賃金カットで年収は2割減…それでもANAの従業員満足度が2年連続で上がったワケ
プレジデントオンライン / 2022年11月26日 8時15分
■勤務日数・居住地を自由に選べる新制度を創設
「今のタイミングなら『二足のわらじ』をはけるなと思って」。
ANAの客室乗務員、坂本里帆は21年12月、都内から引っ越した。引っ越し先は庄内空港がある山形県酒田市だ。
ANAは羽田空港と庄内空港間を約1時間で結ぶ航空便を、通常1日4往復運航している。ただ、坂本はこの路線のみを担当するわけではない。客室乗務員としての勤務地は羽田。出勤の度にこの路線を使って「飛行機通勤」している。
ANAは客室乗務員の新しい勤務制度を21年度に導入した。勤務日数などを希望に応じて選択し、居住地を自由に選べるようにするものだ。副業なども柔軟に認める。
坂本は21年春に、国内線の客室全体を統括する責任者として乗務できる資格を取得した。これで、客室乗務員として働き続けるキャリアプランの構築に一定のメドがついた。
そこで勤務形態の見直しに踏み切った。乗務するのは国内線のみとし、勤務日数を従来の半分に削減。その分、給与も従来の半分程度になる。酒田市に引っ越して現地で副業を始めることを決めた。副業を用意したのはANAグループのANAあきんど(東京・中央)だ。
■地方移住と勤務日数半減でも副業で収入をキープ
酒田市では、現地の観光団体などと組みながら庄内地方の情報発信や物産品の商品開発や宣伝などを実施する「観光大使」のような仕事に従事する。地元の高校生を対象とするビジネスコンテストの司会や、そのコンテストの参加者がアイデアを考える際のサポートをすることもあるし、地元の酒蔵の新商品開発を支援することもある。
収入は、生活コストの安さなどを考慮すればコロナ禍前と比べさほど遜色がない水準にあるという。「東京に住んでいた頃と通勤時間はそれほど変わらないし、ワークライフバランスが取りやすくなった」と話す坂本は、「副業を通じて、社会人として足りていなかった経験をしたり、客室乗務員の仕事で培った強みを再認識したりできている」という。
副業の「雇用主」であるANAあきんどとしてもメリットは多い。
同社はANAグループの航空事業に偏った収益構造を改善すべく、就航地を中心とした地方の創生をビジネスにつなげようとしている。庄内路線はANAの単独就航なだけに、もともと地元との信頼関係は深い。その地元でのANAのプレゼンスをさらに高める役割の一部を副業社員が担っているわけだ。
![副業の一環で地元ラジオに出演したときの坂本さん](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/c/f/1200wm/img_cfe16deba21b405a12e09854daa9909c503560.jpg)
ANAあきんどの庄内支店長、前田誠は「客室乗務員の仕事のメインはあくまで機内の保安業務。ただ、地元の様々なステークホルダーとのつながりを深める部分に貢献できる人材もたくさんいる。その人たちの能力をグループ全体で活用していきたい」と話す。
■子育てのために地方移住を選んだ国際線の客室乗務員
「フライトも子育ても副業もバランス良くできるようになった」。こう話すのは客室乗務員の岩橋真弓だ。
12年に第1子、17年に第2子を出産した岩橋は、子育てと仕事を両立すべく、出勤日数を従来の5割程度に抑える短日数勤務を第2子の育児休暇明けから始めた。
第1子出産後はフルタイムで職場復帰したが、国際線勤務のため月の半分は家を空けていた。子どもや夫、当時近くに住んでいた義父母に負担をかけているという後ろめたさがあったという。その後、夫は名古屋に単身赴任。岩橋は義父母と同居して何とか仕事と子育てを両立させてきた。ただ、第2子の出産後、「いくら義父母の助けがあるとはいえ、フルタイムで働きながら2人の子育てをするのは難しい」と感じ、短日数勤務を選んだ。
そんな中でコロナ禍が起き、ANAは客室乗務員の居住地の自由を認める。夫と一緒に住みながら子育てできるのが望ましいと考えていた岩橋は、短日数勤務と同程度の勤務を続けながら拠点を移すことを決断した。引っ越し先は、夫の勤務地に近く、岩橋の出身地でもある岐阜県だ。
実は義父の出身地も岐阜だ。そして、義母は「団塊世代で女性は働きたくても働きにくい状況だった、今やりがいある仕事ができているなら応援したい」と岩橋の仕事に理解を示してくれている。そこで義父母も岐阜に引っ越すことになり、義父母の支援も受けながら夫婦2人で子育てできるようになった。岩橋の両親とも家が近くなり、不測の事態に対応しやすい。
■生活リズムを整えやすくなった
遠距離通勤を認める制度をANA社内では「NCP」と呼ぶ。通常の働き方の場合、どのフライトに乗務するかは毎月末、翌月のスケジュールが発表されるまでは分からない。ただNCPの対象者は担当する路線があらかじめ決まっており、休暇の予定も半年先まで分かる。
岩橋が乗務するのは成田─メキシコシティ線だ。乗務する日はまず、中部空港から羽田までANA便で向かう。短距離路線で新幹線が強い区間のため1日1便しかないが、便は早朝に設定されている。羽田からバスに乗り継いでも昼前には成田に到着する。成田を出発するのは夕方。それまでに必要な打ち合わせや業務を済ませられる。
13時間ほどのフライトをこなした後、現地に丸1日と数時間ほど滞在し、復路に乗務する。再び成田に戻ってくるのは勤務開始から4日目の早朝。そこから休憩したり、残務をこなしたりして、羽田を夕方に出発する中部空港便に乗って自宅に戻る。1回の国際線勤務は丸4日間となる。
「5割勤務」であれば、月の乗務回数は長距離国際線の場合2往復。月に8日働けば、与えられた職務は全うできることになる。1日1便しか羽田行きの便がない中部空港周辺に住むと、路線によっては前泊や後泊の必要性が出てしまうが、4日に収められるメキシコシティ線が岩橋の目指すライフスタイルにぴったり合っていた。
第1子は小学生に上がり、家族のバックアップも手厚いため、子育てに余裕が生まれ始めた。岩橋は空いた時間を使って「副業」も始めた。
国際線の乗務経験が豊かなだけに、英語は得意。そこで毎週土曜に英語教室を開いている。抱える生徒は20人ほど。直前の月末までスケジュールが分からない従来の働き方とは違い、NCPであれば長期的な予定が分かる。どうしても土曜に勤務しなければならない場合は教室の休みを早くから保護者に伝えられるし、有給休暇を使って土曜勤務を回避することもできる。シフト制で、時差のある海外に滞在する機会も多い客室乗務員は、つい曜日感覚を失いがち。岩橋は毎週土曜の副業があるおかげで「生活リズムを整えやすくなった」と話す。
■人件費抑制の手段を逆手にとって「働き方改革」に着手
ANAHDはコロナ禍を機に、働き方に柔軟性を持たせる施策を相次いで打ち出した。
勤務日数や勤務地を自由に選べる客室乗務員向けの制度はその一つにすぎない。地方に拠点を持つグループ会社への転籍を通して居住地を選べる制度を導入。このほか、最大2年間の理由を問わない無給休暇制度を始めるなどしている。
航空需要が依然としてコロナ禍前の水準には戻らない中、こうした施策を人件費抑制の手段として機能させているのは確かだ。ただ、必ずしもそれだけが目的ではない。
■給与や賞与カットにもかかわらず従業員満足度がアップ
実は、ANAHDが毎年実施する「従業員満足度調査」のスコアはコロナ禍に入った20年度・21年度と連続して前年超えとなった。給与や賞与のカットによって年収は約3割減ったにもかかわらずだ。これは、雇用を維持してくれたことへの社員からの感謝や忖度(そんたく)なのだろうか。
「より人間的に生活できるようになったのかもしれない」。こう話すのはANAHD副会長の平子裕志だ。コロナ禍を機に、離職する人は格段に増えた。リーマン・ショックなど過去の危機時とは比べものにならない水準だ。
ただ、働き方の柔軟性が一気に増した客室乗務員ではむしろ、離職率は低下しているという。従来は不規則な勤務体系なだけに、結婚や出産を機に退職する女性客室乗務員は少なくなかった。コロナ禍が生んだ新しい働き方なら、何とか好きな仕事を続けられる。そう思った客室乗務員は少なくない。
■変化していくものが生き残る
平子は「コロナ禍をきっかけに社員がキャリアを真剣に考えるようになった」とも指摘する。それがゆえに離職者が増えたという見方もできるが、「自分の強みは何か。それを生かせる職場はどこか」と考える機会になったのは事実だろう。その結果、従来はあまり活発でなかったグループ会社間の転籍が増えた。制度を整えた21年度に300人ほどが希望を出し、22年4月に100人ほどの転籍が実現した。
「変化することへの後押しを会社がしてくれている」。岐阜に移住した岩橋はこう感じることが最近増えた。「強いものが生き残るのではなく、変化していくものが生き残る」。
![高尾泰朗『ANA苦闘の1000日』(日経BP)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/6/7/1200wm/img_67132e95381573ae38aa04d145108093200640.jpg)
これはグループ内でことあるごとに引き合いに出される言葉だ。『進化論』を著したダーウィンの「適者生存」の概念にも通ずるが、「純民間」として2機のヘリコプターから事業を始め、国内線、そして国際線へと事業領域を広げてきたANAHDの根底にあり続けた考え方である。そこには、政府主導で立ち上げられ、常に「強者」であり続けたものの、戦後最大の経営破綻に帰結したライバル、JALへの強い対抗心がのぞく。
ただ、その競合の破綻後はANAHD自身が強者となり、変化を恐れる硬直化した組織となってしまっていた。社員が自らのキャリアを見つめ直し、その多様性に企業が対応することこそが「個人、そして会社のレジリエンス(復元力)につながる」と平子は話す。
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日経ビジネス記者
1992年佐賀県生まれ。2015年に日本経済新聞社に入社し、「日経電子版」向けのコンテンツ制作を担った後、16年に企業報道部へ。消費・流通の現場を取材したほか、建設業界や教育・福祉業界などの担当記者を務めた。20年から日経ビジネス記者。航空や運輸、マクロ経済などを担当している。
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(日経ビジネス記者 高尾 泰朗)
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