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学校が「勉強のできない子」を生み出していた…インドの天才エンジニアが「落ちこぼれのための学校」を作った理由

プレジデントオンライン / 2022年11月7日 9時15分

インタビューに応じるソナム・ワンチュクさん - 撮影=齋藤陽道

インドの著名エンジニア、ソナム・ワンチュクさんは、インド北部のラダックで劇的な教育改革を主導し、2018年に「アジアのノーベル賞」と呼ばれるマグサイサイ賞を受賞した。ソナムさんはいま、「落ちこぼれのための学校」を立ち上げ、運営に当たる。子供たちに必要な学校、教育とは何か。フリーライターの川内イオさんが、現地でソナムさんに聞いた――

■「アジアのノーベル賞」を受賞したインドの教育改革家の正体

9月某日の朝、インド最北に位置するラダック連邦直轄領の中心地・レーでチャーターした車に乗り込んだ僕らは、一路、西へ向かった。

目的地は、インダス川沿いの小さな村フェイにある学校「セクモル オルタナティブスクール」(以下、セクモルスクールと表記)。その日、僕らは同校の設立者であるソナム・ワンチュクさんのインタビューを予定していた。

ラダックで生まれ育ったソナムさんは、インドで大ヒットして日本でも話題を呼んだ映画『きっとうまくいく』で、天才的なエンジニアとして活躍する主人公のモデルになった人物だ。

著名なエンジニアでもあり、インドでイノベーター、教育改革家と称されるソナムさんは、世界の課題に挑む個人や組織を顕彰するロレックス賞(2016)、「アジアのノーベル賞」と言われるマグサイサイ賞(2018)などを受賞してきた。

ソナムさんはなぜ教育に身を投じ、実際にどんな教育をしているのだろうか?

SECMOL CAMPUSと書かれた看板
撮影=齋藤陽道
セクモル オルタナティブスクールのゲート。 - 撮影=齋藤陽道

レーを出発してからおよそ45分、映画の影響で世界的に名を知られるようになったセクモルスクールは、フェイの村はずれにあった。校舎は、岩と石が転がる荒涼とした山間にあり、その山すそを、インダス川がとうとうと流れている。

学校の敷地内はきれいに整備されていて、緑も多くて気持ちがいい。校内にだけ草木が豊かに茂っているのは、1998年の開校以来、1000本を超える樹が植樹されてきたからだ。

この学校は開校時からエネルギーの自立を実現しており、あちこちに発電用のソーラーパネルや太陽熱の温水装置が置かれている。

また、コンポストトイレで肥料を作り、それで野菜を無農薬栽培し、食事はソーラークッカーで調理、余った食材は牛や馬のエサになり、牛や馬の世話をしながら、そのフンも肥料や断熱材などに活用するという循環型の仕組みが、授業の主要なカリキュラムとして組み込まれている。

インタビューの場所として案内されたツリーハウスがある樹の下で待っていると、ソナムさんが現れ、にこやかに「ジュレー」と手を合わせた。ジュレーはラダック語で「こんにちは」。彼は、その柔らかな笑顔の下にインドの太陽のような強烈なパッションを持っていた。その源流をたどろう。

ソーラーパネル
撮影=齋藤陽道
太陽光はセクモルスクールの主要な電源。 - 撮影=齋藤陽道
野菜畑
撮影=齋藤陽道
生徒たちが無農薬、有機栽培をしている農場。 - 撮影=齋藤陽道
セクモルスクールの建物
撮影=齋藤陽道
校舎の屋根の上でくつろぐ子どもたち。 - 撮影=齋藤陽道

■学校がない隔絶した村に生まれた

一昔前のラダックについては、1975年に現地を訪ねたスウェーデンの言語学者、ヘレナ・ノーバーグ=ホッジによる『懐かしい未来 ラダックから学ぶ』に詳しく描かれている。

ヒマラヤの麓にあって標高が高く、中心地のレーも3500メートルに位置するラダックは、地理的要因もあってインド文化から隔絶され、つい50年ほど前までチベット仏教を信仰しながら貨幣経済に頼らないほぼ自給自足の生活が営まれていた。

ソナムさんは1966年、レーから北西に70キロほど離れたウレ・トクポ村で、三人兄弟の末っ子として生まれた。当時5軒しか家がなく、冬の間は数カ月も雪に閉ざされたというこの村もきっと、素朴で長閑なところだったのだろう。

インドでは6歳から13歳(便宜上、1年生~8年生と表す)まで8年間の初等教育(義務教育)が行われる。しかし村に学校がなかったため、ソナムさんは8歳になるまで母親や村人たちから、生活のなかで暮らしの知恵を学んだ。「それはとてもラッキーだった」と振り返る。

「母は学校に行ったことがありませんでしたが、とても優しく、賢く、私にとって誰よりも素晴らしい先生でした。村人からも多くのことを学びました。例えば、種蒔きをして野菜を育て収穫する彼らのそばで、直接的な視覚や経験から植物の成長や農作業を学んだのです」

■教師にも、同級生にものけ者にされた孤独な学校生活

8歳半の時、叔父に連れられて、故郷から遠く離れたラダック北部のエリア、ヌブラにある学校に通い始め、3年生になる時、父親の意向でジャンムー・カシミール州の州都シュリーナガルにある学校に転校した。ラダックはその頃、ジャンムー・カシミール州の一部で(2019年に分離)、政治家をしていたソナムさんの父親は州都シュリーナガルに拠点があったのだ。

ここから、ソナムさんの苦悩が始まる。

ジャンムー・カシミール州はイスラム教徒が約70%を占め、シュリーナガルはイスラム色が特に強く、チベット仏教圏のラダックとはまるで文化が違う。さらに州の公用語はウルドゥー語で、学校でもウルドゥー語で授業が行われていた。

ウルドゥー語とラダック語は共通点がなく、ソナムさんにとっていきなり外国の学校に入学したようなものだった。学校ではラダック語が禁じられていて、意図を伝えることもできない。

ソナムさんは授業についていけず、いつも教師から「廊下に立ってろ!」と怒鳴られていた。劣等生は同級生からもバカにされ、孤独な学校生活を送った。

■劣等生から優等生に

この境遇に耐えかねたソナム少年は12歳、6年生の時にひとりで首都デリー行きのバスに乗った。デリーには、ラダックなどヒマラヤ山麓から来た子どもたちのための特別な学校があると聞き、その学校を目指したのだ。

ソナムさん
子ども時代の話を笑顔で振り返るソナムさん。(撮影=齋藤陽道)

その冒険譚はここには記さないが、校長に直談判して特別に入学を許可されたこの学校が、ソナムさんの人生を変えることになる。

冬が長いシュリーナガルと夏が長いデリーは、学期の区切りが異なっていた。シュリーナガルの新学期は冬休みが明けた3月にスタートし、デリーは夏休み後の7月に始まる。

ソナムさんがシュリーナガルを飛び出し、デリーの学校に入学したのが7月の頭。3月から6月までの3カ月、6年生の授業を先行して受けていたのだ。この学期のずれによって、どの授業もすでにシュリーナガルで学んだ内容だったから、ソナムさんは率先して教師の質問に答えた。

すると、「彼を見なさい。とてもいい生徒ですよ!」と手放しで褒められ、同級生からもすぐに認められた。突然、優等生として脚光を浴びたソナムさんは、その評価を失いたくないという重圧を抱えつつ、誰からも認められる優等生としての責任も感じるようになり、予習、復習を欠かさずにした。

入学から数カ月後、ソナムさんは勉強が得意な本当の優等生になっていた。

「私は自分の経験から学びました。お前は悪い子だ、ろくな大人になれないぞと叱りつけたり、罰したりするよりも、あなたは良い子だ、素晴らしい、もっとできると伝えることが子どもたちを勇気づけるのです。そうして自信や自己肯定感が育まれると、あれこれ指示されなくても、子どもたちは自力で走っていけるのです」

■メカニカル・エンジニアを目指す

インドでは、15歳(9年生)から16歳(10年生)で中等学校、17歳(11年生)、18歳(12年生)で上級中等学校に通う。物理と科学が得意だったソナムさんは、17歳(11年生)の時に光学への興味から、メカニカル・エンジニアを志す。

「冬になると母は野菜を地下の貯蔵室に保管していました。そこは、年間を通して15度程度に保たれています。レンズや鏡、反射などの光学を学ぶうちに、もし太陽の光をその温かくも暗い貯蔵室に届かせることができたら、冬でもそこで野菜が育てられると思ったのです」

目指したのは、国立工科大学(NIT)。今や世界最難関大学のひとつとして知られるインド工科大学に次ぐレベルで、全国に31校あるNITのうち、ソナムさんは故郷ラダックのあるジャンムー・カシミール州のシュリーナガル校に合格した。

大学では2年目から専門が分かれる。ある日、父親から「なにを学ぶんだ?」と聞かれたソナムさんは、迷いなく「メカニカル・エンジニアリング」と答えた。すると、父親は眉をひそめた。

「ラダックには、お前が望むようなメカニカルの仕事はないだろう。土木工学に進みなさい」

当時のラダックは工場などひとつもない長閑な農村地帯で、父親の指摘も一理あった。しかし、ソナムさんは譲らなかった。すると、父親は最後通牒を突き付けた。

「もしそれがやりたいなら、やればいい。ただし、自分のお金で。私を頼るな」

ソナムさんは、父親が「ごめんなさい、言う通りにします」と謝ることを望んでいるとわかっていた。しかし、「それなら自分でやります。ありがとうございます」と告げて、部屋を出た。

ソナムさん
撮影=齋藤陽道
普段、世界各地で講演などに引っ張りだこのソナムさん。インドでは著名人。 - 撮影=齋藤陽道

■学校が劣等生を作り出していた

ここでもう一度、インドの教育システムの話に戻る。インドでは10年生の時に全国共通テストが行われ、これに合格しないと上級中等学校に進学できないのだが、当時のラダックは合格率が5%と低迷していた。それは、ラダックの若者の学力ではなく、教師の問題だった。

「その頃、教師は子どもたちに『自宅で朝と夜に勉強を教えるから、100ルピー支払いなさい』と言っていました。今の1000ルピー(約1800円)にあたります。この副業をしている限り、教師にとって学校の授業でしっかり教えるメリットがありません。小遣い稼ぎができなくなるから」

「この酷い仕組みを壊す塾を開いて、学費を稼ごう」と考えたソナムさんは大学1年生の冬休み、ラダックの中心地レーにあるホテルを格安で借りて、冬休み限定の塾を開いた。

授業料は20ルピーに設定した。そのお得感からか、塾のポスターを作って町中に張り巡らせると、あっという間に驚くほどの数の生徒が集まった。

授業を始めると、何割かの生徒は明らかに賢く、何割かの生徒は理解度が低いことがわかった。両方の生徒に同じ授業を聞かせても、差がつく一方だ。そこで、最初の40分間はソナムさんが授業をして、その後の30分間はできる子とできない子をペアにして、できる子ができない子に授業内容を教えるようにした。

■「ふたつの奇跡」を生んだソナム塾

数週間後、ソナムさんは「ふたつの奇跡」を目撃した。

「ひとつ目は、勉強が苦手だった生徒がとてもできるようになったこと。ふたつ目は、勉強が得意だった生徒がマスターになったことです。私たちの脳には大きなギャップがあります。理解したつもりでも、人に教えようとするとうまくできない。それがギャップです。私たちは人に教えることで、初めて自分のなかのギャップを見つけることができるのです。ギャップを埋め、説明ができるようになると、その教科のマスターになります。この塾で私は、本当の意味での学びは誰かに教えることで得られるのだと知りました」

ソナム塾は口コミで生徒が増え続け、冬休みが終わる頃には、生徒たちからの授業料が3年分の学費をまかなえる金額に達していた。

インタビューの様子
撮影=齋藤陽道
「風に吹かれるだけの枯れた葉のようになってはいけない。自分の未来は自分で決断するのです」と語るソナムさん。 - 撮影=齋藤陽道

■「もっと大きなムーブメントで学校を変えなければ」

ソナムさんは大学2年生から、希望通りメカニカル・エンジニアリングを学んだ。当時からNITの学生は企業に引っ張りだこで、同級生の多くはシリコンバレーの企業や現在、国際IT都市に発展しているベンガルール(旧バンガロール)の企業に就職した。

しかし、ソナムさんは大学卒業後の1988年、使命感に駆られてラダックに戻った。

「塾で子どもたちに教えたことで、ラダックの学校教育の現実を知りました。私が接した子どもたちは、とても賢く熱心でした。全国共通テストで95%の子どもが落第するのは、ラダックの教育システムのせいだったのです。鏡やレンズは私の恋人でしたが、大学にいても子どもたちの泣き声が聞こえてくるようでした。私は、空虚で無意味なラダックの教育で落ちこぼれていく生徒たちを助けたかったのです」

兄や仲間たちとともに「セクモル(SECMOL/The Students Educational and Cultural Movement of Ladakh)」を設立したソナムさんは、もう一度、全国共通テストを控える10年生を対象にした塾を開いた。それは最初の時と同様に大きな効果を発揮したが、1年経ち、2年経つと虚しさと怒りを感じるようになった。

イメージしてほしい。子どもたちを学校というシステムのなかに放り込むと、壊れた状態で出てくる。塾で必死になって壊れたところを直しても、学校がある限り子どもは壊され続ける。

「そもそも、なんで最初に壊すのか。壊されてから直すのではなく、壊される前に救うことはできないのか」

ソナムさんは「もっと大きなムーブメントで学校を変えなければ!」と立ち上がった。

ここから、革命が始まった。

■立ちはだかる言葉の壁

ソナムさんはまず、教育に携わる地域の関係者を訪ねて、「学校には問題があるから、システムを変えたい」と率直に訴えた。

ソナムさんが最も問題視していたのは言語教育だった。

ソナムさんが8歳の時に入った学校ではラダック語が使われていたが、その後、州の公用語であるウルドゥー語の導入が進み、1980年代には1年生からウルドゥー語の授業が徹底されるようになった。さらに英語教育も浸透した結果、8年生になるとすべての教科書が英語で記されるようになっていた。

インタビューの様子
撮影=齋藤陽道
ソナムさんと仲間たちは「慈善的な助けは持続的な方法ではない。根本を変えるべきだ」と立ち上がった。 - 撮影=齋藤陽道

「(日常生活でラダック語を話している)ラダックの子どもたちにとって、ウルドゥー語も英語もまったくなじみのない言語です。日本人の子どもたちが学校ではペルシャ語で学ばされ、14歳になったらスペイン語に変わるようなものです。それで何%の子どもたちが、試験にパスするでしょうか? 95%が落第するのは当たり前で、むしろ5%がパスしたことに驚きます。英語は世界共通言語なので、学校で使う言語をラダック語と英語に変更したいと伝えました」

ソナムさんの話を聞いた関係者は、「カリキュラムは州政府が決めたことで、システムや言語を変えることはできない」と首を横に振った。

そこからが、勝負だった。ソナムさんたちは地方自治体に「1校だけでも実験させてほしい」とかけあい、粘り強く交渉を重ねて許可を得た。

そこで、ラダック人に馴染みやすい内容にしたラダック語の教科書を作るところからスタート。授業も、ソナムさんが学校に通い始める前、母親や村人から「体験」を通してさまざまなことを習ったように、遊びながら実験する「感じる学び」を中心に据え、画家や歌手を学校に招いた。

■ラダックを変えた「Operation New Hope」

これまでにない学習をリードする教師たちの育成にも着手。また、村人による教育委員会を設立して学校に対してオーナーシップを持つように促し、子どもたちに農業を教えてもらった。そうすることで、村人も学校の一部になっていった。

一連の取り組みによって全国共通テストの合格率が上がるとこの改革は大きな注目を集め、ソナムさんたちが「学校を変えたい人は手を上げてください」とアナウンスしたところ、広大なラダックから33の公立校が名乗り出た。

たった一校から始まった革命はこれをきっかけに大きなうねりになり、1994年、ラダックの公立学校の初等教育システムを一新するために「Operation New Hope」と名付けられたプロジェクトがスタート。学校の教科書を一新し、10日間の集中宿泊コースで700人以上の教師、教育関係者、行政官をトレーニング。村ごとに教育委員会を組織し、約1000人のメンバーに、学校のあり方や自分たちの権利について説いた。

こうして変革の波はラダックに伝播していき、5%だった全国共通テストの合格率は右肩上がりに上昇し、2015年には75%に達した。そのすべてのきっかけになったのが、ソナムさん率いるセクモルの活動なのだ。

■「落ちこぼれのための学校」を設立

セクモルを組織してから10年後の1998年、ソナムさんたちの尽力で全国共通テストの合格率がグングン上昇し始めた頃、フェイに「セクモル オルタナティブスクール」を開いた。この学校を作ったのは、落第する子どもたちを見捨てないためだ。

「合格率を伸ばすのは行政に任せ、私たちは10年生の試験で落第してしまった子どもたちのケアに集中しようと考えました。今でも25%の子どもたちが落第していますが、彼らも大切な存在であることに変わりありません。この学校にいる40人の生徒の多くは、ここに来る以外にほかの選択肢がない子どもたちです」

「落ちこぼれのための学校」は、エンジニアとしてのソナムさんの知識と知恵が活かされた設計、カリキュラムで、唯一無二の存在になっている。

例えば、電気、水など生活インフラの自立。キャンパス内の電力は太陽光発電でまかなわれている。調理には、大型のガスバーナー並みの熱量を持つ2台の集光型ソーラークッカーを活用。飲料水も電動ポンプで井戸から汲み上げている。

シャワーは、太陽熱の温水器を使用。太陽熱は校舎を温める役割も担う。校舎を含め、セクモルスクールの建物はすべて南向きに建てられ、ほとんどが全面ガラス張りだ。そのガラスを透過する太陽光の熱を、ソナムさんが「ヒートバンク」と呼ぶ黒く塗装した土壁に蓄熱する。

セクモルスクールの建物
撮影=齋藤陽道
セクモル オルタナティブスクールの校舎。ほかにホールや居住棟などがある。 - 撮影=齋藤陽道

ガラス窓から熱を逃がさないため、冬には校舎の南側に透明なビニールの幕を垂らす。これはビニールハウスをイメージするとわかりやすい。屋根や外壁、床下には断熱材としてわらや建築時に発生する木くず、牛糞などを入れている。

学校内に暖房はないが、太陽の光と熱を利用したこの設計で、外がマイナス20度になる冬、校舎内は15度から20度に保たれる。校内の最低気温は、2019年の真冬に記録した「7度」だ。

「この学校の施設はすべて、科学的に太陽光を集めて室内を暖めるように設計されています。基本的には、教科書に載っていることを利用しました。とてもシンプルで、電力もいらないし、汚染もありません。ニューヨークの人々はモダンかもしれませんが、現代の暮らしは石油を燃やしたりして環境に負荷を与えます。私たちは環境にダメージを与えることなく同じように快適な生活をしているから、モダンを超えたかな(笑)」

■行き場を失った若者の活力

カリキュラムは、学校内のさまざまな建物、設備、システムを子どもたちが作り、触れ、運用することで学ぶように組まれている。それは子どもたちのためにお膳立てされたものではない。例えば、セクモルの生徒たちは教師の力を借りながら低コストで誰でも作ることができる太陽光温水器を設計、製作し、生活のなかに導入している。

ソナムさん
撮影=齋藤陽道
新しい建物を作る子どもたちの作業を見守るソナムさん。 - 撮影=齋藤陽道

ソナムさんは、教師たちに「授業の内容を忘れたことを責めて子どもを怒鳴ってはいけない。授業を忘れられない内容にしなさい」と伝えているという。

ユニークなのは、「レスポンシビリティ」というプログラムだ。子どもたちはグループごとに太陽光発電システムの管理・運用、牛や馬の世話、野菜作り、校内の掃除など15個ある役割のなかから6つを選び、それぞれ2カ月間担当する。

最初にどんな改善をするのか目標を立てて発表し、2カ月経った時に自分たちが成し遂げたことをプレゼンする。このプログラムは、ソナムさん独自の視点が活かされていた。

「私たちが狩猟民族だった頃も、1万年前に農耕を始めてからも、若者は常に目いっぱい体を動かして、さまざまな挑戦をしてきました。子どもたちは生きるための挑戦と対峙(たいじ)するための活力で満たされています。ところが300年前に産業革命が起きてから、工場のような学校に送られて、6時間も座らされるようになって、自然が彼らに与えた活力は行き場を失った。そのエネルギーを、ベンチを壊したり、教師と戦ったり、両親に反抗したりすることで発散しているのです。だからこそ、私は若者に自然のなかで挑戦する環境を与え、それを教育の形にすべきだと考えています」

セクモルスクールの馬
撮影=齋藤陽道
セクモルスクールのキャンパスで飼われている馬。 - 撮影=齋藤陽道

「レスポンシビリティ」には、もうひとつの効果がある。

さまざまな体験を通して、子どもたちは読み書きとは別の自分が得意な作業や役割を発見するのだ。それは、将来の仕事につながる出会いになる。

■学校で「思いやり」を育む理由

セクモルスクールが大切にしているのは、「3H」。これはHead、Hand、Heartの頭文字で、知性、スキル、そしてハート=思いやりを表す。学校で思いやりを育む理由について尋ねると、ソナムさんは「知性と技術だけでは、世界の幸せにつながらないからです」と答えた。

外壁に刻まれた3H
撮影=齋藤陽道
キャンパスのいたるところに「3H」と記されている。 - 撮影=齋藤陽道

「腕のいいスリは頭がよく、高いスキルを持っています。他人の痛みを感じる共感性を持ち、助け合って人々の問題を解決する優しい心を持っていなければ、世界は幸せな場所になりません。だからハートを育てなければいけないのです。例えば、レスポンシビリティ・プログラムは実際に手を動かしてスキルを磨き、協力し合って課題を改善することで、誰かのために行動する意味を知り、思いやりを身に付けるのです」

ソナムさんは自ら率先して、自身の知性とスキルを地域の課題解決に活かしてきた。代表的なものが、「アイスストゥーパ」だ。

ラダックの住民たちの主な水源は、ヒマラヤの氷河。しかし、気候変動によって氷河が溶け始め、ライフラインが脅かされている。そこで、ソナムさんは「人工氷河を作ろう」と考えた。

地域の水不足を解決したアイデア

山を流れる川の水をパイプで村まで引き込み、高低差を利用して垂直に立てたパイプから噴水のように水が噴き出すようにする。冬のラダックでその水はすぐに凍りつき、高さ20メートルを優に超える円錐状の巨大な氷になる。

その巨大な円錐形の氷の塊を仏塔(ストゥーパ)に例えて、アイスストゥーパと名付けた。ソナムさんが2016年に完成させたアイスストゥーパはその年の6月まで残り、100万リットルの水を供給し、農作物の灌漑用水として使用された。2016年に授与されたロレックス賞は、この卓越した取り組みを評価してのものだ。

ノウハウが確立すると、ソナムさんは賞金付きの「アイスストゥーパ・コンテスト」を開催。これは村人たちが自力でアイスストゥーパを作り、どれだけたくさんの水を確保するかを競うもので、2019~20年の冬には16の村が参加。この年に優勝した村はなんと850万リットルの水を蓄える超巨大アイスストゥーパを作り上げた。

「私たちはお金もリソースもないので、たくさんのリソースが必要のない解決方法を考えるのが好きなのです。もともと人工氷河を作るアイデアはありましたが、いかに長く保たせるかがポイントでした。さまざまな日除けを検討したもののどれも実用的ではなく諦めて、太陽が当たる表面積をできる限り小さく、かつ大容量で保存できる形状として円錐という答えにたどり着きました。アイスストゥーパを作るのに必要なものはパイプと山の急斜面だけ。お金があると脳みそよりお金を使いがちですが、いつもお金が必要というわけではないのです」

セクモルスクール
撮影=齋藤陽道
塩水を入れたペットボトルは優れた断熱材になる。 - 撮影=齋藤陽道
セクモルスクール
撮影=齋藤陽道
冬の間、野菜を育てる温室。蓄熱のために黒い紙をまいたペットボトルが吊るされている。 - 撮影=齋藤陽道
セクモルスクール
撮影=齋藤陽道
さまざまな塗料と素材を日光に当て、「(蓄熱効果の)違いを感じて見て」と記されている。 - 撮影=齋藤陽道
セクモルスクール
撮影=齋藤陽道
キャンパスではあらゆるものが分類され、リサイクル、リユースされている。 - 撮影=齋藤陽道

■「3H」を掲げる大学を設立

ソナムさんの存在は、セクモルスクールの子どもたちにどのような影響を与えているのだろうか?

卒業生のなかには、10年生を5回も落第した後にセクモルスクールに入学し、自分の進む道を見つけてジャーナリストになり、政治家に転じて教育に携わっている人もいるという。

セクモルスクールで変わっていく10代の子どもたちを見てきたソナムさんは、ラダックでセクモルスクールの理念「3H」を共有する新しい形の大学HIAL(The Himalayan Institute of Alternatives, Ladakh)を立ち上げた。

この大学は「教室内での学習は30%、70%は外の世界で」というコンセプトで、村や企業、行政と組んで課題のある現場へ赴き、解決に取り組む。ソナムさんは「私たちは教育を通して、地域や環境の課題解決に若い学生を巻き込んでいるのです」と嬉しそうに語った。

超高齢化が進む日本は、課題先進国と言われる。セクモルスクールやHIALで教えているように、3Hを持って課題解決に挑む若者が必要だ。そういう人材はどのように育成したらいいのだろうか? ソナムさんは、課題を解決する人間に求められるのは好奇心、共感性、率先力だという。

■子どもたちには失敗できる環境が必要だ

その3つのなかでも、ソナムさんは過去のインタビューで「好奇心はもともと子どものなかに備わっているソフトウエア」「子どもの好奇心を殺さないように」と語っているように、好奇心を特に重視している。「日本の子どもも基本的に、学校ではイスに座って先生の話を聞いている」と説明し、子どもの好奇心を損なわないためになにが必要ですか? と尋ねると、穏やかにほほ笑んだ。

ソナムさん
撮影=齋藤陽道
多忙ななか、90分を超えるインタビューに応えてくれた。 - 撮影=齋藤陽道

「理想を言えば、学校が変わるべきだと思います。自由を与え、クレイジーなアイデアを出したり、くだらない質問をする余裕を与えてください。私たちが2本足で歩けるようになるまでに1000回は転びます。教育も同じで、子どもたちは失敗しなくてはいけないのです。だからこそ、笑われることなくくだらない質問ができて、失敗する余裕が必要です。もし学校でそれができないのであれば、親ができるかぎりその余白を与えてあげてください。森でもいいし、工場でもいい。彼らが学校の外で好奇心に従って学ぶのを手助けするのです」

日本とインドの共通点は少ない。教育環境だけでなく、人口規模も、国土の広さも、文化も、経済成長率も、大きく異なっている。

それなのに、インドの教育改革家、ソナムさんの言葉はどれも納得できるもので、考えさせられ、胸に沁みた。それはきっと、「子どもを健やかに育て、それぞれの才能を大切にしたい」というソナムさんの教育者としての想いが、日本人の僕らにとっても共感できるものだからだろう。

僕らが取材に行った日、セクモルスクールの子どもたちは大人と協力して小屋を建てたり、突然の訪問者に対応し、学校を案内したりしていた。「落ちこぼれの学校」の生徒は眩しく見えた。

SECMOL LOVERSと書かれた地面
撮影=齋藤陽道

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川内 イオ(かわうち・いお)
フリーライター
1979年生まれ。ジャンルを問わず「世界を明るく照らす稀な人」を追う稀人ハンターとして取材、執筆、編集、企画、イベントコーディネートなどを行う。2006年から10年までバルセロナ在住。世界に散らばる稀人に光を当て、多彩な生き方や働き方を世に広く伝えることで「誰もが個性きらめく稀人になれる社会」の実現を目指す。著書に『1キロ100万円の塩をつくる 常識を超えて「おいしい」を生み出す10人』(ポプラ新書)、『農業新時代 ネクストファーマーズの挑戦』(文春新書)などがある。

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(フリーライター 川内 イオ)

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