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「身の毛もよだつ気味悪さ」再婚夫はDVヒモ男…生活保護不正受給の姑と築100年の家で同居する40代女性の苦痛

プレジデントオンライン / 2022年11月26日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Wako Megumi

現在40代の女性は、30代半ばで結婚・出産したが、離婚。5年後、1つ下の板前のバツイチ男性と出会った。当初は「誠実そうな優しい人」だったが、再婚するや、その本性を現す。仕事をさっさと辞めて働こうとしないばかりか、フルタイムで働く女性に対して日々暴言を吐き、女性の連れ子に満足に食事を与えなかった――。(前編/全2回)

ある家庭では、ひきこもりの子供を「いない存在」として扱う。ある家庭では、夫の暴力支配が近所に知られないように、家族全員がひた隠しにする。限られた人間しか出入りしない「家庭」という密室では、しばしばタブーが生まれ、誰にも触れられないまま長い年月が過ぎるケースも少なくない。そんな「家庭のタブー」はなぜ生じるのか。どんな家庭にタブーは生まれるのか。具体事例からその成り立ちを探り、発生を防ぐ方法や生じたタブーを破る術を模索したい。

今回は、再婚した男性のモラハラに耐えかねて、息子を連れて逃げた現在40代の女性の事例を紹介する。彼女の家庭のタブーはいつ、どのように生じたのか、そしてどのようにして逃れることができたのだろうか――。

■夫の借金で離婚

西日本在住の西山あすかさん(仮名・40代)は、商社マンの父親と専業主婦の母親との間に生まれ、5歳上の姉がいる。

大学を卒業し、IT系の企業の事務職に就いたが、30歳を過ぎて物流系の会社に転職。そこで最初の夫となる3歳年下の男性に出会った。1年の交際期間を経て、妊娠をきっかけに34歳で結婚。35歳のときに息子を出産した。

男性は西山さんとの交際中に独立し、ヘルスケア関連の小さな会社を始めていた。西山さんは不安を感じたが、夫は「資金は十分にあり、事業はうまくいっている」と言っていたため、信じていた。

ところがその2年後、夫に1000万円以上の借金が発覚。会社が深刻な経営不振に陥っていたのだ。夫に「今後借金はもっと増えるかもしれない」と言われ、西山さんは「お金に苦労したくない」と思った西山さんは、離婚を決意。2歳の息子を連れて家を出て、実家に戻った。

借金苦にあえぐ夫に養育費を要求することは難しく、西山さんは実家に頼りながらも、たった一人で幼い息子を育てなければならなかった。

「借金があると聞いた瞬間、愛情はなくなり、巻き込んでほしくなかった一心で別れました。今となっては、別れてよかったと思います。息子が生まれたとき、喜んでくれましたが、妊娠を伝えたときは、『本当に俺の子なのかな?』など、勢いに任せた暴言がありましたから……。私はもともと彼を、それほど愛していなかったのかもしれません」

離婚後、元夫との交流は完全に途絶え、息子との面会も一度もしていない。

■趣味の掲示板での出会い

実家では、両親が献身的にサポートしてくれた。当時65歳の母親が食事の支度を、71歳の父親が保育園の送迎を担ってくれたため、西山さんは仕事に専念することができた。

やがて離婚から5年後。西山さんが40代前半の頃に、映画好きが集まるインターネット掲示板で、1つ年下の男性と意気投合。1カ月ほどやり取りをするうちに、車で30分くらいのところに住んでいることがわかると、「会いませんか」という話になる。

カフェで会った男性は、高校を中退してからずっと板前をしているという。離婚歴があり、初婚は22歳、離婚は26歳で、離婚理由は、「元妻が家事をせず働かず、子どもを虐待したから」と話した。なんでも、元妻が家を出る時、男性がためていた貯金750万を持っていってしまったという。子供は娘が2人で、当時22歳、17歳。2人とも男性が引き取り、育てていた。

西山さんが持った男性の第一印象は、「誠実そうな優しい人」。それからも、ひと月に1〜2回ほど会い、3カ月ほど経った頃、男性から交際を申し込まれた。

■違和感

交際が始まると、次第に西山さんは、再婚を強く意識するようになっていた。しかし、再婚の話はたびたび出るものの、なかなかまとまらない。気付けば交際を始めてから5年。西山さんは内心、業を煮やしていた。

「(のちに再婚相手となるこの男性は)元妻に以前、お金を持って逃げられたことがトラウマになっていたようで、再婚に慎重でした。どちらかといえば私の方が、『彼みたいに頼れる人を逃してはいけない』と前のめりでした。苗字が変わるタイミングも考えて、私の息子が小学生のうちにと考えて焦っていました」

再婚の話がなかなかまとまらない理由には、この男性が西山さんの何気ない一言に過剰に反応し、すぐに「別れよう」「さようなら」と繰り返すことにあった。例えば、2人でお墓のことを話していたときに、西山さんがふと、「私は散骨でもいいな。誰にも迷惑かけたくないし」と言うと、突然男性は、「お前とは生きていけない。さようなら」と言って帰ってしまおうとする。

また、男性の誕生日には、西山さんは平日で仕事が忙しい中、何とか都合をつけて、レストランを予約、「おめでとう!」と言ってお祝いをした。それなのに、元夫は急に黙り込んでしまう。西山さんは、どうしたのかと思って何度も訊ね、やっと聞き出した答えにあぜん。「“おめでとう”だけで、“お誕生日おめでとう”とは言ってくれなかったね。誕生日が台無しだ。来年の誕生日まで俺はどうやって過ごしたらいいんだ⁉ 別れよう!」と言われたのだ。

赤ワインで乾杯するカップル
写真=iStock.com/Inside Creative House
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Inside Creative House

男性の物言いはあまりに理不尽だったが、思いを寄せていた西山さんは、慌てて「誕生日おめでとうって言わなくてごめんなさい」と謝り、男性の機嫌を直そうと必死だった。こうしたことが何度かあり、再婚の話がなかなか進まなかったのだ。

■再婚

いよいよ西山さんの息子が小学校を卒業する間際になり、西山さんはヤキモキしていた。食事に誘ったり、旅行に誘ったりして男性の機嫌を取る。そんなときに、男性とその頃、同居していた長女(当時26歳)が独立したことがきっかけで、やっと「じゃあ結婚して一緒に暮らそうか」という話になった。

再婚が決まると、西山さんは男性の母親と会うことに。

男性は73歳の母親と2人で実家暮らし。実家は築100年以上経っており、見るからにボロボロだった。男性の父親は約5年前に亡くなっていたが、「家庭をかえり見ず、土建屋の仕事で稼いだお金を全部ギャンブルでスってしまうような人だった」と聞いた。

「父親がお金を家に入れないので、母親は、昼は食事を作る仕事をし、夜は水商売の仕事もして家計を支えていたそうです。大変な苦労をされたとは思いますが、雰囲気や言動が下品で、私は好きになれませんでした。仕事のある息子と一緒に住んでいるのに、住民票は別にして、生活保護を不正受給していることも嫌でした」

その後、西山さんの両親や小学校6年生の息子に会わせるために、男性を実家に連れて行った。西山さんの息子は、「お父さんとお母さんがそろっている家庭に憧れていた」と言い、うれしそうだった。西山さんの76歳の父親は、涙を流して喜んでいた。

しかし男性が帰ったあとのこと。

「玄関を入った途端、キョロキョロと家の中を見回していたのが気になった。何か気味が悪かった」

と、70歳の母親が西山さんにこぼした。そのとき西山さんは気に留めず、笑って聞き流してしまった。だが、このほんの数カ月後には、母親の勘は当たっていたのだと驚かされたのだった。

玄関の扉が開いている
写真=iStock.com/Yuuji
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Yuuji

■結婚後の生活

両家へのあいさつが終わると、西山さんと男性は入籍し、その足で普段よりちょっと高級な店で食事をした。西山さんは、優しく頼りになる男性と夫婦になれたことで、ウキウキした気分だった。

ところが食事が終わり、会計をする際、夫は財布を出さなかった。西山さんは「あれ?」と思いながらも全額支払った。また、夫は、結婚前は母親と別居すると話していたが、結婚生活は、夫の実家でスタートした。夫は、結婚前は母親とは別居すると話していたが、その後も別居する素振りはみじんも見せなかった。

義母はまだ73歳だったが、手が不自由で家事ができない。夫も「けがでもしたら大変」と口うるさく言って、母親に家事をさせなかった。西山さんは、体が不自由な姑と同居の再婚生活をすることを余儀なくされたのだ。

西山さんはフルタイムの仕事に加え、これまで自分の実家で母親がしてくれていた料理までしなくてはならなくなり、再婚前より忙しくなる。それでも念願の再婚がかない、幸せだった。再婚から

約2カ月後までは……。

いったい約2カ月後に何があったのか。

なんと突然夫は、「職場の人たちと話が合わない」と言って板前の仕事を辞めてきてしまったのだ。その後、何度か再就職を試みていたが、いずれも2週間ほどで辞め、とうとう再就職先を探さなくなってしまう。

「私は『主夫になって』などと言ったことはなく、むしろバリバリ働いてほしかったのですが、働いてくれなくなり、家計は火の車。自分で事業を起こしたいと言っていましたが、一向に進んでいない様子でした。机上の空論ですね。夢ばかり大きかったです。私は前の夫のことがあり、事業を起こすのは反対で、その話には一切関わろうとしませんでした」

まさかの事態はそれだけではなかった。

勝手に仕事を辞めたのとほぼ同時期に、西山さんへの暴言が始まったのだ。きっかけは、仕事で帰ってくるのが遅かったことだった。帰宅するなり、「帰ってくるのが遅い! 別れる!」と騒ぎ出し、離婚届を突きつける。びっくりした西山さんは平謝りでなだめるしかなかった。

離婚届
写真=iStock.com/yuruphoto
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/yuruphoto

さらに、息子への厳しいしつけも目に余るようになっていく。食事の仕方に関しては、口を閉じて食べろ、30回は噛め、ゆっくり食べろ、おかずばかり食べるな、ありがたみを持って食べろ……。家事に関しては、料理の支度の手伝い、風呂掃除、犬の散歩、洗濯干しなどをさせた。

「冬場、息子の手が霜焼けで真っ赤になって大変なときがあり、私が代わりにやろうとしたら夫に制されて、『俺は娘をそうやって育ててきて、良い子になった』と言われました。あとは、私にも息子にも、好きなテレビ番組を見せてもらえませんでした。笑いながら見ていると、番組に文句ばっかり言って、『こんなしょうもないもの見るな』と、有無を言わさず消されました」

夫は仕事を辞めた後、料理は得意だったらしく、料理だけはしてくれた。西山さんが仕事で遅くなったときは、息子に夕飯を食べさせてくれていた。ただ、中学生になった息子は、食べ盛りだったにもかかわらず、夫は、「ご飯をそんなに食べるな! 家族で食べる分がなくなるだろう!」と言って十分な量を食べさせなかった。かわいそうに思っていた西山さんは、こっそりパンやお菓子を渡し、息子は自分の部屋で食べた。

また、結婚前には、「妻に料理をしてもらうのが夢だった」と語っていた夫だが、西山さんが作る料理が少しでも焦げていたりすると、「こんなもの食べれるか! どうせよそ見でもしていたんだろ!」などと容赦なくダメ出しをした。

再婚相手の人間性に問題があるのは明らかだった。今から思えば、西山さんの母親が初めてこの男性に会った時に「キョロキョロと家の中を見回していて気味が悪かった」と言ったのは正しかったのだと、西山さんは心底思い、見抜けなかった自分を悔いた。

仕事で疲れて帰ってきては、日々、罵倒される西山さん。同居していた義母はその姿を見て見ぬ振りで、息子は自分の部屋まで聞こえてくる暴言に耳をふさぎ、震えていた。(以下、後編へ続く)

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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