「数字だけ並べてもいい仕事はできない」村井チェアマンが重大決断をするとき、必ず「Jリーグの理念」に立ち返るワケ
プレジデントオンライン / 2022年11月5日 13時15分
■理念に近づいているなら「Go」、遠ざかれば「No」
――Jリーグチェアマン就任早々、村井さんは「人種差別問題」「八百長疑惑」と立て続けに難題にぶつかりました。その後もさまざまな問題が降りかかってきます。そんな時、何を基準に判断をしてきたのですか。
【村井】これはもうただ一つ。「豊かなスポーツ文化の振興及び国民の心身の健全な発達への寄与」という「Jリーグの理念」ですね。就任以来、100回、200回、いや1000回、2000回とこれを眺めて考えました。この理念に近づいているのなら「Go」、ここから遠ざかっているなら「No」というのが私のスタンスでした。
川淵三郎さんがJリーグを始めた時、単なるスポーツ、競技団体としてサッカーの大会を始めたのではなくて、スポーツを通じて実現したい日本の社会観を示した。それが詰まっているのがこの理念です。トップの川淵さんが就任した「チェアマン」という名称も日本のスポーツ団体では初めての呼称でしたし、公益法人になったのもJリーグが初めてです。サポーターとかホームタウンとか地域密着という概念も極めて新しかった。
■経営とは、夢と数字の両方をグルグル回すこと
――村井さんが就任する前のJリーグは、有力選手の海外移籍が当たり前になったこともあり、入場者数が頭打ちで収益が伸び悩んでいました。Jリーグとしては、リクルートの役員だった村井さんに経営の立て直しを期待した部分も大きかったと思います。
【村井】もちろん、人件費だったり、入場者数の増減だったりといったことをエクセルをぶん回しながら議論するのも大事です。一方で「俺たちはこんなことをやりたいんだ」「こういうサッカー界にしたいんだ」という夢の部分もある。で、夢を語っていると「それはお前の主観だろう。そんな無責任なこと言ってないで数字で語れ」みたいなことを言う人がいる。反対に「そんな無味乾燥な話は嫌だよ」と言う人も出てくる。
これって主観と客観。あるいは脳の右側と左側がごっちゃになっているんですよ。こういう時は「今は左の議論をしよう」「今度は右から見てみよう」と整理しながら、両方をグルグル回していかなくてはいけない。
会社を例にとれば、客観的な評価システムで決められた自分の査定が気に入らないので部長に「会社を辞めたい」と言いに行ったら、「バカ言え、俺のほうが辞めたいくらいだよ」と部長が言う。それでとりあえず赤提灯に飲みに行ったら意気投合しちゃって「明日からもう一回頑張りましょうか」みたいな。組織のメンバーを客観的に評価するという動脈系と、本人が腹落ちするといったような主観が作用する静脈系がグルグル回転するわけです。
■国内感染者1人の段階で「コロナ担当」を設置
【村井】サッカーもスタッツ(統計)を使ってサイエンスで徹底的に選手のプレーをデータで見たりする。一方でファンタジスタみたいなプレーヤーはそういうものでは説明できないワクワクするプレーで熱狂を生んだりするんですね。常に主観と客観のバランスが大切です。
――その熱狂に水を差す事態が2020年に起きました。
【村井】新型コロナウイルスの感染拡大ですね。Jリーグは国内感染者がまだ1人のタイミングだった1月22日には全クラブに「コロナ担当」の窓口を置くことを決めています。大きく報道されたクルーズ船接岸前の段階です。極めて早いタイミングで準備を進めたことで、クルーズ船乗客の感染が大きく報道された2月8日の土曜日に開かれた、Jリーグの新シーズンの開幕を告げる大会である「FUJI XEROX SUPER CUP(現FUJIFILM SUPER CUP)」は無事に終えることができました。
リーグ戦開幕前日の2月20日に第1回の緊急ウェブ会議を開いてJリーグが開幕に向けた最終確認を済ませ、21日からJ1、J2の開幕戦はすべて問題なく開催しました。このころには全クラブで消毒液やサーモメーター、スタッフのマスクなどの手配はすべて済んでいたのです。
しかし、コロナに関する状況が刻々と変わる中、25日に3回目の緊急ウェブ会議を招集して「第2節以降の試合延期」を決めています。
■「サポーターと一緒にJリーグを運用したい」の真意
――政府がスポーツイベントの自粛を呼びかけるより1日早い。つまりJリーグは政府からの要請ではなく、自らの判断で試合を止めたことになります。
【村井】「国民の心身の健全な発達」を理念にうたっているわけですから。ここは国民の安全を第一に考えなくてはならない。
もう一つ、理念には「豊かなスポーツ文化の振興」とある。この「文化」というのは個々人の主観が集合したものですね。条例で「サッカーを観なければならない」と義務付けられているわけではないので、一人ひとりのファン・サポーターが「いいね」と思ったものが集合して初めてスポーツ文化ができてくる。
私がコロナ対策の時の記者会見で「ファン・サポーターと一緒にJリーグを運用したい」と言ったのは、この「文化」という言葉が頭にあったからです。無観客、リモートマッチで開催せざるを得ない時期もありましたが、その頃から私は政府や行政サイドにずっと「お客さまを危険に晒(さら)さないように努力するから、お客さまと共にやらせてほしい」と働きかけてきました。
■1000試合開催して「一度もクラスターを出していません」
【村井】「サッカーは文化だ」と言うのなら、やはりスタンドには主観の主体であるファン・サポーターの姿がなくてはおかしい。ファン・サポーターあってのJリーグなんです。だから4カ月中断して、待って待って、ようやく制限付きでお客さまを入れることができた。年間の公式戦は1000試合を超えますが、その9割以上を無観客ではなく、お客さまと一緒に開催し観客席からは一度もクラスターを出していません。
理念で「文化」をうたっている以上、われわれはファン・サポーターと常に共にあらねばならない。極論すれば無観客試合というのはJリーグの理念に反する。ここが最後のよりどころになるわけです。理念を背負っている強さ、とでも言うのでしょうか。
――村井さんがいたリクルートは、創業者の江副浩正さんの頃から主観と客観を上手に使い分ける会社でした。創業期からPC(プロフィット・センター)制度を導入して、現場に採算責任を追わせて業績を見える化した。小さな社長がいっぱいいる状態で江副さんは「社員皆経営者主義」とも言っていました。数字で徹底的に競わせる仕組みです。
■客観だけではいい仕事もいい会社も生まれない
――一方で目標を達成したり、新人が初受注したりすると天井から「祝目標達成!」の垂れ幕がかかる「垂れ幕文化」があり、志布志(鹿児島県)や安比(岩手県)の農場で牛の乳搾りや芋掘りをし、キャンプファイヤーを囲むキャンプがあったりして、主観の集合である「リクルート文化」を醸成することにも熱心でした。
【村井】そうですね。ビジネスモデル、ナレッジ、ケーススタディ、ベストプラクティス。こんなのはガンガンやっていた記憶があります。こうした客観的なロジックは見えやすいし伝わりやすいので、お客さまに説明するときなどは便利です。
でもこうした客観的な仕組みってのは、すごく真似しやすいものなんですね。客観だけで仕事をしていると競合に簡単にコピーされちゃう。
一方、数値で表せない微妙な塩梅、秘伝のタレみたいなヤツは簡単に真似できなかったりします。リクルートだけじゃなくて日本の企業というのは昔から運動会をやったり社員旅行をやったりして独自の企業文化を育んできましたよね。
私がチェアマンになってからも客観のロジックだけでバーンと押すと「村井さんの言っていることはもっともらしいし反論もできないんだけど、なんか腹落ちしないんだよね」という反応が返ってきました。Jリーグは今まさに、独自の企業文化を作りつつあるところなのかもしれません。
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ジャーナリスト
1965年生まれ。愛知県出身。88年早稲田大学法学部卒業、日本経済新聞社入社。98年欧州総局、編集委員、日経ビジネス編集委員などを経て2016年独立。著書に『東芝 原子力敗戦』ほか。
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(ジャーナリスト 大西 康之)
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