80歳で品出しを担当する「ノジマのばあば」が夫の認知症悪化でも仕事を辞めなかった理由
プレジデントオンライン / 2022年10月31日 8時30分
■今も忘れられない3歳の娘の泣き声
当時としてはかなり遅めの32歳という年齢で、熊谷さんはトラックの運転手と結婚をした。ふたりの女の子に恵まれたが、生活はそれほど楽ではなく、気づけば岩手時代と同じことをやっていた。
「ずっと家にいて内職をしていましたね。編物をしたり、ネクタイを縫ったり。上の子が幼稚園に行くようになって、下の子が3歳ぐらいの頃かな。私が内職をしていると『お母さん遊ぼう、お母さん遊ぼう』って何度も言われてね、それが辛かった。いまでも時々、あの時の声が聞こえてくるんですよ」
転機がやってきたのは、下の子が小学校4年生になった頃だ。夫がトラックの仕事をやめて、近くの工場で働くことになったのだ。給料が格段によくなるはずだった。
「なんでもコンピュータを使って機械を動かす仕事みたいでしたけど、『あんなもん、覚えらんねぇ』って、たった3カ月でやめてしまったんです。こりゃ、私が働かないとどうにもならないなって……」
■女性社長の営む「呉服店」に再就職
求人を探していると、ある呉服店が社員の募集をしているのが目にとまった。呉服の仕事ならよく知っている。これまた皮肉な事態だが、なんとかして抜け出したかった呉服の世界に、今度は自分の方から飛び込んで行くことになったのである。
熊谷さんが就職したのは埼玉県戸田市の「さがの苑」という呉服店だった。チェーン店の中の1店舗であり、神谷さんという同世代の女性がフランチャイジーとして社長を務めていた。
「神谷さんは三越の外商が出入りするような裕福な家で育ったお嬢さんでね、尾上松緑さんに踊りを習っているなんて言ってましたよ」
熊谷さんとはずいぶんと異なる境遇を生きてきた女性だが、なぜか、熊谷さんとは馬が合った。
■15年ともに働いた戦友は、今も月一で会う親友に
反物が着物になるまでには、いくつもの加工屋の手を経なくてはならない。熊谷さんはそれぞれの工程に精通していたから、加工の流れを管理する立場に就いて呉服に詳しくない若手社員を指導することになった。やがて、お店にとってなくてはならない存在になった。
「2年間やめなかったら車の免許を取らせるって言われたんですが、本当に全額出資で免許を取らせてくれたんです。免許を取ってからは車で営業の仕事にも出してくれて、すごく楽しかった。社長が女性だったから、留守番をしている子どもから怪我をしたなんて電話がかかってくると早く帰らせてくれたりしてね。とても家庭的な雰囲気の中で、社長に面倒を見てもらいながら働くことができたんです」
呉服業界が斜陽になって社長が退店を決断するまで、熊谷さんはさがの苑で15年間働いた。正社員だったから給料もよかったし、歩合でボーナスも出た。
「神谷さんとは、いまでも月に1度は会っておしゃべりをするんです。そういう間柄になれたのは、打算とか一切なしに、一緒になって仕事をしたからだと思います。そうじゃないと、長続きはしないですよね。私は、友だちには恵まれました。身内には、あんまり恵まれなかったけどね(笑)」
■不合理なことを要求してくる上司への対処法
さがの苑戸田店が閉店したとき、熊谷さんは59歳になっていた。普通なら定年退職する年齢だ。娘たちはふたりとも成人していたし、夫もまだ働いていたからそれほどお金が必要だったわけでもない。でも、熊谷さんは家にいるよりも、外で仕事がしたかった。
職安に行くと、川口キャラ(現在のイオンモール川口前川)が開店するが、テナントのひとつのラオックスという電器店が店員を募集していると教えてくれた。家電量販店は未知の世界だったが、自宅から近いこともあり、思い切って飛び込んでみることにした。採用が決まると、修理の受付や部品の取り寄せを担当することになった。
「私ね、新しい職場に行く度に必ずいい人に出会うんですよ。修理の担当をやっていた女性はずっとラオックスで働いてきた人だったけれど、すごくいい人で、手取り足取り仕事を教えてくれたんです。休みの日に一緒に遊びに行くくらい仲がよかったんですよ」
熊谷さんはなぜ、同性の同僚とうまくやっていけるのだろう。
「岩手の呉服店にいた時代、周りがすごく怖かった。なんで世の中ってこんなに怖いんだろうって思うほど怖かった。だから私、小さい時から人に反抗的な態度を取らないことを学んだんです。人に盾をつかない、強く(自分を)主張しないんです」
不合理なことを要求してくる先輩社員や上司に出会ったら?
「そういう人にも、黙って耐えます。黙って耐えながら、お付き合いをしなくても済むようにだんだん遠ざかっていくんです(笑)」
辛い半生で身についた処世術だが、筆者のように反抗ばかりして生きてきた人間には到底真似のできる生き方ではない。
「夫は仕事の愚痴を聞いてくれる人間じゃなかったから、家に帰って家事やなんかをやっているうちに嫌なことは忘れてしまうという技を身に着けたのかな。あとは、好きな歌を聴いたり、本を読んだりしてね」
ちなみに、現在の熊谷さんの趣味はボーリング。週1回「健康ボーリング」という年配者のサークルでゲームを楽しんでいるが、80代は熊谷さんただひとり。アベレージは150、最高で178を出したこともあるというから驚く。
■69歳でノジマへ。決め手になった面接官の一言
ラオックスの経営が悪化して退店が決まったとき、熊谷さんは69歳になっていた。当初、閉鎖する郊外の15店舗を社員ごとノジマが引き継ぐことになっていたが、この計画はとん挫してしまう。熊谷さんは仕事を失う危機にさらされたが、川口キャラのケースでは、ラオックスから店舗の譲渡を受けるのではなく、ノジマが家主(川口キャラ)から従業員ごと店舗を買い取る「居抜き」の形で決着している。
「ノジマの方が面接をしてくれたんですが、さすがに69歳じゃダメかなと思いました。69歳で改めて採用してくれるところもないでしょうから、もう仕事はなくなるのかなーと思っていたら、『やる気があるなら大丈夫ですよ』って言ってくれて、嬉しくなっちゃってね」
■夫の介護に悩んだとき、病院の先生がくれた言葉
以来、半年ほど休んだ時期を除いて、熊谷さんは10年以上ノジマで働き続けているわけだが、波風がなかったわけではない。ノジマで働き始めてしばらくたった頃、夫が認知症を発症してしまったのだ。週に3日ほどデイサービスに通わせることにしたものの、夫の介護と仕事の両立は難しかった。
「仕事をどうしようかってさんざん考えたんですが、行きつけの病院の先生が、『自分のためにも仕事を続けた方がいいよ』って言ってくれたんです。ご覧の通り、仕事は嫌いじゃないし、1日じゅう叫んだり暴れたりする人と向き合っているのは、すごく大変なことなんですよ」
熊谷さんは、ノジマの仕事を続ける決心を固めた。岩手の呉服店時代、仕事は熊谷さんを外に連れ出してくれるものだったが、今度は、たとえ一時でも、夫の認知症の介護から熊谷さんを解放してくれるものだった。
昭和12年生まれの夫は、7年間認知症を患って79歳で亡くなった。表現は悪いかもしれないが、熊谷さんに、ようやく自由な時間が訪れた。
■9時から15時まで、週4勤務で品出しを担当
熊谷さんはいま、ノジマでセンター便の仕分けと品出しを担当している。勤務は週4日で9時から15時まで。
センター便とは、配送センターから川口前川店に毎日商品を送り届けてくる、定期便のことだ。熊谷さんはセンター便に載っている大量の商品をジャンルごとに仕分けして、陳列棚に並べたり、什器の下に在庫として収納したりする。
家電量販店が扱う商品は、パソコン関係の細かな部品まで含めると数千から数万アイテムにも及ぶ。それぞれがどの場所に陳列してあるかが頭に入っていないと、品出し作業はできない。ラオックス時代を含めれば、25年間も同じ店舗で働いている熊谷さんだからこそできる仕事なのだ。さすがに冷蔵庫の品出しは若い社員がやってくれるそうだが、電子レンジぐらいのサイズならひとりで運んでしまう。
孫ほど年の離れた店長の安藤慎二さん(38)が言う。
「品出しってすごく大変なんで、熊谷さんには縁の下の力持ちとしてしっかり戦力になってもらっています。ノジマって20代後半ぐらいの若い社員が多いんですが、熊谷さんはラッピングも得意なので、若い社員が教えてもらったりしていますね。(高齢だからといって)やりにくいことはないですよ。明るい人だし、みんなが声をかけやすい人柄だし、なんでも快く引き受けてくれますからね」
■「元気で働けるなら何歳まででもいいじゃない」
昨年、熊谷さんは80歳になった。ノジマはパート、アルバイトの年齢制限を80歳と定めている。熊谷さんが言う。
「80になった時、自分じゃ何も考えていなかったんですが、店長から『熊谷さんどうするの』って聞かれて、定年ですよねーって言ったら、『自分でやれると思ったら続けていいんだよ』って言われて、じゃあ、まだやめないでおこうかなと(笑)。後から来る人に、少しでも道がひらけたらいいとも思いますしね」
かつて人事も担当していたビジネスサポート部の田中義幸さんによれば、80歳を超えて熊谷さんを雇用することについて、社内で一応の議論はあったらしい。
「80歳になったパートさんが継続を希望していることを、社長の野島(廣司)に相談したんです。そうしたら、『ご本人がやりたいならいいんじゃない?』のひと言でした。高齢の方は仕事をやめると健康を害されたりすることが多いので、年齢を重ねても働ける場を少しでも社会に提供していきたいというのが社長の考えです。ルールは80歳までだけど、ご本人が元気で生き生き働けるなら何歳まででもいいじゃないかと」
■呉服の知識、技術が導いた「今の幸せ」
現場の責任者(店長)に判断が任されていることも大きいと、田中さんは言う。日頃の仕事ぶりを見ている店長がOKなら、多少制度をはみ出してもOK。現場の裁量に任せて柔軟な店舗運営を実現していることが、ノジマの強みなのかもしれない。
当の熊谷さんは、いったい何歳まで働くつもりなのだろう?
「私、お正月の御浄銭を配る若い人たちに振袖の着付けをしてあげるんですが、それが終わったら辞めようかなって、毎年、思うんです。私は周りの人に助けてもらっている面があるから、自分から何歳までやりたいとは言えません。でも、昔苦労した分、いま、すごく幸せなんです」
熊谷さんを苦しめもし、助けもした呉服の知識が、熊谷さんを職場に繋ぎとめている。人生の不思議を思わずにはいられない。
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ノンフィクションライター
1963年、富山県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、鉄鋼メーカー、出版社勤務を経て独立。著書に『東京タクシードライバー』 (朝日文庫)、『東京湾岸畸人伝』『寿町のひとびと』(ともに朝日新聞出版)などがある。
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(ノンフィクションライター 山田 清機)
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