「マーケ部の人材はレベルが低い」部下への批判に"キリンの半沢直樹"が返した痛快なひと言
プレジデントオンライン / 2022年10月29日 10時15分
■厳しかったが部下を守る上司だった
「出る杭は打たれる」のは世の常である。
数多くのヒット商品を世に出し、天才マーケターと謳われた前田仁(ひとし)(1950~2020年)も、その例外ではなかった。
キリンの戦後最大のヒット商品「一番搾り」を開発したにもかかわらず、発売直後の1990年3月に閑職に追われ、その後、子会社に左遷。雌伏の時は7年半に及んだ。
その間、低迷を続けたキリンは、97年に前田を本社に呼び戻す。約50人が所属する商品開発部(マーケ部)の部長として。
本社の最年少部長となった前田は、復帰からわずか4カ月で「淡麗」を開発し大ヒット。その後も「氷結」「のどごし〈生〉」などのヒット商品を連発する。
その波乱万丈なマーケター人生を拙著『キリンを作った男』にまとめたところ、読者から「半沢直樹のような物語」という声がいくつもあがった。巨大組織のパワーゲームの中で信念を貫きながら逆境を乗り越え、結果を出し続けた前田の姿が、多くのビジネスパーソンの共感を得た企業ドラマの主人公を彷彿させたのかもしれない。
そんな前田が今も多くの部下たちから慕われているのは、マーケターとして実績を出し続けたという理由だけではないだろう。
上級管理職として多くの部下を育てた前田は、決してやさしい上司ではなかった。むしろ、部下を叱責することもある厳しい上司だった。だが、つねに部下の働きぶりを見ていて、いざという時には、たとえ自身が損をしても、社内の批判から“部下を守る”上司でもあった。
■会議室が静まり返った前田のひと言
前田がマーケティング部長の時に、経営会議の席上でこんなやりとりがあった。
「マーケティング部のブランドマネージャーは、レベルが低いのではないか。他の消費財メーカーと比べてね……」
スタッフ部門の常務執行役員がこんな発言をする。すると、間髪を入れずに前田は毅然と言い放つ。
「何を言うのです。ウチの林田(昌也・後にマーケティング部長)、上野(哲生・淡麗グリーンラベルの開発責任者)、そして山田精二(一番搾りとハートランドのブランドマネージャーを経験)。この3人は、食品でも日用品でも、どこの消費財メーカーに出してもエースになれる逸材です」
視聴率目当てのビジネスドラマならともかく、社長をはじめ役員が居並ぶ経営会議の場で、役職が上の常務に食ってかかる部長など、そうザラにはいないだろう。だが、これは現実にあった話である。
2000年代前半の出来事だったが、当時キリンの経営会議に出席を許されるのは、ラインの部長以上(現在は職能資格の主幹以上)。
キリンというよりも、食品業界のヒットメーカーであるカリスマ・前田の反論に、会議室は静まりかえり、緊張感がさざ波のように押し寄せたそうだ。
社内の序列や社歴など、どこ吹く風。一言居士の前田は、この日も自分の考えを素直に吐いた。そして、部下を守った。
もっとも、前田の意見がすべて正しいとは限らない。対立する意見が出てこそ、健全で健康的な会社組織といえよう。キリンは、オーナーのワンマン企業ではないのだから。
ライバル社に比べて、新商品のヒットは出るのに、全体のシェアが上がらないことから、常務は既存商品のブランドマネジメントが弱いと、指摘したかったのだろう。
一方、前田がズバリと言わなければ常務の発言により、マーケ部への風当たりは強くなっていく。新商品開発や既存商品のブランド管理を行うマーケターは花形職種。マーケ部を希望する社員は多く、その分マーケ部およびマーケターへの社内の風当たりはどうしても強くなる。
前田は部下を守るリーダーだった。経営会議の席上でも、実名を出して、その実力のほどを明言できる上司だったのだ。部下の実力を判断できなければ、言い切れない。
■自社でしか通用しない会社人間になるな
一方で前田は部下に対して、社外でも通用する人材になれ、と指導していた。
マーケ部長時代に前田は、部下の山田精二に問うた。
「自分について書かれた新聞や雑誌の記事を、スクラップしているか?」、と。
「していませんよ。なんか恥ずかしいし……」
「アホやなぁ、お前。転職をするときに、履歴書にキリンで何をやったかを細かく書くよりも、記事のスクラップブックを見せた方が説得力は断然強い」
「僕を転職させるつもりなのですか、前田さん……」
「そうやない。キリンという会社の中だけではなく、世の中で通用するプレーヤーにお前がなることが大切、ということなんや。値段がつく、つまり価値が認められるプレーヤーにならなければ、本当は意味がない」
「しかし前田さん、みんな値段がついたら、キリンに人がいなくなっちゃいますよ」
「いいや、外から誘いがくるような優秀なプレーヤーを引き留めるため、キリンも魅力的な会社にしようと努力し工夫する。こうした緊張関係が、個人も会社も強くするんや。だから、外でも通用する人材は、多い方がいい。会社の中だけで通用する人材には価値はないし、そんな人間しかいない会社に明日はない」
自社でしか通用しない会社人間になるのではなく、自立した強い個となることを、前田は山田たち部下に求めた。
■他部署の人間にネクタイをプレゼント
キリンホールディングスの執行役員を務めるHは、もう10年以上も前だが、新商品発表の広報を担当していた。会見の準備やその仕切り、ニュースリリースの文案作成などを、マーケ部長だった前田は高く評価。後日、前田はHにネクタイをプレゼントする。
いま、Hは言う。
「イルカの図柄が入った、前田さんらしいユニークな逸品でした。もったいなくて、一度も使ってません。家宝なんです。それでも、つらいことがあるとタンスをそっと開き、そのイルカのネクタイに触れる。“あの前田さんに、自分は認められたんだ”と、気持ちを立て直すのです」
前田のネクタイプレゼントは、社内の広範囲に行われていた。前田家の長女・亜紀が振り返る。
「休みの日に、父と母は連れ立って隣町のセレクトショップに行って、ネクタイを買っていました。いつも母が選んでました」
男性が他者のネクタイを選ぶのは難しい。なので、妻の泰子が見立てていたようだ。また、ネクタイ代は前田の財布で賄われていたのは、言うまでもない。
自費であっても、前田はいつも“生きた金”として使っていた。
■ギブ・アンド・ギブの人
一般論だが、会社にはろくでもない上司はたくさんいる。部下の手柄を横取りする者、責任を部下になすりつける者、上へのウケだけを狙い下を軽く見る者、高い地位により接待を受け続け庶民感覚が麻痺している者……。
上司としての前田は、仕事上では部下に厳しかった。しかし、人を育てた。さらに、マーケ部以外の部署の社員の働きぶりまで、よく見ていた。そして自分なりに評価し、自費でネクタイを贈っていた。部門の垣根を越え、全体を見渡せる度量をもっていたと言えよう。
このためか、前田の周りには、社内外を問わずいつも人が集まっていた。支持率は高いのである。特に、下から足をすくわれることは、前田にはなかった。
マーケ部は代理店との関係は深く、何かと誘惑は多い。だが、前田はゴルフをはじめ、“夜の銀座”など接待を一切受けなかった。取引先からの中元や歳暮でさえ実質的に受け付けなかった(1万円の歳暮が業者から贈られると、同等金額のモノを自腹で購入して送り返していた)。公私の別を徹底させていたのだ。
![永井隆『キリンを作った男』(プレジデント社)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/4/a/1200wm/img_4a4426a3ad655e109fcfb3bf6d02e54096344.jpg)
常に清廉であり続け、会社という枠を超え世間で通用する実力をもつ。支持率の源泉は、その人に力(価値)があるということであり、前提は私欲をもたない人柄であろう。私欲に溢れた一言居士など、信用されない。
営業専門会社だったキリンビールマーケティング副社長を務めた真柳亮は、前田を師と仰ぐ。「ジンさん(前田のこと)は、ギブ・アンド・テイクではなく、ギブ・アンド・ギブの人。人が集まってきた。そして人を育てた」と真柳は話す。
ヒットメーカーという実績に加え、こうした廉潔な生き様は、部門を超えて多くの前田信奉者を生成した。
不思議な魅力があった前田は多くの人に慕われていた。時には部下を叱責するような厳しい上司だったにもかかわらず、前田の部下として働いた人の多くが今も彼への敬愛の念を隠さないのは、その証左だろう。
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ジャーナリスト
1958年、群馬県生まれ。明治大学経営学部卒業。東京タイムズ記者を経て、1992年フリーとして独立。現在、雑誌や新聞、ウェブで取材執筆活動をおこなう傍ら、テレビ、ラジオのコメンテーターも務める。著書に『キリンを作った男』(プレジデント社)、『サントリー対キリン』『ビール15年戦争』『ビール最終戦争』『人事と出世の方程式』(日本経済新聞出版社)、『国産エコ技術の突破力!』(技術評論社)、『敗れざるサラリーマンたち』(講談社)、『一身上の都合』(SBクリエイティブ)、『現場力』(PHP研究所)などがある。
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(ジャーナリスト 永井 隆)
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