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結局、昭和の政治のほうがずっとマシだった…「平成の保守」がデタラメな改革を繰り返した根本原因

プレジデントオンライン / 2022年10月19日 9時15分

エドマンド・バーク - 写真=iStock.com/GeorgiosArt

平成の政治改革・構造改革はなぜうまくいかなかったのか。評論家の中野剛志さんは「人間の理性には限界があり、社会は複雑精妙にできている。そこに、2大政党のような単純な制度を導入しても、うまくいかないどころか、悲惨な結果をもたらしかねない」という――。

※本稿は、中野剛志『奇跡の社会科学』(PHP新書)の一部を再編集したものです。

■「保守」の使い方がデタラメな日本

政治勢力や政治信条の分け方に、「保守」と「革新」、あるいは「保守」と「リベラル」というのがあります。

その「保守」の元祖と言われているのが、18世紀のイギリスの政治家エドマンド・バーク(1729-97)です。

1789年にフランス革命が勃発した時、バークは『フランス革命の省察』を著して、フランス革命のあり方を激烈に批判しました。

フランス革命は、ただ王政を打倒するというものではなく、社会を合理的なものへと抜本的に造り変えようとするラディカルな運動でした。

これに対して、バークは、社会を合理的なものへとラディカルに変えようとすること自体に反対し、その理由を雄弁に語りました。

この『フランス革命の省察』によって、バークは「保守主義の父」とみなされるようになりました。

バークが「保守」の元祖となったのは、社会を抜本的に変えることに反対したからです。

ところが、日本では、過去30年間、保守政党と言われる自由民主党や、保守派とみなされる政治家たちが、ラディカルな変化を唱えたり、支持したりしてきました。

彼らの掲げた標語は、「構造改革」だの「抜本的改革」だの「革命」だの「維新」だの「ゼロベース」だの「グレートリセット」だのと、挙げているときりがありません。

それが「保守」だと呼ばれているとバークが知ったら、目をむいたことでしょう。

それほど、日本では、「保守」という言葉の使い方がデタラメなのです。

■人間の理性は不完全で、「抜本的改革」は成功しない

では、本当の「保守」とは、どういった考えなのでしょうか?

『フランス革命の省察』をひもといてみましょう。

そもそも、どうして、バークは、抜本的な改革や革命というものに反対したのでしょうか。

理由は、簡単です。

それは、社会は複雑なものであるのに対して、人間の理性には限界があるからです。

つまり、人間は、社会というものを十分に理解していない。社会だけではなく、1人の人間についてすら、複雑で精妙なので、よく分かっているとはいえません。

普通に考えて、よく分かっていないものを抜本的に改革したところで、それが成功するはずがないでしょう。

バークが革命とか抜本的改革とかに反対したのは、人間の理性というものが不完全であるからという、その一点に尽きます。

■革命は悲惨な結果をもたらす

実際、フランス革命は、自由・平等・博愛の理想を実現するため、社会を抜本的に変えようとしましたが、その結果、政治は不安定化し、社会は大混乱に陥り、挙句の果てには、ロベスピエールによる恐怖政治やらナポレオンによる侵略やら、自由・平等・博愛とはおよそ正反対の結果をもたらしました。

革命は社会に大混乱をもたらす
写真=iStock.com/Nastasic
革命は社会に大混乱をもたらす - 写真=iStock.com/Nastasic

人間が理性で見出した原理・原則に基づいて、社会をゼロから構築しようなどというのは、傲慢極まりないことです。

バークには、それが分かっていました。だから、フランス革命を見て、それが失敗に終わると予見できたのです。

フランス革命以外にも、例えばロシア革命、中国の文化大革命、カンボジアのポル・ポト派による革命など、マルクス主義の理論にしたがって、国家を抜本的に変えようという革命は、ことごとく、悲惨な結果をもたらしてきました。

それは、マルクス主義の理論が、複雑な経済や社会を理解する上では、はなはだ不完全なものだったからです。

■抜本的な改革をやりまくった結果、日本は衰退した

現代の日本でも、1990年代や2000年代、政治、経済、行政から教育に至るまで、「構造改革」という標語の下、さまざまな改革が行われました。

「日本を抜本的に変えないといけない」と叫ぶ改革派の政治家を、国民は支持してきました。「平成」は、構造改革の時代だったといえます。

「平成の構造改革」は失敗に終わった(第9回経済財政諮問会議に臨む竹中平蔵経済財政相と小泉純一郎首相。2001年05月31日撮影。肩書は当時)
写真=時事通信フォト
「平成の構造改革」は失敗に終わった(第9回経済財政諮問会議に臨む竹中平蔵経済財政相と小泉純一郎首相。2001年5月31日撮影。肩書は当時) - 写真=時事通信フォト

しかし、その結果、日本は、どうなったのでしょうか?

衰退の一途を辿っただけです。

平成の時代に行われた一連の構造改革のうちで、成功したものが一つでもあったでしょうか。

日本が衰退したのは、抜本的改革を怠ったからではありません。その反対に、抜本的改革をやりまくったからなのです。

18世紀末に、バークが『フランス革命の省察』で警告したことを理解していれば、こんなことにはならなかったことでしょう。

しかも、繰り返しになりますが、その抜本的改革に邁進してきた自由民主党が、「保守」と呼ばれているという始末ですから、情けない話です。

では、改めて、どうして革命やら抜本的改革やらは、失敗するのでしょうか。

『フランス革命の省察』から、そのポイントとなる箇所を引用しましょう。少し長くはなりますが、実に味わい深いことが書いてあります。

■改革はなぜいつも失敗するのか

『「人間は食べ物を得る権利がある」とか「人間は医療を受ける権利がある」とか、抽象的に論じて何になる! 重要なのは、食糧や医療を実際に提供することなのだ。ここでは哲学の教授連ではなく、農民や医師の手を借りたほうが良いのは明らかだろう。

国家を構築したり、そのシステムを刷新・改革したりする技術は、いわば実験科学であり、「理論上はうまくいくはずだから大丈夫」という類のものではない。現場の経験をちょっと積んだくらいでもダメである。

政策の真の当否は、やってみればすぐにわかるとはかぎらない。最初のうちは「百害あって一利なし」としか思えないものが、長期的にはじつに有益な結果をもたらすこともある。当初の段階における弊害こそ、のちの成功の原点だったということさえありうる。

これとは逆の事態も起こる。綿密に考案され、当初はちゃんと成果もあがっていた計画が、目も当てられない悲惨な失敗に終わる例は珍しくない。見過ごしてしまいそうなくらいに小さく、どうでもいいと片付けていた事柄が、往々にして国の盛衰を左右しかねない要因に化けたりするのだ。

綿密な計画が、目も当てられない失敗に終わることも珍しくない
写真=iStock.com/kazuma seki
綿密な計画が、目も当てられない失敗に終わることも珍しくない - 写真=iStock.com/kazuma seki

政治の技術とは、かように理屈ではどうにもならぬものであり、しかも国の存立と繁栄にかかわっている以上、経験はいくらあっても足りない。もっとも賢明で鋭敏な人間が、生涯にわたって経験を積んだとしても足りないのである。

だとすれば、長年にわたって機能してきた社会システムを廃止するとか、うまくいく保証のない新しいシステムを導入・構築するとかいう場合は、「石橋を叩いて渡らない」を信条としなければならない。』

■「単純明快な政治」がダメな理由

『人間の本性は複雑微妙であり、したがって政治が達成すべき目標もきわめて入り組んでいる。権力の構造を単純化することは、人間の本性に見合っておらず、社会のあり方としても望ましくない。

政治体制を新しく構築するにあたり、物事を単純明快にすることをめざしたと自慢する連中は、政治の何たるかを少しもわかっていないか、でなければおよそ怠慢なのだ。

単純な政府とは、控えめに言っても、機能不全を運命づけられた代物にすぎない。

社会を特定の角度からしか眺めようとしない者にとっては、そんな政府のほうがずっと魅力的に映るだろう。達成すべき目標がただ一つしかないのであれば、たしかに政治体制は単純なほうが良い。

複雑な体制は、いくつものこみあった目標を満たすように構築されており、したがって個々の目標を達成する度合いにおいては劣る。だが社会が複雑なものである以上、「多くの目標が不完全に、かつ途切れ途切れに達成される」ほうが、「いくつかの目標は完璧に達成されたが、そのせいで残りの目標は放りっぱなしになったか、むしろ前より後退した」というよりマシなのである。』

■「複雑さに耐えられない人」が改革を叫ぶ

このように、ラディカルな改革が失敗する理由は、一言で言えば、「社会も人間も複雑微妙だから」ということに尽きます。

中野剛志『奇跡の社会科学』(PHP新書)
中野剛志『奇跡の社会科学』(PHP新書)

社会の複雑さ、人間の微妙さに耐えられない人たちが、抜本的改革をやりたくなるのだと言ってもよいでしょう。

新聞やテレビは、政治や経済をできるだけ単純化して報道しようとします。

テレビの討論番組で、論者の主張が少しでも複雑になると、「分かりにくい!」と一喝して、発言をさえぎるような司会者がいます。

国民も、「日本の政治が悪いのは、誰々が利権を守るために改革を阻んでいるからだ」といった調子の、単純で分かりやすい主張を繰り返す政治家を好む傾向があります。

例えば、1990年代、2大政党制の確立を目指した政治改革が行われ、小選挙区制が導入されました。

2つの大きな政党があって、互いに公約を掲げ、国民は選挙でよい方を選ぶ。選挙に勝った政党が政権を担うが、公約の達成に失敗したら、また選挙をやって、もう一つの政党を選べばよい。

このように、2大政党制は確かに分かりやすい。この分かりやすさを求めて政治改革が行われ、そして、2009年、実際に政権交代が行われ、民主党政権が誕生しました。

しかし、今日となっては、この政権交代を評価する人はほとんどいませんし、2大政党制にすらなっていません。平成の政治は混乱し続けただけで、何の成果も生み出しませんでした。

昭和の政治の方が、ずっとマシだったのではないでしょうか。

政治改革は、どうして失敗したのか。詳細についてはよく研究する必要があるとはいえ、結局のところ、日本の政治というものが、2大政党制を唱えた政治改革論者たちが想定していたよりも、ずっと複雑だったということでしょう。

複雑な現実を想定していなかったのでは、改革が想定どおりにならないのも当然です。

〈参考〉エドマンド・バーク、佐藤健志編訳『【新訳】フランス革命の省察-「保守主義の父」かく語りき』(PHP研究所)、中野剛志『保守とは何だろうか』(NHK出版新書)

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中野 剛志(なかの・たけし)
評論家
1971年、神奈川県生まれ。96年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。2000年よりエディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。01年に同大学院にて優等修士号、05年に博士号を取得。論文“Theorising Economic Nationalism”(Nations and Nationalism)でNations and Nationalism Prizeを受賞。著書は『日本思想史新論』(ちくま新書、山本七平賞奨励賞受賞)、『目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室【基礎知識編】』『全国民が読んだら歴史が変わる 奇跡の経済教室【戦略編】』(KKベストセラーズ)など多数。

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(評論家 中野 剛志)

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