1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. ビジネス

稲盛和夫が試算したら「初任給20万円の新人が稼ぐべき最低額は『6分250円』」

プレジデントオンライン / 2022年11月11日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Ri luck

「倹約を旨とする」というとみみっちい感じがするが、中小企業であろうと、世界的企業であろうと、変えてはいけない考え方だ。環境によって変わるようなものではない。現在は過去の考え方の結果であり、未来は今からの考え方で決まるのだ。「プレジデント」(2022年12月2日号)の特集より、記事の一部をお届けします――。

■初任給20万円の新人が稼ぐべき最低額は、6分250円

京セラでは、アメーバ単位で「時間当り採算制度」を実施し、職場での仕事の結果が誰にでもはっきりとわかるようになっています。社員一人ひとりが経営者の意識を持って、どうすれば自分たちのアメーバの「時間当り」を高めていけるかを真剣に考え、実践していかなければなりません。常日頃、鉛筆1本やクリップ1つにいたるまで、ものを大切にしようと言っているのは、こうした思いの表れです。床にこぼれ落ちている原料や、職場の片隅に積み上げられている不良品が、まさにお金そのものに見えてくるところまで、私たちの採算意識を高めていかなければなりません。

日々仕事を進めている中で、採算意識を高めていこうということを、幹部社員はもちろん、私は社員全員に強く訴えてきました。この「採算意識」という言葉は、利益意識という意味ではなく、原価意識という意味です。

■すべてのことに原価意識を持って仕事を

つまり、仕事をする以上すべてのことに原価意識を持って仕事をしなさいという意味で、採算意識と言っているわけです。採算、または採算を合わせると言えば、利益を得るということにつながっていくように思いますが、利益を求めてすべてのことを考えていくのではありません。「原価を考える」ということです。ここに集まっておられるみなさんもそうだと思いますが、仕事をしていきます中で、コスト、原価はどうなっているのかということを考えていない人は、経営がうまくいっていないと思います。

私はいつも思うのですが、例えばホテルのレストランで食事をしているとします。レストランは閑散としていて、たくさんのウエイトレスさん、ウエイターさんが手持ちぶさたに、あちらの隅、こちらの隅に立っておられる。見渡せば、お客さんは1000円か1500円ぐらいのライスカレーみたいなものを食べておられる。そういうときはいつも、立っているウエイターさん、ウエイトレスさんの人件費などを考えて、パッパッと頭の中で計算して、「ああ、これじゃ採算は合わないな」と思ってしまうのです。

つまり、自分のやっている仕事はもとより、いろいろ遭遇する所々で、それを、瞬間的に原価意識を持って見ることができるのか、漠然と見てしまうのか。それによってたいへんな違いがあります。経営者である人は、それを漠然と見ていたのでは駄目なのです。自分の仕事だけではなしに、なんにでも原価を考えなければならないわけです。

新入社員の給料

これは私自身がもともと持っていたものなのか、どうしてそういう意識を持つようになったのかはわかりませんが、例えば会社の中である仕事を秘書に頼んだとします。それが非常に遅くて、持ってくるのに時間がかかる。わずか1枚にまとめたものをワープロやパソコンで打ち出して持ってくるだけなのに、半日もかかっている。最近は大卒の初任給でも20万円はします。おそらく中小企業の場合でも、残業代を含めて平均30万円ぐらいかかっているだろうと思います。ボーナスまで入れれば40万円はくだらないだろうと思います。

そうすれば年間480万円、年俸は約500万円となります。そして、ひと月に20日間ぐらいしか働きませんから、1日当たりは2万円となり、それを8時間で割れば1時間2500円になります。それをさらに10で割れば、6分250円になります。つまり、タクシーのメーターみたいに、6分経てば250円ずつ上がっていくわけです。そういう目で見れば、ウロウロしている人が目障りになってしようがない。250円があの辺をウロウロ、この辺をウロウロ、何もしないで手ぶらでウロウロしている。もうたまらんような感じがします。

私が経営者だからそう思うのですけれども、従業員の人たちにも「あなたの給料からいけば6分間250円なのですよ。だから、たった6分間でも、それ以上の価値を生み出してくれない限り、会社は赤字になるのですよ」と教えてあげて、そういう意識を持った従業員の人たちが動いてくれるようにする。もちろん、その人たちはいつも6分250円で詰めて働いているわけではありませんが、例えば1時間のロスをしたので、次の1時間を2500円以上の5000円、いや1万円の仕事をしようと思っていくようになると思うのです。ただボーッとしていても、それだけ時間がかかる。1日2万円かかってしまうわけです。

オフィス
写真=iStock.com/filadendron
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/filadendron

ですから、「あなたは午前中、ボーッとしていたでしょう、だからあなたは1万円を無駄にしたのですよ」ということになるのですが、それを経営者が言えば非常にきつく感じます。ですが、従業員の人たちがみんな、自分で「今日はまずかったなあ。考えてみれば、今日は午前中、ボーッとしていた。会社に1万円損をかけてしまった」と思ってくれるような意識になってくれれば、会社は非常にうまくいきます。

利益をいくら出せということではないのです。自分がここに座っている、喋っている時間は、どのくらいの価値をつくらなければならないのか、どれだけのコストがかかっているのかということを意識するために、全従業員に採算意識を持ってもらいたいわけです。

■ビジネスチャンスは非常に広がってくる

中小企業の経営をやっていますと、経営者だけがそういうマインド、意識を持っているものですから、従業員のやることが見ていられないと言いますか、イライラして当たり散らして怒り散らす。ますます逆作用となって、ちっともいい方向にいかないのですが、従業員も同じような立場で、同じような意識を持ってくれれば、「そんなことをしていたのでは採算が合わんじゃないか」と言っただけで、「あっ、そうですな」とわかってくれます。常に原価意識を持ってくれれば、何も当たり散らさなくてもいいわけです。

それは会社の中の仕事だけではなくて、ホテルのレストランに入った場合でも、ラーメン屋さんに入った場合でも何を見ても、この商売はうまくいっているのか、うまくいっていないのかという目で見るようにしなければなりません。そういう目で見ていますと、次に自分が事業をしようとする場合に、ああいうビジネスはいけそうだな、ちょっと目の子で計算(概算)してみても、十分に採算が合いそうだなということがわかってきます。あるいは、ああいう事業は難しそうだな、誰がやっても難しいのではないかということもわかってきます。

遊んでいるときでも、仕事のときでも、常に採算意識を働かせて物事を見ていけば、ビジネスチャンスは非常に広がってくるのです。また、その採算意識を従業員に持ってもらうように、つまり原価意識を持ってもらうように、常に従業員に話をしてあげる。原価に対して非常に敏感な、鋭敏な従業員が何人いるかということが、会社の経営内容をよくしていくもとだろうと思います。

■ビス1個、ナット1個の値段を知っているか?

私自身、よく製造現場に足を運んだものです。そうすると、原料が片隅にこぼれている。1キロいくらの原料がバラバラッとこぼれている。もう身が切られる思いがするわけです。すぐにみんなを呼び集めて、「なんで原料がこぼれているのだ」と怒ったりしたものですが、現場では忙しく一生懸命に働いているものですから、例えば組立工場ではビスやらナットが、手から滑り落ちてこぼれてしまいます。

そういうビスやらナットが何個か落ちているのですが、ベルトコンベアの流れ作業ですから、それを拾っていたのでは間に合わない。ですから、こぼしたままでどんどん組んでいかなければならない。しかも、落ちたビスやらナットを作業者が踏んづけてしまうものですから、拾っても使えなくなってしまう。そういうものがゴロゴロ、ゴロゴロ落ちている職場を見ると、こんなことで採算が合うわけがないと思ってしまうわけです。

私は製造現場でビスが落ちているのを見るたびに、「ここにビスが3個落ちておるけれども、これは1個いくらなのですか」と聞くのです。大抵は「へえ」という答えしか返ってきません。誰も知らないわけです。ですから、「これはいくらなんですよ」と教えてあげなければならない。つまり採算意識とは、まず自分が組んでいるビス1本、ナット1本は何銭するのか、何円するのかを知ってもらうことから始まるわけです。

そういうものを全部教えて、みんなに採算意識、コスト意識を持ってもらうようにしていく。このことを痛切に感じたものですから、私はこの「採算意識を高める」ということを一生懸命にやってきたわけです。経営者はもちろんのことです。採算意識というよりは、原価意識を高めると言い換えたほうがいいと思います。原価意識を持って経営をするのはもちろんですが、従業員一人ひとりにまで、原価意識を高めるように教育することがたいへん大事です。

■大企業になっても倹約を旨とする

私たちは余裕ができると、ついつい「これくらいはいいだろう」とか、「何もここまでケチケチしなくても」というように、経費に対する感覚が甘くなりがちです。そうなると、各部署で無駄な経費がふくらみ、会社全体では大きく利益を損なうことになります。そしてひとたびこのような甘い感覚が身についてしまうと、状況が厳しくなったときに、改めて経費を締めなおそうとしても、なかなか元に戻すことはできません。ですから、私たちはどのような状態であれ、常に倹約を心がけなければなりません。出ていく経費を最小限に抑えることは、私たちにできる最も身近な経営参加であると言えます。(『京セラフィロソフィ手帳』より)

つまり、経費を最小限に抑える仕事をしてもらうことが、最初にできる経営参加なのですと、ここでは言っているわけです。

私自身古い人間ですから、こういうことを自分でも考え、社員にも言ってきたと思うのですけれども、これは特に大事なことだと思います。人間の考え方というものは、どんどん変化をしていきます。「京セラフィロソフィ」の中で、過去に人生の結果という方程式の話をしました。「京セラフィロソフィ」の根幹になる、もっとも基軸となるものです。あの中で私は、その人が持つ考え方、哲学が一番大事だと強調していますが、その「考え方」というものは、実は変化をしていくのです。Aという人はこういう考え方だと、決まったものではないのです。

人生の結果は「考え方×熱意×能力」という方程式になると言っていますが、ある時期にはその人はすばらしい考え方をしていた。そのために事業もうまくいき、人生も順調にいったけれども、それがうまくいくに従って、その人の考え方が変わっていく。そのために、せっかく成功させた事業を失敗させ、つぶしてしまう。そういうこともあり得るのです。つまり、経営者が持つ考え方が変化していき、それに連れて経営状態も変わっていくわけです。

■「倹約を旨とすべし」

例えば、私が京セラという会社を始めた40年前はお金もなかったし何もありませんでしたから、「倹約を旨とする」というフィロソフィをつくり、それを従業員に言っていたのは当然かもしれませんが、では現在はどうなのか。連結決算で7000億、8000億円という規模になり、700億、800億円という利益が出ることになった今でも、「倹約を旨とすべし」と言っているのかどうか。そしてそれがまだ実行されているのか。

私は社員の人たちに、よく「現在は過去に我々が考え、行ってきたことの結果であり、未来は今からの我々の考え方、努力で決まる」と言ってきました。現在の結果は、過去にしたことがもたらしたものであって、今から私どもがやっていくことが未来を決めていくということなのです。そういう意味でも、「倹約を旨とする」ということは非常に地味で、みみっちい感じがしますけれども、これは中小零細で苦しかったときにだけ旨としていたのではなくて、何千億円という世界的企業になっても変わってはいけない。またその考え方も、環境によって変わっていくものではない。そういうふうに思います。

■どうしても贅沢ができない

自分でそういうことを言い聞かせているものですから、たいへんみっともない話ですが、どうしても贅沢ができないのです。例えば出張をして、自分ひとりで食事をするのに、ホテルで夕食をとろうと思えば最低でも何千円かかります。1万円近くかかる場合もあります。そういうことが、私自身、信じられないのです。脱線しますけれども、私は休みで暇なときに、スーパーマーケットで食料品を買うのがたいへん好きなのです。カートを押しながら家内の尻からついていって、「あれを買え」「これを買え」と言って買ってもらうのです。

家内には「家にあまりいないし食べもしないくせに、あれもこれもと言う」と怒られてしまうのですが、買ってもらっている間、楽しくて楽しくて仕方がありません。そうしてたくさん買ってもらって、たいへん贅沢をしたなと思っても、レジで支払うと1万5000円くらいです。そして、買った食料品がどのくらい保つのかといったら、家内に言わせれば10日は十分に保つという。我々が家で食べている夜のご飯は、おそらく原価では1000円にも満たないものなのでしょうね。なのに、ホテルで食事をすれば簡単に数千円はかかってしまう。ですから感覚が、どうしても貧乏性なのです。

ケチらなくてもいいのに、吉野家の牛丼屋に入って450円の並を取る。大盛りはご飯が多すぎて老人にはムリですから、並を取る。また、お肉だけ出てくる並の皿が380円くらいであるのです。それを私の運転手さんと一緒に食べるのです。自分ひとりで行くのは恥ずかしいものですから、「おまえも食べい」と連れていって、2人で牛丼の並を取って、お肉だけの並の皿もひとつ追加します。上から食べますと最初に具がなくなりますから、追加したお肉だけの皿を運転手さんと半分ずつに分けて、上に載せて食べる。

牛丼
写真=iStock.com/bonchan
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/bonchan

たったそれだけのものを食べて、ルンルンでリッチな感じになるのです。「今日はたいへんな贅沢をした」という感じになるくらい、みみっちい生活をたまにしています。

例えば毎晩5000円の食事、1万円の食事を10年続けようと、なんでもないはずなのに、それは死んでもできないくらい恐いことなのです。お金がないから恐いのではなくて、お金はあるけれども、そんなことが信じられないわけです。毎晩7000円、8000円のメシを平気で食える神経というのは恐ろしい。できれば、そういうものであってほしいと思うのですが、ちょっと成功された方が、しょっちゅうホテルで豪勢な食事をしておられるという。それを見聞きするたびに「へえ」と思ってしまうのです。

その人も会社をつくった当初、おそらく倹約を旨としておられたのでしょう。しかし成功するに従って、それだけの贅沢をしても構わないという財政的な裏付けが出てきて、贅沢になってしまう。人間というものは、考え方が変化していくのです。

■今日うまくいったからといって明日の保証はない

立派な経営を持続していくとすれば、立派な考え方を持続して持っていなければならないのです。5年、10年、一時的な成功で繁栄するのは簡単なことかもしれませんが、中小企業を経営し、長い間従業員を守り、長い間事業を続けていくのはたいへん難しいことだと思います。

また脱線します。経営の苦しさ、持続しなければならない苦しさ、今日うまくいったからといって明日の保証はない。だから今日をがんばり、明日もがんばり、エンドレスに際限もなく努力を続けなければならない。最初の頃、そのことを思うと気が遠くなるくらいの恐ろしい感じがしたものです。そのときに、「オリンピックの選手やったら、まだええがな」と思ったことがあります。オリンピック選手になることはたいへんなことですし、みんなから賞賛もされ、本人も立派なことだと思っているかもしれません。もちろん、そのためには素質も努力も要りましょう。オリンピックに備えて10年間努力をしなければならないかもしれません。

しかし、4年に1度まわってくるオリンピック、それだけに焦点を合わせて努力をするなら、まだ簡単なことだと思うのです。我々は10年はおろか、20年も30年も40年も繁栄し続けなければなりません。そしてその努力をずっと続けなければなりません。その間に慢心してもいけませんし、傲慢になってもいけない。中小零細の頃には謙虚で倹約を旨とし、質素に懸命にがんばってきた。その後、いくらお金持ちになろうとも、いくら会社が立派になろうとも、それを持続しなければならない。よほど克己心が強くなければ、持続できるわけがないのです。

「そういう我々中小企業経営者に比べれば、オリンピック選手になるくらい、そんなもん簡単なことや。5年や10年、死ぬ思いで努力しても、その後は遊んでもいいのだったら、そんな楽なことはないわい」。昔、自分がつらかったものだから、経営者として生きていくことがつらかったものだから、当たり散らして、オリンピック選手にまで「あんなもん簡単なこっちゃ」と思っていたわけです。つまり、経営者は守り続けていかなければならない。変わってはならないのです。

またまた脱線します。人生の方程式の中にある「考え方」とは、哲学であり、思想なのですけれども、もうひとつ言葉をかえれば、人格、人間性です。この人格、人間性が人生の結果、仕事の結果を決めるわけです。よく私は、カニは自分の甲羅に似せて穴を掘ると言うように、企業はトップの器の分しか大きくならないのですよと言っていますね。そのトップの器、大きさ、器量が、人格なのです。その人が持つ人間性です。その人が持つ人格、人間性によって企業の規模も全部決まっていく。そのために、私ども盛和塾という場で自分をつくっていこうとしているわけです。

また、この盛和塾を始めましたときには、「心を高め、経営を伸ばそう。心を磨くこと、心を高めることと経営を伸ばすことはイコールなのですよ」と言いました。つまり、人格、人間性、品格、そういうものが人生を決めていくわけです。

■「人格は変わる」ことを念頭に入れておく

実は2カ月ほど前、アメリカのワシントンで、CSISというシンクタンクが主催するシンポジウムが開かれました。そこでは「リーダーのあるべき姿」というテーマの下、多くの学者や有識者が議論をしました。CSISの所長、アブシャイヤー元大使が私の本の中にあった「リーダーのあるべき姿」という項目を読み、非常に感銘を受けたことから企画されたシンポジウムですが、理由はそれだけではありません。私の本に触発されたと同時に、クリントンさんのことで大統領の権威が失墜しているという問題がアメリカで起こっていたからでした。

このシンポジウムでは、「リーダーはすばらしい人格を持った人でなければならない」ということが異口同音に言われました。特にアブシャイヤーさんは、「大統領が強大な権力を持つようにアメリカ合衆国の憲法で決められたのは、初代大統領ジョージ・ワシントンがすばらしい人格を持っていたからです。ですから、強大な権力を大統領に与えてもいいし、また与えたほうがいいとなったのです。

しかし、その後の大統領が強大な権力を持つにふさわしい人格を持たなかった場合には、その権力を付与するには問題があるという議論が出てくるのは当然です。改めて大統領職の権限について議論すべきです」とまで言われました。しかしただひとつ、参加されたみなさんが触れていないことがありましたので、ランチョンスピーチをすることになっていた私は、そのときに二宮尊徳の例をあげて、こういう話をしました。

「リーダーには人格がたいへん大事です。集団を引っ張っていくには、リーダーの人格が問われます。このことはみなさん、異口同音におっしゃいましたが、私はそこに『人格は変わる』ということを頭に入れなければならないと思っています。大統領に選ぶときにはすばらしい人格だったのかもしれませんが、ひとたび権力の座に就いて後、その人が変貌を遂げていく場合があります。例えば、中小零細企業の経営者であったときには非常にすばらしい人格を持っていたのに、成功をしていくに従って人格が変わっていく場合があります。

この『人格は変わるのだ』ということを前提にすれば、リーダーは、今人格がいいだけではなく、今後もその人格を維持していくような人でなければならないのです。例えば、若い頃にすばらしい人格を持っていると思っていた人を社長の座に就け、権力を持たせてみたら、その後どんどん人間が変わってしまい、腐敗していき、とんでもない経営者になってしまったという例もあります。また、若い頃には手に負えないようなワルだったのに、長ずるに及んで、精神修養もし、立派な人間になっていったという人もいます」

そういう話をしたのですが、みなさん、「そこまで考えれば、リーダーのあるべき姿にはまだまだ難しい問題があるのですね」という話をしておられました。たいへん脱線をしましたが、倹約を旨とするということは、中小零細のときにだけ必要なものではなくて、どんなに立派でよい企業になっても、変わらずにこれを旨としていかなければならないのです。みなさんもぜひ、倹約を旨とし続けてください。

■「まとめて安く買う」にはロスがいっぱいある

物品や原材料を購入する場合、大量に買えば単価が下がるからといって、安易に必要以上のものを買うべきではありません。余分に買うことは無駄遣いのもとになります。たとえ一時的に大量に安く購入できたとしても、これによって在庫を保管するための倉庫が必要となったり、在庫金利が発生したりといった余分な経費がかかってきますし、さらには製品の仕様変更などの理由で、まったく使えなくなってしまう危険性もあります。やはりメーカーはメーカーに徹し、ものづくりそのもので利益をあげるということに専念すべきです。必要なときに必要なだけ購入するという考え方が大切です。

このことは一見、経済原理に反するように見えます。たしかに近代資本主義では、大量にモノをつくって大量に販売していく関係もあって、まとめて買えばよいものが安く買えることは常識になっています。そのために、量をまとめて安く買うことがものを買うコツだと言われていますが、その経済合理性に反するようなことを、私は今でも社内でやらせています。つまり、必要なときに必要な量だけを購入する、たとえ若干高くても、必要な量しか買わないということを厳格に守らせています。

たしかに若干高い買い物かもしれませんが、在庫を持って運営すれば、そのための倉庫が要りますし、在庫金利もかかります。また、決算ごとに棚卸しをしなければなりませんし、使わなくなったものがあれば廃棄処分にしなければなりません。つまり、安く買ったように見えるけれども、そういう目に見えないロスがいっぱい出てくるわけです。

非合理的な話のように思うかもしれませんが、必要なものを必要な分だけ買うものですから、その使い方には細心の注意が払われ、無駄遣いをしないということにもつながっていくわけです。在庫がたくさんあれば、ちょっとくらい失敗しても在庫から引っぱり出してつくることができますが、在庫がない、要る分だけしか買っていないとすれば、失敗が許されなくなりますし、ものの使い方も丁寧になっていくという心理的なメリットにもつながっていきます。

京セラでは、これを「当座買い」と言っています。まとめて買えば安くなるのだから、まとめて買ったほうが得ですという単純な経済法則だけではなくて、当座買いをすれば高く買ったように見えるけれども、在庫金利は発生しないし、倉庫をつくる必要もありません。また、在庫品が不良廃棄処分になることもなければ、材料が少ないために、かえって丁寧に使うということにもなっていきます。つまり、若干高くついたとしても、それを補って余りあるメリットがいろいろとあるわけです。

----------

稲盛 和夫(いなもり・かずお)
京セラ名誉会長
京セラ名誉会長、KDDI最高顧問、日本航空名誉顧問。1932年、鹿児島県生まれ。鹿児島大学工学部卒業。59年、京都セラミック株式会社(現京セラ)を設立。社長、会長を経て、97年より名誉会長。 84年に第二電電(現KDDI)を設立し、会長に就任。2001年より最高顧問。10年には日本航空会長に就任。代表取締役会長、名誉会長を経て、15年より名誉顧問。1984年には稲盛財団を設立し、「京都賞」を創設。2022年8月逝去。

----------

(京セラ名誉会長 稲盛 和夫 図版作成=大橋昭一)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください