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「したたかな中国」のかわいい罠なのか?…"パンダ外交"の意外な歴史とその実態

プレジデントオンライン / 2022年11月28日 11時15分

ワシントンD.C.のスミソニアン博物館で販売されているパンダ土産(撮影=安田峰俊)

中国政府が外国にパンダを贈る「パンダ外交」はなぜ始まったのか。『中国パンダ外交史』(講談社選書メチエ)を書いた東京女子大学現代教養学部の家永真幸准教授は「1930年代ごろまで中国政府はパンダにまったく関心がなかったが、アメリカ人が勝手にパンダを持ち帰ったことでパンダブームが起きた。そこから中国がパンダの魅力に気づき、中華民国時代からパンダ外交は始まった」という。中国ルポライターの安田峰俊さんが聞いた――。

■パンダ、外交でどう活用されたかの先行研究がない

――中国のいわゆる「パンダ外交」に着目した研究とはユニークです。もとになったメディアファクトリー新書の『パンダ外交』(※本書はこの旧著から第6章を新たに書き下ろしたもの)は約10年前の刊行ですが、そもそもどういう経緯でパンダ外交に着目なさったのでしょうか?

【家永真幸(東京女子大学現代教養学部准教授)】もともと、大学時代の卒業論文で、ニクソン訪中を扱ったんです。その過程で、米中間で最も重要な外交問題は台湾問題なのだと感じまして、大学院では台湾問題を研究したんです。台湾しか統治していない「中華民国」が、どのように自分たちの中国性をアピールして、それがどう外交問題に結びついたかに関心を持ちました。

ただ、最初は台北の故宮博物院の政治利用を調べていたのですが、先行研究が多い分野でして、なかなか新しい切り口を探しにくかった。そのときちょうど、陳水扁政権(当時)下の台湾が、とある対中関係の問題に直面します。すなわち、台湾のパンダ受け入れ問題です。

――本書の第5章「パンダ、外貨を稼ぐ」で詳しく言及がありますね。当時、中国大陸から台湾の動物園にどのようにパンダを受け入れるかが深刻な問題になっていました。

【家永】そうです。そこで興味を持って、戦前の中華民国がパンダをどのように扱っていたのかを調べてみると、歴史学の先行研究がほとんどなかったのです。

さっそく、南京の第二歴史档案館や四川省歴史档案館、台湾の国史館などで、往年のパンダに関する史料を書写したりコピーを取ったりしたところ、どうやら1930年代まで、中国(中華民国)はまったくパンダに関心がなかったことがわかりました。

ところが1941年、日中戦争中に宋美齢(蒋介石夫人)の肝いりでアメリカにパンダを贈り、対米外交に利用しはじめたあたりから、急に「国の宝物」みたいな扱いになっていった。これは論文になるなと思ったんです。本書のもとになった『パンダ外交』も、このとき書いている途中だった博士論文をもとにしたものなのです。

■パンダ、アメリカ人に魅力を発見される

――やがて世界を席巻するパンダブームが、中国が日本の対中侵略に対抗するなかで生み出された歴史は興味深いですね。ある意味で、日本が間接的にアシストした部分があったと。

【家永】そうとも言えますが、ブームの経緯はもうすこし厳密に見る必要があります。まず、大戦前の1930年代の時点で、アメリカ人が中国で勝手にパンダを狩ったり連れて帰ったりして、アメリカで自然発生的にパンダブームが起きていたわけです。

一方、中国側はこれらの行為が自国の主権侵害であることに気づき、パンダの国外への持ち出しを制限します。ところが、やがてアメリカ人のパンダ好きを見て、これは単に持ち出しを制限するのではなく、国の管理のもとで相手国に贈ると外交に使えることに気づくのです。

――中国自身が、パンダの価値を「発見」した。

【家永】はい。そうした動きがバタバタと同時に起こったのが1930年代末から41年にかけてで、数年間で発想の転換が起きたのが面白いところです。当時、日中戦争中で中華民国政府が内陸部の重慶に臨時首都を置いていたことも、地理的に近い場所で捕獲できるパンダを起用する理由のひとつになったのかもしれません。

■パンダ、円満な米中関係を演出するため利用される

――いっぽう、パンダ外交の限界性も、はやくも中華民国時代から見えています。日中戦争の時期は、贈られたパンダを通じて中華民国や蒋介石政権への好感を深めたはずのアメリカ世論でしたが、それから10年も経っていない国共内戦では、蒋介石を見捨てています。

【家永】そうなのです。その後の中華人民共和国の時代を含めて、パンダを使って相手国の外交政策を変更させたり、譲歩を引き出したりした事例はない。世間で思われているほど、パンダ外交は万能ではありません。

むしろ、相手国が対中融和政策をとってくれているときに、中国側として支持や感謝を表明したり、その政策がいい政策にみえるようにするためにパンダを使う。そういう効果を持つものなのです。

――「友好度ゼロ」を1に変えるためではなく、それまで一定程度は存在している友好関係をより固めたり、対中好感度をブーストさせたりするのに使われるのがパンダ外交というわけですね。

本書でも記載がありますが、2015年の習近平訪米の際に、当時のオバマ大統領の夫人のミシェルと、習近平夫人の彭麗媛が、スミソニアン動物園のパンダの赤ちゃんに「ベイベイ(米米)」と命名したエピソードがあります。これも両国関係がまだ緊張し切っていない当時だからできたことで、いまの米中新冷戦の時代では「パンダに名前を付けている場合なのか⁉︎」と批判すら受けそうです。

秦剛駐米大使
2021年8月21日、「小奇跡」の誕生日にメッセージを贈る中国の秦剛駐米大使(写真=Smithsonian's National Zoo/CC-BY-3.0/Wikimedia Commons)

【家永】そうですね。2015年の米中会談についても、必ずしも成果たっぷりで終わったとは言えないのですが、当時の時点ではその事実を別の話題でカモフラージュすることがまだしも可能で、円満な米中関係のムードを作るためにパンダが使われたとみていいと思います。書中では「パンダ・ウォッシング」と書いた手法ですね。

■パンダ、実は友好国に贈られるとは限らない

――現在、パンダは中国が他国に「(研究目的で)レンタルする」という名目で提供されています。具体的なレンタルパンダの仕組みは書中の記述に譲るとして、私が気になるのはレンタル先です。近年、パンダをレンタルしたのはどこの国がありますか?

【家永】一番最近ですと、ワールドカップ開催を記念してカタールにレンタルされています。中東では初めての事例です。あとは2017年以降ですと、インドネシアやオランダ、ドイツ、フィンランド、デンマーク。また、かつて1950年代にも贈られたとはいえ、ロシアにも2019年にレンタルされています。

――意外と「ちゃんとした国」に行かせている印象です。てっきり、カンボジアやパキスタン、エチオピアあたりの友好国には片っ端から送り込んでいるのかと思っていました。

【家永】ここは大事なポイントです。現時点まで、中国のパンダ外交と一帯一路政策はそれほど連動しておらず、たとえばアフリカにはこれまで1匹も行っていません。旧ソ連圏でも、ロシア以外の国には行っていない。友好国であればどこにでも贈るわけでもないようなのです。

パンダは非常に維持費がかかる動物ですから、ある程度は豊かな国でなくては受け取れない。それはすなわち、お金を払ってパンダを動物園に見に来る市民がいたり、パンダグッズの市場があるような国ということです。

――ということは、従来は西側の国向けが多かったわけですね。

【家永】そうなんです。ただ、最近はインドネシアやカタールにもレンタルしていますから、ちょっと新しいパターンも生まれはじめています。従来と異なる国に対してパンダの価値を積極的に発信していこうという意思が見て取れる気がします。

カタール
写真=iStock.com/Mlenny
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Mlenny

■パンダ、レンタルに100万ドルの寄付金がかかる

――レンタルパンダは、いくらかかるんでしょうか?

【家永】契約内容が公開されているわけではないので、報道レベルのことしかわかりませんが、まず基本的にはペアで100万ドルを中国側に寄付金として支払い、それから維持費がかかります。欧州や北米などの笹や竹が本来は自生していない地域の場合、中国から笹を空輸する場合もあります。当然、笹は受け入れ国側の買い取りです。この場合、ランニングコストでも中国側にお金が入る仕組みになりますね。

■パンダ、外交上で活用する都合がよすぎる

――世界において、パンダ以外で、パンダと似たような外交的役割を担い得る動物はありますか?

【家永】中国にとってのパンダの外交的な有用性を構成する要素を考えると、それらを全部兼ね備えた動物はほかにはないですね。まず、「かわいい珍獣」なら、たとえばオーストラリアのコアラやカンガルーも該当しますが、パンダの場合は国際的に保護が必要な「絶滅危惧種」という要素も加わります。そして、「生息地が中国である」という要素も重要です。

――かわいさだけならばコアラもライバルですが、オーストラリアはその国家のあり方が西側諸国と相容れないわけではないですものね。中国の動物であるからこそ、外交に利用される。

【家永】ええ。やはりパンダは特殊なんです。種の保存や生物の多様性のシンボルであると同時に、かわいい。しかも送り出し側にも受け入れ側にも経済的な利益があり、かつ中国の国内にしか生息していない。それらを合わせ技でおこなえるのはパンダしかいません。

北京五輪開催を記念して北京動物園にはパンダの特別展示施設が設けられた。
撮影=家永真幸
北京五輪開催を記念して北京動物園にはパンダの特別展示施設が設けられた。2008年8月1日撮影。 - 撮影=家永真幸

■パンダ、「国家による管理」が正当化されている

――パンダは中国にとって最強のソフトパワーですが、よく考えてみると、中国はそれ以外のソフトパワー外交がそれほど上手ではない印象です。たとえば中国系テックは、TikTokやWeChatのようなソフトも、ファーウェイのスマホや基地局のようなハードも、いまや西側社会から安全保障面での疑念を抱かれ排除されています。ドラマや映画・音楽もいいものが多くあるとはいえ、韓流ほどには世界の人の心をとろかしてはいない。中国は今後、パンダに代わるカードを準備できるでしょうか?

【家永】パンダが重視される時代はしばらく続くでしょう。中国の外交白書には毎年、各国関係の一覧が出るのですが、パンダ協力には必ず言及があります。パンダを送るかどうかは、外交的に重要なことなんですね。

見逃せないのは、パンダは人間がきちんと管理して大事に育てることが適切であると国際社会で認知されている点です。すなわち、「国家による管理」が正当化される領域なんですよ。

――なるほど。最近の中国は「管理」大好きですからね。

【家永】映画や音楽のような文化的なコンテンツは、創作者が自由な発想で物事を生み出す環境があったほうが、国際的に評価されるものができやすい。なので、実は中国のような国にとっての対外プロパガンダの道具としては、必ずしも使いやすくないのです。

でも、パンダの場合は、いかに科学的にきちんとコントロールできているかが重要になる。図らずして、中国の魅力を発信するのに非常に適した存在になっています。

――「中国すごいんだぞ」というメッセージを込めすぎて、相手が鼻白む心配もないですね。また、他のソフトパワーである古代の出土文物や美術品は、ある程度の関心がある人ではないと惹きつけられません。

【家永】中国の伝統や文化を根拠にしておらず、海外で受けていることから外交ツールに昇華されたのがパンダです。そこが最大の強みでしょう。中国への関心や文化的素養を度外視した部分で、単純に人気がある。しかも、理解に際しての知識は不要で、中国という国の存在さえ知らない3歳の子どもでも惹きつけられる。

■パンダ、日本で受け入れを反対される

――もっとも日本の場合、1980年代ごろまでは凄まじかったパンダの神通力も、近年はすこし陰りが見えている気がします。仙台では地元に地盤を持つ保守系議員がレンタルパンダの受け入れ反対を持論にしていましたし、それが理由かは不明ですが事実として受け入れはおこなわれていない。沖縄でも結局、パンダ受け入れの話が流れたようです。

【家永】仙台も沖縄も、地元に推進派がいたことで話が出たわけですから、反対と賛成の両方の意見があるのだと思います。ただ、中国側としては、パンダが必ずしも歓迎されない状況で送ることに外交的なメリットを感じなかったのだと私は推測します。沖縄の場合、そもそも誘致派が選挙で負けていますしね。

――安倍晋三氏がまだ存命で総理大臣だったときに、習近平を国賓として招く予定がありましたが、仮に習近平訪日が実現していれば、あれが最後のチャンスだったのではないでしょうか。

【家永】私も次にパンダが日本に来るならあのタイミングだと思っていました。事実、日中間でパンダ協力をおこなう話は、2018年の安倍首相訪中時に話題に出たと、日本の外務省ホームページにも書いてあります。国賓訪日のときに「○○動物園に受け入れる」といった正式発表がなされた可能性も、充分にあり得たと思います。しかし、コロナ禍と国内外の情勢の変化によって習近平訪日それ自体が棚上げになり、パンダの件も暗礁に乗り上げています。

会談を前に握手する安倍晋三首相(左・当時)と中国の習近平国家主席
写真=時事通信フォト
会談を前に握手する安倍晋三首相(左・当時)と中国の習近平国家主席=2019年12月23日、中国・北京の人民大会堂 - 写真=時事通信フォト

■パンダ、今後も外交に使えるかの曲がり角に立つ

――日本ではよく、中国の外交姿勢について「したたかな中国」という認識が持たれがちです。しかし、私は個人的にはやや違和感があるんです。

【家永】といいますと?

――中国は戦中期(中華民国)にアメリカの協力を取り付けたり、1970年代に対日・対米国交正常化を実現したりと、自国の国力が相対的に弱い時期には「したたか」なところがあると思います。

しかし、自分たちの強さを自覚したり、まだ弱い時期でも格下だと思った相手に対してだったりすると、非常に「雑」に振る舞う印象がある。鄧小平時代の中越戦争ですとか、西側諸国に対する近年のやけにケンカ越しの外交姿勢(戦狼外交)なんかが代表的です。

【家永】確かにそういう部分はある気もします。仮にその説にもとづいて考えると、今後の中国はパンダをあちこちの国にゴリ押しで配りはじめるものの、相手国のランニングコストがかさんで突き返されるといった事態が増えていくかも。

――カンボジアやナイジェリアあたりにパンダを贈ったものの、現地では難しくて飼えませんでしたと。パンダが、お祭りの金魚すくいですくった金魚みたいになるストーリーもイメージしてしまいますね。

家永真幸『中国パンダ外交史』(講談社選書メチエ)
家永真幸『中国パンダ外交史』(講談社選書メチエ)

【家永】むしろ、中国政府が威信にかけてパンダのためにお金を持ち出し、管理せざるを得なくなるシナリオもありそうです。

従来、パンダは国外からお金を持ってきてくれる動物であり、だからこそ中国人はパンダの国際社会での人気についても、完全に肯定的にとらえてきた。それが、海外にレンタルしても中国のお金を食べ続けるスネカジリ動物……ということになると、中国世論のパンダに対する姿勢もやがて変わってくるかもしれません。

中国当局としては、外にどうやって中国をアピールするかということのほかに、中国の民の自尊心とのバランスも上手に取っていくことが、今後のパンダ外交で重要なポイントになるのではないでしょうか。

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家永 真幸(いえなが・まさき)
東京女子大学 国際関係専攻 准教授
1981年、東京都生まれ。2004年東京大学教養学部卒業。2015年東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。専門は東アジア国際関係史。著書に『パンダ外交』(メディアファクトリー)、『国宝の政治史 「中国」の故宮とパンダ』(東京大学出版会)などがある。

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安田 峰俊(やすだ・みねとし)
ルポライター、立命館大学人文科学研究所客員協力研究員
1982年生まれ、滋賀県出身。広島大学大学院文学研究科博士前期課程修了。著書『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』が第5回城山三郎賞と第50回大宅壮一ノンフィクション賞、『「低度」外国人材』(KADOKAWA)が第5回及川眠子賞をそれぞれ受賞。他の著作に『現代中国の秘密結社 マフィア、政党、カルトの興亡史』(中公新書ラクレ)、『八九六四 完全版』(角川新書)、『みんなのユニバーサル文章術』(星海社新書)など。

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(東京女子大学 国際関係専攻 准教授 家永 真幸、ルポライター、立命館大学人文科学研究所客員協力研究員 安田 峰俊)

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