに

開発スタッフはミートボールをリニューアルすることにした。ソースを中華風の甘酢味から子どもが好きなトマト味に変え、名称を「イシイのおべんとクン ミートボール」にした。

家庭の食卓に載せるおかずではなく、弁当のおかずとして訴求することにしたのである。

「はい、おかげさまで大ヒットになりました」(伊藤)

こうして、おべんとクンはヒット商品となり、チキンハンバーグに代わる同社の主力商品になった。

おべんとクンは計画的に産まれたものではない。開発したのは石井食品だが、「お弁当のおかずに最適」と考えたのは当時のママたちだ。ママたちが使いだしたことに気づいた同社の社員たちがリニューアルを決め、味付けと名称を変えたからヒット商品になったのである。

それまでは売れ行きがはかばかしくなかったミートボールが、しつこい追跡調査を続けたことで売れるようになった。売れない商品でもちゃんとウオッチするという調査力、そして、市場の変化に対応する力が重要なのである。

■子どもが食べるものはできるだけシンプルに

そして、大切なのはヒットのその後である。

同社の担当者はヒットしてからも持続的な努力を重ねた。原材料、調味料を墨守したのではなく、時代と環境に合わせて少しずつ変え、ヒット商品の寿命を長くしていった。いわば、産み落としたヒット商品を育て上げたのである。そして、今もおべんとクンの進化は続いている。

まず変わった点は主材料の鶏肉だ。

取締役執行役員の八千代工場長、久保啓介は「若鶏に変えました」と言っている。

八千代工場長の久保啓介氏
撮影=プレジデントオンライン編集部
八千代工場長の久保啓介氏 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

「最初の頃は年をとった親鶏を使っていたのですけれど、それだとやっぱり肉が固い。お子さんたちが食べるとなると、やわらかいほうがいいので、戦後、アメリカから入ってきたブロイラーを使うようになりました。100%国産の若鶏です」

若鶏を使いだしてからも進化は続く。長年かけて添加物、卵や乳製品、ショートニング、コショウ、チキンブイヨン、水あめなどをなくした。それでも消費者に同じ味と認識させるのは技術陣の努力があるからだ。

■「引き算の哲学」がヒット商品を育てている

執行役員、統括マネージャーの伊藤幸一郎は言う。

「当社のおべんとクンは80%を超えるリピーターのお客さまに支えられています。POSデータを分析すると、上位購入者が8割以上いるというのが特徴で、それゆえ味を大きく変えるとリピーターのお客さまを裏切ってしまうことになる。それで味付けは大きく変えられません。そこで、材料を安心、安全なものにして、さらに添加物はなくし、調味料も減らしていっています」

おべんとクンを食べるのは子どもたちだ。子どもたちのことを考えて、添加物を排除したのである。

ヒット商品を出した会社だからといって決して順風満帆、前途洋々ということはない。ヒットの法則を詳しく見ていくと、そこには経営の力がある。

石井食品であれば真空包装の技術が出発点だった。その技術を生かしてソース付きハンバーグ、ミートボールを出すことができた。それ以降は経営判断だ。時代環境を見据えて無添加調理を導入し、調味料などを減らしていった。引き算の哲学が、ヒット商品の育て方として成功した。

課題があるとすれば次の時代に向けたヒット商品のリリースだが、これはアイデアや広報宣伝の問題ではない。経営者がどういった方向に会社を向けていくかを決めることだ。そうでないと、なかなかおべんとクンを超えることはできない。ヒット商品の誕生と進化に大きく関わっているのは経営そのものだ。

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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。旅の雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)にて「ゴッホを巡る旅」を連載中。

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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)

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