1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 政治

なぜ野田元首相は「いまの立憲の顔」ではないのか…あれだけの演説の名人が干される残念すぎる力学

プレジデントオンライン / 2022年11月1日 17時15分

衆院本会議で安倍晋三元首相への追悼演説をする立憲民主党の野田佳彦元首相=2022年10月25日午後、国会内 - 写真=時事通信フォト

野田佳彦元首相による安倍晋三元首相の追悼演説が称賛されている。ジャーナリストの尾中香尚里さんは「野田氏の演説は安倍氏から続いた『分断の政治』を終わらせるものだった。立憲民主党は野田氏を第一線から外しているが、『世代交代』ばかりを打ち出す野党の手法は見直すべきだ」という――。

■自らを「どじょう」と称した野田元首相とは何者か

立場の異なる人々の思いを包摂し得る言葉が、ようやく国会に帰ってきた。立憲民主党の野田佳彦元首相が10月25日、衆院本会議で行った安倍晋三元首相への追悼演説。安倍氏を強く支持してきた層からも、強く批判してきた層からも、大きな共感の声が寄せられている。どちらかと言えば後者の立場である筆者も、あの演説には心を揺さぶられた。

追悼演説によって光が当たった野田氏の人物像と、あの演説がもたらしたものについて、少し考えてみたい。

野田氏は民主党政権3人目にして最後の首相であるが、前任の鳩山由紀夫、菅直人両氏のように早くから注目され、ある意味華のあった政治家とはやや異なる。民主党政権全体が行き詰まるなか、あえて火中の栗を拾った野田氏は、自らを「どじょう」になぞらえて「泥臭くとも粘り強く、国民のために汗をかく」と語った。税と社会保障の一体改革では、当時の谷垣禎一自民党総裁らと会合を重ね、いわゆる「3党合意」にこぎ着けた。

消費増税を含む3党合意の評価は人それぞれかもしれないが、野田氏には、対立する自民党などとも合意を結べる胆力が確かにあった。政治の表舞台に出たのが2002年、政権獲得前の民主党の菅代表時代における国対委員長への抜擢であり、以後国対畑で対立政党との折衝を学び、積み上げた経験が生きたのかもしれない。

現在は菅氏と共に立憲民主党の最高顧問を務めている。最高顧問は党内のいわゆる「上がりポスト」であって、第一線からは退いている印象が強い。

それでありながら、野田氏は首相退任後の今もなお、地元の千葉県で毎日のように街頭演説をしている。演説の巧みさに関して、党内で右に出る者はいない。だから実は、今回の追悼演説をめぐっても「野田氏ならできるのではないか」という声は早くから聞かれていた。

そんな野田氏の追悼演説で強く印象に残っている場面がある。

■同じ「失意の辞任」をした首相経験者だからこそわかること

2012年の衆院選で民主党が大敗し、野田氏は安倍氏に政権を引き継ぐことになった。皇居での親任式の控室で安倍氏と2人きりになった時、安倍氏が野田氏に「自分は5年で(首相に)返り咲きました。あなたにも、いずれそういう日がやってきますよ」と励ました。

近くにある者に優しい安倍氏の一面をよく表した秘話だったが、それ以上に心に残ったのは、直後に語られた野田氏の述懐である。

「今なら分かる気がします。安倍さんのあの時の優しさが、どこから注ぎ込まれてきたのかを。第1次政権の終わり(2007年9月)に、失意の中であなたは、入院先の慶應病院から、傷ついた心と体にまさに鞭打って、(後任の)福田康夫新総理の親任式に駆け付けました。(中略)あなたもまた、絶望に沈む心で、控室での苦しい待ち時間を過ごした経験があったのですね」

首相という立場、そして失意の辞任。同じ経験をした者同士だからこそ、政治的立場が大きく異なっていても、相手の立場や思いに想像力を持つことができる。

とつとつと語る野田氏の言葉に、そんな感慨を抱いた。

■政治スタンスの異なる人でも共感できる言葉を紡ぐことができる

野田氏が言葉で共感を呼ぶことができた相手は、自民党だけではない。2020年の東京都知事選。野田氏は東京・銀座で、立憲民主党が支援する宇都宮健児氏の応援に駆けつけた。

共産党や社民党にも支援された宇都宮氏。支持者には消費減税に強いこだわりを持つ人も多く、彼らにとって3党合意を結んだ野田氏は「天敵」といった空気もあった。

そんな野田氏を街頭演説に誘ったのは、共産党の志位和夫委員長だった。自らの応援が逆効果になるのでは、と躊躇した野田氏は、演説で「違和感を持って見ている人もいっぱいいるんではないかと思います」と率直な気持ちを吐露しつつ「『右バッター』として最後まで宇都宮さんを応援する」と訴え、大きな拍手を浴びた。

自民党から共産党まで、政治スタンスが全く異なる人たちが共感し、納得できる言葉を生み出し、状況を作り出せる。野田氏はそんな政治家だと思う。

■火中の栗を拾い続けた

今や政権与党の自民党にさえ、そんな人物は容易に見いだせない。国葬をめぐる岸田政権の対応のお粗末ぶりに、そのことがよく表れていた。

法的根拠の希薄な国葬を、三権の長にも諮らず内閣だけで決める。対立政党の議員が立ち、政治的立場の違いを超えてその人を悼むという追悼演説の美風を壊し、自党から安倍氏の「お友達」の甘利明氏を立たせようとする。国葬で弔辞を読んだ菅義偉前首相は、与野党最大の対決法案の成立を、安倍氏の政治的業績であるかのように持ち上げる。菅氏の弔辞は支持者から称賛される一方、反対勢力を鼻白ませた。

国民の統合を目指したはずの国葬は、逆に国民の分断を広げてしまった。

そんな状況で、今さら追悼演説を野党が引き受けるのは、政治的リスクが大きい。しかし、野田氏はまたも火中の栗を拾った。安倍氏の「人柄」に焦点を当て、心のこもった哀悼の意を示す一方、政策面では肯定的な評価に言及せず、唯一触れたのは「与野党の合意が実現した」皇室典範特例法のみ。「あなたは歴史の法廷に、永遠に立ち続けなければならない運命(さだめ)です」「あなたが放った強烈な光も、その先に伸びた影も」と述べ、抑制的な表現ながら、安倍政治の「負の遺産」もしっかりと刻んだ。

そして最後に、野田氏は安倍氏が参院選の街頭演説中に突然の暴力で命を奪われた重い事実を踏まえ、こう語りかけた。

会議室に設置されたマイク
写真=iStock.com/Casanowe
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Casanowe

■枝野氏も「演説力」を絶賛

「あなたの無念に思いを致せばこそ、私たちは、言葉の力を頼りに、不完全かもしれない民主主義を、少しでも、より良きものへと鍛え続けていくしかないのです」

野田氏の当選同期である立憲民主党の枝野幸男前代表はツイッターで「一歩間違えたら四方から批判を浴びそうな場面で、四方を称賛させる名演説でした。野田さんの演説力と、何よりも包摂する人柄が表れていました」と振り返った。

全く同感である。

実は野田氏の演説に、筆者は長く求めてきた「政権交代可能な二大政党」の理想像を見ていた。

■敵、味方のレッテルを貼り分断をあおる現在の政治

「政権交代が常態化する」とは、ほぼ全ての政党が政権与党と野党の立場を経験し、いつ立場が入れ替わってもおかしくない、ということだ。目指す社会像を異にする与野党が、国会などで激しく論戦を戦わせるのは基本中の基本だが、一方で与党も野党も「いつか相手の立場に立つ」ことへの想像力を持ち、相手の立場への最低限の理解や共感を忘れない。いつ与野党が入れ替わっても困らないよう、政権与党は手前勝手な権力行使のありようを自制し、野党も全く実現不可能な極度に無責任な主張は手控える。

「政権交代可能な政治」という言葉に、筆者はそんな理想像を描いていた。政権与党のリーダーが野党にまともに答弁しないどころか、質問者を罵倒するなどあり得ないと。

しかし、実際の政権交代は、そんな政治とは全く逆の結果をもたらした。

2009年、民主党政権の発足で政権から転落した自民党は「野党の立場を知り自らを律する」どころか「批判ばかりの野党」として、民主党を政権から引きずり下ろすことに血道を上げた。3年後に政権を奪還すると、今度は「二度と政権交代を起こさない」ために、あらゆる政治的資源を総動員し、激烈な野党批判を繰り広げた。

「悪夢の民主党政権」と声高に叫ぶ政権与党の姿は、およそ「1強」の余裕からほど遠いものだった。呼応するように野党側の言葉も尖り、国論は二分。支持者も含めて政権の「敵」か「味方」のレッテルを貼られ、ネットなどで激しい罵倒合戦が展開された。政敵への敬意も共感も消え失せた。

壁面に描かれた日章旗にひび割れが走る
写真=iStock.com/CIL868
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/CIL868

■野田氏の演説は「分断」の空気を鎮めた

そんな政治の頂点にあった安倍氏が命を奪われた。あのような形で生命が絶たれたことは、本当に痛ましい。しかし同時に、国民の誰もが政治的立場の違いを超えて安倍氏を悼むなかで、第2次安倍政権の発足以降10年にわたった殺伐とした政治状況を冷静に清算し、新しい政治のかたちを模索する機会とすることも可能だった。

国葬に求められていたのは、本来こうした役割だったはずだ。ところが前述したように、岸田政権はその稚拙な対応によって、むしろ分断に拍車をかけた。

野田氏は1本の追悼演説で、こうした荒れた空気を鎮めることに成功した。

対立する政治勢力が、共に相手の立場をくむ力。そして「真摯(しんし)な言葉で、建設的な議論を尽くし、民主主義をより健全で強靱なものへと育てあげて」いくことの大切さ。

この10年間忘れ去られていた、本来あるべき政治の姿を、野田氏は衆院本会議の議場で、渾身の力を込めた言葉で思い起こさせた。自民党から共産党まで誰もが納得できる言葉を生み出せる野田氏にしか、こんな芸当はできなかったと思う。

■「やってる感」ばかりの政治家はいらない

野田氏の言うように、安倍氏が放った「強烈な光も、その先に伸びた影も」今後永遠に検証が続けられるべきだ。安倍氏を弔う言葉でその政治のすべてを美化し、忘れ去ることは許されない。

しかし、この10年間に極限まで進んだ、すさんだ政治の言葉のありようは、あの追悼演説をもって清算し、終わりにしたい。あるべき政治の言葉を取り戻したい。

さて、野田氏は現在、菅直人氏と並んで立憲民主党の最高顧問である。

毀誉褒貶(きよほうへん)があるとはいえ、東京電力福島第1原発事故の対応への再評価の声もあるなど一定の存在感を示す菅氏に対し、野田氏は国民から見れば、首相退任後は陰が薄かった印象は否めない。「消費増税に手をつけた」「衆院解散時期を誤り自民党に政権を明け渡した」など、マイナスの評価も少なくなかった。

だが、派手な立ち回りで「やってる感」ばかり演出する政治家が跋扈(ばっこ)するなか、野田氏のような政治家の存在価値は、もう少し認められてもいいはずだ。

■立憲は「老・壮・青」の三拍子で政権奪取を

野田氏は現在65歳。亡くなった安倍氏とは1993年初当選組の同期だ。「上がりポスト」に収まるには早すぎる。立憲民主党にはぜひ、野田氏らベテランの力も存分に活用し、「老・壮・青」が一体となって、結束して政権奪取に向かうことを求めたい。

政権を争う野党第1党に求められるのは、しっかりした理念や政策の軸と同時に、一体感や安定感があることだ。「ベテランを切り捨てて世代交代をうたい、清新さばかりをアピールする」という平成の野党のあり方も、もう終わらせていいのではないか。

----------

尾中 香尚里(おなか・かおり)
ジャーナリスト
福岡県生まれ。1988年に毎日新聞に入社し、政治部で主に野党や国会を中心に取材。政治部副部長などを経て、現在はフリーで活動している。著書に『安倍晋三と菅直人 非常事態のリーダーシップ』(集英社新書)。

----------

(ジャーナリスト 尾中 香尚里)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください