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「週1日は絶対にスマホを触ってはいけない」ユダヤ人が頑なに守る"安息日"という不思議な慣習

プレジデントオンライン / 2022年11月20日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/stellalevi

ユダヤ教とはどんな宗教なのか。宗教学者の島田裕巳さんは「ユダヤ教徒は長く迫害を受けてきたが、強く結束してほかの宗教に改宗する人は少なかった。その理由は、割礼と安息日という独特の習慣がユダヤ法で定められていたからだ」という――。

※本稿は、島田裕巳『宗教の地政学』(MdN新書)の一部を再編集したものです。

■ユダヤ人と結婚したければ改宗するしかない

ユダヤ教の指導者は「ラビ」と呼ばれますが、ラビは俗人で、妻帯し、家庭を持ちます。その点で、キリスト教の聖職者、特にカトリックの神父や修道士とは性格がまったく異なります。

ユダヤ教の正統派では、男性は教えを学ぶ活動を中心とし、労働に勤しむことはないのですが、宣教活動を行うという方向には向かいません。

もちろん、ユダヤ人の条件の一つとして、ユダヤ教への改宗者であることが含まれており、他の宗教からユダヤ教に改宗することはできます。事実、改宗をした人たちはいます。

日本でも、以前は、結婚すると女性は夫の家に入るという感覚が強くありました。その際に、家の宗旨が実家と婚家で異なる場合には、婚家の宗旨に変わるということが一般的でした。これは改宗として考えられます。

ニューヨークなど、ユダヤ人が多く住んでいる地域では、ユダヤ人でない人間がユダヤ人と結婚しようとすると、ユダヤ人の親の方から強く反対を受けることが珍しくないようです。もし、それでも結婚しようとすれば、ユダヤ教に改宗するしかありません。

■男性の生殖器の包皮を除去する「割礼」

しかし、その際に一つ大きな問題になってくることがあります。それは男性に限られるのですが、ユダヤ教徒ではなかった男性がユダヤ教に改宗しようとしたら、「割礼」を受けなければなりません。

割礼は、日本ではなじみのない習慣ですが、生殖器の包皮を除去するというものです。女性の場合にもクリトリスを切除する形での割礼が行われることがありますが、これはアフリカの一部に限られます。男性の割礼はかなり幅広く行われています。

イスラム教でも割礼の慣習がありますが、特にユダヤ教ではこれが重要な意味を持ってきました。

■ユダヤ教を広めるうえでの大きな壁に

一般に割礼は、子どもが生まれてすぐの段階で行われるものですが、改宗ということになれば、対象者は大人の男性です。その点で、かなりの覚悟が必要ですし、いったん割礼を施されれば、もとの状態には戻れません。したがって、この割礼がユダヤ教へ改宗することの大きな壁にもなっています。

ユダヤ法は、一般の法律とは異なりますから、それを破ったからといって刑罰が下されるわけではありません。その点では、割礼を行わずにユダヤ教に改宗することもできますが、ユダヤ人の女性のなかには、割礼を受けていない男性とは性的な関係を結びたくないと考える人が少なからず存在します。

キリスト教に改宗するなら「洗礼」を受けることになりますが、それによって身体に傷を負うわけではありません。ところが、割礼となれば、はっきりとその跡が残ります。裸になれば、割礼を受けているかどうかが一目で分かります。

ユダヤ教の信者を少しでも増やそうというのであれば、割礼という壁がない方が有利に働きます。地政学的な戦略としては、洗礼のような割礼に代わる方法を見出していった方が望ましいことになります。

■それでも割礼を続ける理由は「選民思想」

しかし、ユダヤ教徒にとって、割礼は極めて重要な意味を持っています。信仰の核心を形成するといってもいいでしょう。割礼を受けていることは、神によって認められた証であり、そこにユダヤ教特有の選民思想の根本があるのです。選民思想の形成は、ユダヤ人が経てきた苦難の歴史と深いかかわりがあります。

古代のユダヤ人がどのような歴史を歩んできたのか、それはトーラーに記されています。キリスト教の旧約聖書ではそれを「モーセ五書」と呼びます。

トーラーは、日本で言えば『古事記』や『日本書紀』にあたるものです。ユダヤ人の歴史を記した形をとってはいますが、神話として考えなければならない部分を多く含んでいます。創世記の天地創造の物語はまさに神話です。

せっかく授かった子どもを犠牲にするよう神に命じられ、それに素直に従ったことで信仰上の模範とされるアブラハムは、子どもを授かったときには100歳で、妻のサラも90歳でした。アブラハムは137歳、サラは127歳で亡くなっています。90歳の女性が子どもを生むなど、まったくあり得ない、神話のなかだけの話です。

■ユダヤ人の「本当の歴史」はだれもわからない

ところが、古代のユダヤ人の歴史をつづった同時代の史料は他にはありません。フラウィウス・ヨセフスによって記された『ユダヤ古代誌』という書物がありますが、その成立は西暦94年から95年とされています。

したがって、トーラーに描かれていることが本当に歴史的な事実なのかどうか、それを確かめるのは不可能です。ユダヤ人の歴史を描くには、トーラーに頼らざるを得ない。そういう部分がどうしても出てきてしまいます。

ヘブライ語で書かれた創世記とダビデの星
写真=iStock.com/yoglimogli
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/yoglimogli

ですから、日本の世界史の教科書でも、ユダヤ人は「前13世紀頃に指導者モーセのもとパレスチナに脱出した」と書かれています。これは山川出版社の高校の教科書に出てくるものですが、その後に括弧表示で「出エジプト記」の名があげられています。

そもそもモーセが実在したのかどうか、それからしてかなり怪しいのですが、出エジプト記という出典をわざわざ入れているのも、教科書の著者としては、これをそのまま歴史的な事実とはできないという思いがあるからでしょう。モーセのことを教科書に載せるのは、日本史の教科書に神武天皇のことを載せるのと同じことなのです。

■囚われの身からの脱出という希望の物語

したがって、ユダヤ人の経てきた歴史が本当にどのようなものであったのかは、はっきりしないところが多く、トーラーに記されていることはあくまで神話です。

ただ、神話が架空の物語だからといって、その価値が否定されるわけではありません。神話を歴史的な事実としてとらえる人もいますし、すべてが事実ではないにしても、そこには何らかの歴史が反映されていると考える人もいます。

ユダヤ人にとっては、エジプトで囚われの身になっていた仲間が、モーセに率いられてそこを脱出し、神から十戒を授けられたという物語は、その後、国を滅ぼされ、「捕囚」や「離散」を経験することになるだけに、自分たちの前途に希望を見出す上で極めて重要なものとなりました。

離散は「ディアスポラ」と呼ばれますが、西暦131年の第2次ユダヤ戦争でローマ帝国に敗れたユダヤ人は、その戦争の後、イスラエルを建国するまで自分たちの国を持つことができず、各地に散って生活を送りました。その間、迫害を受けることも少なくありませんでした。

■迫害を受け続けても改宗しなかった理由

各地に離散し、しかも迫害を受ける。そのなかで、一つの選択としては、散った地域に同化していくということが考えられます。生き抜いていくということを考えれば、そうした選択の方が好ましいとも言えます。同化するためにユダヤ教を捨て、キリスト教なり、イスラム教に改宗する。ユダヤ人にはそうした選択をする余地は十分にあったはずです。

ところが、現実にはそのようにはなりませんでした。なぜ同化という選択をとらなかったのか。もちろん、離散の長い歴史のなかで、ユダヤ人のなかにそうした選択をした人間たちもいました。しかし、そうしたユダヤ人が多くを占めるようになり、ユダヤ民族が消滅するという方向には向かいませんでした。

それはいったいなぜなのでしょうか。

一つはやはり、割礼のことがあるからでしょう。いったん割礼を施されていれば、それをなかったことにすることはできません。普段の外見からは何も分かりませんが、結婚となれば性生活が伴うわけで、割礼しているかどうか、すぐに相手に分かってしまいます。つまり、ユダヤ人であることは隠せないのです。

ユダヤ教の帽子をかぶったユダヤ人男性
写真=iStock.com/coldsnowstorm
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/coldsnowstorm

■異邦人を避け、独自の集団を形成していった

大澤武男氏の『ユダヤ人とローマ帝国』(講談社現代新書)によれば、ユダヤ人の割礼という風習は、ギリシア・ローマ世界において嫌悪されたということです。逆に、ユダヤ人の側からすれば、割礼を受けていないことは不浄であり、神によって選ばれていないことを意味します。

ユダヤ人の別名は「割礼を受けた者」でした。新約聖書の「使徒行伝」11章2~3節では、「そこでペテロがエルサレムに上ったとき、割礼を重んじる者たちが彼をとがめて言った、『あなたは、割礼のない人たちのところに行って、食事を共にしたということだが』」とあります。

割礼を重んじるユダヤ人は、それを受けていない者と共同生活をしないばかりか、食事をともにすることもなかったのです。イエスの弟子であるペテロは、その戒律を破ったことになります。したがって、ユダヤ人は、割礼を受けていない、彼らからすると異邦人との同居を避けるために、自分たちで独自の集団を形成して生活するしかありませんでした。

当時、エジプトの大都市アレクサンドリアには、ディアスポラ状態にあったユダヤ人の巨大な居住地域がありました。

■一切の労働を禁じる「安息日」の影響力

そして、ディアスポラのユダヤ人を結束させる上でもう一つ重要な役割を果たしたのが、「安息日」を守ることでした。創世記には、神は世界創造の7日目に休んだと記されています。それをもとに、ユダヤ教では、金曜日の日没から土曜日の日没までを安息日とし、この日には労働が禁じられます。

問題はこの労働の範囲です。同じユダヤ人と言っても、現代では、正統派と世俗派では考え方がまるで違うわけです。世俗派は、安息日のことを気にしませんが、正統派となれば、労働のなかにあらゆることが含まれると考えます。

車の運転も労働ですし、エレベーターのボタンを押すことも労働です。食事を作るために火をつけることも同じです。スマホの使用も禁止です。

ですから、イスラエルには、「定時になると照明が消えるタイマー、作り置きの料理を一定温度に保つ電熱プレート、ボタンにふれなくとも各階で自動開閉するエレベーター」といった安息日グッズがあります(「神様がスマホを強制終了する ユダヤ教の『安息日』が得た現代の意義」『Globe+』、2018年11月9日)。

■差別される一方で、アイデンティティを維持

重要なのは、ユダヤ教の安息日が、キリスト教やイスラム教とは異なることです。キリスト教は日曜日が、イスラム教は金曜日が安息日にあたります。つまり、ユダヤ教とはずれているわけです。

島田裕巳『宗教の地政学』(MdN新書)
島田裕巳『宗教の地政学』(MdN新書)

しかも、ユダヤ人は安息日にはいっさいの労働をしないわけですから、キリスト教徒やイスラム教徒とは生活のリズムが合いません。一緒に仕事をしようとしても、安息日が違うので困った事態が生まれてきます。

これも、ユダヤ人が周囲の異邦人から隔絶した生活を送ることに結びつきました。それは、ユダヤ人を結束させることに結びつくと同時に、少数派であるがゆえに差別されたり、迫害されたりする原因にもなったのです。

割礼や安息日を守ることはユダヤ法によって規定されていて、ユダヤ人が周囲に同化せず、そのアイデンティティを守り通すことに役立ちました。その意義はとてつもなく重要です。

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島田 裕巳(しまだ・ひろみ)
宗教学者、作家
放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『教養としての世界宗教史』(宝島社)、『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)など著書多数。

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(宗教学者、作家 島田 裕巳)

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