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「夜はいつも一緒のベッドだった」和の鉄人・道場六三郎が認知症となった最愛の妻を自宅で看取るまで

プレジデントオンライン / 2022年11月12日 11時15分

笹井恵里子『実録・家で死ぬ 在宅医療の理想と現実』(中公新書ラクレ)

認知症の配偶者を自宅で看取るには、どうすればいいのか。“和の鉄人”として知られる料理人の道場六三郎さんは、2015年に妻・歌子さんを自宅で看取った。そこにはどんな苦労があったのか。ジャーナリストの笹井恵里子さんの著書『実録・家で死ぬ 在宅医療の理想と現実』(中公新書ラクレ)より紹介する――。

■様子がおかしかったのは、2008年頃のことだった

女性の平均寿命が長いため、妻が夫を看取るより、夫が妻を看取る事例のほうが少ない。それも、「家で」となると少数派である。

そのようななか“和の鉄人”として知られる、「銀座ろくさん亭」オーナーの道場六三郎さんが、2015年1月に妻・歌子さんを自宅で看取った。

22年夏、看取りを行ったその自宅にうかがうと、「今ちょうど(歌子さんの)墓参りに行ってきたところなんだよ」と、にこやかに六三郎さんが出迎えてくれた。取材には次女の照子さん、道場家を陰に陽に45年間支えてきた「銀座ろくさん亭」の元“チーママ”和子さんも同席し、およそ90分、介護の日々を振り返った。

【次女・照子】母・歌子が亡くなったのは2015年1月。86歳でした。でも様子がおかしかったのはそれよりずっと前、2008年頃のことだったと記憶しています。当時、母はまだ80歳になるかどうか、といったところ。

最初に気づいたのは、母と私、私の子どもと一緒にお蕎麦屋さんに行った時のことです。皆でこれがいい、あれがいいとメニューを選び、オーダーし、よろしくお願いします、と店員さんに伝えました。そしてしばらく話をしていたら、母が「オーダーしなきゃ!」と言い出したんです。私が「さっきオーダーしたから」となだめましたが、大丈夫かなと初めて心配になりました。

■とても頭のいい人だったので、プライドを傷つけるのではないか

その後、母の様子が目に見えておかしくなっていったんです。捜し物が多くなったり、同じ品物を買ってくる。料理は作らず出前で、洗濯物も全てクリーニング屋さん。別々に暮らしていましたが、時々母の家を訪れると、金額がおかしいと、やたら通帳とにらめっこして計算をしているのです。私は古い通帳と、繰越になった新しい通帳を見せて、

「お母さん、××になっているから大丈夫でしょ」

と、説明したのですが、また最初から計算をやり直す。母の目がつり上がっていました。その時、認知症の症状だと思ったんです。けれど、なんて声をかけたらいいかわかりません。母は長年、父がオーナーをしていたお店の経理を担当し、とても頭のいい人だったのです。そんな人が自分の記憶があいまいになっていくのですから、つらそうでもあって……プライドを傷つけるのではないかと、病院に行くことに迷いがありました。

でも結局その年に、私の姉・敬子と一緒に、母を大学病院の老年病科に連れて行きました。

■「ちょっとつらいから寝るわ」と横になってばかり

判断力や計算はそれほど問題ないようでしたが、案の定「記憶の部分が劣っている」と言われたのです。「認知症」と診断されました。本人も同席していましたが、それをどう捉えたかわかりません。今振り返れば、治す薬があるわけではなく、何の指導もありませんでしたし、受診した意味があったのかな、と……。

当時は父のお店がとても忙しかったんです。私もまた子どもを育てながら、朝から晩までずっと店にいました。朝5時には子どものお弁当作りで起きなきゃいけないのに、自宅に戻るのが夜の12時すぎみたいな状態で。そこまでお店が忙しくなる前は、しょっちゅう母に電話して食事や買い物に出かけていたんです。

なのに父も私も忙しくなって、母は家に一人でいることが多くなりました。するとおかしな言動が多くなり、だんだん弱って、あまり食べなくなって。それで私が時折様子を見に行っても、「ちょっとつらいから寝るわ」と、横になってばかり。のどが渇いたと言うので、水を渡すと、「ああ、おいしい」なんて言っていました。今思えば孤独だったんでしょうね。

■介護施設に「母を預けようか」と考えたが…

夫である六三郎さんも、次女の照子さんも、歌子さんの衰弱に心を痛めていた。しかし双方とも仕事があり、いつもそばにいることはできない。照子さんは目の前にある介護施設に「母を預けようか」と考えたという。

そんな時、銀座ろくさん亭のチーママであった和子さんが“手伝い”を買って出た。現在82歳になる和子さんだが、道場家との付き合いは45年前の37歳の時から。歌子さんとともに店を切り盛りし、何十年も苦楽を共にしてきた道場家の一員ともいえる。そんな和子さんの登場によって、歌子さんは元気を取り戻していったのだった。和子さんが当時を振り返る。

道場六三郎さん、次女の照子さん、「銀座ろくさん亭」の元チーママの和子さん
撮影=笹井恵里子
左から、道場六三郎さん、次女の照子さん、「銀座ろくさん亭」の元チーママの和子さん。 - 撮影=笹井恵里子

【和子】今から12年前の2010年、ママ(歌子さん)が「具合が悪い」と聞いてね、「それじゃ1回顔を出すね」って言って、自宅を訪ねました。それからお手伝いとして通うようになったんです。ママは私より12歳年上で、当時私は70歳、ママが82歳でした。お店に来てくれた常連さん、実家のことなど、二人でこんなことあったね、そうだったねと昔話をしていましたよ。だんだん食欲が戻ってきて、日中は散歩に出かけたりもしました。

ママは何しろ社長(六三郎さん)が家に帰ってくるのが楽しみだったの。でも疲れてしまうと、すぐ横になりたがるから、「もう社長が帰ってくるから起きて、ちょっとお茶でも飲もう」と無理に起こして。週3回くらい通って、買い物や料理などを少し手伝っていました。

■「僕がいると、とにかく機嫌がよかった」

【次女・照子】和子さんは朝から晩まで本当によくやってくださいました。それで母が水を得た魚のように活き活きしだしたんです。あれだけ寝たきりで脱水・栄養不足のような感じだったのに、出かける力もついてきて、家族旅行にも行けるようになりました。

ですが、それから数年経ち、再び母に“人が変わる”時が頻繁に現れ始めました。徘徊(はいかい)みたいな症状もあって、夜に「××が待っている」「赤ちゃんが泣いている」と言い出したり、だるい感じだったのに急に立ち上がってカバンにお財布を入れて「さあ行かなきゃ」と出ていっちゃう時も……。

【六三郎】何回か捜したことあったなあ。

【和子】私が買い物から戻ると、部屋にいないこともありました。どこを呼んでも捜してもいない。マンションの管理人さんに聞いても「通りませんよ」と言う。困り果てて階段で「ママ!」と叫んだら、「かずちゃん、こっちにいるよ」って声がかえってきて。「今そこに行くから動かないで」と迎えに行きました。社長に言って、玄関の鍵を二重に付けてもらったんです。しょっちゅうじゃないのよ。普段はとても穏やか。それなのに、時々どうしたの? というくらい人が変わっちゃうの……。

だが、六三郎さんは「僕がいると、とにかく機嫌がよかった。だから機嫌のいい時しか知らないし、認知症って感じがしなかった」という。

■父が帰ってくると「おかえり」と自然に言う

それに対し、照子さんは「母も調子がいいんですよ」と打ち明ける。

歌子さんの目の前に、六三郎さんの写真を置いておく。そうすると歌子さんは「この人、誰?」と不思議そうに尋ねるのだという。照子さんが「道場六三郎よ。ばあばの旦那さんでしょう。私のパパでしょう」と応えると、「へー!」と驚いたそうだ。

「にもかかわらず、父が帰ってくると『おかえり』と自然に言うんです。亡くなる1~2年前から私のこともよくわからなくなっていたと思います。『~なのね』と話しているのに、急に口調が変わって『~ですか』と敬語になったり、怒り出したり」

やがて週3回・和子さんに加えて、週2回・姪(頼子さん)、週1回・長女(敬子さん)、週1回・次女(照子さん)の介護体制を整えた。夜に看ていたのは六三郎さんだ。

【六三郎】帰ると、「ばあば、帰ったよ」と手を握って、夜はいつも一緒のベッドで寝ていたよ。その時も手を握って。ただね、ばあばは起きると慌てて歩く癖があって、足がついていかなくてバタッと倒れてしまう。

ベッドから落ちたこともありました。その時はかわいそうだった。

■家から数分の距離にかかりつけの先生がいた

【次女・照子】母は認知症になる前から血液の病気を患っていて、病院の先生からは「連れてきてください」と言われましたし、私としては入院したほうが安心なところもありました。でも、父が何より自宅で看たいという思いがあって……家から数分の距離のところに父と親しくしているかかりつけの先生がいたんです。その先生が「僕がいますから」と言って、母に熱が出た時は往診してくれたり、便秘といえば浣腸してくれたり、ひどく衰弱した時は点滴もしてくれました。

2008年に認知症の症状が現れ、徐々に衰弱したものの、10年に和子さんが手伝いに来たことによって活力を得た歌子さん。けれどもまた数年経ち、徐々に状態が悪くなり、14年の終わり頃から眠る時間が長くなっていった。そして15年1月、永眠――。亡くなる前日は和子さんがいつものように手伝いに来ていたという。

【和子】夜8時までいて、敬子さん(長女)にバトンタッチしたんです。そうしたらあくる朝、「亡くなった」と電話を受けてびっくりしました。たしかにもうずっと寝ているような状態だったけれど……。

■父と二人きりだったら、悲惨な結果になったと思う

【次女・照子】私も青天の霹靂でした。その晩は、父ではなく姉が横に寝ていたのですが、姉がうつらうつらして、明け方にハッと起きた時には母の息がなかったそうです。私は亡くなったその日が介護当番の日でした。その数日前に「じゃあね」と母と別れたばかりで、まさか亡くなるとは夢にも思っていなかったんです。あとから、先生に「もうそろそろだ」と言われていたと姉から聞きました。そんなに早く亡くなるなら、泊まればよかったと後悔しています。

でも、だんだん食べられなくなって、お水しか飲めなくなって、痩せていって、そのうちお水ものどに詰まるようになって、最後まで寿命を全うした「老衰」でした。最後のほうは心臓の機能が弱くなったからか、むくみがつらい、足が痛いと言うことはありましたが、母はみんなにケアされて幸せだったと思います。うちは4人体制でしたから。プラス父。これが父と二人きりでしたら、悲惨な結果になったと思います。

取材中、六三郎さんは颯爽とキッチンに立ち、かぼちゃの煮物を作ってくれたり、メロンを切って、私に出してくれた。取材で来ているので最初は遠慮していたのだが、とりわけまでしてくれて、その温かさに心が和み、どちらもいただいた。メロンはよく熟れていて甘く、かぼちゃはホクホク感がたまらない。おいしかった。

「銀座ろくさん亭」の店内の様子
写真=銀座ろくさん亭ウェブサイトより
「銀座ろくさん亭」の店内の様子 - 写真=銀座ろくさん亭ウェブサイトより

死が近くなった頃、六三郎さんはおにぎりを小さくして塩昆布や梅を入れ、食べやすいようにして「はい、ばあば」と言って食べさせたという。「ぱくんと食べてくれた」と笑う。歌子さんが亡くなった時、そして現在の心境を聞いた。

■「僕も家で死にたい。病院にはあんまり行きたくない」

【六三郎】痩せちゃったからね、かわいそうだったね。でも悔いはない。ずっと一緒だったから、そりゃもちろん寂しい時もあるよ。でも今も、死んだと思わないのよ。心の中で、話しかけてる。家に帰ると「ばあば、帰ってきたよ」って。「ばあば、幸せだったね。そのうち行くからね」って。最近、知り合いがどんどん亡くなっていく。先日もばあばと共通の友人が亡くなって、

「ばあば、またお友達、増えてよかったね。ばあばの周り、いっぱいだな」って話したよ。

1956年に結婚して60年近く、女房に怒ったことは一度もない。浮気はしたことがあるけれど……大昔にね。

若かりし日の道場六三郎さんと妻の歌子さん
撮影=笹井恵里子
若かりし日の道場六三郎さんと妻の歌子さん - 撮影=笹井恵里子

僕も家で死にたい。病院にはあんまり行きたくない。家に子どもたちがいてくれて、きょうだい以上のかずちゃん(和子さん)がいて、それがいい。

■介護に関わる誰もが対等という理想的な関係

歌子さんが亡くなって7年――今は照子さんと二人で暮らしている。

「父は寂しがり屋ですから、母が亡くなった時にこのまま一人にしておいたら危ないと感じました。その頃父は不整脈が起きて心臓の手術をしたんです。母がいたベッドに父を寝かせ、今は私が隣で寝起きを共にしています。父は90歳を超えた今も、やんちゃ坊主。血糖値の関係で甘いものを食べちゃいけないと言ってもこっそり食べるし、お酒は飲むし、なかなか言うことを聞きません。父親というよりきょうだいです」

照子さんが笑う。

道場家は、経済的に恵まれた環境と人手があったから、自宅で看取れたというのはあるだろう。けれどもそれだけではなく、介護に関わる誰もが対等で、何となくほわんとした、戦闘態勢でないところも穏やかな最期に結びついた気がする。

「てるちゃん、こんな優しい親、ほかにいないよ」と、和子さん。そうかもしれない。私も料理記事でもない取材先で、手作り一品をご馳走になったのは初めてだ。この家ではきっと、いつ何時も日常生活が続いているのだと感じた。

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笹井 恵里子(ささい・えりこ)
ジャーナリスト
1978年生まれ。「サンデー毎日」記者を経て、2018年よりフリーランスに。著書に『週刊文春 老けない最強食』(文藝春秋)、『救急車が来なくなる日 医療崩壊と再生への道』(NHK出版新書)、『室温を2度上げると健康寿命は4歳のびる』(光文社新書)、プレジデントオンラインでの人気連載「こんな家に住んでいると人は死にます」に加筆した『潜入・ゴミ屋敷 孤立社会が生む新しい病』(中公新書ラクレ)など。新著に、『徳洲会 コロナと闘った800日』(飛鳥新社)がある。ニッポン放送「ドクターズボイス 根拠ある健康医療情報に迫る」でパーソナリティを務める。 過去放送分は、番組HPより聴取可能。

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(ジャーナリスト 笹井 恵里子)

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