あなたは何の準備もなく突然「老人」になる…古代の哲人が「やりたいことは、今やるべき」と説いた理由
プレジデントオンライン / 2022年10月24日 15時15分
※本稿は、前田速夫『老年の読書』(新潮選書)の一部を再編集したものです。
■古代ローマの哲人セネカの人生観
ローマの哲人にして文人政治家、セネカ(前4~後1―65)の場合はどうか。彼は同じ古代ローマの雄弁家、文人政治家、哲学者であるキケロ(前106―前43)没後の帝政時代初期、カリギュラ帝、ネロ帝が君臨した剣呑な時代を生きた。身辺の波瀾(はらん)万丈は、キケロ以上だったかもしれない。
生まれは、スペインのコルドバ。少年時代にローマに出て、弁論術を学んだ。財務官の地位を得て元老院入りし、法廷での弁論で名声を博するまでは、キケロと同じジグザグの道を歩み、カリギュラの逆鱗(げきりん)に触れることがあって、この時は帝の愛人のとりなしで危うく死を免れた。
次のクラウディウス帝の時代は、陰謀でコルシカ島に流され、8年後に呼び戻されてネロの教育係となり、彼が帝位につくと生涯の絶頂をきわめ、最後はそのネロの犠牲となって自死を命じられる。
これは、歴史家のタキトゥスが著した『年代記』(上下、国原吉之助訳、岩波文庫、1981年)に載るセネカの言葉だが、このあと彼が妻の願いを容れて2人ともに自害するときの模様は、次のように書き留められている。
■「何かに忙殺される人間には何事も立派に遂行できない」
セネカの著書は、岩波書店から全6巻の『セネカ哲学全集』(倫理論集、自然論集、倫理書簡集)が出ていて、うち倫理論集の主なものを順に並べると、『摂理について』『賢者の恒心について』『怒りについて』『幸福な生について』『閑暇について』『心の平静について』『生の短さについて』『寛恕について』『恩恵について』となる。
『生の短さについて』(大西英文訳『生の短さについて他二篇』、岩波文庫、2010年)は、50歳のセネカが、当時の食糧長官パウリーヌスに向けて忠言を与えたもの。いくつか抜き書きすると、こうだ。
われわれの享(う)ける生が短いのではなく、われわれ自身が生を短くするのであり、われわれは生に欠乏しているのではなく、生を蕩尽(とうじん)する、それが真相なのだ。
多くの人間がこう語るのを耳にするであろう、「五十歳になったあとは閑居(かんきょ)し、六十歳になったら公(おおやけ)の務めに別れを告げるつもりだ」と。だが、いったい、その年齢より長生きすることを請け合ってくれるいかなる保証を得たというのであろう。(中略)生を終えねばならないときに至って生を始めようとは、何と遅蒔(おそま)きなこと。
自分は「半ば自由、半ば囚われの身」とキケローは言った。しかし、言うまでもなく、賢者なら、これほど卑屈な名でみずからを形容するようなことはしない。
何かに忙殺される人間には何事も立派に遂行できないという事実は、誰しも認めるところなのである。雄弁しかり、自由人にふさわしい諸学芸もまたしかり。諸々(もろもろ)の事柄に関心を奪われて散漫になった精神は、何事も心の深くには受け入れられず、いわばむりやり口に押し込まれた食べ物のように吐き戻してしまうからである。
■『より善く生きようとして、なおさらせわしなく何かに忙殺される』
職務に追われ、多忙な生活に追われて、人生を短くしている愚。しかし、それ以上に愚かなのは、あれをしなくては、これをしなくてはと、自分から心を忙しくしていることなのだ。
セネカは他の場所で、ローマ皇帝のアウグストゥスさえもが、国務をはじめ、おのれの地位や権力を保持するための活動より、「いつかは必ず自分のために、自分とともに生きる閑暇を得ること」を、人生最大の幸福としていたと記している。そして、老いや死についてはこう述べる。
生きる術(すべ)は生涯をかけて学び取らねばならないものであり、また、こう言えばさらに怪訝(けげん)に思うかもしれないが、死ぬ術は生涯をかけて学び取らねばならないものなのである。
誰もが現在あるものに倦怠感(けんたいかん)を覚えて生を先へ先へと急がせ、未来への憧(あこが)れにあくせくするのである。だが、時間を残らず自分の用のためにだけ使い、一日一日を、あたかもそれが最後の日ででもあるかのようにして管理する者は、明日を待ち望むこともなく、明日を恐れることもない。
それゆえ、誰かが白髪であるからといって、あるいは顔に皺(しわ)があるからといって、その人が長生きしたと考える理由はない。彼は長く生きたのではなく、長くいただけのことなのだ。
人は、より善く生きようとして、なおさらせわしなく何かに忙殺される。生の犠牲の上に生を築こうとするのだ。
何かに忙殺されている人間のいまだ稚拙(ちせつ)な精神は、不意に老年に襲われる。何の準備もなく、何の装備もないまま、老年に至るのである。
われわれが起き伏し、同じ歩調でたどる生のこの旅路、やむことなく続き、矢のごとく過ぎ行くこの旅路は、何かに忙殺される者には、終着点に至るまで、その姿を現さない。
過去を忘れ、今をなおざりにし、未来を恐れる者たちの生涯は、きわめて短く、不安に満ちたものである。終焉(しゅうえん)が近づいたとき、彼らは、哀れにも、自分がなすところなく、これほど長いあいだ何かに忙殺されてきたことを悟るが、時すでに遅しである。
彼らは、忙殺されていた何かに見離される時がいつかやって来れば、閑暇(かんか)の中に取り残されて狼狽(ろうばい)し、その閑暇をどう処理してよいのか、その閑暇をどう引き延ばせばよいのか、途方に暮れるのである。
![シニア男性](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/d/0/1200wm/img_d04e89227498125edbdf0045140d120c392272.jpg)
■他人のために生きるほど惨めな人生はない
あとは、結論部を引くだけでいいだろう。
親愛なるパウリーヌス、そういうわけだから、俗衆から離れるがよい。そうして、その年齢にはそぐわないほど多くの出来事に翻弄(ほんろう)されてきた君も、ようやく静謐(せいひつ)の港に帰りつくがよい。考えてみたまえ、君はどれほど多くの激浪に遭遇したことか。私人としての生活の中で、どれほど多くの嵐に耐え、公人としての生活の中で、どれほど多くの嵐を招来したことであろう。たゆみない労苦に満ちた試練を克服してきたことで、今や君の徳性は十二分に実証されている。その徳性が閑暇の中でどのような働きをするか、試してみることだ。君の人生の大半が、いや、少なくともその最良の時期が国家に捧げられた。君のその時間の幾許(いくばく)かを君自身のためにも使いたまえ。(中略)
何かに忙殺される者たちの置かれた状況は皆、惨(みじ)めなものであるが、とりわけ惨めなのは、自分のものでは決してない、他人の営々とした役務のためにあくせくさせられる者、他人の眠りに合わせて眠り、他人の歩みに合わせて歩きまわり、愛憎という何よりも自由なはずの情動でさえ他人の言いなりにする者である。そのような者は、自分の生がいかに短いかを知りたければ、自分の生のどれだけの部分が自分のものであるかを考えてみればよいのである。
■ぼろぼろになって働き、ようやく自由を得たと思ったら人生の終点
パウリーヌスのように、食糧長官といった立派な職や地位についていたわけではないけれど、会社生活の大半をひたすら他人のために尽くしてきた私たちだから、一つ一つ骨身に染みてこたえる。けれど、だからといってほかにどうできたというのか。
![前田速夫『老年の読書』(新潮選書)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/1/e/1200wm/img_1e98111f50fd35403c7e7e1b029edf87142364.jpg)
私の場合は、60歳定年で自動的に職務からは解放されたが、現在では一般に65歳になっても、70歳になっても、働かざるをえないし、働かされるのが実情で、仕事があるので恵まれているどころの話ではない。ぼろぼろになるまでこき使われ、ようやく自由になると、目の前は終点である。つまり、自分からいよいよ人生を短くしているだけのことなのだ。
結論部でセネカが後輩のパウリーヌスに対し、すぐにも職を辞して、自然や無限の神秘についての研究に入ることをすすめているのは、ストア派哲学の泰斗でもあった彼ならでは。この派の代表には奴隷出身の解放自由民エピクテトス、陣中で『自省録』を著わしたローマ皇帝のマルクス・アウレリウスらがいて、全盛期を迎えようとしていた。
もう一方のエピクロス派の実践が、人生の「快」を追求する快楽主義だったのに対して、ストア派は普遍妥当な理性を堅持する禁欲主義を唱道した。この派は学祖ゼノンにならって、自殺を人間として己を克服する、あるべき選択の一つとして認めており、セネカの場合もそれに従ったものとみえる。同時代、ローマには民衆のあいだにキリスト教が広まり始めていた。こちらは断じて自殺を許さないから、相違が際立つ。
■『立ち止まってじっくり自分との時間を過ごす』
ちなみに、このセネカは『生の短さについて』以外の著作でも、老年や死についてさまざまな箴言を残しているが、ルーキーリウスへ宛てた『倫理書簡集』の冒頭近くでは、「一時間たりとも無駄に費やさぬこと」と書いたそのすぐあとで、多読の害を戒めてこう忠告している。
私たちも、この忠告を忘れないでおこう。
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民俗研究者
1944年、福井県生まれ。東京大学文学部英米文学科卒。文芸編集者として車谷長吉氏や平野啓一郎氏をはじめ多くの作家を担当。元『新潮』編集長。主な著書に『異界歴程』『余多歩き 菊池山哉の人と学問』(いずれも晶文社)、『白の民俗学へ』(河出書房新社)、『古典遊歴』(平凡社)などがある。
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(民俗研究者 前田 速夫)
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