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育児をするだけで褒められる…社会学者が指摘する「イクメンを持ち上げる」意外な落とし穴

プレジデントオンライン / 2022年12月2日 13時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/takasuu

イクメンという言葉が使われるようになって久しい。しかし、実際には家事育児の負担は女性に重く偏ったままだ。社会学者の平山亮さんは「イクメンって、これまで女性に押しつけられてきたケア責任としての子育てを、男性が積極的に担うということですから、男性に変化が起きているように見えるんですね。それによって、実は全然変わっていない男女間の不平等を、見えなくしてしまう効果があると思うんです」という。同じく社会学者の澁谷知美さん、ライターの清田隆之さんとの鼎談をお届けしよう――。

※本稿は、『どうして男はそうなんだろうか会議』(筑摩書房)の一部を再編集したものです。

■男性が暴力的なのはそう期待されているからなのか

【澁谷】平山さんはある論考(※)で、男性が暴力的に振る舞ってしまうのは、攻撃的になるように男性が期待されているからだという、よくある言い方に対して、「男性性は本当に男性の行為の原因になっているのだろうか」と疑義を呈されています。なぜ、疑義を呈されたのか、説明していただけますでしょうか。

※平山亮「「男性性による抑圧」と「男性性からの解放」で終わらない男性性研究へ」日本女性学会『女性学』27巻

【平山】ここでいう「男性性」は「男性性役割」とほとんど同じ意味ですね。つまり、男性たちがそれを学ぶことで、男性に共通した行動パターンを生み出す、「男とはふつうどういうものか」という規範のことです。ただ、こういう性役割論には問題もあるんです。この見方は、男性特有の行動パターンがあることを前提とし、どうしてそういうものがあるのか、その原因として性役割を持ってきている。でも、そういう男性特有の行動パターンの存在自体が疑われてもきました。

たとえば、男性は「自分が上に立ちたい」という志向を身につけさせられてきた、と言われます。そして、男性たちが互いに張り合う姿を見て、ああ、「たしかに男性はそういう志向を持っている」と確信したりもする。でも一方で私たちは、女性たちが張り合う姿もよく知っているはずなんです。何度かテレビドラマになった「大奥」なんて、まさにそうでしょう。じゃあ、私たちは「大奥」の女性たちを、「男らしい」行動パターンを身に着けた「女性らしからぬ」女性だと思っているのか。むしろ逆でしょう。あれは時代劇ですが、彼女たちの姿を見て「今の女の世界だってこういうことあるよね」と、要するに「女あるある」だと思って見ているのではないですか。

■「男あるある」「女あるある」を信じるな

【平山】何を言いたいかというと、私たちが誰かの行動を認識するときには、その人の性別をセットにして認識してしまっているということです。男(に見える人)たちが張り合っている姿を見れば、自分が上に立ちたい「男あるある」な行動だと思い、女(に見える人)たちが張り合っている姿を見れば、女の世界特有の「女あるある」な行動として見る。実質的には同じ行動をとっていても、その人が属すると思われる性別にあわせ、まったく別の行動のように見てしまう。そして、こう確信してしまうんです。「男には男の、女には女の、特有の行動パターンがある」と。

こういう行動パターンの性差を所与の前提とした上で、その「原因」として考えられてきたのが性役割です。でも、その前提自体があやしくなってきた。むしろ問うべきは、そういう「男性特有の何かがある」というリアリティのつくられ方のほうではないか、と。

暴力の話に戻ると、構造的な優位にあれば、劣位の者を抑圧したり蹂躙したりする人は、性別にかかわらず一定程度あらわれる。まずそこを直視しないと、どうやって暴力を防ぐかの分析は、うまくいかないように思います。

■男性が構造的優位を乱用しないためにできること

【澁谷】とすると、どのような社会的条件があれば、男性が優位な立場に立てて、劣位にある相手に対して暴力的に振る舞える場がつくられるのか、それをどのように変えればいいのかが、次なる問いとして出てくると思うんですが、この点、いかがでしょうか?

【平山】そうですね。その場合、男性は、自分より劣位にある人に対して、やりたいようにできる相手だと認識して振る舞っているわけですよね。だとすれば、暴力を振るいそうになったとき、自分の意思で止められないものなのか、踏みとどまって考えてほしいですね。

【澁谷】でも、いまのお話だと、暴力を誘発するような、構造的な条件があるわけですから、自分の意思で暴力を抑え込むのは難しいのでは?

【平山】その構造を乱用しない、というオプションもあり得るわけじゃないですか。

たとえば、上司から部下への抑圧的な言動は、立場上、部下が口答えすることが難しいからこそハラスメントになる。立場の優劣がある状況で、「相手は口答えしにくいだろうから、言いたいだけ言ってしまおう」というオプションをとると、ハラスメントになります。でも、上司には別のオプションもとれるはずなんです。つまり、「相手は立場上、口答えしにくいだろうから、こちらも言い過ぎないようにしよう」と、言い方や言うことを控えめにするオプションです。

ビジネスプレゼンテーション、ぼやけた背景。同僚とオフィスでセミナー中にスピーチをするビジネスマン、役員室の机に立つ、テーブルに座ってスピーカーを聞く多様な人々
写真=iStock.com/Prostock-Studio
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Prostock-Studio

【澁谷】なるほど! 平山さんは構造的な条件に注目されているので、個人でできることは少ないのかなと思ってしまったんですけど、むしろたくさんあるということですね。

【平山】はい。自分が優位に立ってしまうことは、自分の意思ではどうにもできない、構造の問題かもしれません。でも、その優位を利用するかしないかは、自分の意思で選択できます。優位を乱用しない、というオプションを選ぶのは、それほど難しいことではないはずです。だから、構造的に与えられた自分の優位、あるいはマジョリティとしての自分の立場を、「呪い」のように思って嘆くひまがあったら、「その優位を使わない手だてを、まずは考えなさいよ」と言いたいです。

■「男とはこうである」説の問題点

【澁谷】平山さんは、「男とはこういうものである。以上」という分析をして終わらせるような語りに対して批判的で、「男とはこういうもの」という理解の仕方が、ジェンダー関係に何をもたらすかが問われなければならないとおっしゃっています(※)。なぜ、「男とはこういうものである。以上」といった分析の仕方に批判的なのでしょうか。

※「「男性性による抑圧」と「男性性からの解放」で終わらない男性性研究へ」『女性学』27巻

【平山】「男とはこういうものである」という言説は、人びとが個々の男性の行動や置かれた状況、ひいては社会全体をどう見るかを規定してしまう、いわば、色眼鏡になってしまうからです。そして、その色眼鏡は、問題をどう解決すべきかにも影響してしまう。

前編の話で言うと、長時間労働がネックになって、もっと家事育児にかかわりたいのにそれができずにいる男性がいるのは、間違いありません。他方で、さっきデータで示したように、いくら時間があっても、家事育児をしない男性も多い。にもかかわらず、「長時間労働がネックになって家事育児に参加できない」だけを研究者が言い続け、専門家としての権威によって、それこそが男性の「真の姿」であるかのように人びとに思わせてしまったら、どうなるか。先ほど清田さんもおっしゃっていたように、就業システムだけが問題で、この状況を変えるために個々の男性にできることなどないかのような現実がつくられてしまうでしょう。このとき研究者は、男性を免責すると同時に無力化してもいます。

■「男性とは~」と発信する専門家には「生産者責任」がある

【平山】「男性とはこういうものである」という言説を提供することで、われわれは、色眼鏡になりうるものをどんどんつくり出しているのです。そういう色眼鏡が、社会の中でどのように使われる可能性があるのか。それによって、かえって見えなくなってしまう問題はないか。そういうことを常に意識する必要があると思うんですね。

「男とはこういうものである」と理解するだけならその人の自由ですが、それを公共的な言説として世に放った瞬間、しかもそれを専門家として放った瞬間、その理解は、現実そのものに影響を与えうるんです。自分の放った言説がどのように使われ、どのような影響を及ぼしうるか、いわば言説の「生産者責任」に、もっとセンシティブであってほしいということです。

■仕事と家庭の両立をめぐる男女の違い

【清田】男性たちが育児とかケア労働をもっとするようになること自体は必要だし、大事なことだと思うんですけど、少し気になることがあって。男性が家事育児をする時間が圧倒的に足りていないということがメディアを通じて言われるようになると、「イクメン」のようにケア役割を積極的に担うのが、男性にとっての望ましいあり方になって、それが実践できていることが、自らの優越性アピールや、他の男性に対するマウンティングの道具になってしまう可能性もあると思ったんです。この点、いかがでしょうか?

『どうして男はそうなんだろうか会議』(筑摩書房)
『どうして男はそうなんだろうか会議』(筑摩書房)

【平山】いま言われたような男性像が「望ましい男性像」になった場合、男性も積極的にケア労働をしなきゃというプレッシャーになりますから、いい面もありますよね。現状では、ケア責任が女性に偏っていますから、男性同士で競い合って、ケア責任をめぐる不均衡が少しでも改善されるなら、それはよいことだと思うんです。

他方で、気をつけたほうがいいこともあります。たとえばイクメンって、これまで女性に押しつけられてきたケア責任としての子育てを、男性が積極的に担うということですから、男性に変化が起きているように見えるんですね。それによって、実は全然変わっていない男女間の不平等を、見えなくしてしまう効果があると思うんです。

育児にコミットする男性は、それをマウンティングの道具として使うかどうかは別にしても、従来、自分の性別と結びつけられていなかった仕事を行うことでポジティブな評価が得られる面はたしかにある。ところが、子どものいる女性が、こんなに仕事を頑張っていますと言っても、「家族を放っておいて大丈夫なの?」と言われたりして、無条件にポジティブな評価が得られるとは限らない。だとすると、仕事と家事育児の両方を追求しようとするとき、男性と女性では、社会からの評価が違うということです。

大きくて小さな男性のつながり。父と赤ちゃんの息子は拳をぶつける、クローズアップ
写真=iStock.com/Prostock-Studio
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Prostock-Studio

■「ハイブリッドな男性性」の目くらまし効果

【平山】男性性研究の中に、「ハイブリッドな男性性」という概念があります。これは、これまでの男性のあり方に、そうではなかったもの、たとえば、従来、女性に結びつけられてきたものや、ゲイ男性など周縁化されてきた男性に結びつけられてきたものを取り入れることで、「男性が変わった!」という認識を人びとのあいだに生み出す男性性であり、その「変わった!」を目くらましにして、実のところ全然変わっていない性の不平等への異議申し立てや批判を、かわす機能のある男性性のことです。「イクメン」をめぐるマウンティングも含め、「新しい現象」にばかり目を向けることで、実は変わっていない不平等が等閑視される可能性がないかは常に意識したいところです。

【清田】男性が自分の子どもを世話するだけでポジティブな評価を得られてしまうというのも、よく考えたら妙な話ですが、さらにそれが元々あったジェンダーの不均衡を覆い隠してしまうとしたら……。つくづく根深い問題だなと感じます。

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澁谷 知美(しぶや・ともみ)
社会学者
1972年、大阪市生まれ。東京大学大学院教育学研究科で教育社会学を専攻。現在、東京経済大学全学共通教育センター教授。ジェンダーおよび男性のセクシュアリティの歴史を研究している。著書に『日本の童貞』(河出書房新社)、『日本の包茎』(筑摩書房)などがある。

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清田 隆之(きよた・たかゆき)
ライター
1980年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。文筆業、恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表。恋愛とジェンダーの問題を中心に執筆活動を展開。単著に『さよなら、俺たち』(スタンド・ブックス)、『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』(扶桑社)などがある。

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平山 亮(ひらやま・りょう)
社会学者
1979年、神奈川県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科修士課程を経て、オレゴン州立大学大学院博士課程修了。専門は社会学、ジェンダー研究。現在、大阪公立大学大学院文学研究科准教授。著書に『迫りくる「息子介護」の時代 28人の現場から』(光文社新書)、『介護する息子たち 男性性の死角とケアのジェンダー分析』(勁草書房)などがある。

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(社会学者 澁谷 知美、ライター 清田 隆之、社会学者 平山 亮)

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