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「ビチャビチャの尿取りパッドを捨てたゴミ袋にコバエが」排便にも失敗する認知症老母に40代息子の真心対応

プレジデントオンライン / 2022年11月13日 11時30分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/gyro

81歳で病死した父親の後は、87歳の母親の番だった。40代の息子は、頻繁に実家に通い、例えば玄関の鍵が開け締めできず、ご飯は箸からこぼれ落ち、尿取りパッドを使用してトイレに行っているものの高確率で失敗している……認知症の母の介護に追われることになった。ケアマネなどのサポートを受けているが、思い通りにはいかない。父親を失ったショックで、夜中に「お父さん、連れてって〜」と叫ぶ母の姿を目の当たりにした息子の胸に去来するものとは――。
【前編のあらすじ】福祉系の仕事をしている石黒士郎さん(40代・既婚)の父親は70歳になる頃から、胸の苦しさを訴えるように。母親からの要請により病院で診てもらうよう再三再四、父親に懇願するが、大の病院・医者嫌いのため拒否される。そのうち排尿がしにくい状態に陥り、緊急で訪問診療の医師に処置してもらった後、半ば強制的に入院したものの、2日後、81歳で死去。石黒さんは、葬儀などのために実家で母親と過ごすうちに、87歳の母親の認知症の進み具合を目の当たりにし、愕然とする――。

■忌引きの1週間で感じたショック

父親が81歳で亡くなると、石黒士郎さん(40代・既婚)は悲しみに暮れる間もなく、葬儀や親族とのやり取り、役所の手続き、お墓探し、生命保険手続きなどに追われた。石黒さんは、妻(40代)と2人で相談し合いながら、少しずつ進めていくことに。

これまで、数カ月に1度は日帰りで妻と共に実家を訪れていた石黒さんだったが、忌引の1週間、夫婦で実家に滞在した石黒さんは、87歳になっていた母親と生活を共にすることで、想像以上に母親の衰えが著しかったことにショックを受ける。

母親は、父親が生きていた頃は、「いつもお父さんが買い物についてきて嫌だ。ゆっくり買物ができねえ」と言っていたが、父親は「ついていかないと危なっかしくて」と言っていた。

そんな父親の言葉の意味を理解するのに、時間はかからなかった。最初に石黒さんが気付いたのは、母親が、家の鍵を開け締めすることができなくなっていたことだった。母親が鍵を開け締めしようとすると、まず鍵穴に鍵を入れることができない。運良く鍵が入ったとしても、鍵を回すことができない。

石黒さんは愕然とした。

「外出好きで、歩行しないと足が悪くなると刷り込まれている母にとって、致命的とも言える事実でした。母は、あっけらかんとしているので、『となりに戸締りを頼むからいいだ〜』と言っていましたが、これは、父親の手続きどころではない。『まずは、母の生活のことを考えなくては!』と、今後の方向を明確にした瞬間でした」

石黒さんによれば、若い頃の父親は、母親が姉さん女房ということもあり、母親に甘え、負担をかけていた。それは、おそらく父親自身にも自覚があったようで、定年退職後は、母親のフォローをよくするようになった。

しかし、父親が母親を心配して世話を焼くと、母親はそれを疎ましく思ってしまう構図が出来上がってしまい、石黒さんがたまに実家に帰ると、両親はお互いの愚痴をこぼし、それを聞かされていた。

その愚痴が、父親の晩年は、母親の認知症に関することに変化。「最近、母さんがボケてきちゃってよ~、変なことを言うようになったんだ」「こないだは食べきれないくらいラーメン作っちゃって困ってよ~」などと言っていたが、石黒さんは、「年だから当たり前だよ。お互いストレスをためないようにね……」と聞き流し、深刻には捉えていなかった。しかし、ようやく父親が言っていた意味が分かる。

忌引きで実家に滞在した1週間、母親は、毎日のようにこんなことを口走っていたのだ。

「お父さんの友達が、夜中になると何人も来るんだよ。『がんばるぞ〜、お〜!』なんて言ってるんだよ。『オレ(母自身)は来てること、知ってんだぞ』って言ったら、お父さんは、『誰も来てね〜』って、怒るんだ〜。それで(幻の来客に)お茶を出してやったら、ベランダから帰っちゃうんだよ~」

最初にこれを聞いたとき、石黒さん夫婦は、「そんなわけないでしょ」と笑い飛ばしたが、「どうやら母親は真剣なようだ」と気付いてからは否定せずに、できるだけ“幻の来客”の話にならないように、話題をそらすように心がけた。

■薬と食事とトイレの問題

生前、父親からは、「母親の認知症の進行」「転んだら1人では立ち上がることができない」などの話が出ていたものの、石黒さんは母親の介護の必要性がどこまであるのかは理解しておらず、母親のフォローは父親に任せきりだった。ただ、両親がストレスをためていることだけはわかっていたため、たまに実家に帰った時は、2人の話に耳を傾け、ストレスを軽減させることに努めていた。

「私自身は、母はもう80後半だったので、認知症は仕方ないことかなぁと思っていました。転倒については、骨粗しょう症で腰が曲がり、両ひざには人工関節が入っていましたから、随分前から、転んだら立ち上がるのは大変だろうなぁと思っていました」

母親は70歳ごろに変形性膝関節症を発症。その際に人工関節を入れていたのだ。

また、忌引の1週間で石黒さんは、母親が大量の薬を飲んでいたことを知る。その数、1日あたり30錠。内科と整形外科に通っていた母親は、朝、夕に13錠ずつ飲み、そのほかに昼も寝る前も処方されていたが、これらはすべて、父親が生きていた頃は父親が管理していた。

石黒さんが「代わろうか?」と言っても、几帳面な性格の父親は、石黒さんに触れられるとかえって混乱するようで、「できるから大丈夫だ」と言って譲らなかった。すでに父親によって朝、昼、夕、寝る前に仕分けされていた母親の薬を確認してみると、いくつか仕分けミスがあった。しかも母親本人は、朝の薬だか昼の薬だか、何だかよく分からずに飲んでいる状態。母親は、右手に痺れがあるため、袋からは飲めず、父親が何日分もカップにセットしたものを順番に飲んでいた。

当面の間は石黒さんが仕分けをし、母親に飲んでもらうしかなかったが、その後は母親がかかっていた病院と調整して、数週間で一包化することができた。

その後、訪問診療に携わる薬を減らす方針の医師と出会い、この医師に一本化することで、30錠飲んでいた薬を5錠にまで減らすことに成功。そして、長年お世話になっていた整形外科や内科には事情を話し、時間をかけて訪問診療の診療所への引き継ぎを行った。

しかし、母親が独居で生活するための課題は、服薬の問題だけではなかった。

母親は好き嫌いが多く、肉類、キノコ類は一切食べない。野菜は国産しか食べない。魚も限られた種類しか食べない。油を使った料理、カレー味の料理はほとんど食べない。石黒さんが把握している母親の好きな物と言えば、国産野菜の煮物と漬物くらいだった。

数日間で見る限り、ガスを使った調理に不安を感じた石黒さんは、電気調理器具の手配をし、レンジで温めて食べるご飯と味噌漬けをまとめ買いして、しばらくの食料を確保した。

そして、トイレの問題もあった。

石黒さんは、数年前から母親が尿取りパッドを使用していることは分かっていた。

「母はいろいろ工夫する人なので、完璧ではないまでも、それなりに活用し、それなりにできているものと信じていました。でも、忌引きの期間に気づきましたが、尿取りパッドがビチャビチャになっても替えていない。常にトイレを気にしていて、頻繁にトイレに行くのに、ズボンまで濡れていることもありました」

石黒さんは、「尿意は把握できているが、間に合わないのか?」「尿意があるか否かも怪しいのか?」を母親に聞いて確かめようとするが、母親の返事が要領を得ず、判断がつかない。さらに、使用済みパッドを入れたゴミ袋には、コバエが群がっていた。

石黒さんはすぐにドラッグストアに行き、リハビリパンツと尿取りパッドを購入。その流れでホームセンターに行き、オムツ専用ゴミ箱と専用のゴミ袋を買ってきた。帰宅後、母親にリハビリパンツとパッドの使い方をレクチャーしたが、正しく使用できるようになるには、1週間では足りなかった。

介護用パンツを広げてみるシニア女性
写真=iStock.com/Rawpixel
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Rawpixel

■母親の一人暮らしに関する課題

石黒さんは、忌引きの1週間で感じた介護の必要性をまとめてみた。

1.脚力の低下(1週間の間に3回転倒している)

2.右手の痺れ(玄関の鍵が開け締めできない、フライパンを持てない、衣類の着脱も一苦労、ボタンは無理)

3.トイレの失敗(尿取りパッドを使用して、トイレに行っているが、かなりの確率で失敗している)

4.入浴の問題(体臭があり、1人では入浴が困難な上、危険もある)

5.服薬管理(薬が多すぎて管理が難しく、間違いや飲み忘れがあった)

6.認知症と思われる症状(あり得ない話をするなど、認知症による夜間せん妄と思われる症状が目立つ)

7.父親を失ったショック(夜中に「お父さん、連れてって〜」と呼びかけるなど父親を失ったショックが大きい)

中でも、父親を失ったショックは大きかったようで、実家で母親と過ごす中で、母親の「父親に対する思い」や「喪失感と不安感」などを目の当たりにする。

「食事の支度や着替え、入浴やトイレなどのフォローは、ずっと父がしていたのでしょう。私が子どもの頃から独り立ちした後までずっと、私が来るといつもお互いの不満ばかり話してきた両親ですが、いざ父が亡くなってしまうと母は、『あんなに優しい人はいない』『一生懸命働いた人だから』と褒め言葉しか出てきません。父が亡くなってからの母の落ち込みようと言ったら、すさまじいものがありました」

食欲は落ち、ご飯と味噌漬けだけは辛うじて食べたが、身体は斜めに傾き、箸からご飯はこぼれ落ち、「食べることはもちろん、座ることすらしたくない」そんな様子が続く。夜になると母親は、「ね〜、オラも連れて行ってよ〜」と何度も何度も暗い空中に語りかけた。

コンロの上のフライパン
写真=iStock.com/IsakHallbergPhoto
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/IsakHallbergPhoto

父親が亡くなった4〜5日後には、福祉用具貸与で手すりと介護ベッドのレンタル、ホームヘルプサービスを利用し始めたが、母親の気落ちした状態はしばらく続き、利用を開始した訪問診療の看護師さんも、「お母さんは、お父さんの遺影を見ながら、濡れた尿取りパッドを握り、『こんなこともできなくなっちまった……』と肩を落としていました。メンタルの方が心配です……」と話していた。

「私にとって最もショックだったのは、父が亡くなった影響で、生きる気力を失った母を目の当たりにしなければならなかったことでした」

石黒さん夫婦は、母親のこの状態を立て直すことに躍起になった。

■通い介護とビジネスケアマネ

父親が亡くなった後、すぐに母親の介護認定を受け直したが、結果が出るまでみなしでサービスを受けることに。石黒さんは、週3回ヘルパーを頼み、その他にデイサービスを1〜2日。訪問看護を1日。土日は石黒さん夫婦が高速道路を使って片道2時間かけて実家に通い、母親を介護した。

「ヘルパーさんを中心とした在宅介護ですが、私は、平日は仕事をし、土日は入浴、排泄など対応。食事の支度や話し相手は妻がしてくれますが、ゴミ出し、洗濯、合間を見て、食材や必要なものの買い出しもします。21時には寝かせますが、オムツ交換を0時、3時、6時にして、その他にも眠れないと母は大声を出すので、なかなかまとめて眠れませんでした」

平日の仕事で疲れていたにもかかわらず、夜中は3時間おきにオムツ替え。さらに、「お願いだから、オムツ替えてよ~」などと何度も起こされた時は、さすがに石黒さんも、「このままでは私の体力が持たない」と思い、「パットは、2〜3回おしっこしても、漏れないようになっているんだから、3時間は我慢してください。俺は、仕事してからここに来ているんだから、少しは寝かせなさい」と言わずにはいられなかった。

あふれるオムツ入れ
写真=iStock.com/Nelly Senko
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Nelly Senko

そして、介護が必要な親の側にいられない子どもにとって、頼りにしているのがケアマネジャーやヘルパーだ。しかし石黒さんの母親の担当になったケアマネとヘルパーは、最初から不信感が漂う人たちだった。

ケアマネAさんは、石黒さんが福祉業界で働いていることを知ると、あからさまに面倒くさそうな態度をした。それだけでなく、「独居でお過ごしですと、『ヘルパーにお金を取られた!』みたいなトラブルが発生することがありますけど、『タンス預金みたいなことをしている方が悪い』と警察も言っていますよ」と平気で発言。

さらに、郵便受けの鍵を、「南京錠タイプから、ナンバータイプの鍵に替えて、ナンバーを教えてもらえれば、郵便物の管理・手続きもわれわれでできますよ」と言う。

そして極め付きが、母親に対して何度も、「ついでに、『あれやって、これやって』というのは、やめてくださいね」というセリフを吐くことだった。石黒さんは、個人情報の問題があるので郵便受けの鍵の件は断り、実家に大金を置かないことを徹底。「利用者に寄り添えない“ビジネスケアマネ”だな」とため息をついた。

■嘘つきヘルパー

そして石黒さんは、ヘルパーBさんに対しても、違和感を抱いた。石黒さんは、ヘルパーBさんに、食事・排泄・洗濯・ゴミ出し・リネン交換などを依頼。そういった関わりの中で、「父を亡くして寂しい時期なので、なるべく母と話をしてやってほしい」と頼んでいた。しかし週末に実家を訪れると、母親はヘルパーBさんのことを、「洗濯と風呂掃除を良くやってくれるんだけど、お父さんと同じで、耳が遠くて、呼んでも全然来てくれないんだよ〜」と言った。つまりBさんは、洗濯や掃除はしてくれるが、母親の話し相手はしてくれず、呼んでも無視しているということだ。

さらにBさんは、母親が頼んでいないのに蛍光灯を1本替え、レシートもないまま1500円を持ち去っていた。

2021年7月の土曜日。石黒さん夫婦が実家を訪れると、母親はぐったりとしていて、熱もあった。石黒さんが病院へ連れて行くと、「熱中症」との診断を受け、点滴を打つことに。コロナ禍だったため、救急病院にはコロナ疑いの患者が多く待っており、石黒さんは生きた心地がしなかった。

母親は、エアコンの操作ができなくなっていた。前日の金曜日もヘルパーBさんが来ていたが、母親の状態に関する報告や記録は一切無かった。

翌日、Bさんに電話をし、母親が熱中症になったことを伝えると、Bさんはまるでひとごとのように相づちを打つばかりで、責任を感じたり、心配したりする様子が全く感じられず、石黒さんはあぜん。そして、来るべきときが来た。

平日のある日、仕事中の石黒さんの携帯に、ヘルパーBさんから連絡が入る。「今日、午前中に訪問したんですけど、お母さんが、『寂しいので、夕方も来てうどんを作ってほしい』とおっしゃっています。私も、たまたま夕方空いているんで、訪問しましょうか?」という内容だった。石黒さんは、「母がそう言ったのなら……」とお願いすることに。

温かいうどん
写真=iStock.com/zepp1969
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/zepp1969

しかし週末に実家に行き、記録を見て愕然。夕方に行くと言っておいて、訪問したのは15時半。さらに、流しにはうどんがこびり付いた鍋がそのまま。

「おそらく、空いた時間に仕事を入れたかっただけでしょう。こんなうどんでは、食欲がなく、ひどい偏食の母が食べるわけありません。なのに記録には、『うどんを召し上がり、エンシュアを1本お飲みになられました』と……。実はエンシュアは、生前、父のために私が用意したもの。私が母に何度勧めても『こんなの甘くって飲めねぇよ!』と言って飲まなかったのに、飲むわけがありません」

案の定、母親に聞くと、「いらねえって言ったら、兄ちゃんが飲んだ」と答えた。

「もう1つ言えば、母が話しかけても無視して掃除ばかりしているBさんに、『寂しいから、夕方も来てほしい』なんて母が言うわけないんです」

石黒さんは、母親が認知症だから何もわからないだろうと考え、「お母さんがおっしゃっています」と何でも母親のせいにし、いい加減な仕事をするBさんを許せなかった。石黒さんは、早急にホームヘルプサービス事業者を変えようと決意。

そんなとき、ケアマネAさんから、「残された介護保険内で、ショートステイを10日間利用しないか?」という提案を受けた。

この提案の主旨は、「母親がショートステイから戻った頃には、要介護認定の結果が出ていて、おそらく要支援2から要介護状態になるため、ケアマネAさんとは縁が切れる」というもの。

要支援の場合は、地域包括支援センターが直接担当する場合と、地域包括支援センターからケアマネ(居宅介護支援事業所)に委託をする場合がある。地域包括支援センターでは、要支援のみケアマネジメントをしているため、要介護になると居宅介護支援事業所に所属するケアマネに変わるのだ。

これは、母親にとっても、亡くなった父親の手続きなど、やることが多すぎる石黒さん夫婦にとっても、おそらく石黒家を担当することを面倒に感じているケアマネAさんにとっても良い提案だった。そのため、石黒さんは二つ返事でお願いした。

■老両親が健在であることの危険性

ケアマネAさんからの提案を受けて、石黒さんは母親に訊ねる。

「お母さん、食事が出て、お風呂とかにも入れるところに泊まる気ある? 1週間とか、10日とか」。すると母親は、「いいよ。オラ、そういうの好きだもん」とニコニコ。

石黒さんは、自分たち夫婦と旅行すると勘違いしているかもしれないと思い、「俺たちも一緒に泊まるんじゃないよ。お母さんだけが、ご飯が出てお風呂もあるところに泊まるの。どう? 泊まる気ある?」と確認。すると母親は、若干テンションは下がったが、「行ってみっか」と快諾してくれた。

母親とは、「途中で必ず面会に行くこと」「嫌になったら帰ってきても良い(迎えに行く)こと」を約束。母親をショートステイに預けている間、石黒さんは、「ショートステイ終了後は、要介護と認定される」という前提で、別のケアマネ事業者探しも同時並行して行った。

結果、母親のショートステイ利用は、父親を亡くしたショックをやわらげ、母親自身が前向きになるきっかけになったようだ。ショートステイから帰ってきた母親は、食事を3食食べられるようになっていた。

おかゆを口に運ぶシニア女性
写真=iStock.com/Motortion
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Motortion

それだけでなく、若い職員さんたちに囲まれて、母親は元気をもらったようで、「みんな、偉えよなぁ〜。オラ、あんなことできねぇ」と言っており、石黒さんには、「オラも落ち込んでばかりいられねぇなぁ」という母親の心の声が聞こえた気がした。

そして、待ちに待った認定調査の結果は、要介護1だった。しかし、認定調査を受けた日以降もどんどん状況は変化している。つい最近では電気調理器でできていた料理もできなくなり、トイレの失敗も頻繁に。室内では伝い歩きで、一度座ると立ち上がるのもやっと。入浴も、「自分で入っている」と言うが、入っている形跡はない。

そんな中、新しいケアマネジャーが決定した。新しいケアマネZさんは、事業所トップの初老の男性だった。石黒さんは、ケアマネZさんにヘルパーBさんのことを伝え、変更を依頼。新しく決まったヘルパー2人は、幸いなことに、気遣いのできるとても良いヘルパーさんだった。

「ショートステイを利用し、環境を変えたことが、母の生きる気力を取り戻すきっかけになりました。父が他界してから、家族だけで話しても、どうしても暗くなりがちなので、良いヘルパーさんに来てもらって、会話を増やせたこと。そして、デイサービスに通う中で、新しい同世代の友達を作り、新しい情報に触れたことが、母が明るさを取り戻せた要因だと思います」

福祉業界に身を置く石黒さんは、「大切なのは、適切に介護保険サービスを利用することで、家族も要介護者も、とにかく、明るく元気でいること」と話す。

最近、排便の失敗が増えてきた母親は、生きることに対して、悲観的な言葉を口にするようになっていった。だからこそ排便失敗後の母親のケアをする際、石黒さんはとにかく母親を笑わせることを心がけた。

「私に嫌がられていると思ってしまったら、なお落ち込むでしょうから……。妻からは、オムツ替えの時の私たち母息子のやり取りがとても楽しそうで、『仲間に入りたいくらい』と言われたほどです。本当にこれは功を奏して、排便の失敗に対する母親の罪悪感みたいなものは、かなり軽減したと思います」

しかし、石黒さん夫妻のいない平日は、母親はヘルパーさんに気を使うのか、排便に失敗した後、自分で片付けようとして余計に汚してしまったり、夜間にパニックになり、「お父さんが! お父さんが!」と言って裸足のまま隣の家に行ってしまったことも。困った隣人は、石黒さんに連絡し、すぐに駆けつけられない石黒さんは、ケアマネZさんに対応をお願いしたこともあった。

2021年9月。87歳の母親は、ケアマネZさんのアドバイスで3回目の介護認定を受けたところ、翌月に要介護3と認定。

「同居については、今のところは全く考えておらず、話し合ってもいません。母のことはとても好きですが、同居するより、特別養護老人ホームに入所して、定期的に面会に行く方が良いかなぁと考えています。私自身、特養で働いていたことがあるので、イメージが湧いているということもあります。介護は技術うんぬんより、メンタルが一番大事です。要介護者・介護者ともに、明るく楽しくいられることが大切だと思います」

今回の取材で、老両親が2人そろって健在であることの危険性について考えさせられた。子どもが離れて暮らしていて、両親のどちらかが亡くなり片親になれば、心配でちょくちょく連絡を取ったり顔を出したりする子どもは多い。

だが、両親健在だと、夫婦2人で補い合い、少しでも元気な方がフォローをするため、状況が見えづらく、子どもはそこまで深刻に捉えられないため、老老介護を放置しがちだ。これを読んで不安に思った人は、次の年末年始休みは、実家に1週間ほど滞在してみると良いかもしれない。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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