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あえてマスコミの洗礼を受けたほうがいい…悠仁さまの結婚では「事前に交際宣言をすべき」と考える理由

プレジデントオンライン / 2022年11月15日 14時15分

伊勢神宮内宮の参拝に向かわれる悠仁さま=2022年10月1日午後、三重県伊勢市[代表撮影] - 写真=時事通信フォト

秋篠宮家長男の悠仁さまはことし16歳になられた。評論家の八幡和郎さんは「将来の天皇である悠仁さまの結婚はできるだけ早いほうがいい。お妃捜しは宮内庁には荷が重く、岸田総理が国家的課題として介入すべきことだ」という――。

■そろそろ悠仁さまのお妃捜しが始まる

秋篠宮家の悠仁さまは、学業も順調に進み、10月の伊勢神宮訪問・参拝に見られるように未来の天皇として高い自覚をお持ちのようで、順調な成長ぶりがたのもしい。

ただ、父親が即位してから誕生された上皇陛下、皇太子の子として少年時代を送られた今上陛下と同じ経験ができない危惧がある。

また、将来の伴侶もすでに中学生ないし高校生になっているだろうから、マスコミがお妃捜しを始めるのも時間の問題だ。

将来の天皇となるべきプリンスが天皇の甥であるという、近代皇室にとって経験したことのない状況だが、突然、そうなったわけでもないのだから関係者はしっかり対処してほしい。

■できるだけ早い結婚が望まれる2つの理由

悠仁さまが、学習院高校進学を避けられたことで批判もあるが、私は正しかったと思う。眞子さまは国際基督教大学(ICU)に進学され、佳子さまもいったん学習院大学に進まれたが約1年後には中途退学してICUに再入学された。

ことし学習院大学3年生になられた愛子さまは、入学以降3年間リモート学習のみ。登校はオリエンテーションと9月に図書館に行かれただけで、学生生活をまったく経験されていない状況だ。三人の内親王の教育環境づくりができなかった学習院に悠仁さまを送り込むのは常識的でない。

それに加えて、男子校である学習院でなく、お茶の水女子大学附属小・中学校から筑波大附属高校という、知的な家庭に人気があり、とくにしっかりした女生徒が多い男女共学校を選ばれたことはまことに適切である。上皇后陛下美智子さまの父や弟の母校でもあり、平成皇室の長所を引き継がれるのにも好都合だ。

悠仁さまの結婚は、できるだけ早いほうがいい。その第一の理由は、皇位継承を安定させるためにも、できる限り早く結婚して何人かのお子様を得ることが必要だからだ。

もうひとつ、天皇陛下と秋篠宮皇嗣殿下の5歳という年齢差を考えると、天皇陛下が上皇陛下のように85歳で退位された場合、秋篠宮殿下は80歳で即位してたった5年で悠仁さまに譲られることになる。そうなると、天皇陛下から悠仁さまへの直接継承となっても不思議ではない。

ベルギー王室でも国王から甥への直接継承が検討されたことがある。先々代のボードワン国王に子がなく、弟のアルベール殿下が皇太子だったのだが、アルベール殿下を飛ばしてその息子のフィリップ王子(現国王)が継承するというという意見が有力になっていた。そのため、フィリップ王子はボードワン国王の外国訪問に同行するなど、早くから研鑽を積まれた。

結局、1993年にボードワン国王が62歳という若さで亡くなられたとき、フィリップ殿下は33歳で未婚だったため、父のアルベール二世が即位した。

■小室家をめぐる問題から得られた教訓

日本の場合も、両にらみで準備しておいたほうがいいだろう。天皇陛下と悠仁さまの年齢差は46歳。陛下が85歳で退位されたら、39歳である。結婚が遅れると、子育てなどが終わって準備万端というわけにいかなくなるので、そういう意味でも、早めの結婚に合理性がある。

天皇陛下の時のように留学して帰国してから探すのでは遅い。留学されるにしても、結婚して一緒に行かれてもいいのである。

また、不適切な女性と付き合われることを心配するあまり、狭い範囲で限られた女性としか交流がない方が弊害は大きい。眞子さまの場合も、同じ大学の学生以外との接点がないまま、男性を見る目が育つ前に婚約にまで進まれたように見える。

小室圭さんとのデートを「週刊女性」が匿名で報道した時、交際が明るみに出たら困ると宮内庁がマスコミを牽制したため、小室家をめぐる問題を見逃した。イギリス王室のように交際宣言を経て、マスコミの洗礼を受けて「合格」してから婚約のほうがよほどよかった。

■理想は「芦田愛菜さんのような人」

私は悠仁さまがさまざまなパーティーなどに顔を出されて、多くの出会いを経験される中で、結婚相手を決められたほうがいいと考える。

チャールズ国王の時は、「他の男性との噂がない初々しい女性」にこだわって、皇太子妃という立場について理解が十分でないダイアナと結婚して悲劇となった。それに懲りて、ウィリアム王子は「他の男性と付き合った経験がある女性」であることを望んだ。

また、タイプとしては、悠仁さまが守るのでなく、守ってくれるようなメンタルでも体力でも強靱(きょうじん)な女性のほうがいい。年齢は早めの結婚を念頭におけば、同い年とか、少し年上でもいい。明治天皇の昭憲皇太后も3歳年上だ。それであればこそ、あの激動期を明治天皇が上手に乗り切る助けになった。

スペインのレティシア王妃は、離婚経験まである人気キャスターだったが評判はいい。悠仁さまにどんなタイプがいいかと聞かれた時には、2歳年上だが女優の芦田愛菜さんなんか絶対に向いていると答えると、みんな賛成してくれる。

■別に親の社会的地位が高くなくてもいい

しかし、そんな目を見張るような素晴らしい女性である必要はないと思う。美智子さまのように女優のように美しいとか、皇后陛下雅子さまのように超一級の頭脳をもっているとかいう必要はないし、親の社会的地位が高くなくてもいい。

キャサリン妃など中流階級の出で、飛びっきり頭がいいわけでも抜群の美人でもないし、ウィリアム王子より半年ほど歳上だが、無理をしない安定したキャラクターで大正解だった。キャサリン妃の母親はかつてエリザベス女王陛下からマナーが悪いと言われ、汚名返上すべく一家が努力して合格点を得たという経緯もある。

婚約や結婚をしたあとでいろいろ批判されるより、事前にマスコミの試練に耐えた人であったほうが結局はいいと思うのだ。

■親王4人のお妃を自ら探した貞明皇后

日本のお妃はこれまでどのように選ばれてきたのか、ここで振り返ってみたい。

明治33年(1900年)、結婚の儀に臨む九条節子さん(写真=宮内庁/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons)
明治33年(1900年)、結婚の儀に臨む九条節子さん(写真=宮内庁/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons)

大正天皇の時は、最初、才色兼備の誉れ高かった伏見宮禎子(さちこ)女王が内定したが、健康に問題あるとして、いかにも健康そうで性格も良い九条節子(さだこ)(のちの貞明皇后)が選ばれた。

この選択は大成功し、病弱な大正天皇をよく支え、皇室のいわば女将さんとして辣腕(らつわん)を発揮した。裕仁親王(のち昭和天皇)をはじめとする4人の健康な親王を得て、それぞれのお妃選びは自ら学習院へ授業見学に通い、候補者を探された。このとき久邇宮良子(ながこ)女王(のちの香淳皇后)もお妃の有力候補となり、結果的にも非常に的確だった。

久邇宮良子女王(後の香淳皇后)。当時19歳(写真=『昭和の母皇太后さま』光文社、2000年/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons)
久邇宮良子女王(後の香淳皇后)。当時19歳(写真=『昭和の母皇太后さま』光文社、2000年/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons)

■取っ払われた「華族=学習院ルール」

上皇陛下の時は、常磐会(女子学習院の同窓会)会長だった松平信子(秩父宮妃殿下の母)が二人の候補を推薦したが、一人には遺伝的な問題があり、残ったのが堀内詔子前ワクチン担当相の伯母にあたる林富美子さんだった。

松平氏は守旧派といわれるが、林さんは大名とか公家でなく、長州出身の伯爵家出身で父親は著名学者、母親は牧野伸顕(大久保利通の次男)の孫で頭脳、容姿ともに優れていたから誰しも納得させられる選択だった。ところが、林家は宮内庁から打診があるや、すぐに見合いさせ三井家に嫁がせた。のちに若葉幼稚園の園長となった三井富美子さんである。

お妃捜しは暗礁に乗り上げ、当時皇太子だった上皇陛下が「私は結婚できないかもしれない」と漏らされるようなことになったので、教育の最高責任者だった小泉信三氏は思い切って範囲を「華族=学習院出身」以外に広げた。そのなかで、それ以前に殿下とお会いになっていたが、お妃候補とは想定されていなかった美智子さまが浮上し、お二人の婚約をまとめ上げた。

■愛のキューピッドなしの「偶然の出会い」

このことで、小泉氏は賞賛されているわけだが、私は美智子さまと旧華族社会との摩擦を避けるためにもっと小泉氏らは万全を期すべきだったと考える。美智子さま本人や実家の正田家に任せすぎで気の毒だったし、その後遺症は今日にも及んでいる。

上皇陛下は美智子さまに「柳行李ひとつでも」、天皇陛下は雅子さまに「私が守る」とおっしゃったそうだが、そんな言葉だけで何も解決しないのであって、お妃教育や、後ろ盾として守ってくれる人を用意周到に用意するというのは愛のキューピッドの責任だ。

天皇陛下の時は、出会うより先にマスコミが先回りして、条件のそろった令嬢たちを「皇太子妃候補」として報道したため、最初の出会いがうまくセットできなかった。一方、大学でもほかの場でも周囲の人間が「たまたまの出会い」に慎重になりすぎて、関係者が嘆くほどだった。

そのような状況で、外国賓客との晩餐での話し相手として呼ばれていた外交官令嬢などの中に、スペインのエレナ王女来日に動員された雅子さまがおり、お二人が偶然出会われたことはまことに運が良かった。

■宮内庁ではなく岸田総理が介入すべき

悠仁さまのお妃選びに話を戻そう。最近、宮内庁周辺で、悠仁さまが高校進学の報告のため伊勢神宮を参拝されたのは礼を失するという意見があるとする週刊誌報道があった。皇女である愛子さまの方が目上であり、愛子さまがまだ伊勢神宮への成年の報告をされていないのに先に参拝したためだという。

未来の天皇としての通過儀礼、帝王教育、お妃選びなどについて、愛子さまや、姉であり目上と言えば目上の佳子さまに遠慮して悠仁さまが待たねばならないということはあり得ないだろう。また、マイペース型のお二人に、悠仁さまのお妃捜しに影響が出るから早く結婚しろというのこそ気の毒だ。

帝王教育についてもお妃捜しについても、現在のように皇族任せで、有能な官僚でしかない宮内庁幹部には荷が重い。これは、岸田総理が体制と人事も含めて国家的課題として介入すべきことだ。今の総理に当たるかつての摂政関白も、明治や大正の総理たちも真剣に関与したテーマなのである。必要ならば上皇陛下夫妻の結婚をまとめ上げた小泉信三に当たる人、あるいは、いろいろな世代と知識経験をもつ男女からなるチームを選任し、本気で妃選びに当たるべきだろう。

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八幡 和郎(やわた・かずお)
徳島文理大学教授、評論家
1951年、滋賀県生まれ。東京大学法学部卒業。通商産業省(現経済産業省)入省。フランスの国立行政学院(ENA)留学。北西アジア課長(中国・韓国・インド担当)、大臣官房情報管理課長、国土庁長官官房参事官などを歴任後、現在、徳島文理大学教授、国士舘大学大学院客員教授を務め、作家、評論家としてテレビなどでも活躍中。著著に『日本の総理大臣大全』(プレジデント社)』、『安倍さんはなぜリベラルに憎まれたのか』、『令和太閤記 寧々の戦国日記(八幡衣代と共著)』(いずれもワニブックス)など。

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(徳島文理大学教授、評論家 八幡 和郎)

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