「福沢諭吉は地下4mの地点に着物で寝ていた」なぜ土の中で76年間も姿形が保たれたのか
プレジデントオンライン / 2022年11月29日 11時15分
■1977年に「福沢諭吉がミイラになって現わる」
前回の本連載では九州におけるムスリム(イスラム教徒)の土葬墓を取り上げ、各方面から反響をいただいた。その多くが「郷に入れば郷に従って、火葬を受け入れるべきだ」「多くの日本人にとって土葬墓は忌み地であり、近隣の土地は瑕疵物件となる」などと、土葬について批判的なものであった。しかし、東京都心部でも戦前までは普通に土葬が行われ、今でも生身の肉体が埋まっている墓地も少なくない。本稿では、かの福沢諭吉の驚くべき土葬の様子を紹介しよう。
福沢諭吉がミイラになって現わる——。
今から45年前(1977=昭和52年)。慶應義塾大学の関係者らは、にわかに信じ難いニュースに色めきたった。ミイラが発見された場所は慶應義塾大学(港区三田)からもさほど離れていない、品川区上大崎の常光寺だった。この時点で、偉人の死から数えて76年が経過。諭吉は葬儀直後に土葬されており、普通ならば土に還っているはず。なのに、なぜかミイラとなって現代に現れたという。
ひとまず諭吉の死の時点まで遡ってみる。
福沢諭吉は1901年(明治34年)2月3日に脳出血が原因で死去したと伝えられている。享年68だった。葬儀は2月8日、福沢家の菩提寺である麻布十番の善福寺(浄土真宗本願寺派)で執り行われた。
通常、「葬儀」と「埋葬」が切り離されて、別々の寺で行われることはない。しかし、諭吉は生前、散歩の際、常光寺周辺の眺望が良かったことから、「死んだらここに」と、常光寺の墓地を手に入れていた。常光寺は善福寺からは約2.5km離れている。
最近では、寺檀関係が煩わしいと考える人は、「好きな場所」に「好きな埋葬法」を求めるケースが増えているが、地縁・血縁がしっかりと根付いていた明治期に、自由気ままに墓を求めたのはかなり珍しいケースではなかっただろうか。こうしたことからも、諭吉がなかなかの自由人であったことが読み取れる。
■明治末期、都内では火葬と土葬が入り混じっていた
明治末期、東京都内では火葬と土葬が同じくらいの割合だったようだ。土葬の場合、最初に墓に入る故人はなるべく地中深くに埋葬され、そしてその後に亡くなった配偶者や子供らの遺体を上に、上にと重ねていく。
土に埋められた遺体は1、2年も経過すれば白骨化し、その骨もやがては土に還る。土饅頭(どまんじゅう)型(土を丸く盛り上げて作った墓)の墳墓の場合、盛られた土が次第に下がっていくことで白骨化したことが分かる。土葬は、執着を嫌う仏教の考え方に適(かな)った埋葬法といえる。
諭吉は常光寺の地下で、76年間の永い眠りにつくことになった。ところが、自分の好きな場所に墓を求めたことが諭吉の死後、思いもよらない混乱を引き起こす。
![最初に福沢諭吉が埋葬された常光寺に墓碑が残されている](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/7/e/1200wm/img_7eea0893a9d08bd52cc709e8efcf3d67777361.jpg)
先に述べたように福沢家の宗旨は浄土真宗であった。ところが埋葬された寺は浄土宗だ。両宗は同じ浄土系とはいえ、経や教義、仏事の作法などが異なる。戒名の付け方も異なる。他宗の寺同士が仏事で連携し合うということも、よほどの例外を除いてはあり得ない。
福沢家の場合、法事の際、どちらの寺が取り仕切るのかというような寺同士の問題が生じることになる。浄土真宗の僧侶が、浄土宗の寺の敷地で経を上げるという、ちぐはぐなことにもなりかねない。
また、親族にとってみれば墓参りの場所が複数にまたがるという面倒が生じる。将来的には、諭吉の子供や孫達の、埋葬場所はどうするか、など、ややこしい話が次から次へと出てくる可能性がある。
諭吉は、欧米文化を日本に広め、近代日本の礎を気付いた人物で、慶應義塾をひらいた明治期を代表する偉人だ。常光寺にしてみれば、「墓所を提供した」に過ぎなかったが、諭吉の墓ができたことで、慶應義塾大学を目指す受験生やその親が合格祈願に訪れる「受験の聖地」になってしまった。学生や大学関係者が毎年、墓参りに訪れ、寺は大いに賑わうことになった。常光寺が本堂を建てる際には、慶應義塾大学による寄付の恩恵にも預かった。
■地下4mの地点、棺の中で着物を着た諭吉が寝ていた
ところが、常光寺が本堂を構えるに当たって、寺を維持管理するための檀家の集まりである護持会組織が発足したことで、事態は動き出す。その会則に「常光寺に墓所を持つ檀家は浄土宗信徒であること」「信徒でなければ改宗すること」「改宗できなければ、墓を移転すること」などが明記された。決断を迫られた諭吉の遺族は常光寺からの撤退を決める。
そうして本来の菩提寺である麻布十番の善福寺への「改葬」が実施されることになった。1977(昭和52)年5月のことだ。ちなみに改葬とは、「墓の引っ越し」のことである。
![善福寺にある福澤家の墓に諭吉の遺骨が改葬された(撮影=鵜飼秀徳)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/0/2/1200wm/img_0228c5ede823001512c1a970d199ab8b501011.jpg)
「改葬」という言葉は1948年(昭和23年)にできた「墓地、埋葬等に関する法律」にも出てくる。しかし、諭吉の改葬が実施された45年前は墓を動かすことはまだまだ一般的ではなかった。
改葬が増えていくのは、平成の時代になってから。諭吉の墓の引っ越しは、「改葬のはしり」と言えるだろう。ともかく諭吉の墓は76年の時を経て、掘り返されることになった。
まさか、「眺めがいいので」という何気ない理由で墓を求めたことが発端となり、寺や親族、大学関係者を巻き込み、最終的には菩提寺に改葬されることになるとは、諭吉自身は想像だにしなかったに違いない。ところが、物語はそれだけで終わらない。
常光寺の先代住職や慶應義塾大学の関係者らが見守る中、諭吉が眠る墓の掘り返し作業は数日間かけて実施された。まず2mも掘ったところで、「福沢諭吉先生永眠之地」との銘が刻まれた石が出てきた。さらに地下3mの地点で、錦(きん)夫人の遺骨が出てきた。
そして、ついに地下4mの地点で諭吉の棺が見えてきた。棺を開け、関係者が中を覗き込むと、中は冷たい伏流水で満たされ、そして着物を着た諭吉が寝ていた。
驚いたことに白骨化することなく、ついこの前に亡くなったかのような姿だった。遺体はミイラというより、屍蝋(しろう)化(※)していた。遺体が棺から出されると、大気に触れたことで急激に酸化し、みるみる緑色に変色していったという逸話も残っている。当時を知る関係者によると、諭吉の遺体には、大量の「お茶の葉」がまとわりついていたという。
※体内の脂肪が脂肪酸となり、さらに蝋状になって、死体を原形に保つ(デジタル大辞泉より)
「遺体が抗菌作用のある茶の葉と、冷たい伏流水に浸かった状態だったため、奇跡的に生身のまま残ったようです」(関係者)
■諭吉の遺体からDNAが採取できた可能性がある
想定外の出来事に親族は対応について苦慮し、大学関係者とも話し合われたが、結局、遺族の遺志を尊重し、諭吉は荼毘に付され(火葬され)た。そして、予定通り、錦の遺骨や墓石とともに、麻布十番の善福寺に移された。
![遺族が葬儀参列の御礼を伝える朝日新聞の広告](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/2/2/1200wm/img_225f348381b3f86e36f41ffbd9b14c7c729305.jpg)
想像の域を出ないが、諭吉の墓の改葬が現代であれば、どういう対応が取られただろう。ひょっとしてすぐに火葬されなかったかもしれない。
奇跡的な保存状態で見つかった諭吉の遺体からは、DNAが採取できた可能性がある。慶應義塾大学医学部に遺体の一部でも保存することが真剣に検討されたかもしれない。
東京都内の寺院の住職に話を聞けば、古い土葬墓を改葬する際には日本髪を結った姿の残った遺骨が出てくるケースがあるという。実は東京都内だけではなく、各地で戦前の土葬墓は多く残っている。日本人はむしろ、土葬とうまく向き合ってきた民族といえるだろう。
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浄土宗僧侶/ジャーナリスト
1974年生まれ。成城大学卒業。新聞記者、経済誌記者などを経て独立。「現代社会と宗教」をテーマに取材、発信を続ける。著書に『寺院消滅』(日経BP)、『仏教抹殺』(文春新書)近著に『仏教の大東亜戦争』(文春新書)、『お寺の日本地図 名刹古刹でめぐる47都道府県』(文春新書)。浄土宗正覚寺住職、大正大学招聘教授、佛教大学・東京農業大学非常勤講師、(一社)良いお寺研究会代表理事、(公財)全日本仏教会広報委員など。
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(浄土宗僧侶/ジャーナリスト 鵜飼 秀徳)
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