「僕の映画は梅田より難波のほうがヒットする」チャップリンが日本国内の興行成績まで把握していたワケ
プレジデントオンライン / 2022年11月19日 15時15分
※本稿は、大野裕之『ビジネスと人生に効く 教養としてのチャップリン』(大和書房)の一部を再編集したものです。
■1931年の時点で欧州の通貨統合を提唱していた
この文章は、最近書かれた経済論文ではありません。実は、これはチャップリンが1931年頃に執筆していた「経済解決論」という未発表の論文の内容です。
ワーク・シェアリングの提案、自由貿易の推進、なにより1931年の時点で欧州の通貨統合を提唱していたのは先見の明というべきでしょう。しかも、彼がその統一通貨を「リーグ」と名付けていたのも興味深いところです。
■公開時に赤字になった映画は生涯でただ1作
物理学者のアインシュタインは、チャップリンとの会談の後、彼の政治経済に対しての考えの深さに感銘を受け、「経済学者チャップリンへ」とサインをしたほどでした。
チャップリンの「エコノミスト」ぶりにも驚きますが、それ以前に彼は間違いなく超一流の経営者・ビジネスマンでした。完璧主義を貫いたアーティストにして、同時に、生涯作った80本以上の映画作品のうち、公開時に損失を計上したのは『殺人狂時代』の1本だけ。もちろん、この1本も後に再公開やソフト化、配信などで多くの利益をあげています。
浮き沈みの激しいハリウッドで、事実上すべての作品を世界的大ヒットに導いたプロデューサーは他にはいません。ハリウッドに限らず、どんな会社でも、生涯すべてのプロジェクトにおいて利益をあげ続けた経営者などあまりいないのではないでしょうか。
■世界大恐慌の2カ月前に持ち株をすべて売却した
こんな話をすると、「要するに監督・脚本・俳優としての破格の才能と人気のおかげで映画がヒットしたわけでしょう? そんな特殊な人のお話は、うちの会社には何の参考にもなりません」と言われるかもしれません。
しかし、次のエピソードを聞くと、皆さんはどう思われるでしょうか?
1929年の8月、アメリカは経済的繁栄を謳歌(おうか)し、まさにバブルの絶頂にありました。どんどん株価は上がっていったある日、「今、売るなんて大バカだ!」という友人の必死の説得にもかかわらず、チャップリンは「いや、絶対に株は暴落する」と言い出して、持ち株をすべて売却し、安全なカナダ金貨に換えました。
その2カ月後、10月24日にニューヨーク株式市場は大暴落し、世界恐慌が始まります。くだんの友人は後にぼろぼろの格好でチャップリン撮影所にやってきて、「なぜ株が暴落することがわかったんだ」とだけ言って去って行きました。その友人でなくとも「なぜわかったんだ?」と聞きたくもなります。
■空き店舗を見てはどんな商売をすれば儲かるか考えていた幼少期
彼のビジネス・マインドのルーツはどこにあるのでしょうか。
『自伝』の中で、チャップリンは幼少期から商売に興味があったことを告白しています。
本人が幼少より「商売っ気があり」と言う割には、映画ではめったに商売をしているところは出てきません。そもそもあのキャラクターは浮浪者ですし、職にすらついていないのがほとんどです。商売と言えば、『キッド』の詐欺的なガラス屋ぐらいしかありません。
■「貧しくても人の道に反してはいけない」と母に諭された
『自伝』には少年期にささやかな商売をした思い出が書かれています。母の衣裳をのみの市で売った日は、威勢よく声を張りあげて店を出してみたのですが、誰もぼろぼろの衣服に見向きもせず、1つ売れただけという寂しい体験になりました。お金のありがたみと商売の大変さは小さい頃から身に染みていました。
また、父が死んだ時には酒場で喪章をつけて花を売り、同情心につけこんで小銭を稼ぎました。最低限の悪事をしなければ生きていけない弱者の現実。しかし、母に諭されて知った、貧しくとも人の道に反してはいけないという倫理は、彼の経済観に大きく影響を与えたことでしょう。
ところで、『自伝』の驚くべき点は、出版当時75歳になっていたチャップリンが何の資料にも頼らず自分の記憶だけで書き上げたというところです。あとから研究者が資料をもとに裏をとってみると、その記憶がいちいち正しいことがわかるのです。
■子供の頃に会った母の友人の名前を75歳まで覚えていた
チャップリン研究の泰斗デイヴィッド・ロビンソンは、「散見される間違いは、むしろチャップリンの記憶力のすごさを証明している」と言います。
たとえば、『自伝』のなかには、小学校時代に鬼のように怖かった教練担当の「ヒンドラム大尉」、幼少の頃3日間だけ会ったことのある母の友人「イーヴァ・レストック」、子役時代に初めて役をくれたデューク・オヴ・ヨークス劇場の舞台監督「ミスター・ポスタン」という名前が出てきますが、資料をあたってみると、彼らの本当の名前は「ヒンドム」「イーヴァ・レスター」「ポスタンス」だと明らかになりました。幼少の頃に耳で聞いた発音を覚えていて、そのまま書いたわけです。
それにしても、少年時代に3日間だけ会った母の友人の名前を、75歳まで覚えているとは尋常ではありません。
![スイスにあるチャップリンの像](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/c/d/1200wm/img_cd78fdc302005b652817c00e0902087e402798.jpg)
■「ブラウス1ダースで1シリング6ペンス」65年前のお金の記憶
この驚くべき記憶力は、とりわけ、話がお金のことになると詳細を極めます。以下は、75歳のチャップリンが10歳の時のことを思い出して書いた文章です。
65年前の母親の仕事内容から給料、仕事時間から1週間の最高記録まで、この数字の細かさ! チャップリンはこれらの数字をデタラメで書いているわけではありません。
たとえば、彼が13歳の時に、「初めて航海に出た兄のシドニーが給料の中から35シリングを家に送ってきた」と『自伝』の中で回想しているのですが、『自伝』執筆中には見ることもできなかったシドニーの船員記録を調べると、ロンドンへの送金として、彼の記憶とビタ一文違わぬ額が記載されていました(デイヴィッド・ロビンソン著『チャップリン上』)。
このように裏づけをとるたびに、彼の記憶の確かさが証明されるのです。
■30年前の作品のリバイバル上映でも興行収入を逐一把握
ハリウッドの映画監督ロバート・パリッシュは、子役時代に『街の灯』に出演しました。街角の新聞売りの少年で、チャーリーにまめ鉄砲を吹いてイタズラをする役です。彼は、後年1960年代にアイルランドでチャップリンと再会します。
当時、ニューヨークで『街の灯』がリバイバル公開中だったのですが、70歳をとっくに越していたチャップリンは会うなり、「私たちの『街の灯』が今、ニューヨークで大ヒットしている」と嬉しそうに話し始めます(パリッシュは、子役に過ぎなかった自分のことも含めて「私たちの」と言ってくれたことに感動しました)。続けて、劇場の席数から毎週の観客動員数、日々の売上やそのうちの彼の取り分など、細かい数字を並べ立てたとのこと。
■「僕の映画は梅田より難波のほうがヒットする」
チャップリンは世界各地の映画館について、たとえば「僕の映画は大阪では、梅田の○○より、難波の××劇場の方が、ヒットする」などと把握していて、そのほとんどの興行成績や座席数などを後年まで空で言うことができました。
![大野裕之『ビジネスと人生に効く 教養としてのチャップリン』(大和書房)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/f/b/1200wm/img_fb7a6fd033d5342fab32b3c4026ee011129161.jpg)
監督・脚本・作曲・主演・プロデュースをこなしたマルチの天才は、経理のこまかい数字までも把握していたわけです。細部に至るまでデータを暗記している驚くべき記憶力。これこそ、「超一流の経営者チャップリン」を支えた知られざる才能と言えるでしょう。
弱者の視点、商売の倫理、そして正確なデータを把握する記憶力――前者の2つは極貧の幼少期に身につけたものでしょう。絶望的な状況から身を起こして、倫理観とユーモアをともなった商売を成功させるその才覚は、我が国の戦後すぐに焼け跡から身を起こした先輩世代のパイオニア的経営者の語る教えと通じるところもあります。
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映画プロデューサー・チャップリン研究家
1974年大阪生まれ。京都大学総合人間学部卒、同大学院人間・環境学研究科博士課程所定単位取得。著書に『チャップリン 作品とその生涯』(中公文庫)、『チャップリンとヒトラー メディアとイメージの世界大戦』(岩波書店、第37回サントリー学芸賞)、『ディズニーとチャップリン エンタメビジネスを生んだ巨人』(光文社新書)ほか。日本でのチャップリンの権利の代理店も務める。
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(映画プロデューサー・チャップリン研究家 大野 裕之)
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