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ダイアナ以上に賢くしたたか…メディア戦略に長けるメーガンが抱える"目下の悩み"

プレジデントオンライン / 2022年10月27日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/PictureLake

9月にエリザベス女王が崩御し、チャールズ3世が新国王に即位した後、ロイヤルファミリーに関する報道や映画作品の公開が続いている。英国王室ウオッチャーの東野りかさんは「今後、ますます目が離せないのが、故ダイアナの再来とも言われる、ヘンリー王子の妃メーガンです」という――。

■英国王室の“台風の目”メーガンはダイアナの再来か

イギリスのエリザベス女王が崩御したのは9月8日のことだった。チャールズ3世が新国王に即位した後、英国王室に関するゴシップを含む報道が相次いでいる。そんな中、関連する映画も2作品も公開された。いずれも25年前この世を去ったダイアナ元妃を主人公にしたものだ。

作品のひとつはその生涯を綴ったドキュメンタリー『プリンセス・ダイアナ』、もうひとつは実際の悲劇を基にした寓話映画『スペンサー ダイアナの決意』である。2作品は全く違った種類であるにもかかわらず、どちらもとても苦しく、やるせない内容という共通点がある。

スクリーンからはダイアナ元妃(以下、敬称略)の苦悩がにじみ出てくるようだった。

あれほどの魅力と才能を持ちながら、なぜ彼女は36歳という若さで悲惨な最期を迎えなければいけなかったのか。鑑賞した人の多くがそう感じたに違いない。

ダイアナの悲劇の主な要因はメディアにあるとされているが、英国王室の特殊性にも原因の一端はある、との指摘も。

ペニー・ジュノー『The Firm:The Troubled Life of the House of Windsor』(St. Martin's Griffin)
ペニー・ジュノール『The Firm:The Troubled Life of the House of Windsor』(St. Martin's Griffin)

英国王室を「Firm」(ファーム=会社)と呼んだのは、エリザベス女王の夫である故フィリップ王配である。王室伝記作家のペニー・ジュノール著『The Firm:The Troubled Life of the House of Windsor』の中では、“会社”を守り続けるために、評判を落としかねないスキャンダルや危険人物を、王室は排除すると著している。

“会社”存続のために犠牲になったひとりが、ダイアナ。それはもはや定説となっているが、彼女は黙って苦悩しているだけのか弱い女ではなかった。年を重ねるにつれ、徐々に強さとしたたかさを身につけて旧弊的な王室に嵐を呼んだ。

本稿では、王室関連の著作や現地メディアの報道などから垣間見えるダイアナの波乱万丈の人生を追う。そして彼女の系譜を受け継ぐ、現在の王室の台風の目のような存在になっている義理の娘・メーガンの動静を追ってみたい。

■最期の言葉は「おー、神様。何が起こったの?」

筆者が1997年の“あの”事故を強烈に覚えているのは、年初に生まれた長女が初めて自分の足で立った日だからだ。両足をブルブル震わせながら立とうとする赤ん坊の横で、ダイアナが乗った車が無残にも大破する映像がテレビで間断なく流れていく。

死は生の対極ではなく、すぐ身近にあることを再認識した日でもある。

1997年8月31日、南仏でのバカンスを終えパリにいたダイアナは、当時の恋人のエジプト人富豪、ドディ・アルファイド氏とベンツに乗っていた。執拗(しつよう)なパパラッチの追跡をかわすように車は高速で疾走していたが、運転手はトンネルのコーナーを曲がり切れず壁に激突したのだ(事故死の原因は運転手の飲酒とも言われる)。恐ろしいのは、彼女たちを追跡していたパパラッチはけが人の救助もせずに、そのすさまじい現場を撮影し続けたこと。

ダイアナを救助しようとするレスキュー隊に対して、彼女は息も絶え絶えに「ああ神様。何が起こったの?」と呟いたといわれる。思えば、彼女の36年の人生は「何が起こったの? 何でこうなったの?」の連続だったのではないか。

■チャールズは、ダイアナの姉がふった男

ダイアナを巡る訳の分からない状況は、すでに結婚当初から始まっていた。まずは、故人の歩んだ道を過去の報道から振り返ってみよう。

チャールズ(当時)との結婚式(1981年)のニュース映像では、「ふたりは恋愛結婚です」と解説されていたが、厳密には王室の思惑が絡む政略結婚と言える。

ダイアナの夫だったチャールズにとって、現王妃のカミラは初恋の人。しかし出会った当時、英国海軍の軍人で、外国行きが決定していたチャールズはカミラにプロポーズする機会を逸してしまう。

カミラと別れた後のチャールズはどの女性とも交際が長続きしない。30歳を過ぎても未婚であることを憂いた家族が、上流貴族・スペンサー伯爵家の末娘のダイアナとの結婚を勧めた。実はダイアナの姉・セーラとチャールズが付き合っていたが、セーラがチャールズをふったらしい。

なにせ、チャールズは3歳で王位位継承者第一位になった生粋の王子様。ベッドの中でガールフレンドに「Sir(殿下)と呼べ!」と強要したと新聞記事にすっぱ抜かれるわ、独特すぎる自分ルールを頑なに守り続けるわ、並の女性ではとても付き合えきれない厄介な性格だったという。そこで最終的に、当時19歳で男性との交際経験がそれほどない無垢(むく)で教育しがいのあるダイアナに白羽の矢が立ったというわけだ。

ウィリアム王子生誕を記念して発行された、チャールズ皇太子とダイアナ王女をフィーチャーしたモーリシャスの切手
写真=iStock.com/traveler1116
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/traveler1116

■元恋人への思いを断ち切れない夫、摂食障害で苦しむ妻

しかし、ダイアナに求婚した後も、チャールズが未練がましい行動をしていたのは英国王室に関心のある人の間では周知の事実だ。

チャールズは「フレッド」、カミラは「グラディス」という偽名を使い、秘密のやり取りを続けていたことがダイアナにバレてしまう。この時期の“フレッド&グラディス”はプラトニックな関係だったらしいが、夫の不実を誰にも相談できなかったダイアナは、のちにBBCの取材に対して結婚前から摂食障害に陥り、何年もこの病に苦しんだことを告白している。

大量に食べては吐くことを繰り返し、さらには自分で自分の体を傷つける行為にも走った。

婚約会見の頃には19歳らしく健康的にふっくらしていた。それなのに、数カ月後の結婚式(20歳)ではかなり痩せてウエストが5インチ(約12cm)も細くなる。それゆえウエディングドレスのデザイナーはドレスをリサイズしなくてはならなかった。

摂食障害も自傷行為も同情の余地が大いにあるものの、(ダイアナの場合)相手の気を引くための“かまってちゃん”の行為と言えなくもない。「私をちゃんと見て! 私をちゃんと愛して!」という無言のメッセージは、夫の妻への愛情が薄い一方通行の関係性の中ではむなしいものに見える。

ダイアナの心の荒みは長男ウィリアムの出産直後の映像にも表れている。泣きやまない息子をあやすために、自分の指を咥えさせた。隣にいたチャールズはハンカチを差し出すが、それをダイアナは無視する。おそらく出産後のホルモンバランスの乱れで、さらに情緒不安定になったのだろうが、これもまた、妻を愛さない夫への抵抗だったかもしれない。

映画『プリンセス・ダイアナ』公式サイト
画像=映画『プリンセス・ダイアナ』公式サイトより

■追い払っても追い払ってもしつこく近寄ってくるカミラ

しかもチャールズの映像にちょくちょく写り込んでくるカミラの存在は、観客にも不穏な空気を伝える。ダイアナにとっては、追い払っても追い払ってもしつこく近寄ってくる蚊のようだ。

次男ハリーの出産後には、夫婦仲は完全に冷え切っており、チャールズはカミラと再度男女の関係を取り戻す。カミラへの電話が盗聴された際、「君のタンパックス(タンポン)になりたい」という愛のささやきが切り取られた、通称“タンパックスゲート”は世間を騒がせることになる。チャールズはおおいに恥をかいたが、それでもカミラへの愛を諦めない。

カミラもカミラで、夫がいながらチャールズとの交際を中断しない。挙げ句の果てにダイアナにこう言い放ったそうだ。「世界中の男があなたに恋をし、美しい子供が2人もいる。これ以上何がほしいの?」と。「夫の愛よ」と答えたといわれるダイアナが哀れだ。

1992年にダイアナがインドを公式訪問した際、たった一人で世界遺産タージ・マハールの前のベンチに座る有名な映像がある。ドキュメンタリー映画『プリンセス・ダイアナ』では珍しく、その時の彼女の後ろ姿も映されていた。ダイアナの表情よりもなお、孤独さが感じられた背中がなんとももの悲しい……。

■離婚後は自分の存在価値を遺憾なく発揮するダイアナ

王室に嫁いできた頃は、右も左もわからない状態だったが、子供が生まれ、年を重ね、母としても女性としてもダイアナは強靭(きょうじん)さを備えていった。

その強さは映画『スペンサー ダイアナの決意』のエンディングでも描かれていた。スペンサーはクリスマス前後3日間のロイヤルファミリーとスタッフの人間模様を描いたもので、あくまでフィクション。ダイアナの内なる心の叫びを切なく、美しく描いている。

画像=映画『スペンサー ダイアナの決意』公式サイトより
画像=映画『スペンサー ダイアナの決意』公式サイトより

内容を少しだけ紹介しよう。

楽しいはずのクリスマス休暇でさえ、王室の鬱陶しいルールを強要されるダイアナ。ここでも彼女の摂食障害や自傷行為のシーンが出てきたり、かの悪名高きヘンリー8世に処刑された妻、アン・ブーリンの幻影に翻弄されたり(アン・ブーリンはダイアナの祖先につながる。ダイアナもそのうちチャールズに駆逐されるという寓意)と、不安定なダイアナの様子が描写されていた。

それでも最後は、自分の意志を貫いて、子供たちと共に王室の別荘から勢いよく飛び出す。

実際に王室から飛び出したのは事故死する1年前の1996年。女王の勧告でチャールズと離婚した後は、自分の存在価値を遺憾なく発揮。アフリカの地雷除去やエイズ患者の支援を積極的に行い、その活動内容を各メディアで発信していく。自己アピールが過ぎる面は否めないが、当時、蛇蝎のごとく嫌われたエイズ患者を抱きしめる行為は、容易にまねできるものではない。

貧しく、誰からも振り向いてもらえない弱い立場の人々から熱烈に必要とされることで、ダイアナ自身の自己肯定感が高まっていたのかもしれない。

結局のところ、チャールズはダイアナを妻としては愛せなかった。しかし、溢れんばかりの愛情を息子たちに注ぐ彼女を母親として評価していたといわれる。子供時代のチャールズは公務で忙しい女王からあまりケアしてもらえなかったことが、年上のカミラに惹かれていった原因といった指摘をする向きもある。ダイアナが母性的な愛情を夫に注ぐことができたのなら、二人の関係は違ったものになったかもしれない。しかし、人生に“たら、れば”はない。

■“優等生ウィリアム、やんちゃなハリー”対照的な家庭

ダイアナが急逝した時、長男ウィリアムは15歳。次男ヘンリーは12歳。もっとも母親を必要とする時期に永遠の別れを告げなければいけなかった2人の胸中は察するに余りある。ドキュメンタリーでは、母の葬儀で棺の後に付いて歩く2人の姿を映していた。特にハリーは、まだ幼さが残る小さな体つきだったのが痛々しい。

現在、2人とも亡くなった母の年齢を超え(ウィリアムは40歳、ハリーは38歳)、対照的な人生を歩む。

ウィリアムは、現在、頭髪はさびしい状況になってしまったが、若い頃はダイアナそっくりの美貌の持ち主だった。だが性格は学問好きで実直な父親に似ている。スコットランドの名門・セントアンドリューズ大学に進み、ルームシェアをしていた同級生のキャサリン(現在40歳)と結婚。3人の子供に恵まれた。

2016年、ウィリアム&キャサリン夫妻はインドを公式訪問し、タージ・マハールも巡った。ウィリアムは(前述のように)一人きりでここにいた母を思い出し、思わず涙を流した。両親が反面教師になっているのか、彼の家庭は順風満帆で幸せそうだ。子供好きのキャサリンが4番目の赤ん坊を欲しがっているとのことで、夫婦仲がとてもいい。

パソコンのモニタには、ロイヤルウェディングについて書かれたFacebookのファンページ
写真=iStock.com/franckreporter
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/franckreporter

一方のハリーは赤毛で、パッと見の容貌が両親のどちらにも似ていない。そのため、「ハリーはチャールズの子ではないのでは?」といった底意地の悪い噂がイギリスでまことしやかに流れていたこともある。女の子が欲しかったチャールズは、生まれたばかりのハリーが男だとわかって落胆したとも伝えられている。

実際にはスペンサー家の赤毛が遺伝したようで、今や後頭部の薄さは父や兄とそっくり。成長するにつれ、容貌は祖父のフィリップ王配に似てきた、と筆者は思う。

末っ子のやんちゃ坊主の気質。学生時代はチャールズの私邸でマリファナを吸い、1日だけ更正施設に送られたことが新聞に報じられた。学業があまり好きではなく、大学に行かず軍隊生活を長く送る。元女優のメーガン・マークル(現在41歳)と結婚後、2020年3月にメグジット(王室離脱)で渡米するまでは、ロイヤルメンバーの中では人気が高かった。

■夫の手綱を引き、メディアをうまく利用するメーガン

ハリーは子供時代も今も、常にメディアに追いかけられており、母を死に追いやったパパラッチを毛嫌いしている。その一方でメディアをうまく利用するという点では、ハリー&メーガンはダイアナの系譜を受け継ぐと言っていい。

生き馬の目を抜くアメリカのショービジネス界で鍛えられたメーガンは、相当な気の強さで夫の手綱を引き、英米両国のメディアを操作する敏腕プロデューサーのようだ。元女優のメーガンは自分たちがどう見られるかを熟知しているからだ。そんな彼女の“力量”はその言動からもうかがうことができる。

例えば……。

英国王室のメンバーは、普段は人前で手を組んだりキスしたりしないものだが、ハリー&メーガンはいつでもどこでもしっかり手つなぎ&キスがお約束。先日のエリザベス女王の葬儀でもずっと手つなぎで行動していたのはいささか違和感があるが「われわれ夫婦はうまくいっていますよ」と世界へ向けてアピールしたのかもしれない。

アメリカで絶大な人気を誇るオプラ・ウィンフリーが司会の番組に出演した際は、かなり赤裸々に王室批判をしたことで物議を醸した。彼女いわく、イギリスの慣習に慣れずに苦労し、王室のスタッフに助けを求めたが誰も助けてくれず、その絶望感から一時、自殺を考えた。また、メーガンは父が白人で母が黒人のミックスだが、長男のアーチーが生まれる際、「生まれてくる子の肌はどれぐらい濃いのだろう?」という王室メンバーから人種差別的な発言をされた、とも。さらには、王室は会社組織であり、それを守ることがメンバーの最大のミッションであり、ウィリアムもハリーも“会社”の構成員でしかない、と。

2022年9月14日、月曜日に行われるエリザベス2世の葬儀を前に、女王の棺がホールに運ばれて安置された後、ロンドンのウェストミンスター・ホールを後にするハリー王子とメーガン妃。
写真=代表撮影/ロイター/アフロ
2022年9月14日、月曜日に行われるエリザベス2世の葬儀を前に、女王の棺がホールに運ばれて安置された後、ロンドンのウェストミンスター・ホールを後にするハリー王子とメーガン妃。 - 写真=代表撮影/ロイター/アフロ

■“タングステン”のメーガンは、これからが本領発揮

もちろん彼女の発言の全てを鵜呑みにはできないが、「さもありなん」と思わせる点もある。ダイアナが苦しんだ王室の環境がいまだ改善されていないことや、フィリップ王配が、冒頭の通り“会社”と呼んだような特殊な雰囲気を感じとっていたのだろう。

ハリー&メーガンの目下の悩みは、あるメディアと莫大な契約金で進めていた暴露本と王室ドキュメンタリー映像の配信計画だ。

女王の葬儀で王室メンバーと再会したことで心変わりしたのか、今や国王となったチャールズを批判するのは得策ではないと思ったのか、両方の内容を大幅に修正したいと2人は躍起になっている。しかしメディア側もそうはさせじと契約の解除をちらつかせて徹底交戦する構えだと一部報道機関が伝えている。

今後もハリー&メーガンにとって、王室やメディアとの関係は難しいかじ取りが求められそうだが、筆者はハリー&メーガンはうまくやりおおせるのではないかと見ている。ハリーはともかく、メーガンはダイアナ以上に賢くしたたかだからだ。

それは最近刊行された著名な王室ジャーナリストのケイティ・ニコール著『The New Royals』でも記されている。チャールズは、メーガンに「タングステン」というあだ名をつけた。タングステンとは、原子番号74の金属元素の一つで、ダイヤモンドに次ぐ強さとしなやかさが特徴。メーガンのタフさをいみじくも表しているではないか。

このようにダイアナの再来のような異端児・メーガンから目を離せないし、彼女への取材攻勢も一層の熱を帯びるだろう。ただし、25年前の悲劇だけは、二度と繰り返してはならない。

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東野 りか フリーランスライター・エディター
ファッション系出版社、教育系出版事業会社の編集者を経て、フリーに。以降、国内外の旅、地方活性と起業などを中心に雑誌やウェブで執筆。生涯をかけて追いたいテーマは「あらゆる宗教の建築物」「エリザベス女王」。編集・ライターの傍ら、気まぐれ営業のスナックも開催し、人々の声に耳を傾けている。

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(フリーランスライター・エディター 東野 りか)

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