かつての日英同盟といまの日米同盟はどこが違うのか…「地政学」という概念が根本的に重要であるワケ
プレジデントオンライン / 2022年11月23日 9時15分
1905年、第二次日英同盟調印を記念して日本で作られた絵葉書(写真=Mitsukoshi Department Store (1905)/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons) -
※本稿は、篠田英朗『集団的自衛権で日本は守られる』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。
■マッキンダーの地政学理論で語られたこと
一般に考えられている通り、日英同盟は、日本にとって極めて合理的な同盟関係として機能した。1902年から1923年まで続いた日英同盟は、第二次世界大戦前の日本外交が最も安定していた時期だった。当時の日本にとっての日英同盟の重要性は、今日の日米同盟と比較しうるほどのものであったと言える。
この日英同盟の重要性を説明する視座を、同時代に理論的な見地から提供したのが、ハルフォード・マッキンダーであった。
マッキンダーは、地理学者として学究活動を開始した人物である。しかし、もともと若い頃から国際政治情勢の分析も好んで行っていた。そのためいつしか地理の研究と、国際政治の研究が、マッキンダーにおいて融合し始めた。そこで後世の人々は、マッキンダーのスタイルを、地理政治学という意味で地政学(geopolitics)と呼ぶようになった。
■ロシアの南下政策こそ「歴史の地理的回転軸」
マッキンダーの地政学理論は、1904年の論文「歴史の地理的回転軸」によって、体系的に説明された。マッキンダーによれば、ユーラシア大陸の中央部を意味する「ハートランド」は、北極という無人地域を後背に持つ点で、特別な性格を持っている。
事実上ロシアを意味する「ハートランド」国家は、北方からの侵略者の脅威を持たない。ただしハートランドには、大洋に通じる河川を持たない大きな弱点がある。不凍港を持てず大陸の内奥に封じ込められているハートランドは、ほぼ必然的に南への拡張政策をとる。これは世界の中心的な大陸であるユーラシア大陸全域に影響を与える。
このロシアの南下政策こそが、最も基本的な地理的事情によって歴史が動かされていく「歴史の地理的回転軸」である。
■「ランドパワー」対「シーパワー」という構図
マッキンダーは、大陸中央部の「ハートランド」を典型とする地域に存在するのが「陸上国家(ランド・パワー)」、これに対して大陸の外周部分を形成する国家を「海洋国家(シー・パワー)」と規定した。マッキンダーは、ハートランドの「陸上国家」は歴史法則的に拡張主義をとるという洞察を提示した。
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そして「海洋国家」群は、「陸上国家」の拡張に対抗して抑え込む政策をとっていかざるをえない、という洞察も示した。これはロシアの膨張主義を、ほぼ歴史法則的に捉える視点につながる。
このような地理的制約を受けた二つの大きな勢力の間のせめぎ合いこそが、「グレート・ゲーム」を形成してきた。
ロシアの膨張主義に対抗する海洋国家群は、「インナー・クレセント(内側の反円弧)」及び「アウター・クレセント(外側の反円弧)」に存在する。イギリス、日本、米国、カナダ、オーストラリアなどで構成される海上交通路に開かれている地域である。
なおマッキンダーによれば、インド半島、朝鮮半島などの半島部分は、「橋頭堡」(Bridge Head)と呼ばれる重要地域である。海洋国家群は、橋頭堡と基地を押さえて、陸上国家群を牽制するため、半島周辺は激しいせめぎ合いが生まれる地域となる。
■日露戦争にマッキンダーが見出したもの
日露戦争の最中に執筆された「歴史の地理的回転軸」論文は、日英同盟を携えてロシアの南下政策に対抗する大日本帝国が開始した日露戦争に、少なからぬ影響を受けている。
マッキンダーは、日露戦争に、イギリスとロシアという特定国の確執に還元されない世界的な規模の構造的な対立の図式を見た。それが大陸国家と海洋国家の対峙という彼の地政学理論を特徴付ける概念構成につながった。
換言するならば、日英同盟が安定した同盟であったとすると、それは日本とイギリスに共通の利益があったからである。その共通の利益とは、まさに大陸国家の拡張政策を封じ込めようとする同じ海洋国家としての共通の利益であった。
日英同盟が安定した重要性を持っているのであれば、マッキンダー理論の妥当性は現実的で正確な描写であると言えるだろう。あるいはマッキンダー理論が正しければ、日英同盟は安定した重要性を持つことになるだろう。
マッキンダー理論は、あまりにも有名になったために、それが持つ影響力が現実の正確な分析にあるのか、あるいは為政者の意識に対する影響力にあるのかは、もはや見分けがつかないほどだった。
■ハウスホーファーの地政学――ヒトラーに語った「生存圏」の概念
1931年の満州事変以降、米英との関係が決裂状態に陥り、日本は国際連盟を脱退して孤立化した。その後の1933年に起こったのが、ナチス党のドイツにおける権力掌握であった。
ヒトラーは「生存圏(Lebensraum)」の概念を主張して、ドイツ民族の統一を旗印に拡張政策に向けた軍事力の増強を図り始める。日本の憲法学者らの間にも熱烈な愛好者がいる、この時代のドイツの法学者カール・シュミットは、「広域(Großraum)」の概念を用いたことでも有名だが、一時期ナチスの幹部と親交が深かった。
さらに、当時ミュンヘン大学地理学教授であったカール・ハウスホーファーは、後にナチスの幹部となるルドルフ・ヘスを教え子としていた人物であり、やはり一時期ヒトラーとも交流があった。1920年代から「生存圏」の概念を提唱して、それをヒトラーに語って聞かせたのは、ハウスホーファー自身であった。
ナチスが政権を奪取した後、影響力を強めたハウスホーファーは、熱心にドイツと日本の政治的連携の重要性を吹聴する活動を始めた。
これに日本で反応したのが、英米との連携に代わる外交政策の方向性を模索していた軍部の指導者らの勢力であった。この動きは、1936年の日独防共協定や1940年の日独伊三国同盟へと結実し、大日本帝国の外交政策の方向性の大転換をもたらした。
■ロシア・ウクライナ戦争と地政学
ハウスホーファーの理論は、マッキンダー理論の対極をなし、大陸的な地政学理論の伝統を代表する。ハウスホーファーは、世界を4つの勢力圏に分け、それぞれの勢力圏に覇権国が存在するような世界観を持っていた。大陸内奥部ではソ連、ヨーロッパではドイツが覇権を持ち、ユーラシア大陸の東側では日本が君臨するのだった。言うまでもなく、アメリカは西半球世界の覇権国である。
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今日、2022年のロシアのウクライナ侵攻の背景に、アレクサンドル・ドゥーギンの地政学理論に象徴される「ユーラシア主義」の思想があるともいわれている。プーチンあるいはドゥーギンは、いわばハウスホーファーが言う「生存圏」または「勢力圏」の存在を自明視し、それを無視して普遍的な原則を課す国際秩序に挑戦する。
それぞれの「勢力圏」の覇者が、お互いのそれぞれの「勢力圏」を認め合うことによって国際社会の安定は図られる、という世界観に沿って考えると、「主権平等」や「民族自決」などの国連憲章上の原則は、徹底的に相対化されていくことになる。
こうした観点から見ると、ロシア・ウクライナ戦争は、英米的な地政学理論と、大陸的な地政学理論のせめぎ合いの発露としての性格も持っているわけである。
■「裏の国体」を支え続ける制度的基盤
戦前のハウスホーファー地政学への傾倒が破局を招いた経験から、日本では戦後長い間、地政学について語ることそのものが忌避される傾向が続いた。
![篠田英朗『集団的自衛権で日本は守られる なぜ「合憲」なのか』(PHP研究所)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/2/1/1200wm/img_211b5eafd86187ae02afcb3ca58c098c285958.jpg)
だが高坂正堯が1965年に発表した『海洋国家日本の構想』は、日本を海洋国家と定義するところから国家戦略を構築しようとしている点で、明らかにマッキンダー理論の系譜に属する世界観を持っていた。その後、倉前盛通『悪の論理』や岡崎久彦『戦略的思考とは何か』などが、マッキンダー理論の強い影響を受けた視座で国際政治を論じて、影響力を放った。
日米安保体制そのものが「裏の国体」の扱いを受けていた時代には、日米同盟をさらに裏から支える地政学理論が公に語られることは稀有なことであった。しかしそれでも、もし英米系の地政学理論に影響された洞察が正しければ、日本が日米同盟を外交の基軸と見なし、安全保障政策の根幹に位置付けていることは、極めて理にかなっている。その前提に基づいて、日米同盟は最大限の注意をもって運営されてきた。
日米同盟を裏付ける集団的自衛権は、地政学理論のように、「裏の国体」をさらに裏から支える制度的基盤であると言える。それは、日米同盟が重要視され続ける限り、日本の安全保障政策を支え続ける不可欠の制度的基盤である。
もし集団的自衛権が失われてしまえば、アメリカの世界的な規模の外交安全保障戦略が破綻する。そのとき、地政学理論に従って構築されている日本の外交安全保障政策の基盤も崩壊するのである。
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東京外国語大学教授
1968年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大学大学院政治学研究科修士課程修了、ロンドン大学(LSE)大学院にて国際関係学Ph.D取得。専門は国際関係論、平和構築学。著書に『国際紛争を読み解く五つの視座 現代世界の「戦争の構造」』(講談社選書メチエ)、『集団的自衛権の思想史――憲法九条と日米安保』(風行社)、『ほんとうの憲法―戦後日本憲法学批判』(ちくま新書)など。
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(東京外国語大学教授 篠田 英朗)
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