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なぜJリーグの収益は2倍に増えたのか…村井チェアマンが「週1の朝礼」で経営チームに伝えたこと

プレジデントオンライン / 2022年10月25日 10時15分

2014年にJリーグチェアマンに就任し、2022年3月に退任した村井満さん - 撮影=奥谷仁

Jリーグは今年、発足から30周年を迎えた。2021年度の営業収益は1240億円で、8年で2倍以上に増えている。その立役者が、2014年にチェアマンに就任し、4期8年務めた村井満さんだ。任期最終年の2021年には、毎週1枚の色紙を用意して、朝礼を開いた。34節34枚の色紙の狙いを、ジャーナリストの大西康之さんが聞く――。(第1回)

■プロにならなくても、サッカーが大好きだった

——第1回の色紙は「始動力」。文字通り解釈すれば「始める力」ですね。なぜJリーグチェアマン最後の1年に朝会を始めようと思われたのか。もっと遡れば、そもそもリクルートの役員だった村井さんがなぜJリーグのチェアマンになったのか。この辺りからお話を聞かせてください。

【村井】まあ話せば長い、ということになるのですが。私、埼玉県川越市出身で県立浦和高校のサッカー部でした。ポジションはゴールキーパーです。県大会でベスト4、ベスト8に進むまずまずの強豪でしたが、私自身のプレイヤーとしてのキャリアはそこまで。

ただやっぱりサッカーは大好きで、その後、浦和に住んだこともあって浦和レッズの試合を観戦するようになりました。開幕以来、Jリーグの社外理事になるまでは、年間シーズンチケットを買って毎試合行っていましたし、多くのアウェーにも出かけていました。

【連載】「Jの金言」はこちら
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大学を出てリクルートという会社に入りまして。主に人材サービスの仕事をするわけですが、相変わらずサッカーは好きで、1993年のW杯アメリカ大会予選あたりからは仕事をほっぽらかして海外に遠征していました。97年のW杯フランス大会アジア予選では、ジョホールバルで日本代表のW杯出場決定の瞬間を見届けていました。地元の浦和では「Jリーグの理念を実現する市民の会」なるものを作り、そこの理事などをやっていました。

■やがて選手のセカンドキャリアを手伝うようになり…

——2008年にはJリーグの理事に就任しています。きっかけは?

【村井】その少し前から、Jリーグ選手のセカンドキャリアというのが問題になっていて。サッカーは選手寿命が短いですから、早ければ20代後半、ほとんどの選手が遅くとも40歳を迎える前に引退します。子供の頃からサッカーしかやってこなかった彼らが、その後、どうやって人生設計していくか。リクルートが就職斡旋のノウハウを使ってお手伝いするようになり、その事業会社の社長だった私が非常勤の理事になりました。

——Jリーグの理事は15人前後もいて、そこから選ばれる歴代チェアマンは初代の川淵三郎さんを筆頭に元日本代表クラスのトップ選手ばかりです。私は『起業の天才! 江副浩正8兆円企業リクルートをつくった男』(東洋経済新報社)を書いたので、元リク(リクルートのOB、OG)の経営手腕を知っていますが、世間から見れば一介のサラリーマンに過ぎない村井さんがチェアマンになるというのは、かなりの驚きでした。

【村井】ですよね。実はこれ、チェアマンになってから語ることはなかったんですが、一つの縁があったように思います。実はチェアマンに指名される前の年の2013年に、「Jリーグの理念を実現する市民の会」で川淵さんに講演をお願いしたんです。浦和のパルコに来てもらいまして。400人くらい集まりました。

■あまりの感動に2時間分をすべて“写経”した

川淵さんはなんでJリーグを立ち上げようと思ったのか。Jリーグを立ち上げることで、日本の景色をどう変えようと思っていたのか。そんな話を2時間みっちりしてもらって。あんまり感動したので、そのテープを全部書き起こしたんです。もう写経ですよ。一字一句、書き写すことで川淵さんが考えていたJリーグの理念が自分の頭の中に叩き込まれました。

フィールドの浅い深さで子供サッカートレーニングマッチの画像。フォアグラウンドに焦点を当てます。
写真=iStock.com/Bigandt_Photography
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Bigandt_Photography

せっかくなんで、その書き起こしを川淵さんのところに持っていった。そしたら「これはすごいね」と喜んでくれて。

Jリーグには「指名委員会」があって新しいチェアマンはそこが選びます。川淵さんは委員会に入っていないので直接的には無関係。私は委員会のメンバーで前任者の大東和美さんから委員会の総意として内示を受けたのです。それが真実。

でも、この前、チェアマンを退任した後、川淵さんにお聞きしたんです。私の就任のタイミングあたりで次のチェアマンをどのようにお考えだったのかと。川淵さんはパルコの講演は、はっきりと覚えていらっしゃいました。そしてビジネス界での経験を持つ私の就任を好意的に受け止めてくださっていたようです。

■34回もの「朝会」を通じて職員に伝えたかったこと

——村井さんから見て、川淵さんはどんな方でしょうか。

【村井】まさに「始動力」の方だと。この言葉は、明治のキリスト教学者、内村鑑三が英語で書いた『代表的日本人』という本の中に登場します。内村はこの中で西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳らを取り上げていますが、西郷隆盛を称して「始動力」の人だと紹介しています。時代を変える「スタートのピストルを打つ人」として描かれているのです。

このゼロからのスタートというのが一番力を必要とします。反発を受けるし、批判もされる。川淵さんは単にサッカーのプロリーグを立ち上げるというだけでなく、スポーツを通じて日本に豊かな社会を作ることを目指された。

【村井】Jリーグは今年で30周年になるのですが、30年前に打ち出した「百年構想」の中には「地域創生」や「サステナビリティ」のコンセプトがしっかり入っている。今でこそ当たり前に語られますが、当時はほとんど提唱する人はいなかった。それでも多くの人を巻き込んで「やろう」と始動したのは、やはり日本を変えたいという強い思いがあったからだと思います。そして、Jリーグの職員には、Jリーグには「始動力」のDNAが刻み込まれていることを伝えたかったのです。

撮影=奥谷仁
撮影=奥谷仁

■自分の足りないところをあえて人目にさらす

——そんなJリーグの理念を現場にきちんと伝えるのが朝会の狙いだったと思いますが、どうしてこれを始めようと思われたのですか?

【村井】これはJリーグに「役員の360度アンケート」というのがありまして。チェアマンの僕の場合、同僚の役員や本部長、部長などから私の経営力や執務態度などに関して採点、評価してもらうわけです。ちなみに僕がいたリクルートでは、創業者の江副浩正さんも部下からの評価を受けていました。

自分が思う自分の姿と他人が見る自分の姿は随分と違う。自分を正すには鏡を見なくちゃダメなんですね。Jリーグ全クラブの経営者からも毎年1回、無記名で評価をいただき、結果を公表していました。私はいつも「魚と組織は天日にさらすと日持ちが良くなる」と言って、これを「天日干し経営」なんて呼んでますが、人の目にさらすというのはつらいけど、必要なんです。

で、僕の場合、社内アンケートで課題は「掌握力」と「受容性」であるという結果が出ました。メンバーがどんな仕事をしているかちゃんと把握しているかというのが掌握力。人の気持ち、痛みや苦しみをちゃんと感じているかというのが受容性。現場は「もっと村井さんと話したい」もしくは「村井さんが何を考えているかちゃんと聞きたい」という。じゃあ「朝会」で私の経営観を語ろうか、と。

■「何かをやり続けよう」そう決意して始めたのは…

——「じゃあ」とすぐに行動に移すところが、いかにも元リクですよね。

【村井】僕の場合、お客さんに教わった部分もありますね。リクルート時代に人材サービスのお客さんで「ツカサのウィークリーマンション」で知られるツカサグループ元社長の川又三智彦さんとお会いする機会があって。

——「ヨンヨン、マルマル、ワンワンワン。ツカサのウィークリーマンション」のコマーシャルに出ていた人ですね。

そうそう。その川又さんのネクタイピンには小型のマイクがついていて、何か思いつくとすぐ録音するんです。

【村井】「僕は頭が悪いから、こうしないとすぐ忘れちゃうんだ」なんておっしゃっていましたが、「でもこれのおかげで、読みたい本100冊、これまで見た映画。全部、言えるよ」と。やり始める、やり続けるってすごい事だと思うんです。

それで僕はアドバイスをもらい1年間、ハガキを書くことにしたんです。

■「意味があるのか」を考える前にまず走れ

——ハガキですか? 誰に?

【村井】総理大臣や大企業の社長。日本経済新聞を読んで「あなたはこう言っているが、自分はこう思う」みたいな。もちろん返事なんか来ませんよ。本人の手に渡る前に事務局で捨てられちゃうでしょ。でも書いているうちに、自分とは縁のない別の世界の人だと思っていた相手が浮かび上がってくる。きっと今頃はこんな風に思っているんだろうなと、総理大臣が友達に思えてくる。すると自分の世の中の見方が変わってくるんですよね。

——面白いなあ。

【村井】なんの役に立つのか。そもそも意味があるのか、ないのか。人は始める前に考えてしまいがちですが、川淵さんは「走りながら考える」という概念を提唱されました。失敗を恐れずに、まずはやってみよう。新しい概念を打ち出せば、批判や反発は当然ある。でも始めなければ何も変わらない。最初から全員が賛成することなんて、ほとんどの場合どうでもいいことなんです。

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大西 康之(おおにし・やすゆき)
ジャーナリスト
1965年生まれ。愛知県出身。88年早稲田大学法学部卒業、日本経済新聞社入社。98年欧州総局、編集委員、日経ビジネス編集委員などを経て2016年独立。著書に『東芝 原子力敗戦』ほか。

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(ジャーナリスト 大西 康之)

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