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なぜ滝沢秀明氏が辞めなくてはいけないのか…功労者を切り捨てる「ジャニーズ帝国」に未来はない

プレジデントオンライン / 2022年11月24日 17時15分

ジャニーズ事務所(=2022年11月8日、東京都港区) - 写真=時事通信フォト

■二人三脚で運営していくと思われたが…

滝沢秀明氏(40)が突然、退所した。King & Prince(以下キンプリ)の3人もグループ脱退で、藤島ジュリー景子社長(56、以下ジュリー社長)の経営者としての“資質”が問われている。

滝沢氏は、ジャニー喜多川氏(故人・享年87)が生前、自分の後継者に指名した当時、まだ30歳だった。

2018年カウントダウンライブへの出演を最後に引退し、年明けからはジャニーズJr.の育成を業務とする「ジャニーズアイランド」の社長に抜擢された。同じ年の7月にジャニー喜多川氏が亡くなると、ジャニーズ事務所の副社長に就任したのである。

誰もが、ジュリー社長と二人三脚で、これからのジャニーズを運営していくと思った。

「ジャニーさんと養子縁組しているんじゃないか」と揶揄(やゆ)されるほどジャニーズ事務所に尽くしてきたプリンスが、11月1日、唐突に退社を発表して、芸能マスコミもファンも耳を疑ったのである。

フライデー(11月18日号)から「滝沢ショック」を見てみよう。

■「今後のジュニア運営には影響が出るでしょう」

「滝沢は『嵐』や『関ジャニ∞』と同世代ですが、世に出たのは圧倒的に早い。’95年の入所当初からすでにカリスマでした。彼がいるおかげで、ジャニーズJr.は素人同然の研修生から、テレビでも発言できるタレントとして扱われるようになった。弱冠22歳という若さでNHK大河ドラマ『義経』の主演にも抜擢されています」(芸能プロ関係者)

’06年からは、後に春の恒例イベントとなる主演舞台『滝沢歌舞伎』の前身、『滝沢演舞城』がスタート。以降、その舞台にSnow Manら多くの後輩を起用し、育成してきた。

人気ユニットのタッキー&翼が解散し、相棒の今井翼(41)が事務所を去った後も滝沢は事務所に残り、後進の指導にあたっていた。

「ジャニー喜多川氏が亡くなった後、滝沢副社長は、これまでジャニーズ事務所が積極的でなかったライブ配信やYouTubeチャンネルの開設などにも乗りだした。タレントを育て、いかに輝かせるかに腐心するプロデューサータイプで、後輩からの信頼も厚かった。それだけに今回の突然の引退には本当に驚きました。今後のジュニア運営には影響が出るでしょう」(テレビ局関係者)

滝沢が手塩にかけたSnow ManやSixTONESは見事にCDデビューを果たし、嵐活動休止後の主戦力に成長した。

滝沢による次世代ジャニーズの動きに注目が集まる中での突然の引退。その理由は、故・メリー喜多川氏(享年93)の娘、ジュリー社長との方向性の違いや確執だといわれている。

■退所のすぐ後にキンプリの3人が脱退を表明

「芸能界から引退すると言っているようですが、『SMAP』の元チーフマネージャーの飯島三智さん(64)も引退すると言って、『新しい地図』を立ち上げました。タッキーも自分でプロダクションを設立するのではないでしょうか。少なくともタレント育成には今後もかかわっていくはずです。

2年前に、無名のメンバーを集めたJr.グループ『IMPACTors』のプロデュースをはじめたばかり。彼らのように急に滝沢という後ろ盾を失い、宙に浮くJr.の救済に動く可能性はあります」(音楽制作会社関係者)

滝沢退所の影響はすぐに出た。キンプリの平野紫耀(25)、神宮寺勇太(25)、岸優太(27)が、来年5月22日でグループを脱退することがファンクラブサイトで発表されたのである。

キンプリはジャニー喜多川氏の最後の傑作といわれ、SMAP解散、嵐が活動休止した後のジャニーズ事務所を支えてきた人気グループである。

今後は、キンプリの名前は残し、永瀬廉(23)と髙橋海人(23)の2人で活動を続けるという。まるでSMAPが解散した時と同じようではあるが、今回と違うのは、あの時は嵐や関ジャニなど、SMAPの後を補う人気グループがほかにもいたことと、ジャニー氏やメリー氏が健在だったことだ。

■経営に対する考え方がまったく違った

週刊文春(11月17日号)によると、火種は、2019年7月9日にジャニー喜多川氏が87歳で亡くなったあたりから始まったと見る向きが多いようだ。

その後、2021年8月に姉のメリー氏も亡くなり、社長に就いたのがジュリー氏であった。

将来性のある才能を見出す「異能」に恵まれていたジャニー。経営やテレビ局への売り込みの才に恵まれていたメリー。類まれな2人によって、日本で初めての男の子たちだけのアイドルグループ事務所は、帝国と呼ばれるようにまでなってきたのである。

その2人がいなくなれば、誰が考えても、帝国を維持するだけでも大変な困難を伴うはずである。

滝沢氏は、ジャニー氏から後継を託されたが、彼のように金の卵を見つけ出す“不思議”な能力を持っているわけではない。

その上、週刊文春によると、

「ジャニーさんや滝沢は舞台やショーが中心で、メリーさんとジュリーさんはテレビと映画が中心。それゆえ経営に対する考え方が違う。ジュリーさんは叔父を『天才プロデューサー』と認めつつも、一定の距離を置いていました」(ジャニー氏の知人)

ジュリー社長はスイスの有名寄宿学校を出て、上智大学に入学。卒業後はフジテレビに就職したが、数年で退職している。

■「私はジュリーを残します。飯島は辞めさせます」

子供の頃は女優を目指したこともあったようだが、断念。将来は専業主婦になるつもりだったといわれるが、デビューしたTOKIOを任されるようになって、これは“家業”だと腹を決め、V6、嵐、KAT-TUNなどを次々に手掛けるようになっていった。

週刊文春によれば、2004年に広告代理店を営む一般人男性と結婚し、娘を出産したが、母親のメリー氏に「跡目に相応しくないとみなされたことなどもあり」、離婚したという。

自分の娘に後を継がせたいと思う母心は分からないではないが、メリー氏のやり方は強引すぎて、有能な社内の人間が離反して退所してしまう事態にまで発展してしまったことがあった。

人のいない会議室
写真=iStock.com/hxdbzxy
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/hxdbzxy

SMAPを日本を代表するグループに育て上げた、飯島三智マネージャーが力を持ち、社外で「次期社長候補」などと噂されていることを知り、週刊文春(2015年1月29日号)のインタビューの最中に飯島氏を呼びつけ、「私はジュリーを残します。自分の子だから。飯島は辞めさせます」と断言したのである。さらに、

「私、飯島に初めて本気で怒鳴っています。なんで私が社員と対立しなきゃならないんですか。それだけでもすごい失礼だと思うの。言葉遣いをもうちょっと考えてよ。私に失礼よ」

■「飯島は私の子供じゃないんだもの」

「飯島に関しても私の管理の仕方が悪いんですよね。だから、みんな勘違いしちゃう。うちの娘と飯島が争うなら私は飯島に『出ていけ』と言うしかない。だって、飯島は私の子供じゃないんだもの。(中略)

私にとって娘より大事なのはタレント。でも、その次はやっぱり自分の家族。(中略)飯島がジュリーと対立するということは、私と対立するということ。お分かりになりますよね。それは、私に刃を突き付けているのと同じですからね」

メリー氏の夫で作家の故・藤島泰輔氏は、かつて妻をこう評していたという。「瞬間湯沸かし器型の感情の激しい人だが、実に“女”である」と。

この一件を機に、飯島氏は事務所を退所し、その彼女を慕って、SMAPの草彅剛、稲垣吾郎、香取慎吾らも退所していったことはよく知られている。

メリー氏の母親として子を思う情愛は理解できるが、情が勝ちすぎて、創業家が抱える課題に目を背けていたとすれば、経営者としてはいささか疑問を感じざるを得ない。

■ジャニーズが直面する「2代目経営」という難題

「国税庁の会社標本調査(2020年度)によれば、全国278万社余りのうち96.3%は『同族会社』だ。資本金100億円超の会社をとってみても、その割合は49.9%を占めている。つまり戦前から生き延びてきた一握りも、戦後次々と生まれたその他大多数も、日本企業のほとんどは創業一族による経営が続いており、企業が成長するとともにその割合は減っていくものの、大企業でも依然ほぼ半数は一族経営なのである。そしてその多くは今後も世襲を当然視していくと考えてよいだろう」(高橋篤史『亀裂 創業家の悲劇』(講談社)より)

そのためにさまざまな悲劇が生まれる。創業者の高齢化が進むが、後継者がいない。また、創業家一族が経営権をめぐって繰り広げる「骨肉の争い」などの“争族”が起こる。後を継いだ2代目が無能なため社業を傾かせてしまい、高齢を押して創業者が再び社長に復帰するなどである。

まして、タレント、それも多くの大衆の心をつかむタレントを見出すのは、砂浜に落ちたピンを探すのに等しい。それが次々にできたジャニー喜多川氏は、好き嫌いは別にして、稀有な才能を持った異能の人だった。

■「芸能プロダクションなんて一代限り」

メリー氏はそのことを百も承知だったはずだが、娘かわいさのあまり、有能な人材を切り捨ててしまった。それは優れた経営者であった彼女の唯一のミスであり、最大の過(あやま)ちではなかったか。

芸能界の“ドン”といわれているプロダクションの社長が、昔、私にこういったことがあった。

「芸能プロダクションなんて一代限り。自分の子どもに譲ろうなんて考えたことはない。うまくいくわけないのが分かっているから」

メリー氏も心の中では、ジャニー喜多川氏も自分もいなくなった後のジャニーズ事務所を娘に託すのは心もとないと考えていたに違いない。だが娘のほかに信頼できる人間はいなかったのであろう。

偉大な叔父と母を失ったジュリー社長の寄る辺ない気持ちは察するに余りある。

彼女が社長に就任してからは、タレントのデビューまでは滝沢、デビュー後はジュリー社長と管轄を棲み分けしていたそうだ。

だが、生前、ジャニー喜多川氏でさえ、売れないのではないかと危惧していたSnow Manを、滝沢は成功させた。そのことで状況が一変したという。

■派閥間の溝はキンプリメンバーにも

「彼女の中で焦りもあったのでしょう。関西ジャニーズJr.の売り出しに注力し出した。(中略)そして大阪支社に子飼いの女性スタッフを派遣するなど関西ジャニーズJr.への影響力を強め、二一年十一月には『なにわ男子』をCDデビューさせたのです」(事務所関係者)

見事にこのプロジェクトを成功させたのだから、ジュリー社長も面子を保てただろうと思うのだが、そうではなかったようだ。それに、母親譲りなのだろうか、彼女は好き嫌いがはっきりしていて、好きではない相手にはつれない扱いをしていたと、週刊文春が報じている。

「辞める(キンプリの=筆者注)三人はジャニーさんシンパで、海外公演をしたいと願っていたメンバー。ジュリーさんにも不満を持っていた」(芸能プロ関係者)

ストレスを溜め込んでいた平野は、ジュリー社長に直談判しようと、何回も面談を申し込んだが、ドタキャンが続いたという。ようやく5人が一緒に面会できた席で、ジュリー社長はメンバーの話を聞こうともせず、こういったそうである。

「私のこと嫌いなんでしょ。あなたたちなんか私の手に負えないから知らない」

それが、平野をして退所させることを決断させたというのだ。

さらに、ジュリー社長が目指したのは、ジャニーズ事務所を「普通の会社にする」ことだったようだ。

■滝沢派のタレントたちが続々退所するのか

「ある程度、タレントの弱いところも受け入れて許容していた昔と違い、すぐに処分に。当時、タッキーが社長としてメディアに注目されていたため、あたかもタッキーのジャッジのように映ったが、タッキーは『オレにそんな権限あるわけないでしょ』と迷惑がっていました」(滝沢氏の知人)

ジュリー社長は大手レコード会社や民放テレビ局の人間たちを入れ、長年事務所に尽くしてきた人たちを排除していったというのである。

「滝沢にはジャニー氏後継者との自負があり、ジュリー氏にビジネス展開を提案していた。しかしことごとく撥ねつけられたそうで、『ジュリーさんとは合わない』と洩らしていた」(事務所関係者)

滝沢は、Travis Japanをデビューさせたら辞めるといっていたという。

それがスピードアップして、10月28日にアメリカのレーベルから全世界に配信デビューさせた。海外進出はジャニー喜多川氏の夢でもあった。

舞台に照明がともっている
写真=iStock.com/akinbostanci
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/akinbostanci

退所した滝沢は、ツイッターなどで発信を始めたという。これから、滝沢を慕うタレントたちが続々退所する可能性もあると、文春はみている。

ジュリー社長は、退所者が雪崩を打たないか、若手を呼び出して面談を行っているという。

どこにでもある、2代目社長と古手の幹部との争いに見えるが、若い女性たちに夢を売る商売では、致命的なイメージダウンになりかねない。

週刊文春(11月24日号)によれば、ジュリー氏が社長に就任してから、錦戸亮、中居正広、長瀬智也、森田剛など、10人もの主要タレントが事務所を去っていったという。

■多くの2代目経営者が失敗してきたパターンである

私は長い間、外からジャニーズ事務所の変遷を見てきたが、今回ほど、この事務所の動揺ぶりをかつて見たことがない。

滝沢の後釜として、元V6の井ノ原快彦(46)を「ジャニーズアイランド」の社長に据えた。夫人は女優の瀬戸朝香(45)である。

井ノ原を起用した理由を、事務所関係者は週刊文春でこう語っている。

「夫婦揃ってジュリー社長のお気に入りなんです。上に楯突かず、何でも『はい』と言う井ノ原はまさにジュリー社長の大好きなタイプ。瀬戸はメリー前副社長時代から上層部の信頼が厚く、コロナ禍で感染拡大を心配した瀬戸が、ジュリー社長に夫の身体の相談もしていたといいます」

周りにイエスマンばかりを置いて、煩(わずら)わしい雑音が耳に入らないようにする。多くの世襲企業の2代目経営者が失敗してきたパターンである。

ジャニーズ帝国とまでいわれる喜多川姉弟が築いてきた芸能プロダクションは、しょせん家内工業的な個人商店に過ぎない。舵取りを一つ誤れば、あっという間に崩れる砂上の楼閣であることに、ジュリー社長は早く気づくべきであろう。

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元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、近著に『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。

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(ジャーナリスト 元木 昌彦)

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