「事実関係を調査中」で逃げてはいけない…「Jリーグ史上最大の危機」に村井チェアマンが話したこと
プレジデントオンライン / 2022年10月30日 9時15分
■浦和レッズのサポーターが人種差別的な横断幕
――村井さんは2014年に大東和美さんの後を継ぎ、川淵三郎さんから数えて5代目のJリーグチェアマンに就任します。そこでいきなり……。
【村井】そうなんですよ、いきなり。事件は開幕1週間の3月8日に起きました。場所は浦和レッズのホーム、埼玉スタジアム2002です。第2節のサガン鳥栖戦でレッズのサポーターが「Japanese Only(日本人以外お断り)」という人種差別的な横断幕をホーム側のゴール裏コンコースに向けて掲げたのです。
――村井さんはその場にいなかった。
【村井】はい。その日は昼間に新潟の試合を観戦し、夜は鹿島に行きました。私はチェアマン時代に年間100試合以上観戦しましたから、アベレージで週に2試合。3~4試合観る週もありました。1日に2試合観る日がないと回りません。
僕が事件を知ったのは翌日。その日はJ3の開幕戦を観戦するため沖縄に入ったんですが、スタッフに「こんなものが出ています」とネットのニュースを見せられました。試合の後、レッズ(当時)の槙野智章選手がTwitterに「浦和という看板を背負い、袖を通して一生懸命闘い、誇りをもってこのチームで闘う選手に対してこれはない」と書き込み、そこから波紋が広がっていました。
■広島×川崎戦で“八百長疑惑”が浮上し…
すぐに浦和レッズの淵田敬三社長に連絡をとりました。淵田さんは私がチェアマンになったのと同じタイミングで社長になりました。お互いに新米ですが「これはダメでしょう」という認識は同じでした。
当時、世界のサッカー界は人種差別にものすごく敏感になっていて、この問題についても「さあ、日本はどう対応するんだ」と海外メディアが固唾(かたず)をのんで見守っていましたからね。対応を間違えれば「日本は人種差別に甘い国」と書かれかねない。
――そこにもう一つの問題が降りかかる。
【村井】はい、「八百長疑惑」ですね。それが3月10日。FIFA(国際サッカー連盟)の下部組織には世界中で違法な賭けを取り締まっている「EWS(Early Warning System)」というところがあって、世界中のサッカー賭博の胴元を調べているんです。私も知らなかったのですが、日本以外でJリーグの試合は賭けの対象になっていたのです。EWSから「3月8日にエディオンスタジアム広島で行われたサンフレッチェ広島と川崎フロンターレの試合の賭け方で「小さな異常値があったから調査しろ」という警告が入りました。
■「Jリーグ初の無観客試合」を決断
【村井】それで広島と川崎の社長に「来てください」と電話したら「呼びつける前に要件を教えてよ」という。八百長の場合、組織のトップが関与している可能性もあるので、要件は言えません。「とにかく来てください」と言ったら、2人は、それぞれACL(アジア・チャンピオンズリーグ)の試合で韓国とオーストラリアにいました。そんなスケジュールさえ頭になかったのです。失礼な話です。結局13日のお昼に2人に来てもらうことになりました。
――「人種差別問題」のほうは。
【村井】同時進行ですよ。レッズに制裁を科すにはJリーグで諮問委員会を開かなくてはなりません。ところが事務局は「全部の委員を集めるには数カ月先になる」と言う。そんなのんきなことは言っていられないので、私がすべての委員と電話で話して、特急で諮問書を作って「これでいいですね」と同意を取り付けました。
――結論は?
【村井】Jリーグ初の無観客試合です。レッズのサポーターは過去にも同じような問題を起こしているので累犯です。制裁金はすでに課していたので、その上となるとルール上、無観客試合になるのが相当です。コロナ禍の時に、Jリーグを含めいろんなスポーツで無観客試合がありましたが、それよりずっと前の話ですからね。社会的反響はどうなるか想像もつかない。
■逆境の時こそ、逃げも隠れもしてはいけない
【村井】対象になるレッズの次のホームゲームは、2週間後に控えた清水エスパルスとの試合でした。浦和も清水も日本屈指のサッカーどころです。サッカー王国の清水からは毎年、エスパルスサポーターが浦和に大挙してやってきます。みんな新幹線も予約したしホテルもとった。清水サポーターの子供たちは毎年、浦和に行くのを修学旅行のように楽しみにしていた、と後で聞かされました。
――それでも「無観客」と決めた。
【村井】「しっかりと事実関係を調べてから判断します」とか、もっともらしいことを言って時間を稼ぐこともできたかもしれません。でもそうやって逃げてはいけないと思いました。リクルート事件の時、私は入社6年目でしたが、先輩たちがみんな「カモメのバッジを外すな」と逆風に立ち向かっていたのを見てきました。逆境の時こそ、逃げも隠れもしない、というのが大切なんです。
それで話は新聞の一面に載るような騒ぎになっていましたから、世間に対しても自分の言葉で何かしらの説明をしなくてはなりません。それで13日の午前に浦和社長の淵田さんをお呼びして「無観客試合」の制裁を正式に伝え、午後1時から記者会見を開くことになりました。
■100人近く押しかけた記者を前に「本当に死ぬな」
――八百長疑惑のほうは?
【村井】同じ日の正午に広島と川崎の社長を呼んでヒアリングをしました。弁護士に取り調べのやり方を教えられて。だからこの日は1時間刻みで、浦和の社長に制裁を通告、広島と川崎の社長のヒアリング、そして記者会見と、映画のカーチェイスみたいな、まるでサーカスみたいな状況になっていったのです。
リクルート時代に経験した記者会見は、スーツを着た経済部の記者が数人くらい、という感じでしたが、この日はジーンズをはいた運動部の記者や社会部の記者も含めて100人近く押しかけてきた。もともとあがり症で、人前で話すのが苦手だった私は、膝がガクガク震えて「本当に死ぬな」と思いました。
とんでもなく緊張していたので、大きなミスもしました。差別事案の記者会見で「こんなことをしていたら日本のJリーグが香港みたいになってしまう」と口走ったのです。チェアマンになる直前まで、私はリクルートの仕事で香港に駐在していて、香港リーグは過去において「八百長の巣窟みたいなところだった」というイメージがあった。私は頭が真っ白になっていたので、人種差別問題と八百長問題が混線してしまったんですね。記者さんたちがポカンとしているので、間違いに気づきました。
■色紙に残した「サッカーの神様が私を試している」
――どうやってその緊張を乗り越えたのですか。
【村井】カメラマンに囲まれながら「この緊張はいったいどこから来るのだろうか」と考えたんですね。「できるかできないか、ギリギリの時にしか緊張しない」と私は認識しています。「差別事案に関して、何ができるのか、何ができないのか?」と自問自答していたんですね。「サッカー界から差別を無くしていくことができるのか?」と問われているんだと理解しました。
「ああこれはサッカーの神様が私を試しているんだな」と。村井という人間にJリーグのチェアマンが務まるのかどうか。「俺はいま、神様に試されているんだ」と確か家に帰って妻ともそんな話をしました。
それで3つのことを決めたんです。まずは繰り返しになりますが、逃げないこと。先程もお話ししたように、トップの立場を利用すれば、逃げたり時間稼ぎをしたりすることもできますが、とにかく逃げない。
次に自分の気持ちを自分の言葉で話すこと。知ったかぶりをして評論家のように話していては思いが伝わらない。結果として人種差別問題と八百長疑惑を取り違えるミスはしましたが、私の当事者意識、「これは私の問題です」という気持ちは伝わったと思います。
【村井】3つめが最善を尽くして急ぐこと。仕事においてスピードというのは誠意の表明だと考えています。人種差別の問題や八百長疑惑の問題で私がぐずぐずしていたら、当該クラブをどんどん傷つけてしまう。あの場合は慎重に踏みとどまるより、急ぐことが相手のクラブを救うことにつながったと思っています。
■最善を尽くした人間は、力が及ばない世界を知っている
――それをサッカーの神様が見ている、と。
【村井】PK戦のとき、人生をかけてボールを蹴ってきたプロの選手たちが、肩を組んで仲間を信じたり、手を合わせて神様に祈ったりするじゃないですか。最善を尽くした人間だからこそ、自分の力が及ばない世界を知っているんですね。自分で何でもできると思っているうちは、やはり驕(おご)り高ぶりがあるんです。自分のチカラではどうにもならない世界があることを知っている人は、祈ることがあります。
――八百長疑惑は調査の結果、シロでした。
【村井】そうですね。神様に試されてるんだから、「ダメな時はダメだ」と開き直り、最後は手を合わせてJリーグの仲間を信じて結果を待ちました。仕事でも家庭でも、望まぬ試練というのは突然やってくるものです。自分の力だけではどうしようもない時もあるので、頑張るだけ頑張って、あとは仲間を信じて祈る。そんな気持ちでいるのが、いいのではないでしょうか。
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ジャーナリスト
1965年生まれ。愛知県出身。88年早稲田大学法学部卒業、日本経済新聞社入社。98年欧州総局、編集委員、日経ビジネス編集委員などを経て2016年独立。著書に『東芝 原子力敗戦』ほか。
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(ジャーナリスト 大西 康之)
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