これほど魅力的で安価な「娯楽」はほかにない…著名人の「過去の愚行」がたびたびネット炎上する根本原因
プレジデントオンライン / 2022年11月23日 18時15分
※本稿は、橘玲『バカと無知』(新潮新書)の一部を再編集したものです。
■次々発生する「キャンセルカルチャー」の背景
東京五輪の開会式直前に、楽曲を担当するミュージシャンが過去のいじめ行為を理由に辞任、演出担当の劇作家が過去にホロコーストをギャグにしていたとして解任、さらには出演を予定していた俳優が、過去に障がい者を揶揄するコントを演じていたとして辞退する騒ぎになった。
それぞれ事情は異なるものの、過去の不適切な行為がネットで炎上し、公的な地位からのキャンセル(辞任)を求められることは、「キャンセルカルチャー」として欧米でしばしば問題になっている。
アメリカでは近年、SNSでの発言が「人種差別的」と見なされた高名な大学教授が学会からの除名を求められ、男女の性差についての(まともな)研究を引用してシリコンバレーに女性が少ないことを論じた従業員が、「性差別」として大手IT企業から解雇される事態が起きた。
米誌『ティーン・ヴォーグ』の編集長に就任予定だった20代の黒人女性が、10年前の学生時代にアジア系に対して差別的なツイートをしていたとして批判されたケースでは、2019年に謝罪したにもかかわらず、21年に炎上してキャンセルされている。
ヴォーグもこの事実を把握しており、「差別的ツイートに関しては、2年前にすでに謝罪し責任をとっている」と擁護したものの、ボイコット運動を恐れた広告主の出稿停止に耐えきれなかったようだ。
こうしたキャンセルカルチャーの背景には、世界的な「リベラル化」の大きな潮流がある。
ここでいう「リベラル」とは「この世に生を受けた以上、自分の人生は自分で決めたい」「自分らしく生きたい」という価値観のことで、1960年代末のアメリカ西海岸で生まれ(ヒッピームーヴメント)、エピデミックのようにまたたく間に地球上を覆い尽くした。
これはキリスト教やイスラームの成立に匹敵する人類史的な事件だが、わたしたちはいまだにそれを正しく認識できていない。
■社会のリベラル化はよいこと。だが…
「わたしが自由に生きる」なら、当然のことながら、「あなたも自由に生きられる」権利を保障しなければならない。
この自由の相互性・普遍性がリベラリズムの基礎で、現代では、人種や民族、性別、国籍、身分、性的指向など自分では変えられない属性による差別はどんな理由があっても許されなくなった。これが「ポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ)」で、PCとかポリコレと呼ばれる。
これまでマイノリティはきびしい差別に苦しんできたのだから、リベラルな社会を目指す運動が、総体としてはひとびとの厚生(幸福度)を大きく引き上げたことは間違いない。リベラル化は、疑いもなく「よいこと」だ。
ところがその一方で、「絶対的な正義」の基準を決めたことで、有名人の過去を徹底的に調べあげ、正義に反した言動をした者を吊るし上げる運動が起きるようになった。ネットに保存されたデータが永久に検索されつづける「デジタルタトゥー」や、SNSによって怒りや共感を瞬時に共有するテクノロジーがこの大衆運動を過激化させた。
英語圏ではこうした活動家(アクティビスト)は、「ソーシャル・ジャスティス・ウォリアー(社会正義の戦士)」と呼ばれ、SJWと略される。キャンセルカルチャー、ポリコレ、SJWは世界を覆うリベラル化の大潮流を背景とした共通の現象で、日本にもいよいよその波が押し寄せてきたようだ。
■許される愚行と許されない愚行の違い
「差別は許されない」のは当然として、過激化するキャンセルカルチャーには次のような疑問がある。
一つは、「過去の愚行は永遠に許されないのか?」。
東京五輪開会式の演出で問題になったのはいずれも20年以上前の出来事で、いじめにいたっては小学校時代の行為まで批判されている。子ども時代の過ちがいつまでも批判されるような社会では、誰も暮らしたい(子育てしたい)と思わないのではないか。
これについては、「今回はあまりに悪質だからみんな怒っている」との反論があるが、その場合は、「許される愚行と許されない愚行は、誰がどのような基準で決めるのか?」という問いに答える必要がある。
「被害者に謝罪していないからだ」という意見もあるが、謝罪していても「誠意がない」「被害者が納得していない」「そんなものは謝罪とはいわない」とされて炎上するケースはいくらでもある。
あまり指摘されないが、「過去の行為は(どれほど謝罪しても)未来永劫(えいごう)許されない」というのは、隣国が主張している「被害者中心主義」とまったく同じだ。
■袋叩きにしたからといって問題は解決しない
二つめは、キャンセルの対象がきわめて恣意(しい)的なこと。批判を浴びるのはキャンセル可能な地位についた者だけで、まったく同じ言動をしていても、そのような立場を避けていれば過去は不問に付される。
ネット炎上が人格や人生を全否定する「私刑(リンチ)」に発展することがある一方で、事前に危険を察知し辞退すれば無傷というのは、どう考えても理不尽だ。東京五輪開会式をめぐる一連の騒動が象徴するように、その結末は「そして誰もいなくなった」だろう。
三つめは、有名人を袋叩きにしたからといって、問題が解決するわけでも、社会がよくなるわけでもないことだ。今回の件でなにかが変わるとしたら、著名人が「余計なことは話さない」「公的な仕事は断る」という教訓を学習したことだけだろう。
■キャンセルカルチャーが広まる根本原因
だったらなぜ、キャンセルカルチャーが燎原の火のように拡がるのか。それは「気持ちいい」からだ。
徹底的に社会的な動物である人間は、不正を行なったと(主観的に)感じる相手に制裁を加えると脳の報酬系が刺激され、快感を得るように進化の過程で「設計」されている。それに加えて、下方比較を報酬、上方比較を損失と感じるから、自分より上の地位にあるものを引きずり下ろすことにはとてつもなく大きな快感がある。
この快感は、テクノロジーのちからによって、匿名のまま(なんのリスクも負わず)、スマホをいじるだけで(なんのコストもかけずに)手に入るようになった。これほど魅力的で安価な「娯楽」はほかにないからこそ、多くのひとが夢中になるのだ(オバマ元大統領は、こうした理由でキャンセルカルチャーを批判している)。
■これからも繰り返しキャンセル騒動は起きる
ひとがステイタスを誇示する方法には、「支配(権力)」「成功(社会・経済的地位)」「美徳(道徳)」の三つがある。
このうち権力の獲得は誰でもできることではないし、成功のステイタスには資産(豪邸やスーパーカー)や評判(SNSのフォロワー数)などの証拠(エビデンス)が必要だ。
それに対して道徳的なステイタスの獲得は、「悪」を叩けばいいだけなのだから、誰でも(匿名でも)可能なのだ。
そう考えれば、これからも繰り返しキャンセル騒動は起きるだろうし、欧米では現にそうなっている。それに対して個人や企業にできることは、大衆の「正義の鉄槌」が自分のところに振り下ろされないようにマネジメントすることだけだ。
リベラル化によって誰もが「自分らしく」生きられるようになれば、一人ひとりの利害があちこちで衝突し、人間関係は複雑になっていく。政治は利害調整ができずに渋滞し、行政システムは市民から批判されないよう巨大化・迷宮化し、ひとびとの「生きづらさ」だけが増していく。
リベラル化を人類にとっての光だとすれば、光が強ければ強いほど影も濃くなるのだ。
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作家
近著『バカと無知』(新潮新書)は発売1カ月で10万部超えの大ヒット。『言ってはいけない』(同)など、著書多数。
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(作家 橘 玲)
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