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死ぬまでスターでいるにはどうすればいいか…高倉健が生涯守り続けた「たったひとつのルール」

プレジデントオンライン / 2022年11月11日 9時15分

撮影=山川雅生

2014年に83歳で亡くなった俳優・高倉健さんは、生涯にわたって「映画スター」という孤高の存在であり続けた。なぜ高倉健さんだけが、そうした生き方をつらぬけたのか。『高倉健 沈黙の演技』(プレジデント社)を出すノンフィクション作家の野地秩嘉さんが書く――。(第1回)

■音楽をかけると、ほほ笑みながら…

あれは映画『ホタル』の時だから、2001年だった。

高倉健さんのインタビューをいつものように高輪プリンスの迎賓館で行った。

「いつものように」の意味は、そこが高倉さん指定のインタビュールームだったからである。

インタビューの後、撮影があり、その間、わたしは音楽を流した。高倉さんが好みそうなCDを持って行って、部屋中に流したのである。

曲は、映画『アルフィー』(1966年)のテーマだ。しかし、サントラ版ではない。スティーヴィー・ワンダーがハーモニカで吹いたバージョンだった。

聴き惚れていた高倉さんはわたしのほうを向いて微笑とともにひとこと呟いた。

「バカラック」

当たり、である。

「アルフィー」のテーマを作曲したのはバート・バカラック。主題歌を歌ったのはシェール。ちなみに音楽担当はソニー・ロリンズ。超一流ばかり。

なぜ、スティーヴィー・ワンダーのバージョンにしたかといえば、映画『ホタル』のなかで高倉さんがハーモニカを吹くシーンがあったからだ。

高倉さんもわたしの意図がわかったようで、「もう一度、かけてくれない」と言った。

■なんでもあげてしまう人が「もらっていい?」

同じ曲を2度聞いた後、真剣な表情になった。

「野地ちゃん、このCD、もらっていいかな?」

高倉健は人にロレックスの時計や高級スーツや高級ダウンジャケットをあげる人だ。なんでも人にあげてしまうのである。わたしは「ベンツをもらった」人も知っている。

その人は高倉さんから「はい、これ」と言われて、ベンツのキーを渡された。動揺したけれど、ええい、ままよと表に駐車してあったベンツに乗って帰ってきたそうだ。

「いやー、断るわけにもいかないでしょう。だから乗って、自宅に帰ったけれど、車庫証明やら車検のことを高倉さんに訊(たず)ねるわけにもいかず、さりとてそのままにしておくわけにもいかず、まったく、往生しました」

確かに、ベンツをもらったら普通の人は困る。

しかし、彼は「困ったけれど、でも、とってもありがたかった」と言っていた。

話はそれたが、高倉健は「人にモノをあげてしまう人」なのである。その人が「CDを1枚くれないか」と頼んできたのだから、それはもう「どうぞ。どうぞ」と答えるしかなかった。

さて、話はやっと本題だ。

■「沈黙の演技」の原点

高倉さんは『アルフィー』の主題歌作曲者を知っていたくらいだから、主演の俳優マイケル・ケインのことももちろん知っていただろう。なんといっても高倉さんはマイケル・ケイン本人と1970年の映画『燃える戦場』で共演している。

この映画は大してヒットしなかった。監督はロバート・アルドリッチで主演はマイケル・ケイン。高倉さんは日本軍の将校を演じた。

俳優・高倉健
撮影=山川雅生

なお、マイケル・ケインは『アルフィー』でアカデミー賞主演男優賞にノミネートされ、『ハンナとその姉妹』でアカデミー助演男優賞を受賞。『バットマン』シリーズではペニーワースという執事を演じた俳優だ。

マイケル・ケインは『わが人生。名優マイケル・ケインによる最上の人生指南書』(集英社)という自伝、演技についての本を出している。そこにはスターの演技の流儀、演技のコツがいくつも載っていて、冒頭には、ハリウッドの大スター、ジョン・ウェインがマイケル・ケインに授けた「スターでいるためのコツ」まで書いてある。

念のため、ジョン・ウェインは『駅馬車』『リオ・ブラボー』『史上最大の作戦』などに出演し、デューク(公爵)という愛称を持つハリウッドスターだ。

マイケル・ケインはこう書いている。

■「スターでい続けたいなら、これを覚えておくといい」

「口をあんぐりさせている私(マイケル・ケイン)を見つけると、彼(ジョン・ウェイン=筆者注)は向きを変えてこちらに近づいてきた。

『君、名前は何ていうんだ?』
『マイケル・ケインです』と私は緊張で声を絞り出した。
『そうか』と言って彼は頭を傾けた。
『「アルフィー」に出ていたな』
『はい』と私は声にならない返事をした。
『君はスターになるよ』

と彼はゆっくり言いながら、私の肩に手を回した。

『だが、スターでい続けたいなら、これを覚えておくといい。低い声でゆっくり話し、多くを語るな』
『分かりました、ミスター・ウェイン』
『デュークと呼んでくれ』

と言って彼は私の腕をポンとたたき、振り返って颯爽と行ってしまった」

デュークは長年、スターでいるためのコツを「低い声でゆっくり話し、多くを語るな」と言った。

そして、高倉健はその通りをやった。「低い声でゆっくり話し、多くを語らない」から、終生、スターだったのである。

高倉さんがジョン・ウェインの教えを聞いていたとは思えない。けれど高倉さんはこう言っていた。

■10回のインタビューでわたしが教わったこと

「私は正式に演技を習ったことはない。好きな俳優の映画を見て真似をしていただけだ」

彼が手本にした俳優とはジャン・ギャバン、ヘンリー・フォンダ、ロバート・デ・ニーロ……。いずれの俳優も「低い声でゆっくり話し、多くを語らない」。

高倉健は彼らを真似た。そして映画に出演しているうちに、自然にスターでいるコツを体得したのだろう。

俳優・高倉健
撮影=山川雅生

高倉さんが亡くなって8年がたった。わたしは生前、ご本人に10回、直接、インタビューの時間を持った。十数年間、取材したけれど、1時間以上のインタビューをしたのは10回だけである。ただ、ロケ現場、撮影所では頻繁に会って、立ち話をした。彼が行きつけにしていた品川の理髪店「バーバーショップ佐藤」の専用個室でコーヒーを飲みながら話をしたこともある。

「野地ちゃん、佐藤さんのところで髪の毛を切りなよ」と言われ、同店が閉店するまで10年間、毎月、通った。

高倉さんはほぼ毎日、バーバーショップ佐藤にいたから、わたしが散髪していることを知ると、たまに部屋に呼んでくれて、話を聞かせてくれたのだった。

■飲まない高倉さんが、一杯だけ飲んだあの日

同じテーブルで食事をしたのは2回だけだ。ロケ先が1回、都内が1度。ロケ先は鹿児島のイタリアンレストランで、都内はホテルのカジュアルレストランだった。

魚は好きじゃなかった。だからといって肉が好きというわけでもない。俳優としての体を維持するため、食べるものには気を遣っていた。

2度のうちの1度目は『ホタル』のロケで訪れた鹿児島だった。わたしは入口を背にした席に高倉さんと並んで腰かけ、向かいの席には東映の社長と小林稔侍さんが並んだ。

その時、彼は赤ワインを一杯だけ飲んでいた。

「酒は飲まない」と聞いていたから、わたしは目を丸くして見ていた。すると、視線に気づいた彼は「一杯くらいは飲むんだ」と言っていた。その後も話をしながら、少しずつ口に運んでいた。

かつては酒を飲んでいた時代もあったけれど、「酔っぱらって暴れたことがあったから」やめたそうだ。しかし、その夜は上機嫌だった。

「丹波哲郎さんが日本語と英語でセリフをしゃべるシーン」という真似をしてくれたのである。本物の丹波哲郎さんよりも丹波哲郎らしい声としぐさだったのをわたしは忘れない。

「この人は物真似でも食べていける」と思ったけれど、そんなことはもちろん言わなかった。

ただし、物真似および個人的な話を聞いたのはその時一度きりである。

■「やめようよ」スターが断わっていた仕事とは

撮影所やロケ現場におけるインタビューや立ち話で彼が話したことは徹頭徹尾、映画と演技についてだけだ。

わたしはそれが聞きたかったし、本人もまた当たり前のように、そのことを話した。

人生とか生き方について、本人が好んでしゃべっていたとは思わない。求道者でもなく、哲学者でもなく、教師でも導師でもない。高倉健は映画スターだから。

ある時のこと、わたしが芸術家との対談企画を持って行ったら、首を振った。

「やめようよ、野地ちゃん。だって、こんなのやったら文化人になっちゃうでしょう」

野地秩嘉『高倉健 沈黙の演技』(プレジデント社)
野地秩嘉『高倉健 沈黙の演技』(プレジデント社)

高倉健は文化人にはなりたくなかった。文化人になってしまった俳優を認めていなかった。それどころか映画について語る文化人、評論家についても認めていなかった。

彼が認めて、敬意を払っていたのは映画の現場で一緒に働くスタッフだけだ。

「俳優は文化人や評論家になっちゃだめだ。野地ちゃんみたいなライターの仕事だって文化人や評論家になっちゃだめだ」

わたしは言われたことを守っている。文化人や評論家ではなく、わたしは職人だ。上から目線で人の仕事を評価したことはないし、しようとも思わない。

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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。旅の雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)にて「ゴッホを巡る旅」を連載中。

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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)

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