なぜ日本の中小企業は給与を上げられないのか…中小企業庁長官が提示する驚きのデータ
プレジデントオンライン / 2022年11月21日 10時15分
■なぜ中小企業の労働者の給料は上がらないのか
――日本の労働者の給与は上がらないどころか、下がっています。2022年7月に内閣府が発表したデータによると、1994年の世帯所得の中央値は505万円だったのに対し、2019年は374万円でした。この25年で130万円も下がったわけです。とりわけ雇用の7割を占める中小企業の役割は重要です。なぜ中小企業の給与は上がらないのでしょうか。
【角野然生長官】日本はバブルが崩壊して以降、長期的なデフレに陥り、経済成長率も他国に比べて低い状態が続いてきました。その中で、企業は商品価格や賃金といったコストを抑えることでアジアとの国際競争に打ち勝とうとし、消費者は賃金が上がらないことから将来を不安視して消費を抑えてきました。
その結果、消費が低迷してさらにデフレが進み、企業に賃上げを行う余力が生まれにくくなるという悪循環が続いています。こうした状況の中では、中小企業は親事業者や取引先から価格を抑えるようにと要請されることが少なくありません。
すると、原材料費が上がっても売値はそう簡単に上げられない、つまり価格転嫁しにくいので、賃上げのための原資を確保するのも難しくなる。これが、中小企業で働く人の給料が上がらないという現実につながっているのだと考えています。
■同じような商品では付加価値は生まれない
――給料を上げるためには、中小企業はどうすればよいのでしょうか。
デフレを乗り越えて賃上げを実現するには、「適正な価格転嫁の実現」「生産性の向上」「差別化戦略」の3つが大事になってくると思います。価格転嫁については、成功事例として、過去の原価や売価の推移記録をエビデンスとして取引先に示し、「だから値上げが必要です」と説明することで価格転嫁を実現した企業があります。
2番目の生産性向上については、中小企業はデジタル化の遅れなどもあって、労働生産性が大企業のおよそ半分だと言われています。逆に言えばその分伸びしろがあるということですから、中小企業庁の支援制度などを活用しながら、ぜひ生産性向上に取り組んでいただきたいと思っています。
そして3番目の差別化戦略ですが、日本がデフレの中で価格競争に陥ったのには、各企業の商品やサービスが同質的だったことも一因になっています。今後は中小企業も商品の付加価値を高めて差別化を図り、自ら価格決定力を持っていくべきです。ブランド構築に取り組んだことで取引価格の引き上げに成功した企業もあります。私たちも、そうした事業再構築の取り組みを応援していきます。
■下請けいじめでは「下請けGメン」を配置
――中小企業庁の支援策を教えてください。
まず価格転嫁の実現については、親事業者との取引の問題点などを調査する専門調査員「下請けGメン」を配置し、下請け企業の方々への聞き取り調査などを実施しています。2022年3月の調査では、多くの下請け企業では価格転嫁が十分にできておらず、22.6%はまったくできていないという厳しい結果が出ました。中でも深刻なのは、発注側企業がその立場を利用し下請企業にコスト増のしわ寄せを被らせるいわゆる「下請けいじめ」です。
取引先に価格転嫁について相談しようとしても、「値上げを言える立場か」「そんなことを言うなら他社に乗り換える」などと言われてとても協議できるような空気にならない、そうした声がたくさん届いています。そのため、私たちは価格転嫁を実践するためのマニュアルづくりや、公正取引委員会との連携強化などを通して取引の適正化に取り組んでいます。
適正な取引をしていない親事業者には、下請け事業者からどう見られているかという調査結果を伝えて指導や助言を行うこともあります。親事業者に「あなたの会社は下請けからちゃんとした取引をしていると見られていませんよ」と示して、親事業者の経営者に直接改善を促すわけです。もちろん、下請事業者が後で仕返しされないよう保秘は徹底します。悪質な場合は、公正取引委員会と連携してさらに踏み込んで対応することもあります。
■自立して「稼ぐ力」を取り戻してもらう
――コロナ禍で体力を失った企業への支援についてはどうでしょうか。
中小企業の倒産件数は、コロナ前と比較すると低水準ですが、コロナ禍の影響で徐々に増加傾向にあります。政府もさまざまな資金繰り支援を行ってきましたが、今後はそうした、いわゆる「コロナ融資」の返済が課題になってくるでしょう。これに対しては、借り換えなどで返済期間を長期化し、その間に徐々に事業を回復させていけるよう支援していく予定です。
しかし、目先ではそうした支援を行いながらも、私は最終的には中小企業が自ら事業を再構築していける、すなわち「稼ぐ力」を取り戻していけるような支援が必要だと考えています。生産性向上や差別化を後押ししうる支援ということですね。
現在も事業再構築のための補助金制度はありますが、対象はコロナ禍で売り上げが減った企業です。今後はそうした企業にとどまらず、GX(グリーントランスフォーメーション)やDX(デジタルトランスフォーメーション)、衰退業種からの転換などに挑戦する企業のインセンティブになるような制度に改善していきたいと思っています。
■高齢な経営者は「現状維持」になりがち
――中小企業経営者の課題とはなんでしょうか。
有識者や経営者の方々との意見交換では、3つの課題が指摘されました。第一の課題は、中小企業の経営者は現状維持思考が強いということ。これは、経営者の高齢化や長期のオーナー経営などが大きな要因になっています。
2022年の中小企業白書によると、中小企業の経営者の年齢はどんどん高齢化しています。
2000年には経営者年齢のボリュームゾーンは「50~54歳」で20.3%でしたが、2020年には「60~64歳」(15.0%)、「65~69歳」(14.7%)、「70~74歳」(14.6%)に分散してしまいました。
これの何が問題かというと、経営者が高齢化すればするほど、新たな事業へチャレンジする風土が企業内で失われる傾向があることです。
試行錯誤(トライアルアンドエラー)を許容する組織風土があるかを尋ねた設問では、経営者の年齢が30代以下の中小企業では「十分当てはまる」が22.5%、「ある程度当てはまる」が50.0%で合わせて7割を超えますが、80代の企業では「十分当てはまる」が10.1%、「ある程度当てはまる」が34.9%にとどまり、全体の5割に届きません。シニア経営者には改革に意欲的な方も大勢いますが、全体としては現状維持思考から脱却できていない様子が見てとれます。
一方で、若い後継者の中には、事業承継の際に新しい取り組みに挑戦したいという人が4割以上もいます。企業の成長には変革が欠かせず、そのためには経営者の世代交代や若返りが重要です。私たちも若い後継者の変革や挑戦を後押ししていくつもりです。
■チャレンジするにもリスクが高すぎる環境
第二の課題は、現在、多くの中小企業はチャレンジのリスクが非常に高い事業環境にあるということです。新しい取り組みをして、もし失敗したら再起不能になってしまう可能性が高いのです。例えば現状では、借り入れがある中小企業のうち約7割が経営者保証を提供しています。この場合、会社が倒産すると返済は経営者個人が負担しなければなりません。
個人保証が残ったままだと会社の倒産がそのまま自己破産につながってしまい、だから前向きな投資やチャレンジをしにくいという調査結果が出ています。そのため中小企業庁では、経営者保証ガイドラインの策定と、周知・普及に向けた取り組み、専門家による支援などを進めてきました。
今後は金融庁などとも連携し、個人保証を取らない信用保証制度を設けるなどの対策も進めていきたいと思っています。
第三の課題は、中小企業は大企業に比べてリソースやノウハウが不足しているという点です。今はGXやDXが求められるなど経営環境が激しく変化していますが、中小企業には変化を乗り切るための人材が不足しており、また経営者の知見も足りていないと指摘されています。
■「課題解決」ではなく「課題設定」が必要な理由
――本人の力だけで「自己変革」ができるのでしょうか。
難しい状況だとは思いますが、重要なのはやはり経営者自身の気づきです。価格競争に巻き込まれて苦しみ続けるのではなく、今後は自ら得意な分野、稼げる分野を見つけて事業を再構築していくことが大事です。そして従業員がやりがいを感じるような仕事をつくって、結果として賃金が上がっていく、そうした経営を自ら目指していただきたいと考えています。
もちろん、経営者の皆さんは日々悩みながら闘っていることと思います。その中で変革に取り組むきっかけや覚悟が生まれるようにしていくためには、経営者に寄り添って支援する「伴走者」の存在が重要になってきます。
そうした思いから、私は中小企業庁長官に着任後「経営力再構築伴走支援」という仕組みをつくりました。従来の伴走支援は、設備投資したいといった目先の課題に対して補助金制度などを紹介する「課題解決型」でしたが、それでは表面的な解決にしかなりません。大事なのは経営者自身が本質的な課題に気づくこと、そしてその解決や自己変革に向けて自ら行動し、自走していくことです。
ですから、私は「課題設定型」の伴走支援に力を入れています。経営者と向き合って対話と傾聴を重ね、その人自身が「経営に関する自分の本当の悩みは何だろう」「本質的な課題は何だろう」と考えられるように導いていく支援ですね。
対話と傾聴を続けていると、その人自身がふと本質的な課題に気づいて腹落ちする瞬間がやってきます。この深い納得感や当事者意識が、課題解決に向けて行動する力になるのです。実際、気づきを得た経営者がすごい力を発揮するのを、私は何度も目の当たりにしてきました。
■コロナで売り上げが7割減ったレストランはどう再建したか
――伴走支援によって事業再構築に成功した事例を教えてください。
課題解決型の伴走支援によって、コロナ禍でパフォーマンスが向上したケースもありますし、高齢の経営者が息子への事業承継を宣言するなど行動変容につながったケースもあります。
また、埼玉県のあるイタリアンレストランでは、コロナ禍によって売上高が7割も減ってしまいました。そこで経営者は事業再構築補助金を活用して、レストランをもともと扱っていた地元産の食材を販売する地産地消セレクトショップに改装したのです。商品の背景や生産者の思いなども一緒に発信することで他店との差別化を図り、売り上げを伸ばしていきました。
ある分析機器メーカーは、私たちとの対話の中で2つの課題を洗い出しました。ひとつは幹部人材の育成不足、もうひとつは属人的経営から組織的経営への移行が必要なのに、その現状にきちんと向き合っていないということです。
そこで、前者に対しては経営幹部候補による「次世代経営チーム」を組み、後者に対してはこのチーム主導での中期事業計画の策定を伴走支援しました。その結果、この企業は特定の取引先に依存する経営体質を改善して他社からの売上比率を高める中期計画を策定し、同時に事業再構築補助金を活用した新規プロジェクトにも取り組み始めました。伴走支援によって経営力が向上した好事例だと思っています。
■福島の被災した経営者支援で学んだこと
――なぜ課題設定型の伴走支援に着目したのですか。
私は福島県で、原発事故によって会社やお店を畳んで避難を余儀なくされた中小企業の方々の支援活動に携わってきました。皆さんを個別に訪問してお悩みを聞き、その解決策を考える。そうした活動を、途中からは福島に移住して現地で行っていました。
最初は、どの訪問先でも「国の人間が何しにきたんだ」と怒られたものです。でも、何度もお宅や農作業の場に伺って、場合によってはちょっとお手伝いもしながら、対話と傾聴を重ねていけるように努めました。そのうちにだんだんと信頼関係が生まれ、「街に戻れるようになったらじいちゃんから受け継いだ店を再開したいんだ、手伝ってくれ」といった話をしてくれるようになったのです。
ようやく支援ができる、よしここからが本番だということで、官民合同の支援チームを組織し、結果的には3年間で約5000事業者を訪問、うち要望のあった1400の事業者を支援することができました。私はこの経験を通して、腹落ちした経営者はすごい意欲や行動力を発揮するのだと、中小企業の経営者は本来そうした力を持っているのだと実感しました。
そして、これは被災地に限らず全国の中小企業経営者に共通するのではないかと思ったのです。同時に、事業再構築には対話と傾聴を大事にする「課題設定型」こそが必要なのだと気づきました。そこで現職に着任後、この伴走支援の全国展開に取り組み始めたのです。
■時代に合わせて変革していく力が求められている
――今、中小企業の経営者にいちばん伝えたいことは何でしょうか。
「変革への挑戦」です。経営や経済環境が激変している現代にあっては、経営者自身が変革に挑まなければ中小企業は生き残れません。
しかし、実は日本は世界でも類を見ないほど多くの老舗企業が存在する「長寿企業大国」でもあります。その多くは時代に合わせて自己変革をしながら、戦争や災害などの危機を乗り切ってきました。本来、大企業にはない中小企業の強みは、自由度が高くイノベーティブであるという点です。長寿企業は、危機に際してそうした力を発揮してきたからこそ今があるのではないでしょうか。
変革や事業再構築のいちばんの主役は経営者とその企業自身です。私は「成功させる力はあなたたちの中にある」と訴えたい。自身の持つ潜在的な力に気づいて、そしてぜひ発揮していっていただきたいと思います。私たちも全力で支援していきます。
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中小企業庁長官
1988年、通商産業省(現・経済産業省)に入省。官房参事官(製造産業局担当)などを経て、2015年に内閣府原子力災害対策本部現地対策本部事務局長に就任。福島県に赴任し、福島第一原子力発電所事故の被災事業者への経営支援を担当した。関東経済産業局長、復興庁統括官を経て2021年より現職。
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(中小企業庁長官 角野 然生 構成=辻村洋子)
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