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GAFAMの無料サービスを使い続けると人はどうなるか…「エリートと貧民しかいない社会」が現実味を帯びるワケ

プレジデントオンライン / 2022年12月2日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/recep-bg

GAFAMと呼ばれる巨大IT企業のサービスを使い続けると、人々の生活はどう変わるのか。ジャーナリストの佐々木俊尚さんは「サービスの多くは無料で確かに便利だが、人類をエリートと貧民に二分する危険性をはらんでいる」という――。

※本稿は、佐々木俊尚『Web3とメタバースは人間を自由にするか』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

■巨大企業はわたしたちの自由を奪っているのか

インターネットのテクノロジーには、ひとつの難しい問題が浮上している。

それは、フェイスブック(現メタ・プラットフォームズ)やアマゾン、グーグルなど「ビッグテック」と呼ばれる超大手ネット企業をめぐるものだ。

最初にすっぱりと言ってしまえば、「ビッグテックの支配はわたしたちの自由を奪っているのだろうか?」「それは幸福なのだろうか、それとも隷従の不幸なのだろうか?」という問題である。

インターネットのテクノロジーの進化で、わたしたちの暮らしは信じられないほどに便利になった。スマートフォンが登場したのは二〇〇〇年代の終わりごろで、まだ十五年ほどの歴史しかない。それなのにこの間のテクノロジーによる生活のアップデートは凄(すさ)まじかった。

スマホが存在せず、地図アプリもメッセンジャーもツイッターも使えず、ウーバーイーツで晩ごはんも頼めない世界にあなたは戻れるだろうか? スポティファイもネットフリックスもなく、お店まで足を運んで何千円も使って、音楽CDや映画のDVDを買いにいかなければならない世界に戻れるだろうか?

■AIに仕事を奪われたら、政府が出す生活費に頼ればいい?

テクノロジーはさらに進化しようとしている。あと十年もすれば完全な自動運転車が普通に走るようになっているだろうし、遠くにいる友人とまるですぐ近くでいっしょに過ごすようにメタバースを楽しむようになっているだろう。

しかもこれらのサービスの多くは、無料か比較的安価である。一枚の音楽アルバムの値段が三千円もした昭和時代の人に、「三十年後の未来には、何千万もの楽曲が月千円ほどでいくらでも聴けるようになる」というスポティファイのサービスを説明しても、だれも信じないに違いない。

ビッグテックは、人類史上初めてと言ってもいいほどの「安楽な暮らし」を実現しつつある。「いやいや、AIに仕事を奪われるじゃないか」「そもそも安楽な暮らしのための生活費が足りないだろう」という声もたくさん聞こえてきそうだが、そういう問題さえAIは解決してしまうかもしれない。これはあとあとくわしく説明するけれども、ベーシックインカムという解決策も提案され、さかんな議論になっている。

ここではその提案内容をかんたんに記しておこう。AIとロボットに仕事を奪われたら、政府がかわりに国民に毎月の生活費(ベーシックインカム)を支給する。国民はそのお金で企業から商品やサービスを買う。企業はそれで売上が立って利益も出るので、法人税を政府に支払う。政府はその法人税を財源にして、ベーシックインカムを支給する。

構図にするとこうだ。

■待ち受けるのは巨大企業に徹底管理された社会

現在:企業→人びとに賃金を支払う→人びとが消費者となって企業からモノやサービスを買う→企業の売上が立つ

未来:企業が政府に法人税を納める→政府がベーシックインカムを人びとに支給する→人びとが消費者として企業からモノやサービスを買う→企業の売上が立つ

上記のように循環が変わるという可能性だ。現実に政策としてそれが設計可能かどうかは別として、思考実験としてはおもしろい。もしこういう循環が成立できるのなら、仕事が奪われても人びとの生活は成り立ち、経済はまわるということになる。

もしそうなれば、古代ギリシャの市民が奴隷に労働させて自分たちは広場で議論していたように、二十一世紀のわたしたちもAIとロボットという奴隷に仕事をさせて、あまった時間を民主主義の議論やエンタメや遊びに振り分けられるかもしれない。

しかしこのような流れに対して、強い批判も出てきている。

そのような「安楽な暮らし」はAIに完璧(かんぺき)にコントロールされ、ビッグテックによって徹底的に管理された社会であり、「自由がないのでは?」という批判である。言い換えれば、ビッグテックのエリートたちが、わたしやあなたのような一般社会の側の人たちを王様のように支配する世界が訪れるのではないか、という異議でもある。

■「無料ならプライバシーなんて要らない」人も

それらの批判は、いま逆風としてビッグテックに襲いかかっている。人びとのプライバシーを広告ビジネスに利用し、巨利を得ているからだ。「大事なプライバシーを奪い取って儲(もう)けるなんて!」という非難が世界中で強まっている。プライバシーの監視をお金儲けの道具にし、監視をビジネス化しているというので、「監視資本主義」という強烈なワードも登場してきた。

しかし問題はそんなに単純ではない。なぜならビッグテックの提供している検索や地図やSNSなどのサービスは、プライバシーを吸い取られるかわりに無料や安価でサービスを受けられるというメリットもあるからだ。お金に余裕のない人にとっては、これは福音である。

自由を愛する人は「プライバシーを集めて利用するなんて」と怒る。でも明日の食事にも困っている人の中には、無料で動画やゲームが楽しめ、友人に無料でメッセージを送れるのなら「プライバシーなんて要らない」と思う人も少なくないだろう。

「監視資本主義」の批判には、そのような視点が抜け落ちている。格差社会の視点が抜け落ちた批判は、しょせんは「金持ちの道楽」的ではないだろうか。

■ファシズムの本質には「喜び」がある

そもそもビッグテックの支配は、ステレオタイプ的に言われるような「独裁者が人びとを弾圧し強権で支配している」のとはまったく違う。なぜなら現代のテックの利用者は、喜んでテックを利用しているからだ。言ってみれば、古代のローマ帝国の有名な「パンとサーカス」に近い。これは、無償で与えられるパン(食事)とサーカス(娯楽)によってローマの人びとは満足し、政治的な関心を薄れさせられているということを指している。

「支配と隷従」は、必ずしも弾圧や抑圧によって引き起こされるのではない。それは二十世紀のファシズムを考えればわかる。全体主義とも呼ばれるファシズムというと、だれもがナチスドイツを思い出すだろう。しかし、ナチスは決して人びとを抑圧し強制しているだけではなかった。どちらかと言えばドイツ国民がナチスに熱狂し、そして陶酔していたのである。ファシズムの本質には「喜び」があるのだ。

「パンとサーカス」もビッグテックも、喜びがあるから人びとは受け入れるのである。くわえてビッグテック支配には、もうひとつ強力なポイントがある。それは「ネットワーク効果」というものである。ネットワーク効果とは、同じサービスを使っている人が増えれば増えるほど、そのサービスを使うメリットが高まることを指す経済用語である。

■周囲と同じサービスを使わないと取り残される時代

たとえば周囲の人たちがみなLINEを使って連絡を取り合っているのなら、自分もLINEを使わざるを得ない。そうしないとみんなと連絡が取れなくなってしまう。わざわざあなたひとりのために音声電話してきてくれる人は、一度ぐらいならいるかもしれないが、「毎回電話でお願い」と頼んでいたらだんだんと仲間はずれになるだけだろう。

マイクロソフトのウィンドウズマシンやアップルのマックを使っていれば、さまざまなアプリケーションソフトが使えて、使い方の情報もグーグルで検索すればすぐに見つかる。どこかの国の聞いたことがない企業が開発した独自OSをパソコンに組み込んでいたら、アプリの数は少ないし情報もほとんどない。だからみながウィンドウズやマックを使うようになる。これがネットワーク効果である。

雑然とした作業机でタブレットとラップトップを広げ二人で働くオフィスワーカー
写真=iStock.com/Pranithan Chorruangsak
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Pranithan Chorruangsak

OSだけでなくSNSやメッセンジャーなどさまざまなウェブのサービスには、このネットワーク効果が強力に働く。いったんひとつのサービスを使いはじめたら、他のサービスには移るのが難しくなる。このネットワーク効果を利用して、ビッグテックは自社の支配をさらに強めているのだ。

■GAFAMが衰退しても、次のテック企業が支配するだけ

ネットワーク効果によるビッグテックの支配には、単なるコントロールとしての支配だけではなく、そこから逃れられないという「隷従」のニュアンスがある。ビッグテックのコントロールの言いなりにならざるを得ないのだ。単なる支配ではなく「支配と隷従」なのである。

とはいえ、このような「支配と隷従」は、決してアメリカのビッグテックに未来永劫(えいごう)に約束されているわけではない。現在のインターネットはグーグル、アマゾン、フェイスブック(メタ)、アップル、マイクロソフトなどGAFAMとも呼ばれているアメリカの企業群に独占されている。

しかし年月が経てばこうした企業も衰退していくかもしれないし、そのあとには躍進めざましい中国のテック企業が支配する時代も来るかもしれない。仮想世界のメタバースにインターネットの中心が移っていけば、そこではまた別の新たな企業が覇権をうちたてるかもしれない。

しかしどのような企業がやってきたとしても、AIを駆使したテクノロジーによる「支配と隷従」という構図はおそらくは変わらない。

そしてこの構図が続く限り、あらたな階層社会が誕生してくる。なぜならテクノロジーによる支配は、次の二者択一の選択をわたしたちに迫るからだ。

■楽して支配されるか、苦労してでも自由に生きるか

第一の選択。無料や安価でさまざまなサービスを使って「安楽な暮らし」を楽しみ、そのかわりにビッグテックの支配を受け入れる。第二の選択。ビッグテックの「支配と隷従」からの自由を目指し、安楽な暮らしはあきらめる。

「支配と隷従から脱し、自由のために戦うエリート」と「安楽な暮らしに浸って、支配され隷属している人たち」という二分論は、けっこうリアルにテクノロジーの業界で目にする。

最近では、思想家の東(あずま)浩紀(ひろき)さんが雑誌で落合(おちあい)陽一(よういち)さんの「エリート主義」を批判して話題になった。

東さんは落合陽一さんの著書『デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂』(PLANETS)を引いている。この本で落合さんは、AIによって低コストでパーソナライズされた最適化社会が実現すると書いている。そしてそのような未来では、人びとの生き方はベーシックインカム(BI)的とベンチャーキャピタル(VC)的に二分されていくという。

「AI+BI型の社会は、成功した社会主義に近くなる。社会の構成員に等しくタスクが振り分けられ、その対価も等しく与えられる。それに対して、AI+VC型の社会の中では、一部の人々は挑戦的なビジネスに取り組む。次々にプラットフォームに技術が飲み込まれる中で、その向こう側の領域をシリアルアントレプレナーとして生み出していく世界だ」

■人類を「エリート」と「落伍者」に分ける社会が訪れる

「この両者の価値観の共存は難しいため、AI+VC型の社会についていけなくなった人は、AI+BI型の社会に移住して余生を過ごすことになる。市場の拡大を目指す人間と、市場拡大の恩恵をゆるやかに受ける人間が、明確に分けられた世界だ」

エリートは新しいテクノロジーへと挑戦していくことを選び、それができずに落伍(らくご)してしまう人はベーシックインカムをもらって「余生を過ごす」。エリートと「その他大勢」がそうやって二極化していく社会のビジョンを落合さんは描いている。これを東さんは強く批判している。

「ぼくにはこの未来社会像はあまりに夢想的すぎるように思われるし、そもそも実現するとしても悪夢にしか思えない。それは人類を選良とそれ以外に分ける社会像にほかならないからである」
「しかも厄介なことに、落合は同書で、デジタルネイチャーは人類をまさにそのような古い道徳観や倫理観から解き放つものなのだと主張し、そんな懸念を振り払ってしまうのである」(「落合陽一、ハラリは『夢想的で危険』東浩紀が斬る“シンギュラリティ”論に潜む“選民思想”」東浩紀、『文藝春秋』二〇二二年五月特別号より)

これはとても重要な議論である。これ以上テクノロジーが進化すると、落合さんの言うように社会はエリートと落伍者に分かれてしまうのだろうか。東さんの言うように、それは悪夢なのだろうか。

それとも、テクノロジーは進化しても社会が悪夢にならない「第三の道」はあり得るのだろうか?

■否定するのではなく、どう使いこなすかを考える

少なくともいえるのは、テクノロジーの進化は決して止まることはないということだ。過去の人類史を振り返っても、それは明らかである。ひとつの文明が滅んでしまったことで、そこで使われていたテクノロジーが失われてしまうことはある。古代ローマに張りめぐらされていた上水道テクノロジーはその典型だ。しかし文明が持続する限り、テクノロジーはつねに進化し続ける。とくに民主主義の社会ではそうだ。

佐々木俊尚『Web3とメタバースは人間を自由にするか』(KADOKAWA)
佐々木俊尚『Web3とメタバースは人間を自由にするか』(KADOKAWA)

だからわたしたちが住んでいるこの二十一世紀の社会が崩壊でもしないかぎり、AIやロボットの技術が退化してしまうことはないだろう。そうであればテクノロジーを否定するのはあまり意味がない。どうテクノロジーを使いこなすのか、テクノロジーをどう手なずけるのかという「第三の道」を考えていくほうが建設的ではないだろうか。

現在のAIの進化とテクノロジーによる「支配と隷従」は、エリートと一般人に社会を分断し新たな階級社会をつくっていこうとしている。しかし逆に新しいテクノロジーによって、そのような階級社会の誕生を阻止することはできないのだろうか?

それがわたしが上梓した『Web3とメタバースは人間を自由にするか』のテーマである。

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佐々木 俊尚(ささき・としなお)
ジャーナリスト、評論家
毎日新聞社、月刊アスキー編集部などを経て2003年に独立、現在はフリージャーナリストとして活躍。テクノロジーから政治、経済、社会、ライフスタイルにいたるまで幅広く取材・執筆を行う。『レイヤー化する世界』『キュレーションの時代』『Web3とメタバースは人間を自由にするか』など著書多数。総務省情報通信白書編集委員。TOKYO FM放送番組審議委員。情報ネットワーク法学会員。

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(ジャーナリスト、評論家 佐々木 俊尚)

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