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偉大な母の異常な愛情が、鎌倉殿を殺し合いの場所に変えた…北条政子が「日本一の悪女」と呼ばれる理由

プレジデントオンライン / 2022年11月24日 9時15分

北条政子像〈菊池容斎画〉(図版=PD-Japan/Wikimedia Commons)

源頼朝の妻、北条政子はどんな女性だったのか。歴史小説家の永井路子さんは「政治好きの尼将軍と見なされているが、大きな誤解だ。夫や息子、孫を愛し、ときに激しすぎる愛憎でとんでもない事件を起こす庶民的な女性だった」という――。

※本稿は、永井路子『歴史をさわがせた女たち 日本篇』(朝日文庫)の一部を再編集したものです。

■自然児の坂東女と戦争犯罪人のカップル

やきもちは女性の最大の悪徳だといった男性がいる。とすれば、ここにご紹介する北条政子は、日本一ともいうべき壮大なやきもちによって、日本の悪女ナンバーワンということになるわけである。

政子は、いわずと知れた鎌倉幕府の創立者、源頼朝夫人である。いわば鎌倉時代のトップレディーのひとりだが、彼女の生まれたのは十二世紀の半ば、父時政は伊豆半島の小土豪にすぎず、おそらく彼女も、土のにおいのする自然児の坂東(ばんどう)女として生いそだったにちがいない。そして一方、そのころの頼朝といえば、一介の流人――源平の合戦に敗れた戦争犯罪人のひとりでしかなかった。

この二人の結びつきを頼朝が北条氏を利用しようとしたのだとか、いや北条氏が頼朝をかついで天下をねらったのだとか言うのは、後の結果から見てのことであって、二人の結婚したのはまだ平家全盛時代で、風向きの変りそうな気配の全くないころだった。そして、頼朝も政子も、そんな野心にはほど遠い、あまりパッとしない存在だった。

■婚期を逸した政子の目に頼朝はどう映ったか

もっともお互い、かなりさしせまった個人的な事情はあった。というのは二人ともかなりのハイミスター、ハイミスだったからだ。頼朝は三十、政子は二十。十二、三で結婚するそのころにしては、婚期を逸した同士である。頼朝はともかく、政子はつきつめていた。

――これを逃がしたら、またいつ男にめぐりあえるかわからない……。

多少年はとりすぎているが、頼朝はなかなかの美男子だった。それに何といっても、平治の乱で平家に負けるまでは都でくらしているから、このあたりの土豪のむすこにくらべれば、あかぬけがしている。そのうえ敗れたりとはいえ彼は源氏の棟梁の嫡男という毛ナミのよさなのだ。

毛ナミがよくて、美男で、スマートで……いつの世にも女はこうしたものに夢中になる。そして、いつの世にも、そうした娘に親は腹をたてるものらしい。

「あいつは戦争犯罪人のスカンピンだ。平家の世が続くかぎり出世のみこみはないぞ。それよりも、もっと地位もあり財産もある男でなくちゃあ、おれは許さん」

■鎌倉のトップレディーに届いたうわさ

ところが親が反対すれば反対するほど恋心はもえあがるものらしく、政子は家をとびだし、頼朝のもとへ走ってしまう。伝説では、時政が地位も財産もある平家の代官、山木兼隆にとつがせようとした婚礼のその夜、雨をついてぬけだしたので、時政も仕方なく二人の仲をみとめたといわれるが、これは史実としては誤りである。

ところが、まもなく平家が落ち目になり、周知のように頼朝は挙兵する。一度は失敗しかけるが、関東武士の支持を得てみごとに立ち直り、鎌倉に新しい根拠地を開くまでの話はあまりにも有名だ。

鎌倉の鶴岡八幡宮
写真=iStock.com/leodaphne
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/leodaphne

それまでに政子は一女の母となっている。戦争の間は難をさけて今の熱海あたりにかくれていたが、やがて鎌倉にやって来てトップレディーとしての生活が始まる。まもなくふたたびみごもって、今度は男の子を産むが、その直後、彼女は聞きずてならないうわさを耳にするのだ。

「頼朝さまは、浮気をしてござるげな」

とたんに政子の目はつりあがり、ここに壮大なやきもち劇がはじまる。

■頼朝は浮気のチャンスを見逃さなかった

頼朝の浮気の相手は亀の前という女性だった。どうやら伊豆の流人時代からのなじみらしい。彼は政子のお産を幸いに、亀の前を伊豆からよびよせたのだ。

そのころ、お産は「けがれ」とされていたから、産婦は産み月が近づくと、家を出て別の産所に移る。男にとっては、絶好の浮気のチャンスである。

彼はまず亀の前を鎌倉からほど近い小坪という所にかくした。が、そのうちだんだん大胆になって、さらに近く――今の材木座の海岸に移した。

その妾宅をおとずれる口実に彼はときどき海岸で牛追物(うしおうもの)といったスポーツ大会をやっている(これは昨今、ゴルフを口実にするのと、はなはだよく似ている)。

こうした真相を知った政子のおどろき!

――まあ、ヒトがお産で苦しんでいるのに。

あのひとのために、旗あげ以来、私はずいぶん苦労させられているのに!

――おとうさまの反対を押しきって、オヨメサンになってあげたのに!

――ああ、何ということか。少し生活がらくになると、すぐ男はこうなのだ……。

考えれば考えるほど腹が立ってくる。

――どうしたらこのくやしさを、思いしらせてやれるかしら。

■「亀の前事件」の一番の被害者は…

が、いくら知恵をしぼっても、そうとっぴなことを考えつくことはできない。彼女の考えたのは、こんなときおおかたの女性の胸にうかぶにちがいないことの範囲を出なかった。

ただちがっていたといえば、その考えたことを、実行したというだけのことである。彼女はやったのだ! 屈強の侍に命じて、その憎むべき相手亀の前のかくれがをさんざんにぶちこわしてしまったのである。亀の前は身一つでとび出し、あやうく難をまぬがれた。

さあ、鎌倉じゅうは大評判だ。頼朝の耳にもいちはやくそのことは伝えられた。こうまでカオをつぶされては、鎌倉の総大将たるもの、黙ってはいられない。彼はさっそくそのぶちこわしに行った侍を呼び出した。

「ご苦労さまだったな。お前はなかなかの忠義ものだよ」

やんわり皮肉を言っておき、「それにしても、いくら御台所(政子)のいいつけとはいえ、こんなときには、一応、おれにそっと知らせるものだぞ」

あっという間にその男の「もとどり」を切ってしまった。これは今でいえば頭の半分だけ丸坊主にされたようなもので、世間に対して顔むけができなくなる。

なんともはや盛大な夫婦げんかである。

■世の女性は政子と同じことができるか

この事件のおかげで、政子は日本一のやきもち焼きということになっているのだが、これを読まれた現代の奥さまがたは、どう思われるだろう。

憎さのあまり夫の愛人の家をぶちこわす! 政子のやったことは、たしかに、はしたない。けれども、じつをいうと、私の心の中には、

――よくもやったわねェ!

ちょっぴり、その向こうみずの勇気にカンタンする気持ちもないではない。

――もし、私が、そんな立場におかれて、それだけのことができたら、どんなにスッとするだろう……。

夫の名誉のためにおことわりしておくが、私はこれまで、そうした経験はない。だが、仮定の事実として自問自答してみよう。

「あんただったら政子のようにやれる?」
「………」
「正直に言いなさい!」
「……(考えた末にポツリと)できないわ、やっぱり」

■自然児として正直に頼朝を愛し続けた

これは私が政子ほどはしたない女でない証明にはならない。私は政子よりミエっぱりなのだ。もしそんなことをしたら、

――あの女、二号の家をぶっこわしたとさ。

と、みんなのうわさのまとになるにちがいない。それがはずかしいのである。

しかも政子はナガイミチコふぜいとはちがって、鎌倉のトップレディーなのだ。裏長屋のオカミさんならともかく、大臣夫人や一流会社の社長夫人がそういうことはなかなかやれるものではない。

それをあえてやりとげた政子という人は、ほんとは「勇気ある人」なのではないだろうか。そしてある意味では、彼女は、鎌倉のトップレディーとなったときも、土の臭いの中で生いそだった、自然児としての正直さを失わなかったのだ、ともいえそうだ。

いわばこれは自然児政子の、率直な頼朝への愛の表現だ。その「愛」を人呼んで「悪徳」という。愛とはカナシイものである。

■頼朝と政子の生活感覚の決定的な差

ところで、こんなに政子に手痛い愛のパンチをこうむりながら、頼朝はいっこうにこりずに第二、第三の情事をくりかえす。そして政子はそのたびに、われにもあらぬ狂態を演じることになるのである。

もっとも頼朝の浮気ばかりを責めるのは酷かもしれない。当時は一夫多妻は常識だったし、十四歳まで都にいた彼は、ただれた愛欲の世界も見聞きしていたにちがいない。

が、坂東の気風は少しちがっていたようだ。複数の妻はいたけれど、何か一つの秩序があり、都の結婚とは少しちがっていたのかもしれない。してみると頼朝と政子の間には決定的な生活感覚の差があったことになる。

いわば第何夫人かまで許されるアラビア人が、一夫一婦制しか知らない女を妻にしたような……。妻にあなたは不貞だ、となじられて、

「わからんなあ」

と目をぱちくりさせている夫。頼朝の役回りは案外そんなところだったのではないか。そうなると政子のこの猛然たるやきもちも、何やらこっけいなものに見えてくる。

が、後世の彼女に対する批評はかなりきびしい。この猛烈なやきもちから、彼女をかかあ天下第一号と認定し、しかも夫の死後、尼将軍などとよばれて、政治の表面に登場するので、出しゃばりな、権勢欲の権化とみているようだ。

■長男への愛情はうまく届かず、殺意に

これはとんでもない誤解である。尼将軍というのは俗称で、彼女は正式に将軍になってはいない。彼女は実家の北条家の代表者にすぎず、自分自身は権勢の人ではなかった。といっても、あるいは反論がおこるかもしれない。

「そんなことはないわ。彼女は権力欲のために、自分の実子の頼家も実朝も殺してしまったじゃないの。北条家の権力のためには、そんなことも平気でできる冷たい女なのよ」

これも誤解である。冷たいどころか、彼女は熱すぎるのだ。その熱すぎる血が、とんでもない家庭悲劇を巻きおこしたのである。

鎌倉幕府2代将軍 源頼家像
鎌倉幕府2代将軍 源頼家像(図版=建仁寺所蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

夫の死後、彼女は長男の頼家を熱愛しようとした。ところが、すでに成人していた頼家は愛妾若狭局(わかさのつぼね)に首ったけで、母のことなどふりむきもしない。政子は絶望し、若狭を憎むようになる。いまも姑と嫁の間によくあるケースだ。そのうち母と子の心はさらにこじれて、かわいさ余って憎さ百倍、遂に政子は息子と嫁に殺意を抱く……。

数百年後も時折り新聞をにぎわわす、おろかな母と同じことを政子はやってしまったのだ。

■忘れ形見の公暁は叔父の実朝を殺害

混乱の末、頼家も命を失ってしまった後、政子は突然、激しい後悔におそわれる。

――私はとんだことをしてしまった!

せめてもの罪ほろぼしに、頼家ののこしていった男の子をひきとり、それこそ、なめるようにかわいがりはじめる。父の菩提(ぼだい)をとむらうために仏門に入れ、都で修行させるのだが、それもかわいそうになって、手もとにひきとり、鶴岡八幡宮の別当(長官)とする。

が、この孫は祖母の心のいたみなどはわかっていない。父にかわって将軍になった叔父の実朝こそ親の仇と思いこみ、とうとう彼を殺してしまう。この少年が、れいの別当公暁(くぎょう)なのである。

母と子、そして叔父と甥。源家三代の血みどろな家庭悲劇は、歴史上あまりにも有名だが、政子の抑制のきかない愛情過多もその一因になっている。もちろんこのほかに幕府内部の勢力争いもからんではいるが、なんといっても政子の責任は大きい。

■女の愛情の業の深さを浮き彫りにした

彼女は決して冷たい女ではない。いや、相手を独占し、ホネまで愛さずにはいられない女なのだ。

永井路子『歴史をさわがせた女たち 日本篇』(朝日文庫)
永井路子『歴史をさわがせた女たち 日本篇』(朝日文庫)

やきもちのあまり、妾のかくれがをぶちこわすぐらいならまだいい。が、愛の激しさは、行きつくところまで行くと、とんでもない事件をひきおこす。

女の中にある愛情の業(ごう)の深さを、浮彫りにしたのが、政子の生涯だったといえるのではないだろうか。

ところが、本当にお気の毒なことに彼女のゲキレツな愛情は歴史の中で見過されて来た。いや、むしろ愛などとは無縁な冷たい権力欲の権化、政治好きの尼将軍と見なされて来た。これだけは彼女にかわって、是非ともここで異議申し立てをしなければならない。

彼女は決して、そんな冷たい人間でもなければ、政界の手腕家でもない。こころみに、彼女の政治的業績を再検討していただきたい。何一つないではないか。のちに承久の変が起ったとき、たしかに彼女は将兵を励ますための大演説をやってのけている。

が、これにはちゃんと演出家がついていて、彼女はその指示のままに「施政方針演説」を朗読したにすぎない。しかもその演出家たるや、首相の下にいて草稿を書く下僚ではなく、稀代(きたい)の政治家である北条義時――彼女の弟だった。

■尼将軍は「北条義時のロボット」説

つまり彼女はこの義時のロボットなのだ。現代の政治家が束になってもかなわないくらいの大物政治家の義時は、絶対に表面には出ずに、表向きのことは政子に――それも「北条氏の政子」ではなく「頼朝未亡人としての政子」にやらせている。しかも頼朝の血筋に連なる幼い藤原頼経を将軍に据え、政子には、その代行という形をとらせるのである。

女性の一人として、先輩に大政治家がいた、と主張したいのは山々なのだが、こうした実態を見ると、どうも彼女を買被ることはできない。

となると、彼女の真骨頂は、庶民の女らしい激しい愛憎の感情を歴史の中に残したところにあるといえそうだ。いかにも庶民のオカミさんらしく、愛しすぎたりやきもちを焼いたり、息子や孫に口を出して、とんでもない事件を巻き起したり……。つまり徹底的に庶民的な、愛情過多症に悩まされつづけたオバサマなのである。

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永井 路子(ながい・みちこ)
歴史小説家
1925年、東京生まれ。東京女子大学国語専攻部卒業後、小学館勤務を経て文筆業に入る。1964年『炎環』で直木賞、82年『氷輪』で女流文学賞、84年菊池寛賞、88年『雲と風と』ほか一連の歴史小説で吉川英治文学賞、2009年『岩倉具視』で毎日芸術賞を受賞。著書に『絵巻』『北条政子』『つわものの賦』『この世をば』『茜さす』『山霧』『元就、そして女たち』『源頼朝の世界』などのほか、『永井路子歴史小説全集』(全17巻)がある。

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(歴史小説家 永井 路子)

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