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高齢化問題の処方箋がここにある…90代が生涯現役で働く「瀬戸内海の小さな離島」の名前

プレジデントオンライン / 2022年10月29日 10時15分

まめな食堂のキッチンで料理中の更科安春氏 - 筆者提供

高齢化問題を解決する方法はあるのか。瀬戸内海に浮かぶ大崎下島(おおさきしもじま)では、限界集落で「介護のない社会」を目指すプロジェクトが進んでいる。その中心にいるのは行政ではなく、ビジネスで社会課題を解決する「社会起業家」だ。ジャーナリストの牧野洋さんがリポートする――。(第7回)

■限界集落で進む「まめなプロジェクト」

過疎対策のために1980年代のイタリアで生まれた「アルベルゴ・ディフーゾ」。空き家など地域に残る資産を活用して、昔ながらの街並みを維持しながら地方創生を図るプロジェクトだ。

直訳すればアルベルゴは「宿」、ディフーゾは「分散」を意味する。集落内にある無数の空き家をホテルとして活用すれば、集落全体が一つの「分散型ホテルシステム」となって観光客を呼び込める――これがアルベルゴ・ディフーゾの狙いだ。

これをモデルにして日本の限界集落で立ち上がったソーシャルエンタープライズ(社会的企業)がある。「まめなプロジェクト」だ。

「きょうのランチはサーモンのムニエルかチキンのグリルですけれども、どちらにいたしますか?」――。まめな食堂に現れた更科(さらしな)安春はエプロン姿だった。

ロマンスグレーの髪の毛に黒縁の眼鏡。いつも笑顔を絶やさず、気さくな67歳だ。時間があればまめな食堂にやって来て台所に立ったり、注文を取ったりしている。

■「お化け屋敷」が和風モダンな食堂に

廃虚同然の状態にあった旧医院を改修して今年1月にオープンしたばかりのまめな食堂。「和風モダン」と呼んだらいいのだろうか、緑豊かな田園風景に見事に溶け込んでいる。数年前まで「まるでお化け屋敷」と言われていたのがうそのようだ。

ここは瀬戸内海に浮かぶ大崎下島の久比(くび)地区。行政区分上は工業都市の広島県呉市に属するものの、別世界だ。多島美をバックにするサイクリングロード「とびしま海道」沿いにあり、レモンやミカンなど柑橘類の一大産地に位置している。

とびしま海道の地図

65歳以上の人口の割合を示す高齢化率が7割前後に達する限界集落でもある。世界の中で高齢化がトップスピードで進む日本の中でも際立っている。いずれやって来る超高齢化社会の縮図だ。

■人口より訪問者のほうが多い久比地区

まめな食堂は地元の野菜を使って手作りの料理を提供している。昼食なら1食500円とお手頃価格。地元住民はもちろんのこと、とびしま海道を訪れるサイクリストの間でも人気だ。地域外からさまざまな人たちを呼び込むエンジンになりつつある。

「和風モダン」を感じさせる、まめな食堂の内部
筆者提供
「和風モダン」を感じさせる、まめな食堂の内部 - 筆者提供

まめな食堂を会場にして音楽会も毎月開催されている。今年5月には呉出身のユーフォニアム奏者とピアニストの2人が訪れ、地元住民のためにバッハやモーツァルトなどクラシックを演奏した。入場料無料、寄付歓迎。コンサート会場が皆無の久比にとってミュージシャンの生演奏は画期的なイベントとなっている。

地域活性化を裏付けるデータもある。久比は人口400人強の小村であるというのに、若者や外国人を含めて毎年500人以上の訪問者を引き寄せるようになった。地域に定住していないながらも地域と深い関係を持つ「関係人口」を増やし、まさにアルベルゴ・ディフーゾを実践しているといえる。

■イッセイミヤケで磨いた経営センス

東京生まれ東京育ちの更科も関係人口に含まれる。東京と久比を往来する二拠点生活者なのだ。

定年退職して田舎にも拠点を設け、悠々自適に暮らす年金生活者なのか? 違う。「介護のない社会」の実現をビジョンに掲げて久比にやって来た社会起業家(ソーシャルアントレプレナー)だ。ばりばりの現役である。

ビジョン実現のためのツールがソーシャルエンタープライズの「まめな」だ。3年前に久比を本部にして発足した一般社団法人であり、まめな食堂の運営主体でもある。

久比を舞台にした壮大な社会実験と位置付けることも可能だ。新たな仕組みを導入して地域の課題を明確にし、将来に役立てるわけだ。ただ、更科は社会実験とは捉えていない。あくまで「相互扶助コミュニティー」の創出を掲げ、久比の活性化に全身全霊を注ぐつもりなのだ。

営利企業と同様にソーシャルエンタープライズでも経営センスは不可欠。更科が経営センスを磨いた場所はイッセイミヤケだった。そう、8月に死去した世界的ファッションデザイナー、三宅一生が設立したデザイン会社である。奇しくも三宅は瀬戸内――広島市――出身だ。

更科はバブル絶頂期の1989年から2000年まで11年間にわたってイッセイミヤケを支えた。最初は総務や人事、広報など間接部門、最後は直接部門のブランドを担った。2000年に三宅が第一線から引退するのに合わせてIT(情報技術)企業インディゴへ転職している。

「あと何年働けるか分からないけれども、自分の知見や経験を『まめな』のためにすべて使いたい。久比をパイロットプロジェクトとして位置付けて、理想的には全国展開できればと思っています」

■「小さな離島で起業するなんて面白そう」

「まめな」を語るうえで欠かせない人物がもう一人いる。更科を久比へ導く役割を演じた若手起業家だ。

小さな離島で起業するなんて面白そう――。2018年春、更科は投資会社ミスルトウ(Mistletoe)の一員としてプレゼンを聞いているうちに、居ても立っても居られなくなった。

目の前でプレゼンをしていたのが当時30代半ばの起業家、三宅紘一郎(デザイナーの三宅とは親戚関係にない)。広島・呉出身。とびしま海道の一角で日本酒ベンチャー「ナオライ」を創業し、有機栽培のレモンを使ったスパークリング酒「ミカドレモン」を発売したばかりだった。

ナオライ創業者の三宅紘一郎さん
ナオライ提供
ナオライ創業者の三宅紘一郎氏 - ナオライ提供

ナオライの創業地は三角島(みかどじま)。同島は大崎下島の対岸にある離島であり、ここも久比に含まれる。

■2人の起業家がつながった瞬間

ミスルトウでは当時、さまざまなプロジェクトが同時並行で走っていた。その一つが「リビングエニウェア(LivingAnywhere)」。好きな場所でやりたいことをしながら暮らすライフスタイルをうたうプロジェクトで、後に不動産情報サービス大手LIFULL(ライフル)へ引き継がれて部分的に事業化されている。

三宅のプレゼンを聞いているうちに、更科はひらめいた。リビングエニウェアの候補地として瀬戸内は最適かもしれない!

善は急げ。「久比に一度行ってみたいな。ナオライがどんな活動をしているのか見てみたいし、久比がどんな所なのかも見てみたい。案内してもらえますか?」

三宅は二つ返事で答えた。「喜んでご案内します!」

■生涯現役の高齢者で活気があふれる久比

更科は最初の久比訪問で大きなショックを受けた。介護を必要とする高齢者で町中があふれ返っていたからではない。生涯現役で頑張る高齢者の存在で町全体が活気に満ちていたからである。

東京に生涯現役の高齢者がどれだけいるだろうか。1980年代に就職し、サラリーマンとして会社に人生をささげてきたバブル世代をイメージしてみよう。定年退職をきっかけに社会との接点を突如として失い、見る見るうちに老け込んでいくというのが通り相場ではないのか。「人生100年時代」となれば定年後は数十年も続くのに、である。

レモン畑に向かう山道で軽トラをすいすいと運転するおじいちゃん、急斜面のミカン畑に立ってきびきびと作業するおばあちゃん――。久比訪問中に更科が出会った高齢者はそろって元気で、誰もが現役で働いていた。70代・80代はもちろん90代も含めて。

更科は「おじいちゃん・おばあちゃんが目的をもって働いている。毎日体を動かし、おいしい物を食べ、コミュニティーの一員としていろいろな人たちと触れ合っている。ここにお手本があると確信しました」と振り返る。「目指すべきなのは介護のない社会。ピンシャンコロリで人生を全うできれば介護は不要です」

急ピッチな高齢化を背景に医療費・介護費が膨れ上がっている日本。2021年度には介護費用は初めて11兆円を突破している。老人の大半がピンシャンコロリで旅立てるようになれば、理屈のうえでは医療費・介護費は激減する。

■お化け屋敷のような旧医院に一目ぼれ

久比訪問中には元気な高齢者以外にもう一つ大きな出会いがあった。かつて地元の医療を支えていた旧梶原医院である。

木造2階建ての旧医院は激しく老朽化し、伸び放題の草木に囲まれていた。長らく使われないままで放置されていたためだ。「まるでお化け屋敷」と言われていたほどである。

だが、更科は旧医院に一目ぼれしてしまった。ここを舞台にして「介護のない社会」をつくってみたい!

改修を終え、周囲の景観の溶け込む旧梶原医院。現在はまめな食堂として交流の場になっている
筆者提供
改修を終え、周囲の景観の溶け込む旧梶原医院。現在はまめな食堂として交流の場になっている - 筆者提供

■「土地も建物もすべて差し上げます」

その後、毎月のように久比を訪れるようになった。その際には三宅に加えて久比出身の元研究者・梶岡秀(ひでし)とも会い、語り合った。梶岡はレモンの有機栽培に絡んで三宅を支援しているだけでなく、久比の再生に人生をささげているだけに、相談相手として最適だった。

そのうち旧医院を利用する構想がトントン拍子で具体化していった。というのも、梶岡人脈の中に旧医院のオーナーである梶原四郎が含まれていたからだ。梶岡は幼いころに梶原と同じ小学校に通い、クラスメートだった。

現在は広島県の本州側で総合病院を経営する梶原。梶岡の紹介で更科に会うと、「地域のためになるのであれば」と言って「介護のない社会」構想に賛同した。「亡き父も喜ぶと思います。賃貸だと手続きが面倒だから、土地も建物もすべて差し上げます。自由に使ってください」

■ボランティア活動がエンターテインメントに

その後、更科、三宅、梶岡の3人は意気投合。そして2019年3月に旧医院を本部として「まめな」を設立し、それぞれが共同代表に就任した。

「まめな」の共同代表3人。左から更科さん、三宅さん、梶原さん
まめな提供
「まめな」の共同代表3人。左から更科氏、三宅氏、梶原氏 - まめな提供

旧医院の改修や清掃、草刈りには大勢のボランティアが関わり、多くが「まめな」ファンになっていった。

例えば2020年3月、「まめな」は学育プロジェクトとして「親子で学ぶ、大地を感じる、風の草刈り体験」を実施。域外から何十人もの家族連れが旧医院に集まり、草刈りを体験した。

私も家族連れで参加した。大自然と触れ合いながら楽しそうに作業に取り組む子どもたちの姿を見て思った。知らぬ間にボランティアがエンターテインメントに変わってしまっている!

上手にボランティアを呼び込み、素晴らしい体験を提供し、関係人口を増やしていく――これが「まめな」流だ。(文中敬称略)

(第8回に続く)

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牧野 洋(まきの・よう)
ジャーナリスト兼翻訳家
1960年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業、米コロンビア大学大学院ジャーナリズムスクール修了。1983年、日本経済新聞社入社。ニューヨーク特派員や編集委員を歴任し、2007年に独立。早稲田大学大学院ジャーナリズムスクール非常勤講師。著書に『福岡はすごい』(イースト新書)、『官報複合体』(河出文庫)、訳書に『トラブルメーカーズ(TROUBLE MAKERS)』(レスリー・バーリン著、ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『マインドハッキング』(クリストファー・ワイリー著、新潮社)などがある。

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(ジャーナリスト兼翻訳家 牧野 洋)

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