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アジャイルなソリューションのケイパビリティ…こんな「カタカナ英語」の台頭が日本語に与える"問題点"

プレジデントオンライン / 2022年12月24日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/JackF

ビジネスの世界で意味が通りづらい「カタカナ英語」を使う人がいる。評論家の宮崎哲弥さんは「彼らは知識をひけらかしたいだけだ。こうした言葉の台頭は、日本でも語彙の格差が生じつつあることを感じさせる」という――。

※本稿は、宮崎哲弥『教養としての上級語彙』(新潮選書)の一部を再編集したものです。

凡 例
本書で辞書的定義を書き出す際は、文頭に●を置いた場合には章や節のテーマに沿った見出し語の意味を掲げ、◎を置いた場合には、章や節の主題とは直接関係なく、文中に現れた重要語句の意味を掲示する。またそのように、辞書的語釈等を特記する見出し語に関しては、直前または直後にその語句を〈 〉で括り、〈諸賢〉の注意を促す。

●しょけん【諸賢】多数の人に対して敬意を込めて呼ぶ語。代名詞的にも用いる。皆さん。「読者諸賢のご〈健勝〉を祈ります」

◎けんしょう【健勝】健康で元気なこと。また、そのさま。すぐれてすこやかなこと。

という具合である。

本稿では、インターネット上の公共図書館、青空文庫に公開されてある著作権切れの作品から例文を引いている。この引文(=引用文)については、とくに《 》で囲った。読者の〈便宜〉に〈鑑み〉、青空文庫掲出の原文が旧仮名遣(歴史的仮名遣)のものは新仮名遣(現代仮名遣)に改め、漢字の旧字体は新字体に直し、かつ〈適宜〉ルビを付加した。

また語釈、例文等の補足説明には、その先頭に※を置いた。

■「基本語彙」と「高級語彙」

私は、この本を「ワンクラス上のボキャビル(“vocabulary building”=語彙増強)」のための実用書として世に送り出す所存である。

実用書とは、文字通り、実用に供する内容を著わした本に他ならない。

だが、実用とは何だろうか。実際に人生の、生活の、仕事の、時務の用に役立つの意である。

「高級語彙」という言葉がある。言語学者の鈴木孝夫の考案によるが、彼は「日常生活の中で誰もが普通に使う易しいことば」群を「基本語彙」と規定し、「主として学者や専門家が用いる難しいことば」群を「高級語彙」とした(鈴木孝夫『日本語と外国語』岩波新書)。

鈴木のいう「高級語彙」とは各分野の術語、テクニカルタームに近い。

そして鈴木は、英語の高級語彙(=専門用語)は門外漢にはなかなか理解できないという。

例えば“agoraphobia(アゴラフォビア、広場恐怖症)”という神経症の病名がある。これは本来、広場のような広々とした空間にいると恐怖や強い不安を持続的に感じる病気のことだが、昨今では公共交通機関等でも発症し得るとされている。

■“agoraphobia”の意味は字面だけでは取れない

この語は“agora(アゴラ)”という「公共の場」を意味する古代ギリシャ語と、やはりギリシャ由来の「恐怖症」を意味する接尾語“phobia(フォビア)”が組み合わさったものだが、英語圏において医師などの専門家ではない人が、そうした古典語の知識や教養抜きにパッと“agoraphobia”を示されてもまったく意味が取れない。然るに、日本語ならば「広場恐怖症」という字面をみただけで、医師ならずともだいたいの人がその意味内容を推測できる。鈴木はいう。

なぜこのような違いが日本語と英語の間に見られるのかと言えば、それは日本語では、日常的でない難しいことばや専門語の多くが、少なくともこれまでは、それ自体としては日常普通に用いられている基本的な漢字の組合せで造られているのに、英語では高級な語彙のほとんどすべてが、古典語であるラテン語あるいはギリシャ語に由来する造語要素から成り立っているからなのである。(前掲書)

■アメリカドラマで「ラテン語の知識」がよく出てくるワケ

例えば実務関連でも、法律用語や医学用語の多くがラテン語やギリシャ語など古典語の「造語要素」から成り立っている。アメリカの法廷ものや医療ものの映画、ドラマをみていると、医者や弁護士がラテン語、ギリシャ語の知識を自慢げに披露する場面が出てくるが、あれは教養を〈衒って〉いたのではなかったわけだ。

◎てらう【衒う】(己が才能や力量、学識、教養についての自慢を)言動にちらつかせる。みせびらかす。ひけらかす。誇示する。「才を衒う」「博学を衒う」「奇を衒う(=奇抜な行為をみせびらかして、目立とうとすること)」

※『広辞苑』によれば、「衒う」は「照らふ」が原意であり、そこから「かがやくようにする」の義が導かれたらしい。自分を「かがやくようにする」こと。サザンオールスターズの『C調言葉に御用心』に「照らう元気もありゃしもないのに そうとうクールでいれるのも妙ね」という歌詞がみえる。

「衒う」の名詞形は「衒い」で、ひけらかすことだが、〈衒(てら)いのない〉という慣用句で知られる。

◎衒いのない 飾り気のない。表面をつくろっていない。気取ったところのない。「彼の衒いのない性格にひかれた」

※先日、ラジオのパーソナリティが、「衒いのない」を「照れのない」の意味で使っているのを聴いた。この「照れ」は恥ずかしげ、恥じらい、気おくれ、臆面などの意。「照れのない」は「恥ずかしげがない」とか「臆面もない」ということだ。「衒いのない」とはまったく違う。

また「衒い」の「衒」という字は、音で「げん」と読む。〈衒学〉という熟語がある。

◎げんがく【衒学】学をひけらかすこと。知識や教養のあることをみせびらかすこと。ペダントリー(“pedantry”)。「あの男の衒学的な態度には〈辟易〉した」

※作例にある「衒学的」は英語ではペダンティック(“pedantic”)。

◎へきえき【辟易】うんざりすること。閉口すること。嫌気がさすこと。げんなりすること。「彼の鈍感さには辟易する」「京都の夏の暑さには辟易した」

■■コンサルタントの「カタカナ英語」から見る日本語の利点

もっと〈卑近〉な例を挙げれば、経営コンサルタントやマーケターがプレゼンテーションなどで「わけのわからないカタカナ英語」を多用することはよく知られている。

ビジネスマン話す顔、顔、顔のコンファレンスルーム
写真=iStock.com/Robert Daly
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Robert Daly

●ひきん【卑近】身近なこと。ありふれていること。高遠ではなく手近なこと。「卑近な話題ばかりだった」

これは大概の場合、聞き慣れない専門語をひけらかすことで、顧客を威圧したり、煙に巻いたりする「効果」を狙ったものだ。例えば、

「VUCA(ヴーカ)時代にあって、マーケットがインプライする変化のサインをしっかりとらえ、いちはやくアジャストするために、各セクションからクロスファンクショナル・チームを選出し、同時にセクション間のコラボレーションをファシリテートすることで、アジャイルなソリューションのケイパビリティを高めていくことが〈肝要〉です」

などという。門外漢にはほとんど無意味な外来語(カタカナ洋語)の羅列に過ぎないが、日本語に直してみれば、一応意味が「ぼやっと」はわかるようになる。

「変転著しく不確実性に満ちた時代にあって、市場が暗に示す変化の兆候をしっかりとらえ、いちはやく調整、適応するため、各部門から機能横断型のチームを選出し、同時に部門間の協働を促進することで、課題に即応対処できる能力を高めていくことが肝要です」

◎かんよう【肝要】(人の肝と扇の要の意から)極めて重要であること。最も必要なこと。「二国間の連携を維持することこそが肝要だ」

■日本語は基本語彙と高級語彙の間に差があまりない

専門的な語彙も多少含まれているものの、とくに経営戦略の知識がない人でも、漢字によって構成される漢語を辿っていけば、だいたいの文意は取れるはずだ。英語圏ではこうはいかない。

日本語の日常的な基本語彙と専門的な高級語彙とのあいだには、英語ほどの隔たりはみられない。しかし、別の格差が生じようとしているように思う。

それは高級語彙(学術用語、専門語)と基本語彙(日常語)との中間辺りに位置する言葉の衰えによる。日常語というほど頻繁には使われないが、意義としては日常語の範囲に属することの多い、やや難しい言葉や表現(言回し)。本や硬めの文書、畏まったスピーチや講演などには登場するが、日常会話ではあまり話されない語彙。本書ではこうした言葉の群れを「上級語彙」と呼ぶ。

■書き言葉としての漢語、話し言葉としての和語

語彙の貧相化は主に(1)漢語や和語(大和言葉)の伝承の途絶、(2)読書慣習の衰え、に起因すると思われる。

ちなみに漢語とは音読みの漢字によって構成された語のこと。中国起原の言葉が国語化したものを指す。和語は、辞書や事典などでは日本本来の言葉とされるが、漢語が日本語の伝統的な語彙として定着しているため、この「本来の」という定義はあまり意味をなさない。和語の漢字表記は訓で読まれる。さらに和語には送り仮名が付くことが多い。例えば「躊躇(ちゅうちょ)(する)」という漢語は、和語では「躊躇(ためら)う」と表記する。どちらも「迷って決心がつきかねる」の意。

一般に、和語系の言葉は、繊細な感受や感情を〈如実〉に表出できる反面、抽象的な概念を指示する名詞が少なく、論理的な思考に向いていないとされる。これに対し、漢語系の語彙においては抽象語も豊富で、クリアカットな表現が可能だ。ロジカルな思考に適しており、理論を表記するのに向いている。しかし、まさに和語の反対で、感受の仕方や感情の動きなど微妙なニュアンスを漢語では表出しにくいという欠点がある。

さらに用途に違いがある。和語は、耳で聞いてわかりやすいので、話し言葉に向いている。漢語系の言葉は、書き言葉としては簡潔で優れているが、同音異義語が多いため、会話や談話で多用すると誤解の余地が大きくなってしまう。そこで、テレビ、ラジオ、講演、講義などでは工夫が凝らされている。

例えば「首長(しゅちょう)」という漢語がある。主に地方自治体の長、都道府県知事や市町村長を指すが、談話ではこの「首」を訓読みして「クビちょう」と称することがある。これは聞き手が、音の似ている「市長」と混同しないための工夫だ。ちなみに『広辞苑』も第七版で「くびちょう」を採録した。引用しておこう。

日本の文学
写真=iStock.com/anants
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くびちょう【首長】シュチョウ(首長)をシチョウ(市長)の音と区別するためにいう語。

「化学」の「化」を訓読みして「バケがく」というのも、同音異義の「科学」との混同を避けるためである。同じ理由で「私立」を「ワタクシりつ」、「市立」を「イチりつ」などと読み分けることもある。

和語、漢語のそれぞれに一長一短がみられる。

◎にょじつ【如実】実際さながら、事実そのままであること。「空爆による惨禍を如実に伝える映像」

■テレビや新聞の「言葉の平明化」が与えた影響

もう一点、語彙の貧困化の要因を挙げるとすれば、国をこぞっての「言葉の〈平明〉化」運動である。1980年代以降、テレビや新聞から「難しい言葉」を排除しようという方向に世の中全体が〈傾いで〉きた。ニュースや情報番組では、物事を「平明な言葉」で伝えることが嘉され、その結果として、思考も感性も単純化、平板化の一途を辿った。他方で、先にみたように、ビジネスの世界ではわけのわからないカタカナ洋語が〈席巻〉し、英語圏を〈彷彿〉させる語彙の格差が生じつつある。

●かしぐ【傾ぐ】傾く。向きが片寄る。斜めになる。

《やがて、青葉を縫って、青い月光は地平線にかしいだ》(小川未明『森の暗き夜』)

※「縫う」は、ここでは「事物のあいだを通って進む」の意。

《つづいて二度、大きな震動があって、物見台がグラリと傾いだ》(久生十蘭『呂宋の壺』)

●へいめい【平明】わかりやすく、明快なこと。「平明な解説」「平明に記す」

●せっけん【席巻/席捲】原意は、席を巻くように次々と領土を攻め奪うこと。転じて、勢力範囲を急速に拡大すること。「たちまち市場を席巻した」「1918年から19年にかけて世界を席巻したスペイン風邪」

《いつかまだ吉本が今日のように東京興行界を席巻しない以前、早くもそこへ身売りして行った芸人に芸人魂のあるのはいないと放言したことがある》(武田麟太郎『落語家たち』)

●ほうふつ【彷彿/髣髴】ありありと目に浮かぶこと。何かをみて、それとよく似ているものを思い浮かべるさま。

※〈彷彿〉には名詞形と形容動詞形の表現があり、意味はだいたい同じなのだが用法が若干異なる。名詞形の場合は「する」「させる」を伴って、「その光景が眼前にいまなお彷彿する」「バブル期を彷彿させる」などと使う。一方、形容動詞形の場合は「とする」「とさせる」「たり」などを伴って、「ふるさとを彷彿とする」「故人の面影が髣髴として目に浮かぶ」「マンガの登場人物を彷彿とさせる」「亡父に髣髴たり」という具合に用いる。

■古文に馴染みがなくても上級語彙は身に着けられる

本稿はこうした状況に一石を投ぜんとする。「一石を投じる」とは「問題を投げかける」の義である。これは問題を投げかける実用書なのだ。

宮崎哲弥『教養としての上級語彙』(新潮選書)
宮崎哲弥『教養としての上級語彙』(新潮選書)

オリエンテーションも兼ねて、この「ワンクラス上の日本語ボキャビル」のため、上級語彙を〈自家薬籠中(じかやくろうちゅう)のもの〉とするための本の、やや型破りなスタイルと用途を説いてきた。

●自家薬籠中のもの 手もとの薬箱の中の薬品のように、いつでも自分の思う通りに利用できる物や人など。思うさま使いこなせるもの。

本稿は〈喫緊〉の課題に応えるべく、漢籍や古文に馴染まずとも、それと同等に、いまの時代に必要な上級語彙を身に付けることを目的とする。これを読めば、ワンランク上の語彙を適切に、自在に運用できるようになるはずだ。

これは知的営為を豊かにするための基本装備なのだ。

●きっきん【喫緊/吃緊】さし迫って大事なこと。重大案件の解決が切迫しているさま。「信頼性向上が喫緊の要請だ」

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宮崎 哲弥(みやざき・てつや)
評論家
1962年、福岡県生まれ。慶應義塾大学文学部社会学科卒業。テレビ、ラジオ、雑誌などで、政治哲学、生命倫理、仏教論、サブカルチャー分析を主軸とした評論活動を行う。著書に『いまこそ「小松左京」を読み直す』(NHK出版新書)、『仏教論争―「縁起」から本質を問う』(ちくま新書)、『ごまかさない仏教 仏・法・僧から問い直す』(新潮選書、佐々木閑氏との共著)、『知的唯仏論』(新潮文庫、呉智英氏との共著)など多数。

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(評論家 宮崎 哲弥)

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