1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 社会

ベルトで殴り「ウソ泣きするな」と激高する…旧統一教会2世信者を苦しめた韓国人夫のすさまじいDV

プレジデントオンライン / 2022年11月21日 14時15分

世界平和統一家庭連合(旧統一教会)日本本部(2022年11月7日、東京都渋谷区) - 写真=時事通信フォト

1990年代に実母の旧統一教会入信をきっかけに、自身も入信した冠木結心さん。合同結婚式で結ばれた年下の韓国人男性と日本で新婚生活を始めるが、夫は働かず、そのうち暴力を振るうようになった。冠木さんが過ごした「地獄の日々」とは――。(後編/全2回)

※本稿は、冠木結心『カルトの花嫁 宗教二世 洗脳から抜け出すまでの20年』(合同出版)の一部を再編集したものです。

■仕事を見つけてあげてもすぐやめてしまう韓国人夫

(前編から続く)

雨の合同結婚式から、3年の月日が過ぎました。聖別期間も終わり、私たちは家庭出発することを許されました。私が24歳、夫は22歳の時です。

二人だけでアパートを借り、そこで新婚生活をスタートさせました。日本語のできない夫には仕事がなかなか見つからず、祖母が頼み込んで見つけてくれた近所のリサイクル業者や、ハウスクリーニングの会社に採用が決まったりもしましたが、長続きせず、あっさりと勤務先を辞めてきてしまうのでした。

そんなヒモのような生活が1年ほど続いた頃、夫はコンピュータをいじるようになり、しばらくして「パソコンのセッティングの仕事がしたいから、移動用のオートバイがほしい」と言い出しました。言葉の問題を含め、生活のすべてがストレスであることを思いやり、私は夫の望むオートバイを購入しました。何より、少しでも働く意欲を取り戻してほしい……、夫を信じたいという思いがありました。

のちに夫は「Hondaのオートバイに乗って新宿の街を走っている俺は、まるで雑誌の中にいるようで、夢にまで見た光景にステータスを感じた」と言っていました。幼い頃から日本のオートバイが好きだった夫には、さぞかしうれしかったのだろうと思います。

■教義で禁じられている酒もタバコも続けていた

私の期待をよそに、夫は、夜な夜な新宿に繰り出すようになりました。新大久保のあたりには、その頃から韓国人のコミュニティがありました。そのうち毎晩そこに通うようになった夫は、韓国でPCバン(※)と呼ばれるネットカフェをセッティングする仕事を始めました。今でこそ日本にもたくさんのネットカフェがありますが、当時はとても珍しく、ほとんどが韓国人オーナーからの依頼でした。

※PCはパーソナルコンピュータの略、バンは韓国語で部屋・房の意。インターネットカフェに近い施設。

最初は自分で四苦八苦しながら、仕事を見つけてきては少しずつ生活費を入れてくれていましたが、しばらくすると生活は不規則になっていき、家に帰って来る時間はいつも朝方。お酒の匂いをプンプンさせながら酒気帯び運転をするようにもなったのです。統一教会では飲酒と喫煙を禁じています。でも夫は隠れてずっと続けていたようです。結婚できた夫にとっては、もう隠す必要もなくなったのでしょう。東京に来て、今までとまったく違う世界を知ってしまった夫は、すべてに興味が湧き、すべてが楽しかったに違いありません。

■理解しようと思ってはいても毎晩涙が止まらなかった

私は、夫の身勝手な行動に対しても「今まで不幸な生活をしてきたのだから」と夫の身の上を理解しようと努めつつ、現実は毎晩のように泣いていました。こうしてバラ色だったはずの新婚生活は、思ってもいなかった方向へと変貌していきました。

私はその当時、ミスをすれば新聞沙汰になるような特殊法人の下請けで、重要な仕事に就いていました。すべては「み旨(むね)(※)」のためだと一生懸命に働きました。そして24歳で、管理職であるスーパーバイザーに抜擢されました。職場ではいつも神経を研ぎ澄ませ、月末は毎月のように残業です。それでもお給料が少しでも多く貰えることに感謝し、生活を維持できることに感謝しました。

※おぼしめしの意。キリスト教の言葉だが、統一教会では神様が宇宙をつくった創造理想、すなわち創造目的を完成すること。

■一番嫌っていた父のような男性と結婚してしまった

夫の非行は止まず、私は苦しんでいました。この世で一番嫌っていた父と夫とが重なるのです。一番憎んで、一番結婚したくなかった父のような人間と、私は結婚してしまったのです。父から夫へ、永遠に逃れることのできない呪縛のようでした。

統一教会では蕩減(とうげん)(※)という表現をよく使います。それは、罪を清算することだと教えられました。だから今の苦しみは、私の先祖や自身が犯した罪が故の現象なのだから、我慢して感謝していけば蕩減が晴れて良い方向に転換されると言われています。私も、いつもそう自分に言い聞かせて何とか精神を保っていました。

※「蕩」はすっかりなくすという意味。韓国では、借金を帳消しにすることを意味する。韓国のキリスト教会では〈赦し〉の意味で使われる。統一原理の救済観を表す概念だが、「ゆるし」の意味ではなく、「償い、罪滅ぼし」と原義とは真逆に解釈されている。また、日本の信者からの献金、献身を強要するために、植民地時代、韓国を最も迫害したとする日本が支払うべき「償い」「賠償」の意味で使われることが多いとされる。

■「風呂場にカビが生えてる」…夫のDVが始まった

韓国人は情が深いともいいますが、喜怒哀楽が激しい部分を持っています。夫は喜怒哀楽の中でも、怒りに対する感情をコントロールすることが上手くできない人でした。そのため、気に入らないことがあると公共の場でも構わずに大声で怒鳴り散らします。私はそれが本当に恥ずかしくて嫌でたまりませんでした。いつも「ごめんなさい!」を連呼して、その怒りがひとまず静まるのを待つのです。夫の怒りのスイッチが入る原因は、たいてい私にしてみたら本当に些細なことなのです。

ある日、とうとう信じられないことが起きます。風呂場から出てきた夫が、いきなり私を怒鳴りつけてきたのです。

「おい! 何で風呂場にカビが生えてるんだ? ちゃんと掃除しろよ!」

私も仕事をしている身で、生活費をくれなくなった夫の分も働かなければならないプレッシャーもあり、正直ちゃんと掃除ができない時があったのは事実です。

「私も忙しくて……、なかなか掃除ができなかっ……」

バチーン‼ 平手が飛んできました。最初は何が起こったのかわかりませんでした。理解するのに少し時間が必要でした。あまりの驚きに痛みも感じず、ただひたすら目からは涙がこぼれ落ちてきました。

■教育と称して、気に入らないことがあると殴るように

その日を境にして、夫は自分の気に入らないことがあると頻繁に私を殴るようになりました。心も体も傷だらけになっていきました。夫の暴力は日増しに激しさを増し、最初は頭や顔を殴っていたのが、蹴りが入るようになり、ベルトなど物を用いて殴ることもありました。

夫の身長は180センチあるので、私は自分が殺されないように抵抗するだけで精一杯でした。「やめて!」と涙を流して怖がる私を見ると、彼は一層興奮して「ウソ泣きしてるんじゃない! 痛いわけがないだろう!」とさらに暴力をエスカレートさせました。

新婚当初からその芽はありました。言葉で威嚇する精神的暴力、生活費をくれない経済的暴力に続いて身体的暴力が始まったのです。夫は、自らの暴力を「教育だ」と正当化していました。ひとしきり暴力を振るい終わると、その後は突如として優しくなり「自分が悪かった」と言っては、私の望みを叶えてくれました。少し平穏な日々が過ごせると思っていても、再び暴力が爆発するという日々を繰り返しました。典型的なDV(配偶者暴力)でした。

寝室で女性を脅す男
写真=iStock.com/cyano66
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/cyano66

■「これがサタンの仕業なら、魂を売ってしまいたい」

夫の寝顔を見ながら「このまま死んでくれないだろうか……」と思うようになりました。そんな感情を抱いてしまう自分に対して恐ろしさを覚えながらも、「いつか私が夫を殺してしまうかもしれない」と、そんな思いさえ抱き始めました。それだけこの時の私は、精神的に追い込まれていたのだと思います。

「これが統一教会のいうサタンの仕業であるのならば、喜んでサタンに魂を売ってしまいたい!」

この苦しみを一人で抱え込みました。心配するだろうと、母にも誰にも相談することができませんでした。真の愛や真の家庭(神を中心とした愛、またその家庭のこと)を説いている教会であるのに、万が一、親戚や知り合い、はたまた一般世間の人たちにまで知れわたるようなことだけは、絶対に阻止しなければいけない……。「そら見たことか!」とあざ笑う人々の顔が目の前に浮かびました。

■暴力に耐えかね、とっさに家を飛び出して走って逃げた

ある日、職場から帰宅すると、珍しく夫はまだ家にいて、やはりなんだかんだ難癖をつけてはいつものように暴力が始まりました。私は自分の感情が抑えられなくなるのが怖くて、帰宅した姿のまま家を飛び出します。夫が追って来るのではないかという恐怖で、死ぬ気で走りました。走って走って、夫の呪縛から完全に逃れられるところまで必死になって走りました。

ふと気が付くと、私はとある駅にたどり着いていました。日も沈み、もう夜の気配が感じられる街並み。ただひたすら涙を流しながら街を徘徊(はいかい)していると、目の前にホテルの文字が飛び込んできました。予約もなく飛び込んだホテルは、私にとっては高級すぎたけれど、行き場をなくした私にはシェルターそのものでした。とにかく自分の心を落ち着かせたかった。私はその晩、そのホテルに泊まることにしたのです。

翌日、ホテルからそのまま出勤しました。同僚が、昨日と同じ服を着ていることを変に思うかもしれないと思いながらも、家に帰って着替える勇気はありませんでした。携帯の電源はオフにしたままにして、夫からの連絡を一切取らないようにしていましたが、もしかしたら職場にまで来るのではないかという恐怖が、仕事をしている私の心をいつも支配していました。午後になると、一本の電話が職場に入ります。

「お母さんからですよ」

■DVと経済的困窮を知って母は動揺した

受話器を耳に当てると、甲高い声が受話器を通して鼓膜を突き刺します。

「あなた! 昨日はいったいどこにいたの?」

私が帰って来ず、連絡がとれないことを、夫もさすがにまずいと思ったのでしょう。母に連絡を入れ、母は私の職場にかけてきたのです。ここでは詳しい話はできないと母を宥め、終業後に実家へと向かう約束をしたのですが、気が重くてなりません。一筋に信仰する母のこと、「あなたの信仰に問題があるのよ!」とお説教を食らうことは手に取るようにわかりました。

知られてしまったからには仕方がありません。少しでも良い方向に進むようにと願いながら、実家へと重い足を運びました。私が家出したことによって、夫の暴力、経済的に困窮していることなどが母の知るところとなりました。まさかそんなことが起きているとは想像すらしていなかった母は、少し動揺しているようにも見えました。

■「信仰が足りないからだ」母は娘に説教をした

私にとって母は、肉体的な親であると同時に霊の親(自分を伝道し導いてくれた人)でもあります。だからこそ、言いやすいこともあり反対に言いにくいこともありました。DVについて、母に余計な心配をかけたくないと考えていました。

母は、私が夫の暴力を相談してこなかったために、神側の力が働くことができず、問題がよりひどくなったと私を叱りました。統一教会の言葉で言えば、「アベル(※)を通さなかった」ということです。

※神側(信仰者、指導役の信者、教会側)にいる、つまり組織上、自分より上に立つ者。

そして、案の定、信仰が足りないからだと反省させられるばかりでした。一般的に考えて、娘がDVを受けていることを知ったら、娘をどうにか助けたいと思うのが親心ではないでしょうか。しかし母は、いつも霊的親の立場でしか私を見なくなっていました。幼い頃の母はもっと優しい人でした。統一教会に出会い、人が変わってしまいました。

■朝食を断食しながら夫からサタンがいなくなることを祈る日々

その晩、私は夫の待っているアパートに戻され、蕩減条件(※)を立て、具体的には朝食断食をしながら、ただ夫の体からサタンがいなくなってくれることを願う、そんな日々を再び送っていくことになるのです。

※神が人間を救うために人間に命令する行為(水行や断食等)。サタンが屈服するだけの条件を満たさなければならない。

夫のDVが始まって以来、それに振り回されていた私は自分自身を振り返る余裕もありませんでした。ある時、ふとこの数カ月、生理が止まっていることに気が付きました。精神的につらかったから、体調に異変を来たしたのかもしれません。婦人科の敷居は高く感じましたが、念のためにと診察を受け、検査を終えると、思いがけない言葉をかけられたのです。

「妊娠です。おめでとうございます。もう4カ月ですよ。赤ちゃんの心音もしっかり聞こえるし、順調ですよ」

■祝福二世を授かったのは幸福なことだった

正直驚きました。まさか自分が妊娠しているとは、想像もしていなかったからです。避妊は教理上認められていなかったので(※)、妊娠をしていてもおかしくはなかったのですが、つわりもなく、自分の体形の変化にもまったく気が付きませんでした。

※神の子を産み増やすことが祝福家庭の責務であるため、自らの意思でコントロールしてはいけないと言われていた。そのため祝福家庭には多産が多い。

4カ月といえば少しずつお腹が膨らんでくる時期です。多少の動揺はあったものの、とてもうれしかったことを覚えています。祝福二世(※)を授かるということは、何よりの福であり、この世に多くの子どもを産み落とすことは祝福を受けた夫婦の大きな使命でもありました。

※統一教会信者同士の夫婦(祝福家庭)に生まれてくる子どもは、神の血統を受け継いだ無原罪の二世とされる。

■「俺の人生終わったな」妊娠を知らされた夫の反応

病院からその足で役所に向かい、母子手帳をもらいました。母になる喜び、生まれてくる子どもに対する愛おしさが溢れ、その時の幸福感といったら言葉にできません。女性はお腹に命を宿した時から母性が目覚めるのだと実感しました。

冠木結心『カルトの花嫁 宗教二世 洗脳から抜け出すまでの20年』(合同出版)
冠木結心『カルトの花嫁 宗教二世 洗脳から抜け出すまでの20年』(合同出版)

「子どもができれば、夫も少しは変わってくれるかもしれない」

そんな淡い期待を抱きながら、家路へと急ぎました。そして、いつものように夕方から出かけようとする夫を呼び止め、病院で渡された超音波写真を見せながら、共に喜んでくれることを信じて子どもを授かったことを報告しました。しかし夫はその写真に目を落としながら、にわかに信じがたい一言を放ったのです。

「俺の人生終わったな」

そして、オートバイのエンジン音と共に、新宿の街へと消えて行ったのでした。

----------

冠木 結心(かぶらぎ・けいこ)
旧統一教会元信者
東京都出身。1990年代、実母の入信をきっかけに、高校生のころから洗脳が始まり自身も入信する。その後、合同結婚式に2度参加。いずれも韓国人男性とマッチングされ、1度目はDV夫、2度目は借金夫。日本と韓国で壮絶な結婚生活を送る。教祖・文鮮明の死を機に洗脳から目覚める。40歳を前に人生を取り戻すべく、2013年に2人の子どもと共に逃げるように帰国。現在はカメラと猫をこよなく愛するシングルマザー。

----------

(旧統一教会元信者 冠木 結心)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください