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自分の仕事に意味なんてあるのか…世の中に「クソどうでもいい仕事」が増えている根本原因

プレジデントオンライン / 2022年11月13日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/DragonImages

「ブルシット・ジョブ」(クソどうでもいい仕事)という言葉がSNS上で話題になった。なぜ働くことに違和感を抱く人が増えたのか。NHKエンタープライズ、エグゼクティブ・プロデューサーの丸山俊一さんは「その問題を解く鍵の一つは、マルクスの『資本論』にある」という。丸山さんの著書『働く悩みは「経済学」で答えが見つかる』(SB新書)から、「マルクス先生」と「アライさん」の問答をお届けする――。

■転職で給料が倍になったアライさんの憂鬱

「マルクス先生、革命の夢はひとまず置いて。もうちょっと実践的なこと、聞いていいですか?」

最近外資系IT企業にコンサルタントとして転職をしたというアライさんが切り出した。転職で給料が2倍になったというみんながうらやむようなアライさんだが、その顔色はそこまで明るくは無いようだ。

「お給料がアップしたのは素直に嬉しいんですけれども、違和感があるんですよね。自分自身はまったく変わっていないのに、どういうことなんだろう? 結局のところ、自分が働いている、労働の価値って何なんでしょうか?」

マルクス先生の目が光った。

「その視点、いいですね! まず、私の価値についての考えをお伝えしましょう。商品の価値……、実は価値には二種類あるのです!」

「まずは使用価値。これは人間にとって役に立つことに基づいている価値のこと、その商品本来の性質に基づく価値ですね。たとえば、腕時計の使用価値なら、腕につけていればいつでもどこでも時間を教えてくれることだし、メガネの使用価値は、目が悪い人でもそれをかければ見えるようになること。当たり前のようだけど、大事なそのモノ本来の価値のことですよね」

「しかし、それとは別の次元にもう一つ。交換価値というものがあるわけです。その商品を生産するのにどれくらい労働時間が必要であったのかによって測られるもので、他のものと交換するための価値です。このように、モノの価値には、それを使用することによって実感できる価値と、他の何かに交換した時に多くの場合お金の額で知る価値があるのです!」

■2つの価値を生み出す資本主義の「魔術」

「わかったような、わからないような……。で、その2種類の価値の話と僕の違和感の話はどんな繋がりがあるでしょうか?」

アライさん、マルクス先生の言葉に割り込み、最初の問いに戻す。

「そうでしたね。確かにあなたは転職で単価が二倍なったのかも知れない。しかしそれはあくまでお金という、交換価値のモノサシの上での見かけであって、あなたの労働の使用価値は、残念ながら変わっていないはずなのですよ、アライさん!」

「自分の使用価値は変わっていないのに自分の交換価値だけ倍になるって、なんだか悪いことをしているような気がしてしまいます」

「確かに使用価値は、その商品を使えば実感できますが、交換価値は人間の五感では捉えることが出来ず、市場という場の交換を経て確認する“幻”のようなものですからね。そうした実感との乖離(かいり)も、ネット上に情報と数字が溢れ、交換価値ばかりが駆け巡っているかのように見える現代のデジタル資本主義だからこその現象と言えるでしょう。そこには、私たちは市場の交換によって、自らの使用価値についてもようやく知ることになる皮肉も潜んでいます。あなたが交換価値が倍になって、初めて自分の労働力の使用価値について考え始めたようにね」

アライさんは少し神妙な顔で答えた。

「それに、そもそも、自分はとても美味しい料理を作るシェフや美味しい野菜を作る農家さんよりも価値の高い仕事をしているようには思えないのですが……」

その言葉は、マルクス先生のスイッチを入れるに十分だった。

「その通り! 別にあなた個人を悪く言うつもりは無いけれど、あなたのような仕事にたくさんのお給料が支払われるような世の中の仕組み、すなわち現代の資本主義というものが歪んでいるのではないでしょうか? 資本主義は、ひとたびその運営の仕方を誤ったならば、人間も自然も破壊し尽くしてしまうのです!」

■自分の仕事にどんな意味があるのか

「そ、そうですか、マルクス先生。でも一気に話が大きくなり過ぎてびっくりです」

気を取り直して、アライさんは続けた。

「一度、個人レベルの話に戻させてもらいますね。給料をもらえることはもちろんありがたいのですが、自分の仕事にどんな意味があるのか? なぜ、これだけ日々忙しく仕事しているのか、自分でもわからなくなる時があって……」
「なるほど。今度は、疎外の問題ですね?」
「そ、疎外?」

アライさんは、目をぱちくりさせた。

「あなたは、残念ながら、人間としての原点の喜びを忘れているのではないですか?」

マルクス先生は遠い眼をして続ける。

「自分自身の労働、働くという行為は当然、あなた自身のもののはずではないですか? そうした労働者に属していたはずの労働が、当の労働者自身にとって実感が得られないものとなってしまい、さらに、労働者を支配するような状況が生まれてしまっているとしたら、これは、大問題です」

深夜にオフィスで働く男性
写真=iStock.com/Cecilie_Arcurs
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Cecilie_Arcurs

「疎外とは、本来自らに親しいはずのものが、意図せざることによって、よそよそしいものになってしまう状況のことを言うのです。そもそも、資本主義の社会では、大原則として、労働者は労働の生産物から疎外されてしまうのですね。労働の生産物は、労働者のモノではなく、資本家のモノになるばかりか、労働者が商品を多く作れば作るほど、その分だけ労働者自身の労働力も、安い商品となってしまうことも意味します。あなたが忙しく働いても働くだけ、その労働による富は資本家にわたると言うことですね」

■悩みの原因は、疎外である

「残業代などで多少あなたに支払われる労働の対価は増えるのかもしれませんが、それでもより多くの富を得ているのはあなたを雇っている会社=資本家です。あなたが忙しくなればなるほどあなたを労働者たらしめている資本家がより多くの富を得ることになるのが、多くの場合でしょう」

「それだけではありません。労働者は労働そのものからも疎外されるのです。これはつまり、労働が労働者にとって疎遠なものとなっている、ということ……、労働というものがもはやあなたに属するものではなくなっているということです」

「現代のサービス業や、アイデアを生産物とするクリエイティブワーカーなどと言われるあなたのような仕事の場合特に労働の手ごたえを実感として感じにくく、どうやら常に追い立てられているような感覚を持つ人が多いのでしょうね」

マルクス先生は、疎外の問題点を説明し始めた。

「労働者にとって労働が自分に属さない外的なものになり、これによって労働は自発的なものではなくて強制的なもの、また生活の為の手段に成り下がるのです。疎外された労働は生きがいや働きがいを与える物ではなく、むしろ生きがいを奪うものになります。労働は、本来人生を豊かにするもので、喜びをもたらすはずであるにも関わらず、むしろ自分を苦しめることになるなんて、なんということでしょう」

階段に座ってうなだれる男性
写真=iStock.com/tuaindeed
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/tuaindeed

■疎外が労働を苦しみに変える

「疎外された人には、哀しいかな、喜びだった労働が、苦痛としか感じられないのです。最終的には、労働者は、類的な存在からも、人間であることからも疎外されるということにもなります。本来、人間とは自由な意志を持った存在であり、自然に働きかけて自らが生きる上で必要なものを生み出していく、そのこと自体に喜びを感じる存在ですし、これが本来の豊かな労働のはずです」

「しかし恐ろしいことに、自分自身の労働によって生み出された生産物に生きる甲斐を見出していたはずの人々が、労働の生産物や労働自体から疎外された結果、人間としての自分自身とも対立することになるという、なんとも皮肉な事態も生んでしまうのです」

「それだけではありません。他人とも対立することにもなる。というのも、人間は本来、他人や社会との繋がりの中で生きていく存在ですが、労働者は人間として生きることが叶わない為に他人と満足に共同することもできず、孤立し、対立することになります。もはや、労働者は人間であることから疎外されてしまう、つまり、働くことで喜びを得るはずが哀しみしか得られず、人間の本質的なものを失っていくのです。実に皮肉です!」

■「早期退職」を目標にする人が増えた事情

マルクス先生は、一気にとうとうと語る。アライさんが口を開いた。

「言われて見れば確かに。特に労働そのものから疎外されて、労働が自分に属さない外的なものになっている現状は、現代ではたくさんの人に当てはまるかもしれません。やりがいを十分に感じることができずに、我慢して仕事をして休日にようやくそれらから解放されるという人はたくさんいるような気がします。やっぱり会社で働くとなると、自分の意志よりも会社やお客さんの都合で色々進んでいってしまって、結局自分を押し殺して働くみたいな……。確かにこれは労働が僕らのものではなくて資本家のもので、僕らが労働から疎外されているからなのかもしれませんね」

今度は、マルクス先生から現代的な言葉が飛び出した。

「最近は、FIRE(Financial Independence, Retire Early)などといって、早期退職を目標とした動きも出ているようですね。これも一概には言えませんが、労働からの“解放”が希望のように語られること自体、労働本来の豊かさが失われていることの一つの証なのではないでしょうか。そもそもの働くことの意味を取り逃がしているように、私には感じられますね。皆自分自身の仕事に十分な意義を感じることが出来ていないから、こうした疎外された労働から早く解放される為の動きが活発になっているのではないでしょうか?」

■今も昔も変わらない資本家と労働者の構図

「とはいえ、私はあなたのような人が疎外を感じているのが新鮮でもあるのですよ、アライさん」

突然、マルクス先生の口調が穏やかになった。

「労働者は疎外されているわけですが、それは生産手段から引き離されることによって起きるものです。しかし、あなたが行なっているのはいわば頭脳労働。新しいアイデアが『商品』となるのが今という時代のようですから、すなわち価値を生む工場が人間の脳内になっているとも言えるのかもしれません。すると、現代において、あなたは生産手段をもった資本家の側の人間と見ることもできないわけではありませんよね」

「先ほどから私が、どうしてそんなものに追い立てられるのか? と否定的に語っているあなたの掌の中にある機械……、スマートフォンと言うそうですが、随分な高性能の生産手段とも言えるわけなのでしょう? つまり、安価で高度な機械技術に多くの人々がアクセスすることが可能になっているという意味では、今の社会はかなり生産手段の解放が進んでいると言えなくもないのではないですか? 資本家だけの占有物ではなく」

カール・マルクスの像
写真=iStock.com/Bettabi
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Bettabi

■労働者は替えの利く歯車なのか

「だとすれば、小さな資本家でもあるあなたが、なぜ疎外を感じるのでしょうか? なぜあなたは自分で得た知識、自分で得たスキル、そのことによってよりいい仕事をしているはずです。特別剰余価値を手にしているにもかかわらず、一体何が不満なのか? と考えてみることもできるのではありませんか?」

アライさんはハッしたような表情を一瞬浮かべて、考えこんでしまった。少しの沈黙の後、静かに語り始めた。

「確かにマルクス先生のおっしゃる通りです。ただ、新しい知識やアイデアが資本となっている時代に知識労働をしているとはいえ、まだまだ自分は相変わらず替えの利く歯車のままというか、いてもいなくてもあんまり関係ないというか……」

マルクス先生はニヤッと笑った

「なるほど、面白いですね。どうやらあなたはデジタル資本主義時代の資本家であるかもしれませんが、それでもやはり依然として疎外される労働者でもあると……。デジタル疎外とも言うべき、現代ゆえの皮肉な現象ですね。実は、その悩み、多くの人々が抱えているのかもしれませんが、過度な分業がその背景にあるからかもしれません」

■「クソどうでもいい仕事」が生まれる根本原因

「巷では、多くの人々が働くことに違和感を抱いているようですね。『ブルシット・ジョブ』(クソどうでもいい仕事 文化人類学者デヴィッド・グレーバによる言葉)などという言葉が話題になって、何の意味も見出せない『空疎な労働』が増え続けているというわけですね、もはや、それは私の定義では、『労働』ですらない『苦役』ですが」

「その背景にあるのは、資本主義のシステムの下で、企業間の競争の激化による効率化を求めるあまりの過度な分業の論理が、この第三次産業主体のポスト産業資本主義=サービス業やソフト開発主体の仕事にまで及んでいるからではないでしょうか?」

今度のマルクス先生の標的は、「分業」らしい。

「分業は、類的存在としての人間の活動の疎外形態を生み出す危険性を大いに持っているものなのです。本来、労働それ自体は人生にとって、生きるエネルギーを生み出すことに直結するような、生存に対して過不足なく必要な、豊かな営みであるはずです。その豊かな営みである労働は、人間が自分で考える構想の作業、すなわち『精神的労働』と実際に自らの身体を動かして行う実行の作業、すなわち『肉体的労働』が統一されたものだったはずなのです」

「しかし、どうでしょう……。今の世の中を眺めてみると……。商品を生むプロセスが細分化していくにつれて、あるいは会社組織が強固になっていくにつれて、この構想(精神的労働)と実行(肉体的労働)が分離され、資本家が構想を独占し、労働者が実行のみを担うことになっているのではないでしょうか? さらに、分業に慣れて日々単純な作業を繰り返すことを強いられる労働者は彼の知性を行使する機会を奪われ、結果的にいよいよ精神が毀損(きそん)され、どんどん愚かになっていってしまっているのかもしれません。構想と実行の分離の背景に、この現代的な分業があるとしたら、なんとも皮肉でおかしな話です」

■悪いのは分業なのか

「そして、アライさん、あなたのようなケースはさらに複雑です」

マルクス先生は少し顔をしかめ、軽いため息をついた。

丸山俊一『働く悩みは「経済学」で答えが見つかる』(SB新書)
丸山俊一『働く悩みは「経済学」で答えが見つかる』(SB新書)

「私は疎外とは、分業の結果、『精神的労働』から引き離された『労働者』において起こるものだと考えていました。しかしながら、どうやら話を聞いていると、ある意味『肉体的労働』から引き離された『小さな資本家』であるあなたにも疎外は起こっているようですね。現代的な分業は、私が想定していた以上に『労働者』だけでなく、『資本家』にも疎外を生み出し得る、実にねじれた性質をもっているようです。やはり、分業を基軸とした資本主義のシステムは根本的に誤っているのです。疎外を解消し、より人間らしい労働を取り戻す為にも、私たちはこの分業の壁を乗り越えねばらないのではないでしょうか? みなさん?」

アライさんが頷き、多くの参加者も一呼吸あってそれに続いた。悪いのは「分業」なのか? そんな空気が支配しそうなところで、暗がりから一人の老紳士が現れ、つぶやいた。

「少し早合点が過ぎるのではないでしょうか? マルクス先生。」

発言の主は……、アダム・スミス先生だ。次のステージでは、「経済学の父」と「資本制の限界」を説いた巨人による、現代の「分業」とその本来の可能性をめぐる議論が始まる。

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丸山 俊一(まるやま・しゅんいち)
NHKエンタープライズ エグゼクティブ・プロデューサー
NHKエンタープライズ エグゼクティブ・プロデューサー、東京藝術大学客員教授。1962年長野県松本市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、NHK入局。「英語でしゃべらナイト」「爆笑問題のニッポンの教養」「ニッポンのジレンマ」「ニッポン戦後サブカルチャー史」ほか数多くの教養エンターテインメント、ドキュメントを企画開発。現在も「欲望の資本主義」「欲望の時代の哲学」「世界サブカルチャー史~欲望の系譜~」などの「欲望」シリーズのほか、「ネコメンタリー 猫も、杓子も。」「地球タクシー」など様々なジャンルの異色企画をプロデュースし続ける。著書に『14歳からの資本主義』『14歳からの個人主義』(いずれも大和書房)『結論は出さなくていい』(光文社新書)などがある。

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(NHKエンタープライズ エグゼクティブ・プロデューサー 丸山 俊一)

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