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スポーツ選手は経営者に向いている…「解説者or指導者」しか道がないJリーガーに村井チェアマンが出した選択肢

プレジデントオンライン / 2022年11月23日 9時15分

撮影=奥谷仁

Jリーグは今年、発足から30周年を迎えた。2014年にチェアマンに就任し4期8年務めた村井満さんは、任期最終年の2021年に毎週1枚の色紙を用意して、朝礼を開いた。34節34枚の色紙の狙いを、ジャーナリストの大西康之さんが聞く――。(第5回)

■「51人の経営者が次々と出てくる」仕組みを作りたい

――Jリーグチェアマンに就任した村井さんは、サポーターが「Japanese Only」の垂れ幕を掲げた「人種差別問題」など、降りかかってきた難題を次々と解決する一方、しばらくすると自分のほうから改革を仕掛けていきますね。

【村井】チェアマンになってから半年かけて、Jリーグに加盟する51のクラブを全部回って、クラブの社長や会長にお会いしました。そうしたクラブ経営者と一緒に地銀や商工会議所、スポンサーなどを訪問しながらその仕事ぶりを拝見していたのですが、本当に一生懸命経営をされていました。しかしどんなに一生懸命経営をやっても競技成績が下位のチームは次のシーズンに降格するという、厳しい世界です。

「51人のピカピカの経営者が次から次へと輩出され続けていけば、この産業は栄えるな」というのが、全クラブを回り終わった時の感想でした。

【連載】「Jの金言」はこちら
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実際にはどんな人たちがクラブを経営していたかというと、親会社から出向してきた人もいれば、地元の創業経営者や元サッカー選手、公的機関から派遣されている方などバックグラウンドはさまざまです。当然思考回路も判断基準も多様です。

「どうしたら株主の期待に応えられるか」から「人口減でシャッター通りが増えているこの街を、どうやって活性化するか」、はたまた「日本のサッカーをどう強くするか」とさまざまです。いずれも重要な視点なのですが、全体を俯瞰した経営者を育てていくには一定のコーチングが必要だと考え、クラブ・マネジメントの学校を作りました。

■まずは「自分にできる領域」から攻める

――Jリーグで経営人材を育てるJリーグヒューマンキャピタル(JHC)ですね。立命館大学の協力を得てJリーグ・立命館「JHC教育・研修コース」が2015年に開講しました。元日本代表で鹿島アントラーズのクラブ・リレーションズ・オフィサー(C.R.O)に就任していた中田浩二氏などが入学して話題になりました。

【村井】元浦和レッズの堀之内聖さんもいましたね。元選手だけではなく、現職の経営者、ビジネスマンなど幅広く集めました。私自身、リクルートに就職して、最初は一日100件、200件の飛び込み営業で求人広告を取るところから始め、リクルートの人事部長や人事担当役員を経験します。

事業では、リクルートエージェントという会社の社長を7年くらいやった後、海外で人材系の会社を経営しました。ある意味30年間くらいずっと人と組織のあり方を追い続けてきた人間なので、Jリーグの中で自分にできる領域はまずここかなと。

■面接会場には記者とカメラを配置して…

――400人くらい応募があったそうですね。

【村井】職務経験が3年以上ある人、というのが条件で、関心を示してくれた人が400人、選考にエントリーしてきた人が250人くらいですかね。これを四十数名に絞り込まなくてはならない。自分自身がメディアにさらされ、頭が真っ白になる経験を数多くしていたので「ここは、頭真っ白作戦でいこう!」と思い立ち、ものすごく工夫した選考会にしました。

――頭真っ白作戦?

【村井】応募者が面接会場に入ると、いつも記者会見の時、用意されているバックボードがあって、職員やバイト君たちが扮する記者が待ち構えていて、その後ろではカメラが備え付けてある。そこで「どうぞ自己紹介をしてください」と。

――なぜそんなことを?

【村井】頭が真っ白になりますよね。応接室での問答を想定して、しっかり考え鎧を着た状態では通用しません。無防備で人間の素が出てしまう状況です。2回目はホワイトボードを置いて、お題を出しました。「あなたがJクラブの社長だったらどんなコンセプトでどんなクラブを作りたいですか。8分考えて、4分でコンセプトピクチャーを書いて説明してください」と。私がいつも迫られている日常の再現です。

2014年にチェアマンに就任し4期8年務めた村井満さん
撮影=奥谷仁

■1.競技の向上、2.財務強化、3.社会貢献

【村井】われわれが見たいのは発表の中身の完成度なんかじゃなくて、仕草の中に見えるその人の本質や本性。いわゆる人間性の部分です。最後は私が1対1で突っ込んだ面接をする。いわゆるデプスインタビューですね。全員が3回の面接をこなしていくのです。

――面接を経て選ばれた四十数名は、どんなことを学んだのですか。

【村井】1年次は主に立命館大学で「ビジネス全般」「スポーツビジネス概論」、Jクラブの社長やGM(ゼネラル・マネージャー)、強化育成部長から「Jリーグ・Jクラブの経営の実践論」について学びます。私自身も3時間のロング講義を担当しました。Jリーグには51のクラブがあり、経営の臨床例が数多くあるわけですから、そこから学ぶことはたくさんあります。

大きく分けると講義の中身は、サッカーチームとしての競技水準の向上や普及・育成、クラブとしての関心度を高め集客や視聴者の獲得を通じた財務面の強化、Jリーグの理念である「豊かなスポーツ文化」を振興することで社会に貢献することの3つがあるわけです。これからJリーグやクラブの経営に関わろうとする人たちが「何のためにJリーグは存在するのか」を考え続けるセッションかもしれません。

■「引退後は解説者」ではあまりにもったいない

――社長養成所ですね。

【村井】いきなり社長になるわけではないですが、2期目の卒業生の池内秀樹さん(バブコック日立出身でアパレル企業の最高執行責任者などを歴任)は、2019年にカマタマーレ讃岐の社長になりました。中田浩二さんなんかは、応募段階から「僕はチェアマンになります」と言ってくれていました。頼もしいです。

――プロスポーツ選手の引退後は、チームの指導者になるかテレビの解説者になるくらいしか選択肢がありませんでしたが、これからは元選手がJリーグクラブの経営に携わるようになっていくかもしれませんね。

【村井】どんなスポーツでも「プロになるのは東大に入るより難しい」と言われます。確率的に見ると確かにそうなんですね。多くの人が子供の頃から憧れてプロを目指しますが、なれるのはほんのひと握り。彼らは「プロ」という高い目標を定め、それを達成した人たちです。目標達成のためにはストイックなほど向上心を持ち続け、多くの場合、周りの人間を巻き込む力や優れたリーダーシップを身に付けています。

■サッカーしかやってこなかったからこそ素質を生かせる

【村井】30年間、人材の仕事をしてきた私から見ると、こういう人たちは企業で管理職、経営者として活躍できるはずなんです。スポーツ選手にそれを言うと「いや財務が分からない」「ITが苦手」といった反応が返っていますが、彼らのような集中力があれば後からでも学べるし、財務やITが得意な人に任せる手もある。

実際私の後任の野々村(芳和)さんは、元選手であり、クラブ経営者であり、現職チェアマンです。私よりも立派に経営をしています。

チェアマンを辞めた後に、立ち上げたのが「ONGAESHIホールディングス」。次世代経営者の育成や地方企業支援をめざす組織です。Jリーグでお世話になった人たちへの「恩返し」で、夢を追い続けた人が報われる社会を作る仕事がしたいと思っています。

■キャリアは「偶然を計画する」ことで開けていく

――ビジネスの世界でも、最初に入った会社で定年まで、というケースは少なくなり、二毛作三毛作の人生が当たり前になりつつあります。ビジネスパーソンはどうやってキャリアを形成していけばいいのでしょうか。

【村井】私自身がJリーグのチェアマンになったというのも、とんでもないキャリアチェンジなんですが、私はキャリア論で有名なクランボルツ博士の学説が好きですね。「計画された偶発性」という理論です。

キャリアの80%くらいは偶然で決まります。「なろう」と思ってなれるものではなく、偶然、突然飛び込んでくる。では「計画された」というのはどういう意味か。その偶然をどうやって呼び込むか。偶発性を計画することができる、という理論でしょう。

今週の色紙
撮影=奥谷仁

■「なれなかったらおしまい」と考えないこと

【村井】そこには5つのテーマがあって、1つ目が「好奇心」。まずなりたいキャリアに興味を持つことです。次に「持続性」。1年や2年ではなく5年、10年の単位で興味を持ち続けること。そして3番目が「柔軟性」。

例えば「スポーツに関わる仕事がしたい」と思っていて、最初はサッカーだったけど、そればバスケットボールに変わっても構わない。4番目は「楽観性」。「なれなかったらおしまい」ではなく「まあ、いつかはなれるだろう」くらいの気持ちです。最後に「冒険心」。勇気を持って憧れの人に会いに行ってしまうような。

そんなことを続けていると、神様が微笑んでキャリアが降ってくる。私自身、Jリーグのチェアマンになるなんて夢にも思いませんでしたが、サッカーへの興味はずっと持ち続けてきましたし、初代チェアマンの川淵三郎氏に講演を頼みにいくなど冒険をしたこともありました。身をもってクランボルツ博士のキャリア論を体験したわけです。

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大西 康之(おおにし・やすゆき)
ジャーナリスト
1965年生まれ。愛知県出身。88年早稲田大学法学部卒業、日本経済新聞社入社。98年欧州総局、編集委員、日経ビジネス編集委員などを経て2016年独立。著書に『東芝 原子力敗戦』ほか。

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(ジャーナリスト 大西 康之)

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